タグ

ブックマーク / uma-furusato.com (14)

  • ナカヤマフェスタがアロースタッドで種牡馬復帰 | 馬産地ニュース | 競走馬のふるさと案内所

    10月1日、新ひだか町静内田原にあるアロースタッドに、1年間種付けを休んでいたナカヤマフェスタが種牡馬として復帰した。 ナカヤマフェスタは父がステイゴールド、母がディアウィンク、母の父がタイトスポットという牡12歳の鹿毛。むかわ町にある新井牧場の生産馬で、2007年のセレクトセールサラブレッド1歳において10,500,000円(税込)で取引された市場取引馬となる。 ナカヤマフェスタの競走成績は15戦5勝。和泉信子氏の所有馬(のちに和泉信一氏)、美浦の二ノ宮敬宇厩舎の管理馬として、2008年11月のメイクデビュー東京で新馬勝ち。2戦目の東京スポーツ杯2歳S(Jpn3)で重賞初制覇を飾った。3歳になるとクラシック路線を歩んでセントライト記念(Jpn2)に優勝。2010年の宝塚記念(G1)でG1初制覇を成し遂げ遂げると秋にはフランスへ遠征し凱旋門賞(G1)でワークフォースの2着に健闘した。 20

  • カネヒキリのファーストクロップが誕生 | 馬産地ニュース | 競走馬のふるさと案内所

    新冠町・五丸農場で誕生したカネヒキリのファーストクロップ 雪の上を元気一杯に駆け回った 母親に寄り添うカネヒキリの牡駒 度重なる故障から不屈の闘志で復活し、ダートG1/Jpn17勝、2005年&2008年JRA最優秀ダートホース、2005年NARダートグレード競走最優秀馬、2008年NARグランプリダートグレード競走特別賞に輝いたカネヒキリ(牡10歳)のファーストクロップが1月22日、新冠町の五丸農場で誕生した。 予定日より3日ほど遅れて生れ落ちたのは、母がアンベリール(父サクラローレル)の栗毛の牡馬。1992年の金鯱賞(G3)など重賞4勝をあげ、1993年の安田記念(G1)、宝塚記念(G1)でも2着となり「鉄の女」と呼ばれたイクノディクタスの孫に当たる。 「骨のある手先のさばきが軽い馬が生まれました。カネヒキリは素晴らしい競走実績のある馬ですし、種付料も手ごろ。初年度ということで2頭に種

    pondelion232
    pondelion232 2012/01/31
    あらかわいい
  • ディアジーナを訪ねて~メイプルファーム | 馬産地コラム | 競走馬のふるさと案内所

    2009年のデイリー杯クイーンC(G3)、サンスポ賞フローラS(Jpn2)と2つの重賞を制したディアジーナ(牝5歳、父メジロマックイーン、母アイネスターキン、母の父ビショップボブ)を日高町のメイプルファームに訪ねた。 ディアジーナは2008年6月デビュー、初勝利には3戦を要したが、特別戦の赤松賞3着、ひいらぎ賞2着と健闘した。 明け3歳となる2009年初戦の菜の花賞を勝ちOP入りするとデイリー杯クイーンC(G3)を優勝。一躍クラシック戦線に名乗りを上げた。桜花賞(Jpn1)は回避し大目標をオークス(Jpn1)制覇に掲げて挑んだフラワーC(G3)では、逃げるヴィーヴァヴォドカを捕らえることができずクビ差2着に惜敗。続くサンスポ賞フローラS(Jpn2)では期待に応えて優勝、重賞2勝目を挙げた。 番となったオークス(Jpn1)では、前年の阪神ジュベナイルフィリーズ(Jpn1)、桜花賞(Jpn1

    pondelion232
    pondelion232 2011/05/26
    ディアジーナさん、メイプルファームさんか。
  • タップダンスシチーが種牡馬引退 | 馬産地ニュース | 競走馬のふるさと案内所

    2003年のジャパンC(G1)、2004年の宝塚記念(G1)を制覇し、日高町のブリーダーズスタリオンステーションに繋養されていたタップダンスシチー(牡14歳)の種牡馬引退が決まり5月12日、同SSを退厩し種牡馬生活に別れを告げた。今後は苫小牧市のノーザンホースパークへ移動し、乗用馬として新たなスタートを切る。 タップダンスシチーは父プレザントタップ、母オールダンス、母の父ノーザンダンサーという鹿毛の米国産馬。競走成績は42戦12勝。9馬身差で圧勝したジャパンC(G1)、コースレコードで快勝した宝塚記念(G1)のほか、金鯱賞(G2)3連覇、京都大賞典(G2)など重賞6勝を挙げた。 現役引退後の2006年に種牡馬入り。初年度は163頭、2年目は127頭に種付けするほどの人気を集めたが、2009年にデビューした産駒たちの成績が振るわず、種付頭数は昨年が6頭、今年はわずか1頭と減少していた。 同馬

  • パラダイスクリークが死亡 | 馬産地ニュース | 競走馬のふるさと案内所

    日高町の前川義則牧場に繋養されていたパラダイスクリーク(牡22歳)が4月4日に死亡した。 パラダイスクリークは父アイリッシュリヴァー、母ノースオブイーデン、母の父ノースフィールズという鹿毛の米国産馬。 競走成績は米日25戦14勝。1992年のハリウッドダービー(G1)でG1初制覇すると、1994年にはアーリントンミリオン(G1)、ワシントンDC国際(G1)、マンハッタンS(G1)など重賞7勝を含め北米で10戦8勝の快進撃。同年途中、西山正行オーナーにトレードされ、距離不適とされたジャパンC(G1)にも出走し、マーベラスクラウンのハナ差2着と好走した。 1995年から静内町(現新ひだか町)のアロースタッドで種牡馬入り。2005年の阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)を制したテイエムプリキュア、2002年の帝王賞(G1)馬カネツフルーヴ、2002年のフローラS(G2)優勝馬ニシノハナグルマ、20

  • エルウェーウィンとケイティタイガーが移動 | 馬産地ニュース | 競走馬のふるさと案内所

    1992年のJRA賞最優秀3歳牡馬エルウェーウィンと1997年の中山大障害優勝馬ケイティタイガーの2頭が3月21日、浦河町のうらかわ優駿ビレッジAERUから、白老町の「ホースガーデンしらおい」へと移動した。「ホースガーデンしらおい」は、気楽に乗馬が楽しめたり、馬と触れ合うことを目的に、4月1日にオープン予定の乗馬クラブ&引退馬牧場。 エルウェーウィン(セン21歳、父カーリアン、母ラスティックレース)という血統の愛国産馬。2歳時に3戦3勝で最優秀3歳牡馬になったものの、骨折で長期休養を余儀なくされた。復帰後は勝ちきれないレースを続けていたが、7歳秋のアルゼンチン共和国杯(G2)で3年11か月ぶりに優勝した話題となった。通算成績は40戦5勝(重賞2勝) 現役引退後は、99年から静内町の静内スタリオンステーションで種牡馬入り。03年からは功労馬として余生を過ごし、2010年3月にAERUへ移動し

  • バランスオブゲームを訪ねて~アロースタッド | 馬産地コラム | 競走馬のふるさと案内所

    新ひだか町のアロースタッドで種牡馬生活5年目を迎えているバランスオブゲームを訪ねた。 2歳夏にデビューし、7歳秋のオールカマーまで。5年間にも及ぶ競走生活で重賞7勝。G1タイトルには恵まれなかったが、先行力とスピードを武器に、G2レースは歴代最多となる6勝。6億円を超える賞金を稼ぎ出した。 「よくぞ、この名前をつけてくれた」と生産者が語ったほど、生まれたときからバランスの良い馬だったという。綺麗な馬で、だからこそ名血がキラ星のごとくのセレクトセールへの上場を決め、そして購買者の目にとまった。 その後の活躍は前述のとおりだ。多くのタイトルとともに馬産地へと帰ってきた。 「普段はおとなしいし、扱い易い馬ですよ。元気が良いのは種付けのときくらいかな」とアロースタッドの間一幸主任が言う。放牧地でものんびり過ごすことが多く、周りの馬が走り回ってもあまり意に介さないらしい。「賢い馬で、慎重なところが

  • デュークグランプリを訪ねて~静内フジカワ牧場 | 馬産地コラム | 競走馬のふるさと案内所

    1997年の武蔵野ステークス(G3)の覇者デュークグランプリ(静内フジカワ牧場生産)を訪ねた。現役時代はダート中長距離重賞を3勝。重戦車のごとく雄大な馬格をゆるがせ、パワフルな走りで他馬を圧倒した。引退後は5年間種牡馬生活を送り、現在は故郷の牧場で功労馬として余生を過ごしている。BTCの引退名馬飼養環境整備事業助成対象馬で、見学も可能だ。 専用の放牧地へ行くと、一昨年会った時と変わらない様子のデュークグランプリがいた。老いは感じられない。同牧場の藤川靖仁さんに近況を伺うと、「体調面はいたって良好。健康そのものです。欲旺盛で、20歳には見えないぐらい元気一杯ですよ。皮膚の良い馬で、馬服を着せなくても毛ヅヤが光っています。」と、明るい表情を見せる。現役時代からはややシェイプアップして、現在の馬体重は500kg前後。朝6時から午後3時まで放牧している。 放牧地では雪をかきわけ、涼しい顔で草を

    pondelion232
    pondelion232 2011/03/01
    デュークグランプリ!/函館のメ(略
  • フジノマッケンオーを訪ねて~本桐牧場 | 馬産地コラム | 競走馬のふるさと案内所

    安住の地は、生まれ故郷だった。 2000年の現役生活にピリオドを打ったフジノマッケンオーは、種牡馬失格の烙印をおされ、その後はめぐり合った施設の閉鎖にまた行き場を失い、乗用馬施設を転々としたのち、2005年に生まれ故郷の桐牧場に戻ってきた。 大正8年創業。100年にならんとする桐牧場の歴史は“幻の馬”といわれたトキノミノルや天皇賞馬ヤマニンモアー、メジロタイヨウ。あるいは名牝のほまれ高いオーハヤブサ(オークス)などとともにある。名種牡馬チャイナロックをけい養し、メジロティターンやウィナーズサークルも種牡馬としてけい養していた。現在、フジノマッケンオーと仲良く隣同士で放牧されているハギノカムイオーも、そんな1頭だ。 サラブレッド、とくに牡馬が生まれ故郷に戻れる確率を考えると、桐牧場の放牧地で草を噛むフジノマッケンオーは、その存在が奇跡といってもよい。 「おとなしい馬なんですよ。色々なと

    pondelion232
    pondelion232 2011/02/23
    俺のフジノマッケンオーが!
  • ゴールドプルーフを訪ねて~徳重牧場 | 馬産地コラム | 競走馬のふるさと案内所

    2003年の東海ステークス(G2)を勝ったゴールドプルーフ(牡16歳、父ゴールドレット 母サンウーマン)を鹿児島県姶良町の徳重牧場(ホースランドあいら)に訪ねた。 馬は名古屋競馬に所属し、東海ステークス(G2)、全日サラブレッドカップ(G3)と2つのグレードレースを制した他、全国の交流重賞に果敢に挑戦し、川崎記念(G1)では2度の3着など長きに渡って活躍した。馬の父のゴールドレットは東海公営で一時代を築いた名馬、地元出身の種牡馬が送り出した地元の活躍馬ということで、格別な思いでファンに愛される存在だった。 2004年に競走生活を終えた馬は鹿児島の徳重牧場で種牡馬入りとなったが、その後色々と紆余曲折があったという。 「ゴールドプルーフの共有馬主だった丹羽オーナーは昔からの親友だったのですが、活躍を見届けないまま亡くなってしまいました。オーナーの夢を継いで1頭でも産駒を取ろうと、こちら

    pondelion232
    pondelion232 2011/01/26
    「こちらで種牡馬入りさせたのですが大人しすぎて種付けが出来る状態ではありませんでした。2年間種牡馬登録を続けていましたが、牝馬を見て後ずさりしているようでは種牡馬にはなれません。」なんたる・・・w
  • エルウェーウィンを訪ねて~うらかわ優駿ビレッジAERU | 馬産地コラム | 競走馬のふるさと案内所

    2010年春。1992年の最優秀2歳牡馬エルウェーウィンが浦河町の優駿ビレッジAERUにやってきた。20歳での移動を危惧する声もあったが「環境の変化にもすぐに慣れて体調はすこぶる良いですよ」というのは乗馬部門の担当マネージャー、島村博さんだ。 現在エルウェーウィンは、AERUの功労馬放牧地でミホノブルボンのライバルだったヒシマサル、そしてジャンパーとして活躍したケイティタイガーとともに余生を過ごしている。 不敗の2歳王者。それもビワハヤヒデをねじ伏せてのG1優勝というタイトルは18年の歳月を重ねても、その輝きを失っていない。「訪ねてくるファンも多いですね。やっぱりこの馬のレースは印象に残っているのでしょうか」と島村さんが言う。 2歳秋の新馬戦、そして京都3歳S、朝日杯3歳S(G1)と不敗の3連勝で2歳チャンピオンになったものの、その後は骨折による長期休養を余儀なくされた。復帰したものの精彩

  • フォーティナイナーを訪ねて~JBBA静内種馬場 | 馬産地コラム | 競走馬のふるさと案内所

    軽種馬協会静内種馬場の広い放牧地。その一番奥にフォーティナイナーがいる。オグリキャップやスーパークリーク、ヤエノムテキらと同世代の25歳。肉付きがよく、外見からは年齢を感じさせない。 さすがは北米のクラシックウイナーにして、チャンピオンサイアー。今では世界中にその血を広げている“サイアーオブサイアーズ”だ。幾度となくあった買戻しのオファーを断り続け、日の馬産界発展のために尽力した。 「現役種牡馬時代に乗り運動をすると、若い馬よりも前に出ようとする、そんなタイプでしたね」と同協会の遊佐繁基種馬課長が懐かしむ。 そんなフォーティナイナーが種牡馬引退を告げられたのは2007年のシーズン終了後だ。この年、いつものように種付けを開始したものの、受胎率が急落。結局の19頭の繁殖牝馬に配合したもののわずか3頭の産駒を得るにとどまった。その最後の世代がデビュー年度を迎えている。まだ勝ち上がった馬はい

    pondelion232
    pondelion232 2010/12/21
    お元気そうでなにより
  • サクラユタカオーのお別れ会が行われる | 馬産地ニュース | 競走馬のふるさと案内所

    祭壇 お別れ会会場の看板 お別れ会の様子 お別れの挨拶を述べる酒井芳秀新ひだか町長 生産者の藤原悟郎さんに感謝状が送られた 参列者は冥福を祈った 墓誌は来年の4月に建立予定 11月23日に新ひだか町の乗馬施設「ライディングヒルズ静内」で老衰のため亡くなったサクラユタカオーのお別れ会が18日、二十間道路エントランス広場に隣接する桜舞馬公園で行われた。 雪の中行われたお別れ会には関係者やファンら約30人が参列。馬魂碑へ鬣が納められたあと馬頭観音寺山口住職の読経、参列者を代表してお別れ会実行委員長の酒井芳秀新ひだか町長、サクラユタカオー会代表服部和則氏、生産者の藤原悟郎氏が献花を行い、同馬を偲んだ。 弔辞を述べた日高獣医師会顧問であり、同馬を幼少時代から知る主治医の中島滋さんは「栗毛のテスコボーイ産駒は走らないと言われていた時代に生まれた馬ですが、生まれた時から独特の雰囲気を持っている馬でしたね

    pondelion232
    pondelion232 2010/12/20
    さよならユタカオー
  • テイエムオペラオーが移動 | 馬産地ニュース | 競走馬のふるさと案内所

    北海道市場取引馬で、2000年の年度代表馬のテイエムオペラオー(牡14歳、父オペラハウス)が30日、8シーズンを過ごしたHBA日高軽種馬農業協同組合門別種馬場を退厩した。これは、同組合が種牡馬事業を停止することになったことの措置で、テイエムオペラオーは来シーズン以降も種牡馬生活を続行する。新しいけい養先などはまだ発表されていない。 G1レース6連勝、重賞8連勝など輝かしい記録を持つテイエムオペラオーが引退したのは2002年。初年度は生まれ故郷の浦河町にあるイーストスタッドでけい養されたが、2003年以降は同門別種馬場で種牡馬生活を送っていた。まだ中央競馬の平地の重賞勝馬には恵まれていないが、父オペラハウスゆずりの障害センスを見せてテイエムトッパズレ(東京ハイジャンプ(JG2)、京都ハイジャンプ(JG2)、京都ジャンプS(JG3))、テイエムエース(東京ハイジャンプ(JG2))などを出したほ

    pondelion232
    pondelion232 2010/07/08
    門別の軽種場が無くなるのが時代とはいえ寂しいなぁと。
  • 1