衆院長崎4区選出の北村誠吾・前地方創生担当相(自民)は6日、長崎県佐世保市での報道各社の取材に対し、東京オリンピックについて「何が何でもやるというのは大きな間違いのもと。いつかどこかであった戦争みたいなことになってはいけない」と述べた。政府・与党内から五輪開催に否定的な見解が出るのは異例だ。 北村氏は次期衆院選の争点が何かという質…
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地方創生担当大臣を務めた、自民党の北村誠吾衆議院議員が20日夜、亡くなりました。76歳でした。 北村氏は、長崎県小値賀町出身で、早稲田大学を卒業したあと、衆議院議員の秘書や長崎県議会議員などを務めました。 そして、平成12年の衆議院選挙で長崎4区から立候補して初当選し、8回連続で当選しました。 この間、防衛副大臣や衆議院の安全保障委員長などを経て、令和元年の第4次安倍第2次改造内閣で地方創生担当大臣として初入閣しました。 北村氏は最近は本会議を欠席していて、先月、次の衆議院選挙には立候補しない意向を明らかにしていました。 関係者によりますと、20日夜、東京都内の病院で亡くなりました。 76歳でした。
岸田派・北村誠吾氏が本会議場で爆睡 22年で“実質収入11億円”、仕事中に眠れる「国会議員」というお仕事 社会・政治FLASH編集部 記事投稿日:2022.12.20 19:38 最終更新日:2022.12.21 11:57 これで“仕事納め”とは気楽なものだ。 12月10日、69日の当初会期どおりで終えた、第210回国会(臨時国会)。最後に旧統一教会(世界平和統一家庭連合)問題をめぐる「被害者救済法案」が衆参両院で可決され、成立した。 救済法案は、12月6日に衆議院で審議入りをしていた。この日は、河野太郎消費者担当大臣(59)が法案の趣旨説明をするなか、当初、法案修正を求めていた立憲民主党など野党から、続々と質問が飛んでいた。 【関連記事:100兆円吹っ飛ばした岸田首相に投資家が大ブーイング「支持率3%」の惨状】 そんな活発な議論がかわされていた本会議場で、またも“夢の中”だった人物がい
北村 誠吾(きたむら せいご、1947年〈昭和22年〉1月29日 - 2023年〈令和5年〉5月20日)は、日本の政治家。位階は従三位。 内閣府特命担当大臣(地方創生・規制改革)、まち・ひと・しごと創生担当大臣、防衛副大臣(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、衆議院議員(8期)、長崎県議会議員(4期)、佐世保市議会議員(1期)、自民党長崎県連会長等を歴任した。 来歴[編集] 生い立ち[編集] 長崎県北松浦郡小値賀町生まれ。1970年、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業[1]。大学卒業後、白浜仁吉代議士の秘書となる[2]。 市議会議員・県議会議員[編集] 1982年、長崎県議会議会補欠選挙(北松浦郡選挙区)に立候補するが、落選。1983年に佐世保市議会議員選挙に立候補し、初当選した。1期目の任期途中で市議を辞職し、1986年の第38回衆議院議員総選挙に旧長崎2区から保守系無所属として[要出典]出馬
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