ヨーゼフ2世の葬儀 ヨーゼフ2世の「善良なる手配」とは 1788年2月に始まったオーストリアとオスマン・トルコとの戦争は、皇帝ヨーゼフ2世が直々に兵を率いた時期は散々な戦況でした。 皇帝はかろうじて捕虜になるのを免れた、といった有様です。 彼が帰還し、有能な将軍たち、ラウドンやコーブルクが指揮を取ると、何度かの戦に勝利し、情勢はハプスブルク家に有利になってきました。 しかし、戦果はそこまで。 前回聴いたモーツァルトの軍歌のように、コンスタンティノープル(イスタンブール)に攻め込むなど夢のまた夢。 戦線は膠着します。 ヨーゼフ2世は、ウィーンの都にあって、戦争で混乱した帝国を必死で立て直そうとします。 しかし、その混乱は戦争のせいというよりは、皇帝自身の、せっかちな啓蒙主義的改革によるものでした。 彼は、「啓蒙専制君主」の代表として、「人民の利益」を図るため、「善良なる手配」をすることに努め