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ブックマーク / agora-web.jp (31)

  • 欧米諸国は罠にはまったか

    ハマスによるイスラエル領内での凄惨なテロ攻撃に対して、イスラエルが苛烈な報復攻撃を始めた。ハマス(あるいは「ハマス等テロリスト勢力」)のテロ攻撃は凄惨であるだけではない。ガザ地区住民の生活を犠牲にして、イスラエルの過剰反応を引き出すことを狙った行為だと言わざるを得ない点で、極めて残忍なものだったと言える。 ハマスの勢力は、ガザ地区内でも、海外からの支援の面でも、減退気味であった。暴発的な作戦を行い、イスラエルに過激な反応をさせることによって、あらためて存在感を高めることを狙った行為であったと言える。それに対し、イスラエル政府も、イスラエルとの連帯を表明した欧米諸国も、ハマスの計算通りに過剰反応しようとしているようだ。 イスラエルでは、悪評高い司法改革で、ネタニヤフ首相が支持を失っていたところだった。自らの保身のための起死回生の作戦とすることを狙っているかのような扇動的な態度で、ハマス撲滅の

    欧米諸国は罠にはまったか
  • 『アサシン クリード』弥助問題に関する私見

    人気ゲームシリーズ『アサシン クリード』の最新作で11月に発売予定の「アサシン クリード シャドウズ」が、ネット上で論議を呼んでいる。織田信長に仕えた黒人として著名な弥助をモデルにしたキャラクターが、新主人公として追加されたことが原因である。 これまでのシリーズでは、様々な時代や国で暗躍する架空の暗殺者が主人公だったが、歴史上に実在した人物である弥助が主人公として登場し、「伝説の侍」として紹介された。このことに対して、著しい誇張であり、歴史の歪曲につながるのではないかとの批判が沸騰している。 論争は加熱、拡散し、現在では「アサクリ」弥助の人物像に影響を与えたと見られるトーマス・ロックリー氏(日大学准教授)の弥助研究に批判が飛び火し、当時の黒人奴隷貿易のあり方にまで議論が広がっている。 情報が錯綜しており、また紙幅の都合もあるので、稿ではひとまず論点を「弥助は侍だったか」に絞って私見を述

    『アサシン クリード』弥助問題に関する私見
  • 過去を失った未来:オープンレターに集う「お目覚め主義者」たち

    IT・メディアLively, noisy baby lying down on bed, zoom, motion blur, horizontal. ウォーク(Woke)という用語をご存じだろうか。もともと直訳では「目覚めた」という意味だが、今日では「未来志向の社会正義のビジョンをラディカルに追求している」といった語義で用いる。急進的なエコロジー、フェミニズム、ポリティカル・コレクトネスなどに代表されるその思想内容を、Wokeismという名詞で呼ぶこともある。 このウォークないしウォーキズムには、なかなか適切な日語訳がない。しかし近日、「お目覚め主義」と訳すのが最も的確かもしれないと、ふと感じることが増えた。 遺憾なことだが、いわばお目覚めを迎えたばかりのお子様と同様に、「かつて実際には何があって、その際自分はいかなる態度をとったか」を一顧だにせず、いま目の前にある不快な状況(文字どお

    過去を失った未来:オープンレターに集う「お目覚め主義者」たち
  • 橋下徹氏に見る憲法学通説の病理

    大阪府庁のすぐ近く、大阪城正面の大手前交差点にある公益社団法人國民會館で、武藤記念講座の講演をさせていただいた。「憲法と安全保障:国軍としての自衛隊を憲法は禁止していない~悪いのは憲法ではなく憲法学通説~」という内容だったが、冒頭では「橋下徹氏のウクライナ降伏論」について語らせていただいた。 私は、評論家としての彼の活動には関心がなく、橋下徹氏のツィッターをフォローしてもいない。ただウクライナ情勢をめぐる「降伏」論については、大きな話題になったので、ニュース媒体を通じて見た。そして、不愉快になり、拙文を書いた。一カ月ほど前のことだ。 橋下徹氏・玉川徹氏は日のお茶の間平和主義の象徴か アゴラ これが橋下氏の逆鱗に触れ、その後、かなり頻繁に私についてツィッターで言及しているようである。 ウクライナ侵攻巡り橋下徹氏が国際政治学者の篠田英朗氏を侮辱しているとネット批判 niftyニュース またま

    橋下徹氏に見る憲法学通説の病理
  • またまた橋下徹さんが篠田英朗さんを罵倒して大炎上

    「橋下徹氏・玉川徹氏は日のお茶の間平和主義の象徴か」という説得的な論考を発表した篠田英朗教授ですが、橋下徹さんはPKOにも参加した篠田教授を「現場を知らない学者」呼ばわりしてしまいました。 これが現実の戦地・政治をリアルに感じ取ることのできない学者の思考・感覚。このゼレンスキー英議会演説の肝は「飛行禁止区域設定」の訴え。悲惨な多くの死を生み、目の前に死が迫っている者たちの切実な訴え。ここに応えることなく、その他の文学的表現に拍手喝采とは欺瞞の極み、というか超お花畑。 https://t.co/eJOAChTdOQ — 橋下徹 (@hashimoto_lo) March 13, 2022 「篠田教授以上に現場を知っている人っているの?」という反応が起きています。 篠田英朗先生って、理論的な研究でまず英語出して、日語でも連続して、賞もらうような研究書を出した上で、広島大学時代の2008

    またまた橋下徹さんが篠田英朗さんを罵倒して大炎上
  • 山中教授の「ファクターX」に踊らされていいのか

    先日、Yahoo!ニュースで、面白い光景を見た。「ファクターX」を否定する記事と、「これがファクターXだ」と論じる記事とが、ほとんど並んでいたのである。 私は、「ファクターX」のような仮説には、興味がない。科学者ではないので証明する手段を持っていないのが一番の理由だが、「ファクターX」なる概念が出てきた経緯である統計の読み方に信ぴょう性を感じることができないのも理由だ。 山中伸弥・京都大学教授は、執拗に「ファクターX」について語り続けている。仮説を科学的に証明してくれるのは勝手に早くやってくれればいいのだが、「ファクターX」の根拠としていまだに「日は何らからの原因(ファクターX)で、これまで死亡者が欧米に比べてはるかに少なく済んできました」を理由にしているのは、どういうことなのだろうか。 こんな根拠薄弱な理由で、人命もかかる政策に何らかの影響を与えようと執拗に「ファクターX」を発信し続け

    山中教授の「ファクターX」に踊らされていいのか
  • 新規陽性者数:本当に「指数関数的」拡大なのか?

    新型コロナの感染が広がって、緊張感が広がってきている。他方、10か月ほどの経験があり、以前よりも落ち着いてきたところもあるように感じる。 立場の違いによって懸念点をことさら強調したがる人もいれば、逆の人もいる。新型コロナ問題を見る姿勢が、左右の政治イデオロギー対立と結びついてきている傾向も顕著になってきた。二極分化社会の構造が、新型コロナ対策への見方にも影を落としているアメリカの姿を、いたずらに後追いしないように気を付けたい。 現在の状況の深刻度は、重症者数が医療能力に影響を与える水準になってきたためである。これについて医療施設受け入れ能力(地域間協力)の問題として考えなければならない。 他方、毎日の新規陽性者数のニュースは、必ずしも同じ性格の問題ではない。1日当たりの新規陽性者数が「史上最高」とか「2日連続で〇〇人以上」などの「煽り系」の見出しには、あまり意味がない。 私は統計屋ではなく

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  • 日本学術会議問題で、法律家は法に従って議論しているか?

    学術会議会員の任命拒否問題が大きな話題となっている。率直に言って、過去に数々のスキャンダルを人工的な操作で作ってきたグループの特定メディアが、日ごろから政権批判を繰り返している学者たちと、お馴染みのキャンペーンをするために、新しい題材を見つけてきた、という印象は拭えない。当初は、私はたいして関心を持っていなかった。 もちろん論点がたくさんあるのは確かだろう。いずれも日社会に深く根差す深刻な問題だ。議論は数多くすればいい。私自身は、そのすべてに関わるつもりはない。ただ、ここでは法的問題についてだけ、少し書いておきたい。 というのは、菅首相によって任命拒否された6名の方々の中心が法律分野の方々であるのに対して、当事者の方々を含めた法律家の方々が真っ向から一斉に反政府運動を行い始めた、という構図が見え始めているからだ。任命拒否された6名の中でも、政治学者の宇野重規教授が「何も語ることはあり

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  • 「三密の回避」を深化せよ ~日本モデルvs.西浦モデル2.0 正念場②

    東京の新規陽性者拡大の傾向は、先行きが見えない状態が続いている。1日当たりの新規陽性者数は、4月上旬の水準に近いが、無症状者の積極検査によって判明している陽性者も相当数含まれていることから、評価が難しい。 実際、顕著な新規陽性者が増加が始まってから1カ月以上たっているが、死者・重症患者は増加する傾向が見られない。この傾向は全国を見ても同じで、7月になってからの死者数は8名程度で、ここ数日も死者数0が続いている。この現象をどう理解するかは、非常に大きな課題であろう。 世界的に陽性者は増加も、死者数は減少 実は致死率の低下は、全世界的な傾向である。Worldometersで毎日の陽性者数と死者数の推移をグラフで比べるだけで、一目瞭然だ。前者は右肩上がりで伸び続けているが、後者は伸び止まっている。つまり1日当たりの新規陽性者が増え続けているのに、1日あたりの死者数は、増えていないのだ。これはなぜ

    「三密の回避」を深化せよ ~日本モデルvs.西浦モデル2.0 正念場②
    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2020/07/16
    "私自身が出席したある会合では、各人の距離を2メートルとった、ということに満足してしまって、密閉された空間である会議室であるにもかかわらず、発言者がマスクをとって熱心に語り続けるようなものであった。"
  • 日本型BCGで新型コロナの免疫ができる?

    「BCG接種が新型コロナにきく」という話が、ネットで出回っている。BCGは子供のとき受ける結核の予防接種なので、これは一見すると医学的に根拠のないトンデモにみえるが、ジョンズ・ホプキンス大学のBCG世界地図を見ると、疫学的な状況証拠は十分ある。 A(黄色)はBCG接種を義務づけている国で、日中国(武漢を除く)、韓国(大邱を除く)、ロシア、インド、ASEAN諸国、中南米(エクアドルを除く)など、例外なく死亡率が低い(人口100万人あたり死者1人以下)。 B(青)はBCGの義務化をやめた国。EUでは1980年代からBCGを任意にし、日のようなハンコ型ではない新しい株になった。右の表のように(小国とイランを除くと)死亡率のワースト10はすべでBCGを義務化していない国だ。特にBCG義務化をやめたスペイン(死者93人)と義務づけているポルトガル(死者6人)の差が印象的だ。 C(赤)はBCG

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    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2020/03/29
    fromノビー
  • 新型コロナの「抗体検査」が必要だ

    オクスフォード大学のシミュレーションでは、イギリス人の半分以上がすでに新型コロナの免疫をもっている可能性を示唆している。これは現在のイギリス政府の方針の依拠しているインペリアル・カレッジの報告書とはまったく違う。この違いの最大の原因は、感染がいつ始まったと想定するかである。 インペリアル・カレッジはイギリスで死者が初めて出た3月上旬を感染の起点と想定しているが、オクスフォード大学は1月下旬を起点にしている。死者が出るのは、感染が始まってから1ヶ月以上後だからである。新型コロナの基再生産数が2.25だとすると、この1ヶ月で感染が急速に拡大し、3月15日にはイギリス国民の50~60%が免疫をもっている計算になる。 同じことが日にもいえるとすると、日国内(クルーズ船を除く)で初めて死者が出たのは2月中旬なので、潜伏期間2週間を考えると、昨年12月末には感染が始まったことになる。 新型コロナ

    新型コロナの「抗体検査」が必要だ
    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2020/03/29
    fromノビー
  • 井上達夫教授は、いつからこういう方になったのか

    私がまだ修士課程の大学院生だった頃、井上教授に、早稲田で開かれた研究会に来ていただいたことがある。私が23歳頃の1992年頃だ。非常に力強くも落ちづいた報告と受け答えに、感銘を受けた。 井上教授は、30歳代前半でサントリー学芸賞を受賞され、名声を確立されていた。自信に裏付けられた静かな凄みに、新進気鋭の若手学者とは、こういう方のことか、と胸に残った。 その時から比べると、井上教授は、変わってしまった。60歳代半ばで、もう怖くて誰も何も言えない存在だ。すっかり、いつも怒って説教をしている人、になってしまった。 井上教授は、「修正的護憲派」・「原理的護憲派」と呼ぶ人々を批判し続ける。だがその批判の根拠は、何やら特殊な倫理的な姿勢を問うものだ。「欺瞞的」といった言葉を、繰り返し繰り返し、他者の糾弾のために使う。 木村草太・首都大学東京教授への糾弾の例をとろう。「私の授業を聴いていた元学生」の「木

    井上達夫教授は、いつからこういう方になったのか
  • まず憲法学者を議論に引きずり出すべきではないのか

    法律安倍政権の改憲に反対の憲法学者(左は長谷部恭男・早大教授、右は小林節・慶大名誉教授=FCCJより:編集部) 参議院選挙が終わり、改憲論議の行方が話題になっている。多くの人々が、「改憲問題は国民の関心事項ではない」といった主張をしている。改憲論の進展への強い警戒心は、改憲問題への強い関心の表れのようにも思えるが、議論はしないのだという。 わかりにくい。 議論しないという立場の人々は、「自衛隊は広く国民に認められているのだから、改憲の必要性はない」と主張している。しかし自衛隊が広く認められていることを肯定しているのなら、改憲に賛成してもいいではないか。 非常にわかりにくい。 アンケート調査では、具体的な改憲案の是非についての質問ではなく、「安倍政権下での改憲に賛成ですか」とか「改憲問題の優先順位はどれくらいですか」といった、ひねった質問がなされる。 とてもわかりにくい。 わかりにくい原因は

    まず憲法学者を議論に引きずり出すべきではないのか
    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2019/07/29
    憲法学者って要するに財政学者みたいなものでしょう。無益とは言わないが害が大きい。
  • 呉座―八幡論争でわかったこと --- 岩井 秀一郎

    筆者はここ数日、日中世史学者の呉座勇一氏と、歴史作家の八幡和郎氏の応酬に注目してきた。筆者も一応、史学科(近現代史)の学生だったので、今をときめく呉座氏と八幡氏がどのような論争を行うか、興味があったのである。しかし残念ながら、これを「論争」と呼んでいいかどうか、非常に疑問である。 というのも、呉座氏が言葉は厳しいながらも八幡氏の思い違いを逐一指摘し、歴史学の基的な方法論を展開することでさながら簡単な「史学概論」の趣すら漂わせる論考を書くのに対し、八幡氏は最初からズレた事しか書いておらず、最終的には冷静さを失ったとしか思えない感情論をぶちまける仕儀と相成ったからである。 八幡氏は「呉座氏は百田・井沢氏より大胆な飛躍がお好き」において、次のように述べる。 もうひとつ呉座さんが分かってないと思うのは、自分が文献資料の分析だけのプロだということだ。だから、資料の発見とか整理や評価はプロのはずだ

    呉座―八幡論争でわかったこと --- 岩井 秀一郎
    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2019/04/02
    "歴史学者がいかに厳密な仕事をしているか、また激しい論争の世界に身を置いているかがよくわかる。そこに、軽い気持ちで上からつっかかると、八幡氏のように無残な返り討ちにあって周章狼狽する。"
  • 八幡氏VS呉座氏:「停戦」とします

    『日国紀』を巡る評価に端を発した歴史論争。昨年11月からここまで多数の論客が参戦し、次第に『日国紀』の是非から、歴史学者や歴史家の存在意義にまで論題が展開していきました。 アゴラでも年明け以降、八幡和郎さんと呉座勇一さんの発信が注目を集め、時に2人が論戦することもありましたが、3月に入ってからの激しさは過去にないものになりました。 歴史学者と、作家などの学者でない歴史専門家の位置付けに関するところからの「論戦」でしたが、ヒートアップする過程で、八幡さんのFacebook上の発言が、他分野の大学研究者らによる非難を呼ぶ形で各所に飛び火し、双方に味方する人が続出して一時的に収拾がつかない事態になりました。 早川忠孝さんが指摘するような、編集部として煽った意図は全くありませんが、もう少し早い段階で介入するべきだったと反省しています。 ■ 振り返れば、論戦の途中、八幡さんが「呉座先生は資料を分

    八幡氏VS呉座氏:「停戦」とします
    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2019/04/02
    この件をどっちもどっち的に引き取るなんて、相も変わらずアゴルァはクソだな。
  • 八幡氏への忠告② 人生経験は歴史研究に益するか

    八幡氏は 呉座さんが分かってないと思うのは、自分が文献資料の分析だけのプロだということだ。だから、資料の発見とか整理や評価はプロのはずだが、解釈能力があるかどうかは別だ。解釈は森羅万象についての知識、推理能力、人生経験などがものをいうから、文献史家がプロとしての優位性をもっているとは言い切れない と述べる。 こういう誤解をしている歴史愛好家は非常に多い。私が大学院生の頃、定年退職して大学の聴講生として日史学研究室に出入りしている方がいた。その人は「歴史なんてものは若い人には分からない。人生経験を積んでこそ分かるのだ」と主張されていた。だがもちろん、大学院生の方がその方より史料が読めるし知識もあるので、みんなで色々と指導するのだが、自分の息子や娘より年下の若造たちに指図されるのが癪に障ったようで、そのうち姿を見せなくなった。 当時の私は「困ったお年寄りだな」と思っていた。けれども今にして思

    八幡氏への忠告② 人生経験は歴史研究に益するか
    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2019/04/02
    御意。
  • 八幡氏への忠告① 評論家に歴史研究はできない

    私が前回アゴラに投稿した『在野の歴史研究家に望むこと』に対して評論家の八幡和郎氏から反論をいただいた。 呉座氏は百田・井沢氏より大胆な飛躍がお好き 相変わらず冗長な文章で、まともに取り合っても意味がないと最初は思った。だが研究とはどのような営為か、歴史学とはどういう学問かを説明するのに格好の素材だと思うので、私の考えを少し述べておきたい。 「在野」という言葉の意味 さて八幡氏は 「在野」などというのは、当事者が謙遜していうとか、反抗精神をポジティブにとらえて第三者が言う言葉であって、象牙の塔の住人が自分たちの仲間でない人たちを見下すように使うのは失礼だろう。 と批判する。「象牙の塔」こそが(現代では)侮辱語だと思うが、ともあれ、私は「学界に属さない研究者」という意味合いで用いている。この用語に問題があるのは事実で、たとえば歴史学の専門的な訓練を受けているが大学に職を得ていない人をどう捉える

    八幡氏への忠告① 評論家に歴史研究はできない
    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2019/04/02
    "研究とは研究者が当事者意識を持って行うものである。研究に誤りがあれば容赦なく批判される。自分だけが一方的に論評できる、などということはあり得ない。"
  • 在野の歴史研究家に望むこと

    週刊ポスト(3月15日号)誌上での井沢元彦氏の公開質問状に対して、私が今週発売の29日号で反論した。これに対して評論家の八幡和郎氏がまたまた感想をアゴラに寄せている。 呉座 VS 井沢:歴史学者だけが歴史家なのか? 上記記事で八幡氏は私の反論文について「素晴らしい出来である」と述べている。お褒めいただいて恐縮だが、八幡氏は以前にアゴラ上で発表した記事で そして、井沢氏は「安土宗論八百長説」、つまり、信長の前で浄土宗と法華宗の間で行われた宗論について信長が最初から法華宗を負けさせるつもりだったという通説が自分の問題提起をきっかけに学説も修正されたことを指摘しているが、これには一理あるだろう。(「週刊ポスト」で井沢元彦氏が呉座氏に公開質問状) と述べている。井沢氏の主張を鵜呑みにして学界の通説が一蹴されたと八幡氏は思い込んでいたわけだが、一蹴されていないことは私が週刊ポストで指摘した通りである

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  • 『日本国紀』監修者・久野潤氏の問いかけに答える

    『日国紀』問題で久野潤氏から再反論があった。 『日国紀』論争、久野潤「呉座氏は私の問いに真摯に答えよ」(iRONNA) 真摯に答えよとのことなので、私の考えを述べておく。泥仕合にしたくないので、なるべく簡潔に答えようと思う。 匿名の批判をどう考えるか 久野氏の反論は多岐にわたるが、主要な柱の1つは「ネット上での匿名の批判を相手にしない」という自身のスタンスの正当性を改めて唱えた点だろう。ネット時代においては、著名人に多数の匿名の批判が殺到するので、全ての批判にいちいち対応できないというのは、私も痛感するところである。 しかし、久野氏の勤務先である大阪観光大学を揶揄するといった中傷を除くのは当然として、議論する価値のある主な批判を選んで反論することはできるのではないだろうか。久野氏は匿名の批判者は揚げ足取りや人格攻撃ばかりしているかのように語るが、実際には『日国紀』の内容を真剣に検討し

    『日本国紀』監修者・久野潤氏の問いかけに答える
    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2019/03/07
    "ただ別記事で既に述べたように、現在の「学界の通説」が後代の研究者によって将来訂正される可能性があるということは、作家の思いつきの方が「学界の通説」より正しいということを意味しない。"
  • 『日本国紀』問題を考える―歴史学と歴史小説のあいだ②

    前回に引き続き、歴史学者と歴史作家の考え方の違いについて説明したい。 井沢氏の執筆姿勢の変化 井沢氏はもともと推理小説家だったので、かつては歴史を題材とする場合には、現代に発生したという設定の(架空の)殺人事件と絡めて小説として発表していた。いわゆる「歴史ミステリ」で、現代を舞台として架空の探偵が殺人事件の解決のついでに歴史上の謎を解明するというスタイルである。名探偵・神津恭介が義経=ジンギスカン説を検証する高木彬光の推理小説『成吉思汗の秘密』(1958年)など、こういう小説は昔からあり、私も否定する気はない。 だがこれではインパクトが弱いと思ったのだろうか、井沢氏は架空の探偵を置くのではなく、自らが“歴史探偵”となって歴史の謎に挑むようになった。それが『逆説の日史』などの著作である。 歴史の謎解きという内容面では初期の歴史ミステリと大差ないが、フィクションではなくノンフィクションの体裁

    『日本国紀』問題を考える―歴史学と歴史小説のあいだ②