Published 2022/11/15 12:45 (JST) Updated 2022/11/15 13:03 (JST) 「ヒポクラテスたち」などの作品で知られる映画監督の大森一樹さんが12日、急性骨髄性白血病のため兵庫県西宮市の病院で死去したことが15日分かった。70歳。大阪市出身。
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神戸を舞台にした「花の降る午後」や平成ゴジラシリーズなどで知られる映画監督の大森一樹(おおもり・かずき)さんが12日午前11時28分、急性骨髄性白血病のため兵庫県西宮市内の病院で死去した。70歳。大阪市出身。自宅は同県芦屋市。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻聖子(せいこ)さん。後日、お別れの会を開く予定。 父親は医師で、芦屋市立精道中学、六甲高校を経て京都府立医大を卒業。在学中から自主映画を撮り、神戸の自主上映グループでも活動した。初めて16ミリで撮影した「暗くなるまで待てない!」は全国で上映されて注目を浴び、1977年にシナリオ「オレンジロード急行」が城戸賞を受賞。翌年、同作で商業監督デビューを果たした。 医学生の青春群像「ヒポクラテスたち」(80年)で評価を集め、中学の先輩・村上春樹さん原作の「風の歌を聴け」(81年)は神戸・阪神間でロケ。若手監督による制作会社「ディレクターズ・
「ヒポクラテスたち」やゴジラシリーズなど幅広いジャンルで数多くの作品を手がけた映画監督の大森一樹さんが、11月12日に急性骨髄性白血病のため、兵庫県内の病院で亡くなりました。70歳でした。 大森さんは大阪市出身で、京都府立医科大学入学後、1978年に、みずから脚本を手がけた「オレンジロード急行」で映画監督としてデビューしました。 1980年に大学を卒業すると、同じ年に自身の経験を生かして、大学病院を舞台に医学生たちの日常を描いた「ヒポクラテスたち」を公開し、話題を集めました。 その後も作家、村上春樹さんのデビュー作を原作にした「風の歌を聴け」や「ゴジラVSビオランテ」など、話題作を次々と手がけました。 また、1986年公開の「恋する女たち」では、日本アカデミー賞の優秀脚本賞と優秀監督賞を、1996年に公開された「わが心の銀河鉄道宮沢賢治物語」では、日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞しました。
神戸を舞台にした「花の降る午後」や平成ゴジラシリーズなどで知られる映画監督の大森一樹(おおもり・かずき)さんが12日午前11時28分、急性骨髄性白血病のため兵庫県西宮市内の病院で死去した。70歳。大阪市出身。自宅は同県芦屋市。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻聖子(せいこ)さん。後日、お別れの会を開く予定。 【写真】ゴジラへの思いを語る大森一樹監督 父親は医師で、芦屋市立精道中学、六甲高校を経て京都府立医大を卒業。在学中から自主映画を撮り、神戸の自主上映グループでも活動した。初めて16ミリで撮影した「暗くなるまで待てない!」は全国で上映されて注目を浴び、1977年にシナリオ「オレンジロード急行」が城戸賞を受賞。翌年、同作で商業監督デビューを果たした。 医学生の青春群像「ヒポクラテスたち」(80年)で評価を集め、中学の先輩・村上春樹さん原作の「風の歌を聴け」(81年)は神戸・阪神間でロケ
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