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ブックマーク / www2.ocn.ne.jp/~tomoya1 (1)

  • 立山信仰と立山曼荼羅の解説

    越中立山は、江戸時代前期(延宝期〔1673〜1680〕)にはすでに富士山・白山とともに日三霊山のひとつとして知られ、州の真ん中には、この三山を巡拝する壮大な巡礼コースが存在していました。「三禅定」と称するこの大旅行は、主に中部・東海地方の人々によって江戸時代後期まで盛んに行われてきました。 さて、現代人のわたしたちが一般的に「立山」の言葉で想像する事象や事物は、立山の雄大な山岳景観や高山植物、雷鳥、アルペンルート、雪の壁など、そのほとんどが自然にかかわるものでしょう。しかし、立山が日歴史のなかで絶えずその存在感を保ち続け得たのは、自然もさることながら、それよりもむしろ山中にあるという恐ろしい地獄のおかげだったのです。そこで、このホームペイジでは、立山の地獄・極楽信仰を中心にその知られざる歴史を紹介したいと思います。 1.神の坐す立山 2.立山地獄信仰の発生 3.立山地獄信仰

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