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埴谷雄高の検索結果1 - 27 件 / 27件

  • ネットの弊害、埴谷雄高の予言 94年のインタビュー録音見つかる:朝日新聞デジタル

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      ネットの弊害、埴谷雄高の予言 94年のインタビュー録音見つかる:朝日新聞デジタル
    • YouTube - 埴谷雄高独白 死霊の世界

      死霊とドストエフスキー

      • 埴谷雄高 - Wikipedia

        埴谷 雄高(はにや ゆたか、1909年(明治42年)12月19日 - 1997年(平成9年)2月19日)は、日本の政治・思想評論家、小説家。本名般若 豊(はんにゃ ゆたか)。 共産党に入党し、検挙された。カント、ドストエフスキーに影響され、意識と存在の追究が文学の基調となる。戦後、「近代文学」創刊に参加。作品に『死霊』(1946年~未完)、『虚空』(1960年)などがある。 来歴・人物[編集] 台湾の新竹に生まれる。子供の頃から身体が弱く、常に死を身近に感じていたという。子供心に台湾において「支配者としての日本人」を強く意識し、罪悪感を覚えていた。 青年期に思想家マックス・シュティルナー[1]の主著『唯一者とその所有』の影響を受け、個人主義的アナキズムに強いシンパシーを抱きつつ、ウラジーミル・レーニンの著作『国家と革命』に述べられた国家の消滅に一縷の望みを託し、マルクス主義に接近、日本共産

          埴谷雄高 - Wikipedia
        • まとめ:コムデギャルソン論争|吉本隆明 埴谷雄高|コムデギャルソン店舗マップ

          吉本隆明(よしもとたかあき)Wikipedia 1924年(大正13年)11月25日〜2012年(平成24年)3月16日 日本の思想家、詩人、評論家。 漫画家のハルノ宵子(長女)、小説家のよしもとばなな(次女)の父。 (左) 埴谷雄高(はにやゆたか)Wikipedia 1909年(明治42年)12月19日〜1997年(平成9年)2月19日 日本の政治・思想評論家、小説家。 (右) ことのはじまり 1984年、女性誌「an an」にコムデギャルソンを着て登場した吉本隆明を、埴谷雄高が「資本主義のぼったくり商品を着ている」と批判。 吉本は消費社会肯定の立場から、今までの古典的な大問題(たとえばマルクス主義の問題)と同じ資格でデザイナー川久保玲の仕事(今まで「小」問題とされてきたファッションなどの「サブ・カルチャー」)を「重層的に」とらえ評価する。雑誌「アンアン」は、吉本にコム・デ・ギャルソンを

            まとめ:コムデギャルソン論争|吉本隆明 埴谷雄高|コムデギャルソン店舗マップ
          • Amazon.co.jp: 死霊(1) (講談社文芸文庫 はJ 1): 埴谷雄高: 本

              Amazon.co.jp: 死霊(1) (講談社文芸文庫 はJ 1): 埴谷雄高: 本
            • 27人が語りつくした『変人 埴谷雄高の肖像』 ~人はみな複数の表情を持っている:日経ビジネスオンライン

              気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 〈奇人ですよねえ……。だって昭和二十年代から書いているんだよ、一つの小説を(笑)。まるで日本共産党だよね〉 埴谷雄高について問われて、そう語るのは、音楽家の坂本龍一さんだ。 父が河出書房の編集者だった縁で、子供の頃から「はにやさん」の名前は耳にしていた。高校になって、埴谷の小説に出てくる「自同律の不快」とはどういうことか考えたという。 埴谷雄高とは、大長編小説『死靈』は「いくら読んでもわからない」とされ、ベストセラーとは程遠い作品ながらも戦後50年間これを書き続け、ある種神格化された存在でもあった。本書は、その埴谷雄高について、彼と関係のあった27人に話を聞いた、ロングインタビューの集積だ。 27人の内訳は、作家や編集者、評論家が多いものの、

                27人が語りつくした『変人 埴谷雄高の肖像』 ~人はみな複数の表情を持っている:日経ビジネスオンライン
              • 生誕百年の作家達〜大岡昇平、太宰治、埴谷雄高、松本清張、中島敦 - YAMDAS現更新履歴

                先週日経新聞の夕刊を読んでいて、松本清張の生誕100周年を記念して北九州市で記念行事が開かれることが記事になっていたが、同じく2009年に生誕100周年を迎える作家として大岡昇平、太宰治、埴谷雄高、中島敦の名前が挙げられていて、大岡昇平と埴谷雄高はともに第一次戦後派だから分からなくもないが、松本清張と太宰が同い年なんてなんだか不思議な感じである。 さて、松本清張生誕100周年記念行事が北九州市で開かれるのは、そこが彼の故郷だからだが、他の作家のゆかりの地でもイベントが開かれるのだろうな。 出版社的には清張と太宰が目玉なようで、出版不況の救世主が期待されていて、MSN産経ニュースには清水義範構成によるこの二人の架空対談なんてのも公開されている。太宰については新春座談会(上、下)も開かれている。 救世主は大げさとしても、太宰治の著作権はとっくに切れていて、多数の作品が青空文庫で無料で読める。そ

                  生誕百年の作家達〜大岡昇平、太宰治、埴谷雄高、松本清張、中島敦 - YAMDAS現更新履歴
                • 埴谷雄高の『不合理ゆえに吾信ず』を読んだのだか読んでいないのだかわからない - 関内関外日記

                  埴谷雄高『不合理ゆえに吾信ず』を読んだ、といっていいのかどうかわからなかったのだった。ようするに前半に収録されている「アフォリズム集」など、率直にいえば「日本語でおk」の気になってしまうわけなのだった。 それでも雨の土曜日、布団の上で読んでは寝て読んでは寝てを繰り返しつつしていると、不思議となつかしい気持ちになってくるのだった。雨音の外は片瀬の丘の上の家の二階であって、窓の外に腰越の浜につづく家々を見下ろす景色があるように思えてくるのだった。 十五年、下手すれば二十年前の俺も、ときどきこんなふうに、父の本棚から取り出したなにかよくわからない本の字面を追っていたのだった。ただし、俺は字面を追うのが精一杯で、だいたい知らない単語、固有名詞にあふれていて、それを読書と呼べるのかどうかも怪しいのだった。それでも、なにかそれが自分を遠いところに連れていってくれているような、そんな気にはさせてくれてい

                    埴谷雄高の『不合理ゆえに吾信ず』を読んだのだか読んでいないのだかわからない - 関内関外日記
                  • やつは敵である。敵を殺せ。〜『埴谷雄高政治論集』を読む〜 - 関内関外日記

                    埴谷雄高政治論集 埴谷雄高評論選書 1 (講談社文芸文庫) 作者: 埴谷雄高出版社/メーカー: 講談社発売日: 2004/02/11メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 14回この商品を含むブログ (12件) を見る 政治を政治たらしめている基本的な支柱は第一に階級対立、第二に絶えざる現在との関係、第三に自身の知らない他のことのみに関心を持ち熱烈に論ずる態度である。自身の知らない他のことを論ずるために、私たちはまず他人の言葉で論ずることに慣れ、次第に自身の判断を失ってしまうのが通例であるが、この他人の言葉を最も単純化した最後の標識は、さて、ひとつのスローガンのなかに見出せる。私たちが他人の言葉によって話すということは、もちろん、他人の思想によって考えていることであるが、そこからつぎのような現代の構図をもった悪しき箴言を引き出すことができる。 スローガンを与えよ。この獣は、さながら、自分

                      やつは敵である。敵を殺せ。〜『埴谷雄高政治論集』を読む〜 - 関内関外日記
                    • 柄谷行人【埴谷雄高とカント】

                      私は埴谷雄高について多少の個人的思い出があるが、そんなことを書くのは無意味である。ある思考が徹底的な形を示した場合、最上の追悼はそれを「批判」することである。西田幾多郎について、戸坂潤は、独自の東洋的な哲学者であるという定評を否定し、近代西洋のロマン主義・観念論・美学の圏内にあること、それゆえに広範な影響力をもったにすぎないということを指摘した。同じことが、西洋近代の思考を越えたといわれる埴谷雄高についてあてはまるだろうか。ある意味ではそうである。 埴谷雄高は獄中でカントの『純粋理性批判』に震撼され、さらに、カントが見出した理性の限界を、構想力(想像力)によって突破できるのではないかと考えたと記している。だが、それはフィヒテやシェリング、ノヴァーリス、あるいは西田幾多郎のようなロマン主義者(観念論者)がやろうとしたことでもある。現実に何も実行できないときに、ひとはそれを思考によって、想像力

                      • 【本】 「埴谷雄高 独白“死霊”の世界」を見た! 〜最高の乗りものとは、思索である。 | 放蕩娘の縞々ストッキング!- BLOG

                        本読みピープルの悩みは、次から次へと読みたい本が出現し、「欲しい本のリスト」と、「ついつい買ってしまった本の山」が増殖しつづけること。そして、本読みピープルの悲しみは、「それらをすべて読む時間なんかない」という人生の短さに、わりと早い段階から気づかざるを得ないこと、です。 本というものは、そこから得られる快楽と引き換えに、「時間」を必ず要求してきます。たとえば映画のように「2時間あれば終了」と所要時間を測定することができず、読了するのに10時間とか1ヶ月とか、平気でかかってしまったりする。 でも、本を読むひとは絶対知ってるはずなんですよね。本から得られるものは、本以外からは絶対に得られない、ということが。だから、飲み会やデートやショッピングや美容院の時間を削ってまでも、本読みに時間を費やすことになり、そしてリアルがどんどんどんどん遠のいていく……ということになります(しかし、「よく考えたら

                          【本】 「埴谷雄高 独白“死霊”の世界」を見た! 〜最高の乗りものとは、思索である。 | 放蕩娘の縞々ストッキング!- BLOG
                        • 小説『死霊』の作者、埴谷雄高の思想をこえて

                          若い頃の一時期、私は激しく埴谷雄高の『死霊』に憧れた。そして、その存在のありように自分を同一化させたいと思った。その思考と言葉がもつ重みと力に、徹底的に感応すること、そこに示されていると感じた精神の高みを自分のものとすることを望んだ。 『死霊』を紹介する導入として、7章の「最後の審判」の一部を見てみたい。この小説は、基本的に登場人物たちが観念的な形而上学的な議論を延々と語る構成となっている。ここでは世界宗教の教祖たちに対しての、ある近代的日本人の精神が示す徹底的な拒絶と軽蔑、そして弾劾が示される。 イエスを責めるのは、「復活したのちにも飢えに飢えきったお前にまず最初の最初に食われた焼き魚」であり、最後の晩餐で食された「容赦なくこまかく微塵にひかれた小麦の粉」であり、「無残に砕き踏みつぶされた葡萄の粒」であった。そして、釈迦は「苦行によって鍛えられたお前の鋼鉄ほどにも固い歯と歯のあいだで俺自

                            小説『死霊』の作者、埴谷雄高の思想をこえて
                          • asahi.com:埴谷雄高「死霊」の構想メモ見つかる - 文化一般 - 文化・芸能

                            埴谷雄高「死霊」の構想メモ見つかる 2007年10月02日21時11分 戦後文学の代表作の一つ、作家埴谷雄高(1909〜97)の大長編小説「死霊(しれい)」の構想メモが見つかった。神奈川近代文学館が2日、発表した。30年代後半に書かれたものと推定され、戦後に発表された小説とは異なる設定・人物造形がみられる。戦後の思想界にも大きな影響を与えた哲学小説の生々しい原形を示す貴重な資料だ。 新しく見つかった「死霊」の構想メモ=2日午後、横浜市中区の神奈川近代文学館で 構想メモは、今年6月に遺族から同文学館に寄贈された資料の中から見つかった。B5判〜A4判大の紙片30ページにわたり、主題、人物造形、四つの場面のスケッチなどが記されている。 埴谷は32年に治安維持法違反容疑で豊多摩刑務所に収監され、獄中で「死霊」を着想した。今回のメモは33年に出獄して数年以内に書かれたものとみられる。 「主題」と題し

                            • 埴谷雄高の小説『死霊』のストーリー全体の紹介 - sho__yamaguchi’s blog

                              「はてなブログ」を始めることにした。かつて note に置いてあった記事を置いたり、新たに書いたものを置いたりしたい。 一回目は、わけあって、表題のとおり「埴谷雄高の小説『死霊』のストーリー全体の紹介」である。これは 2023年11月22日にnoteで公開したものだ。若干加筆したうえで以下に置いておきたい。 >>> 本ノートは埴谷雄高の『死霊』[*]のストーリーを紹介する。なぜこれを行なうのかと言えば《この作品が全体としてどんなものか》をおおまかに掴むためのストーリー紹介は――私の知る限り――いまだ行なわれていないからである。いや、ひょっとしたらどこかでやられているかもしれないが、少なくともネットで簡単に手に入る内容紹介はないと思う。それゆえ、社会貢献の意味もこめて、今回は大雑把に『死霊』の物語を紹介したい。 [*] 現在、『死霊Ⅰ』・『死霊Ⅱ』・『死霊Ⅲ』(講談社文芸文庫、二〇〇三年)と

                                埴谷雄高の小説『死霊』のストーリー全体の紹介 - sho__yamaguchi’s blog
                              • asahi.com(朝日新聞社):安部公房の手紙発見 埴谷雄高に「相変らず金缺病」 - 文化

                                安部公房の手紙発見 埴谷雄高に「相変らず金缺病」(1/2ページ)2009年1月18日3時2分印刷ソーシャルブックマーク 埴谷雄高あての第1信=神奈川近代文学館蔵埴谷雄高にあてたはがき(54年ごろ)。長女ねりの誕生と本の出版を報告している=神奈川近代文学館蔵安部公房埴谷雄高 十七回忌を22日に迎える作家、安部公房(1924〜93)の文壇デビューの頃の書簡が見つかった。作家の埴谷雄高(はにや、ゆたか、1909〜97)に、自作を売り込んだり、もらった靴の礼を述べたりしている。のちにノーベル賞候補といわれる天才作家の若き時代の貧乏生活と、それを陰で温かく支えた先輩作家との交流を伝える資料だ。 埴谷の関係者から神奈川近代文学館(横浜市)に寄贈された資料にあった。「安部公房全集」(新潮社)の3月刊行予定の最終巻で初めて活字化される。 埴谷あての書簡は計19通。第1信(47年)は封書で、原稿用紙2枚にマ

                                • 千年の悦楽 一夜の彷徨: 埴谷雄高 『自同律の不快』とは?

                                  埴谷雄高と言えば『自同律の不快』という言葉に象徴されるだろう。聞き慣れない言葉であるが「自同律」とは論理学で言うところの「同一律」のことだと言われている。 ではその「同一律」とは何か? 「AはAである」と表す文章式のことである。このことから、埴谷雄高の言う『自同律の不快』とは“「(私は)(私である)」ということが不快”ということを言っているようなのだ。  しかし、「主辞」である(“私は”)と「賓辞」である(“私である”)が同じであることが一体何故不快なのであろうか?  「(私は)(私である)」からこそ“私”なのであって、それ以外の者であったら人格障害を起こしているとしか考えられない。であるにも関わらず「(私は)(私である)」ことが不快と言う埴谷雄高の言う『自同律の不快』とは何ぞや? 統合失調症でない限り、誰しも「(私は)(私である)」ということを前提として生きています。それにも関わらず一体

                                  • Amazon.co.jp: 死霊I (講談社文芸文庫): 埴谷雄高: Digital Ebook Purchas

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                                    • 未映子の純粋悲性批判: 埴谷雄高どこまで粘ってんねんなほんまに

                                      で、結局、「小説」という装置で、初めっからでっちあげ作戦で、書き出したが結局未完、そら未完やろうよ。それも言葉を使って言葉以前を表しますなんてよ。 わたしは知らんが苦しかったとの話。獄中壁と喋ってみた。けれど、言語はいっつもそこにあった。そらあるよ。 不毛であったと云えなくもないが、でも、小説という方法を選んだ彼は、運動神経が良かったとしか、思えない。 埴谷雄高は誤解されても駄々をこねず、や、時々は奥さんにこねたであろうが、とにかくあんなに粘って偉かった。あんなに粘って粘って、我々言葉を知ってしまう前のことを表現したがった。 多分今も、アンドロメダのちょっと裏で粘りに粘って言葉と結局睦まじくやってるんだと思う。宇宙限めいっぱい。 埴谷が睨んだ「自同律」、在るが在るとゆうことな、自分が自分をわかってしまうことな、それでそうでしかないそれが「不快」なんすよ、というこの衝動、宿命、当たり

                                      • Amazon.co.jp: 死霊(1): 埴谷雄高: 本

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                                        • 荒木優太『小林多喜二と埴谷雄高』感想集

                                          山崎行人 @ya039_kiyoshi @arishima_takeo 私も一冊買い求め、読みました。とても刺激的な論考で、特に第4章「政治「と」文学」における「と」の思想が勉強になりました。ただ、論理学で連言AかつBは、ABの共立「と」を意味するのではなく、その共通部分を指すのだと思いますが。最後に、埴谷いいですね。 2013-02-22 23:41:12 杏ゝ颯太 @annedosota 荒木優太さんの『小林多喜二と埴谷雄高』、とりあえず序章を読んでみた。前提知識が皆無なので細かいところはまったくわからないが、対極にある2人の差異をむやみやたらに強調するのではなく、対極にあってもなお(あるからこそ?)共振する部分を記述しようと試みているようだ。 2013-02-24 14:46:09

                                            荒木優太『小林多喜二と埴谷雄高』感想集
                                          • 埴谷雄高

                                            『Credo, quia absurdum.  不合理ゆえに吾信ず 』より −生と死と。Pfui ! 魔の山の影を眺めよ。 悪意と深淵の間に彷徨いつつ 宇宙のごとく 私語する死霊達 すべて主張は偽りである。 或るものをその同一のものとしてなにか他のものから表白するのは正しいことではない。 −私が 《自同律の不快》と呼んでいたもの、それをいまは語るべきか。 −さて、自然は自然に於いて衰頽することはあるまい。 −凡てが許されるとしても、意識のみは許されることはあるまい。この悪徳め! −そこに曖昧なものなくして何らの断定も出来ないこと。 ここにもまた悪徳がある。 −われわれがなんであれ、いずれにせよ、とにかくそれとは別のものなのだ。 私は或る隠者の話を想い出そう。その隠者は自身を索めようとして先ず足を切った。更に索め得られる、そう呟きながら、次に手を切った。そして、次第に自身

                                            • 蓮實重彦の『小説から遠く離れて』と埴谷雄高「ドストエフスキー」 - まさおレポート

                                              2012-03-30初稿 2016/11/27追記 2018/4/11 加筆 小説には物語性が重要だと村上春樹は「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」で述べている。すでにある説話的物語ととるのか、あるいはあらたな物語性の獲得ととるのか、それは「あらたな物語性の発見」であるに違いない。そんな興味に魅かれて検索をしてみたところ、次のブログを見つけた。 下記の蓮實重彦の『小説から遠く離れて』では、村上春樹の『羊をめぐる冒険』はばっさりと切られている。蓮實重彦の『小説から遠く離れて』http://yokato41.exblog.jp/12131868/ 大変面白い内容なのでメモをしておく。(以下の文は上記サイト蓮實重彦の『小説から遠く離れて』の引用から成り立っている。ただし現時点でサイトはリンク切れになっている。褐色部分が引用) ①下記の4小説の特徴は「宝探し」である。 『羊をめぐる冒険』では「

                                                蓮實重彦の『小説から遠く離れて』と埴谷雄高「ドストエフスキー」 - まさおレポート
                                              • 死霊の世界」埴谷雄高

                                                闇のなかにいくらかほの明るい場所が見える。魔が小躍りする時刻私はいつもの墓地に行き死霊の声に耳を傾ける。地底の奥深くそれはまるでつぶやく1999匹の地虫のように不快な声を届かせてくるのだ。 さてその声はこう聴こえる。「愚劣」そう、たしかにそいつは愚劣とつぶやいているのだ。われわれの歴史は過誤の歴史である。埴谷は軽い政治嫌いであったが、その政治思想は久遠の未来に視線を置くことにより今でもわれわれの現在を激しく否認し続けている。なぜそのようなことが可能なのかを・・・ このノートは地下に生息する私のつぶやきを納めたものだ。ここには孤独な精神と不遜な心がある。時には赤裸々に何者かを暴くかもしれない。心配するには及ばない。行く先は決まっているのだから。だから進もうと思う。 『あっは』と『ぷふい』是だけ言えば事足りる筈だ。 埴谷はわれわれの風土における小説に新たな景色を付加する。観念はただに観

                                                • 神奈川近代文学館/(財)神奈川文学振興会|無限大の宇宙−埴谷雄高『死霊』展

                                                  □会期:2007/10/6〜11/25 □編集委員:秋山駿、司修 □後援:埴谷島尾記念文学資料館、講談社、NHK横浜放送局、神奈川新聞社、tvk(テレビ神奈川) □協賛:神奈川近代文学館を支援(サポート)する会、京浜急行電鉄株式会社、相模鉄道株式会社、東京急行電鉄株式会社

                                                  • Amazon.co.jp: 死靈 1945~95 ハニヤユタカゼンシュウ03シレイ: 埴谷雄高: 本

                                                      Amazon.co.jp: 死靈 1945~95 ハニヤユタカゼンシュウ03シレイ: 埴谷雄高: 本
                                                    • 種村季弘、齋藤靖朗、牧野信一、坂口安吾、埴谷雄高、文化庁、そして、『人生は甘美である 谷丹三作品集』|じんぶん堂

                                                      記事:幻戯書房 谷丹三の作品21篇を収録し、巻頭に坂口安吾、巻末に埴谷雄高のエッセイを配した『人生は甘美である 谷丹三作品集』 書籍情報はこちら 8年前、2014年のことだった。7月の刊行をめざし、『詐欺師の勉強あるいは遊戯精神の綺想 種村季弘単行本未収録論集』の編集を進めるなかで、編者の齋藤靖朗さんと、神田猿楽町のLという喫茶店で、打ち合わせをしていた。初夏、5月だったと思う。打ち合わせの内容は憶えていないが、別件で話したことがあった。翌年1月から刊行を開始する「銀河叢書」のラインナップに、齋藤さんの知恵を借りたかったのだ。 「銀河叢書」は刊行の辞で《星が光年を超えて地上を照らすように、時を経たいまだからこそ輝く言葉たち。そんな叡智の数々と未来の読者が出会い、見たこともない「星座」を描く――》と宣言した。そんな「銀河叢書」のラインナップにふさわしい企画を、齋藤さんならもっているはずだと、

                                                        種村季弘、齋藤靖朗、牧野信一、坂口安吾、埴谷雄高、文化庁、そして、『人生は甘美である 谷丹三作品集』|じんぶん堂
                                                      • Amazon.co.jp: 埴谷雄高――夢みるカント (再発見 日本の哲学): 熊野純彦: 本

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