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ブックマーク / diary.uedakeita.net (7)

  • aikoの歌詞の怖さについて - 真顔日記

    aikoは常に「あたしとあなた」のことを歌う。そしてaikoを聴くとき、私は男でありながら「あたし」になっている。この話は何度か書いた。私のなかに住む背の低い女をaikoが引きずりだしてきたという話である。aiko音楽の前では、私は平気で性別を飛び越えて、「俺はaikoだ」と断言してしまえる。「俺とはaikoの別名だったのだ」と言ってしまえる。 それはまあ、いいだろう(社会的にはよくないが)。 さて、私は男として生きている。つまりaikoの曲を「あなた」の立場で聴くことも可能だということだ。しかし、「あなた」の立場でaikoの曲を聴くことは怖い。 怖さのひとつは、いわゆる「女の計算の怖さ」なんだが、これは今回の主題ではない。それでもいちおう具体例をあげておくと、 愛しい人よ くるくると表情を変えながら あたしの手のひらの上にいてね 『恋人同士』 あなたが悲しくなった時 見計らって逢いに行

    aikoの歌詞の怖さについて - 真顔日記
  • 知らない言葉を当然のように使われるとゾクゾクする - 真顔日記

    自分の知らない言葉を当然のように使われるとゾクゾクする。ほとんど性的興奮の域に達している。自分が聞いたこともない言葉を当然のように使われて、「もちろん知ってますよね?」という態度を取られること。これがたまらない。 だから私は電車の中で女性誌の吊り広告を見るのが好きである。自分と無関係な言葉、無関係な表現、無関係な欲望があふれているからだ。たとえば数年前に見かけて、いまだに覚えている女性誌のコピー。 今年こそ、パンツスタイルを極めたい! これだけでゾクゾクする。私はパンツスタイルを極めたいと思ったことがない。人生で一度もない。しかしこのフレーズには「何年も挫折してきた」というニュアンスさえ読み取れる。「今年こそ」である。世の中にはパンツスタイルを極めようと何年も努力している人間がいるのだ。ゾクゾクする。 昔、ふとした拍子に、知らない女のラジオをきく機会があった。メインは女なんだが、聞き役の男

    知らない言葉を当然のように使われるとゾクゾクする - 真顔日記
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  • http://diary.uedakeita.net/entry/2016/11/29/002732

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  • スラムダンクの深津をほめるおじさんについて - 真顔日記

    スラムダンクの深津をほめるおじさんについて書きたい。 そのためには、まずスラムダンクの説明をしなければいけないが、これはまあいいだろう。九十年代を代表するバスケ漫画である。読んだことのない人も題名くらいは知っていると思います。 次に深津である。これは少し説明が必要かもしれない。湘北高校が物語の最後で対戦する相手、山王工業のキャプテンだ。 深津は作中で一度も笑顔を見せない。徹底的にクールなキャラクターとして描かれている。ちなみに語尾は「ピョン」。このへんは作者のバランス感覚だろう。どこかに隙を作らないと怖すぎると思ったのではないか。 これくらいで準備はいいだろう。ということで、今回の主題である「スラムダンクの深津をほめるおじさん」の話だ。これは作中に少しだけ登場するキャラクターなのである。画像を引用しておこう。完全版20巻52ページ。 「深津だ。いつも黒子役に徹する深津のパスがあっての山王工

    スラムダンクの深津をほめるおじさんについて - 真顔日記
  • http://diary.uedakeita.net/entry/2016/05/17/115015

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  • B'zの稲葉と同居しても自分は歌がうまいと思えるか? - 真顔日記

    今の家に住みはじめるまで、私は一人のネコ好きを自認していた。なんせ実家でもネコを飼っていたし、犬とならば迷わずネコを選ぶほどのネコ好きである。 しかし、三十一歳女性と同居するようになり、この女の圧倒的なまでのネコ好きぶり、というかネコ狂いと言ってもいいような日常を目にした瞬間、気軽に自分はネコが好きだと言えなくなった。 「好き」というのも相対的なものである。たとえば、あるアーティストのヒット曲をちらっと聞いて「好き」と言うのも、インディーズ時代から何十年と追っかけて「好き」と言うのも、言葉にするならば「好き」なわけである。 このズレから「古参ファンとにわかファン」のような揉め事も起こるんだろうが、その意味で言えば、私と同居人は、同じネコ好きでもレベルがぜんぜん違う。 そして圧倒的な存在と同居したとき、人は自分の半端さを思い知らされる。私はこの数年、もう気軽にネコ好きを自称できなくなってお

    B'zの稲葉と同居しても自分は歌がうまいと思えるか? - 真顔日記
    pycol
    pycol 2015/06/18
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