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山さ行がねがの検索結果161 - 200 件 / 874件

  • 【山さ行がねが】道路レポート 尾盛駅への道

    今は集落もなく、全くの無人となって久しい山峡の地、尾盛(おもり)。 そんな場所に、まるで捨て猫のように置き去られた「尾盛駅」は、秘境駅となることを最初から宿命付けられていた。 最寄り集落が無いことだけで、もう十分に“秘境駅的”なワケだが、なんと言っても「尾盛駅」をして“最も理想的な秘境駅”たらしめているのは、そこに至る道が無いと公称されていることにある。 少なくとも、最新の地形図には、この駅と外界を結ぶ道は、ただ一本の鉄路のほかになく、また歩いてこの駅にたどり着いたというレポートも、あるかないか…。 私には見つけられなかった。 そして、それゆえに私は“挑んだ”のだった。 その決着は、もう間近に迫っていた。 予感されていた結果ではあったが、尾盛駅は、当初から完全に孤立していたわけではなかった。 現在地は駅のわずか2~300mの手前であるが、隣駅の「接岨峡温泉駅」からここまで、相当古そうな“車

      【山さ行がねが】道路レポート 尾盛駅への道
    • 【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道515号 三井相模湖線

      7:56 [地図] これまで色々な県道を走ってきたが、登山道県道のような自動車不通区間を除けば、私の経験上ここが県道最狭である。 というか、これより狭い制限となれば、普通車はまず入れないだろう。 自動車不通区間の定義にかえれば、「3トン積みの普通貨物自動車が通れる」とのことであるが、ここはそのような不通に指定されていないことから、その条件はクリアしていると言うことになる。 それにしても、この存在感抜群の幅員制限ポール。 いつ設置されたかは不明だが、その存在はウザイ様でいて重要だ。 「車が通っている気配もあるし、まあ何とかなるだろう」などと1.7mより幅のある車で立ち入れば、確実に泣きを見る。 何があっても転回は絶対に不可能だからだ。 重要な役割を果たすこのポールは、決して伊達ではないのだ。 あなたの車が普通車だとしても、必ずしも通れるとは限らないので油断召されるな。 未施工の法面と、ガード

        【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道515号 三井相模湖線
      • 【山さ行がねが】橋梁レポート 一般国道342号 祭畤大橋 “廃橋三昧”

        国道342号は、秋田県横手市と宮城県登米(とめ)市を結ぶ全長約170kmの一般国道で、途中には奥羽山脈を越える標高1100mの須川峠がある。 峠の太平洋側は岩手県一関市にあたり、道はその中心市街地から県境の峠の近くまで、北上川の支流である磐井川に沿って続いている。 沿道には奇岩巨石が林立する厳美(げんび)渓や、厳美温泉、真湯(しんゆ)温泉などの温泉場があり、秋田、岩手、宮城三県を結ぶ観光ルートとしても重要な路線である。 そしてこの途中、市野々原と真湯温泉の間にある祭畤地区で支流鬼越沢を跨いでいるのが、祭畤(まつるべ)大橋である。 祭畤地区の標高は300~350mくらいで、東北自動車道の一関ICから23kmの地点、周囲は山である。 「田へん」に「寺」、見慣れない「畤」という漢字だが、本来の読みは「じ」である。字義は「留める」というようなものらしく、熟語の「霊畤(れいじ)」は「神を留める場所」

        • 【山さ行がねが】橋梁レポート 旧稲又川橋

          そんな物があるのかというのは置いておくとして… またひとつ、 廃橋梁の殿堂入り しそうな橋が発見された。 ネタ元は、mixi内の “山行がコミュ”(管理人:いし氏)だ。 あそこの「最近」トピックは意外なネタの穴場で、私も密かに(密かである必要性は謎?)利用させて貰っているが、そこに先日「明日、本栖湖集合!(以下、情報提供者)」さんが 「結構、衝撃的な…橋梁です。見に行かれるなら早めがいいと思われ。」 というコメントとともに写真をアップされたのが、今回の橋である。 見た瞬間に“ニュニュニュ”っと来て、それから2週間しないうちに私は現場に立っていた。 したがって、下調べというものはほとんどしていない。 それでも「まず見てみたい!」「見なきゃ!」と思う引力が、彼の撮った1枚の小さな遠景写真にはあったのである。 【周辺図(mapion)】 その“ブツ”は、今まで近づいたことのないエリアにあった。

          • 廃線レポート 奥羽本線 矢立峠

            秋田県内に、初めて鉄道が敷設されたのは、明治32年6月のことであった。 東北縦断を目指し、青森、福島の両方から建設の始まった奥羽本線の、当時奥羽北線と呼ばれた青森からのレールが、ついに秋田県境の矢立峠を越え、現在の大館市北部にて陣場・白沢の二駅が営業を開始したのだ。 同年11月には、レールは大館駅にまで延びた。 矢立峠の歴史は古く、藩政時代には、東北有数の街道であった羽州街道が通っていた。 最高部の標高は300m弱しかなく、この峠は、まさしく白神山地と奥羽山脈の狭間に空いた、奇跡のような窓である。 現在ですら、秋田と青森を結ぶ道で通年交通が可能なのは、この矢立峠を通う国道7号線を除いては、遥か日本海岸の大間越し、それと東北自動車道しかないのだ。 しかし、標高こそ低いが、深い沢が複雑怪奇にからみ合い行く手を阻む上に、非常に多雨な一帯の積雪は3mを越え、ブナの森がどこまでも続く、まことに厳しい

            • 【山さ行がねが】道路レポート 横須賀十三峠

              「明治工業史(土木編)」は、昭和4年に工学会(現在の日本工学会)が刊行した、明治期の土木全般を俯瞰した大著である。 この本の特に良いところは、全体的に平易な表現がされていて専門家でなくても読み進めやすいところと、“最古”や“最大”などといった、一般人の興味を意識した記述がふんだんに取り入れられているところにあると思う。 まさにオブローダーにとってはお宝ものの書物だが、現在は「土木学会附属土木図書館」のサイトでPDF化されたものが公開されている。 そしてその34p(右図)に、明治期の国道の道路勾配について次のような記述がある。 国道の勾配は三十分1の既定なれども、是亦(これまた)実際の道路は急勾配のもの多数にして、殆んど既定に合するもの無しと称するも過言に非ざるなり。此の処に最も急勾配を有するものを記すれば、横浜より横須賀鎮守府に至る路線には二分一、又横浜より箱根に至る路線、小田原町より長尾

              • 【山さ行がねが】廃線レポート 酒田臨港開発線

                レールは緩やかなカーブを描きながら続いている。 あたりは鉄道とはおおよそアンマッチな景色である。 そして、入口から100mほど進むと、いよいよ政府米の倉庫として大正14年に建てられたという巨大な建物の全貌が明らかとなる。 倉庫の手前にある煉瓦造りの危険物保管庫。 注意書きには、PCB含有品を保管しているので絶対に近付くなというようなことが書かれている。 光を嫌う薬品を多く貯蔵しているのか、全ての窓や扉が目張りされており、建物だけを見るとなかなか文化的だが、近付く事も憚られるムードだ。 このすぐ裏は現役の官舎なので、その意味からも、この危険物庫に近付くのは得策ではないだろう。 この胸の高鳴り、あなたにも聞こえるだろうか。 東京ドームへ一度も言ったことのない私が言うのもおかしいが、敷地面積は東京ドームにほぼ匹敵する。 酒田市の古くからの港である本港地区の下町を、分断するように横たわる広大な未使

                • ~山さ行がねが・未成道特集~

                  “未成道”(建設途中で放棄されている道)の探険記録です。 ※過去に紹介した 道路レポート や ミニレポ 等から、未成道をピックアップしています。 【未成道発見は、あなたの情報提供が頼りです!】 <皆様の周りに、こんな場所はありませんか?> 長い間工事中のまま、なかなか開通しない道、 作りかけで放置されている道や橋やトンネル、 行き止まりっぽいのに妙に立派な道、 など。 未成道に係わるあらゆる情報をお待ちしています! (ほかのサイト様で公開済みの情報でもOKです)

                  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第127回 沼津の謎の白鳥居

                    【mapion 周辺図】 沼津湾沿いの県道17号「沼津土肥線」をチャリで北上中、沼津市口野地区にて奇妙な鳥居と出会った。 その鳥居はコンクリート製の地肌がむき出しで、遠目には白い鳥居のようであった。 鳥居の奥に祠もなければ、参道らしい道も見えなかった。 奇妙に思ったが、そこは私有地で立ち入りが出来ず、まあ法を犯して確かめるほどのものでもないとその場は立ち去った。 少し進むと、また同じような鳥居と出会った。 そして、あの異常としか言いようのない体験をした。 鳥居発見! しかし、これは相当に怪しいぞ。 かなり大きく立派な鳥居なのだが、擁壁に隠され県道側からはほとんど見えないし、夏場は藪に覆われていそうな気配。 そして何より、鳥居の背後には子供がゴム粘土で作ったような人工斜面が広がっている。 そこに、ご神体が御在(おんましま)す気配は、微塵もない。 …廃墟か。 これは、廃墟なのか? どよーーーん

                    • 隧道探険隊

                      古くは明治より、近代秋田の交通を支え続けてきた奥羽本線。 東北本線と並ぶ東北の大動脈として宿命付けられていた“本線”だったが、その福島~秋田~青森を結ぶ487.4kmに及ぶ行程には、険しい山々にいくつもの大河…殆ど手付かずだったみちのくの自然そのものが立ちはだかっていた。 明治26年、工事は青森・福島両方から開始された。 それぞれが、暫定的に北線・南線と呼ばれ、ほぼ両者の中央であった秋田県湯沢を目指したのである。 そして、明治32年の6月、県境の矢立峠の難工事を制し、当時の北秋田郡白沢村にまで鉄路を伸ばした奥羽北線が、秋田県鉄道一番乗りを果たした。 さらに、同年11月には当時まだ市制が敷かれる前の大館町(現大館市)までが開業している。 その後も日露戦争を挟みつつも工事は続き、明治38年に遂に、南・北線は一つになったのである。 今回のターゲットは、明治32年に開業した大館~白沢間にある。 白

                      • 【山さ行がねが】廃線レポート 木戸川森林鉄道 (乙次郎~木戸川第1発電所)

                        【周辺図(マピオン)】 木戸川森林鉄道は、福島県の南東部、阿武隈山地から太平洋に注ぐ一級河川木戸川に沿って存在した、前橋営林局富岡営林署所管の森林鉄道(2級線)である。 常磐線の木戸駅を起点に伸びていた軌道は、最盛期には約21kmの長さを誇り、福島県浜通り地方を代表する林鉄のひとつであった。 この路線については、廃線跡探索の有名書である宮脇俊三氏の『鉄道廃線跡を歩く』シリーズ第一作目に取り上げられ、平成7(1995)年頃の廃線跡の状況が大まかに紹介されている。 また路線の歴史については、関東森林管理局内のコンテンツ「福島の森林鉄道WEB史料室」に解説がある。 それによると、木戸川森林鉄道のルーツは、大正3(1914)年に民間の丸三製材所が木戸駅から約5km離れた女平まで開設した「木戸川軌道」にある。 当時は木戸川上流の川内方面で伐採した原木を、川流しによって女平まで運び、そこから軌道で木

                        • 【山さ行がねが】ミニレポート第138回  小阿仁森林鉄道 堂川隧道 <前編>

                          小阿仁林鉄は、小阿仁川とその支流に路線網を敷く、本線全長43kmに及ぶ森林鉄道である。 この路線は大正後期に上流部の開通をみて以来、徐々に下流方向へ路線を延ばすという、多くの林鉄とは逆方向の延伸を重ねた。 これまで「山さ行がねが」および「日本の廃道」においては、小阿仁林鉄とその支線に関して7本のレポートを掲載した。(右の地図はクリッカブルマップになっています) それらはいずれも下流部と上流部に属するもので、中流部に関しては探索自体をしていなかった。 そのわけは、中流部の地形がかなり穏やかで、並行する国道から全容を把握できると感じていた為である。 しかし今回(といってもレポート執筆時点からみれば10ヶ月も前の話だが)、このエリアに詳しいミリンダ細田氏が、住民からの地道な聞き込みの結果、この中流域に隧道を発見したというのである! その場所は上小阿仁村堂川地区で、これを含む福舘~根田間延伸は昭和

                          • 【山さ行がねが】道路レポート 茨城県道248号八溝山公園線

                            八溝山にある二本の不通県道のうち、栃木側から登ってくる栃木県道28号「大子那須線」を攻略。八溝山の肩に達した私は次に、県境線を越えて茨城県側の不通県道である「茨城県道248号八溝山公園線」を使って下山する事にした。 まさに登りも不通、下りも不通という、不通県道マニアにとっては垂涎のルートセレクティング! 二本の県道を結びつけるものは、県境線の尾根に沿って山頂を目指す「八溝林道」だ。 簡単にではあるがこの林道もレポートしつつ、不通県道を目指すことにする。 なお、市販の地図には一部、例えば右に挙げたもののように、福島県道377号「八溝山線」と茨城県道248号を県道の色で結びつけているものもある。 だが、帳簿上の県道指定区間は県道377号が福島・栃木県境以下、県道248号は八溝山林道との交差点以下である。 また、こうしてレポートを書いていてもこんがらがるほど、この山域には八溝の名を冠した道が多い

                            • 【山さ行がねが】ミニレポート第250回 紀美野町高畑の激レア線形 付録編

                              激レアな平面ループカーブの紹介は、前回で終わった。 それはかなり麓に近い位置にあり、簡単に辿り着けた。 今回の探索の目的は早くも達成したが、私はそこで引き返さず、さらに先へ進んだ。 動機は一つ、こんな珍しい線形を有する道の先行きが気になった。 この道は地理院地図に描かれていないが、グーグルアースのような航空写真を見ると、山のずっと上の方にある何かの施設(その建物は地理院地図にも描かれている)まで、ずっと続いていた。 しかし、ストリートビューも入っていないので、実景を確かめるには自分自身でこの道を行くしかなかった。 もっとも、終点まで行って、本当に何も変わった景色がなければ、わざわざこの回を書こうとは思わなかったに違いない。前回の最後に終点の写真を1枚貼り付けて終わりだったろう。 少なからず、見せたい、共有したいと思える道路風景があったので、“付録編”という形で、この回を書いた。 それでは、

                              • 【山さ行がねが】隧道レポート 伊東線旧線 宇佐美隧道

                                2007/7/25 11:55 【静岡県伊東市宇佐美】 目の前を軽快なステンレスカーが駆け抜けていく。 水平線と空をイメージしたのだと容易に分かるカラーリングのそれは、伊豆急行線の8000形電車という。 伊東から先の下田まで、国鉄が果たせなかった伊豆循環鉄道の使命を一部受け継いで、昭和36年に開業した私鉄だが、その当初の使命を思い出させるかのように、JRの線路を熱海まで悠々と乗り入れている。その逆も然りである。 ここは、宇佐美隧道の宇佐美駅側坑口に最寄りの小さな踏切である。 実は、既にこの地点では新旧線の切り替えが済んでおり、旧線のレールも踏切の両側に残されている。 だが、踏切部分のレールは綺麗に撤去されており、通行していてそれに気付くことはない。 遮断棒手前の道路右側に、黄色いバーが二本横に渡されているが、この位置で旧線は道路を横切っていた。 上の写真と同じ地点で、左手、すなわち網代駅方

                                • 隧道探険隊

                                  以前より気になっていた、謎のトンネルの調査を行った。 以下は、2002年8月8日のレポートである。 右の地図を見ていただきたい。 秋田と北上を結ぶ古くからの重要路線「平和街道」(国道107号線)と、幽玄な景観を見せる巨大人造湖の錦秋湖の一帯である。 ここは、日本列島の脊梁をなす巨大な奥羽山脈に存在する、天然の切り通しであり、悠久の時をかけて和賀川が作り上げた、極めて大規模なV字峡である。 よって、ここを通う道は数多い。 国道107号線は言うに及ばず、JR北上線。 そして、近年は秋田自動車道が多くのトンネルを穿ち、駆け抜けた。 また、錦秋湖をなす湯田ダムは1964年竣工当時国内有数の規模を誇ったが、その建設は、建設史上に残る巨大な移転事業でもあった。 移転戸数600戸、鉄道付け替え15km、道路付け替え39km、などである。 それらの遺構の多くは深い湖底に沈んだが、渇水期にはその一部が、さも

                                  • “オブローダー”が厳選! 知られざる地域史が見えてくる『廃道をゆく2』

                                    「廃墟ブーム」と言われて久しい。というより、もはや一般化し、サブカルチャーの一形態としての地位を獲得した感がある。朽ちていく建築に宿る虚無感や退廃的なムードを切り取った写真集や、実際にそこを訪れたい人のためのマニュアル本が現在にいたるまで数多く出版されているのは周知の通り。 本書『廃道をゆく2』は、簡単に言ってしまえばそんな廃墟ガイド本の「道」バージョンだ。写真・執筆は、廃道サイト「山さ行がねが」を運営する平沼義之氏や、ウェブ同人誌「日本の廃道」の永冨謙氏をはじめとする総勢9人の「オブローダー」(「廃道探索者」を表す造語)たちで、全国各地に散らばる計51本の「棄てられた道」を文字通り「探索」している。なお、「2」というからには続編にあたるわけだが、前作と基本スタンスは変わらず、重複する廃道もない。本書を読んでから前作に遡ってもまったく問題ない。 雑草や薮に浸食された舗装路、塞がれた隧道(ず

                                      “オブローダー”が厳選! 知られざる地域史が見えてくる『廃道をゆく2』
                                    • 【山さ行がねが】廃線レポート 神岡軌道 猪谷~神岡間

                                      これを書いている時点での昨日、2008年7月4日まで、私は『日本の廃道』での盟友nagajis氏と共に、飛騨の山中で連続4日間の廃道・廃線探索を行った。 そして、その中で最大の時間と労力をかけて解明を試みたのがこの「神岡軌道」であった。 神岡軌道は、大正初期から昭和40年代初頭にかけて、岐阜県北端に位置する神岡町から県境を越えて富山方面へと延びていた、軌間610mmの鉄道である。 その特殊な軌間が象徴するように、「神岡鉱山」の坑内軌道と連結する「鉱山鉄道」としての性格を濃くした路線であったが、交通不便な地域の足として利用されていた事も事実で、昭和24年以降は正式な地方鉄道として市販の「時刻表」にも記載されていた。 本路線の廃止は母体鉱山の閉山を待つことなく、並行する国鉄の延伸に追い立てられるように行われたことに特徴がある。 まず、国鉄飛越線(現在の高山本線)が富山側から猪谷(いのたに)まで

                                      • 【山さ行がねが】隧道レポート 草木トンネル (旧三遠南信自動車道)

                                        2011/3/3 6:26 《現在地》 長い長い(少なくとも自転車にとっては)ランプウェイを上り詰めると、海抜680mに存在する“本線”に辿り着く。 出発地である池島集落(標高600m)からは、すでに80mも登っている計算になる。 ランプウェイと言いながら、ちょっとした峠並の上りであった。 そして、入口から数えて800m地点のここからが本線。 そこにあったのは、やはり一般道路化されているとは言っても、そこら辺の山中にありそうなバイパスとは、一線を画する道だった! 約300m先にある草木トンネルの坑口が、ほぼ真っ正面に見えていた。 その黒い少し大きめの“点”に向けて、今は6車線分もあろうかという幅員が、2車線まで狭まっていく。 が、そちらへ行く前に、 どうしても気になる場所があるじゃないか? ↓ここだよ!↓ ランプウェイが両側に分合流する、その中心にある本線。 本線終端部! 自専道だった時代

                                          【山さ行がねが】隧道レポート 草木トンネル (旧三遠南信自動車道)
                                        • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道288号/廃線レポート 飯田線旧線(中部天竜~大嵐間)

                                          2009/1/24 15:45 初めてこの場所に到達してから43分経ったいま、結局私は、この先500m区間の偵察をして戻ってきた形になる。 その際に、大切なリュックをその橋頭堡… つうか人質…に捧げて来た。 しかし、これからようやく本当の意味での前進再開。攻略再開を果たすことが出来るのだ。 その安心感は生半可ではなく、強いストレスからの解放によって、私は一時的に興奮状態になった。 目の前の命さえ脅かされる崩落現場に、二度と踏み込まなくても良い。 そんな安堵も大きかった。 チャリを小脇にして、いま上ってきたばかりの斜面を下る。 しかし、爪先の踏ん張りだけで直立のまま下っていけるほど、なまっちょろい斜面ではない。 すべって転倒する前にチャリを下ろした。 そして、支えのない斜面に下ろされたチャリは、主無きまま数メートルを駆け下り、狙い通りの木立に衝突して転倒、停止した。 乱暴なようだが、ここでノ

                                            【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道288号/廃線レポート 飯田線旧線(中部天竜~大嵐間)
                                          • 【山さ行がねが】ミニレポート 第134回 道路神社

                                            宮城県仙台市泉区上谷刈3丁目のマンションが立ち並ぶ一角に、地図にも載らない小さな神社がある。⇒【所在地】 だが、その神社の名は世界におそらく二つと無い(グーグル参考)、大いなる名である。 その名も、道路神社という。 これが、道路神社の神域の全貌だ。 境内には小ぶりな鳥居とイチョウの巨木、それに社務所というか倉庫のような木造の建屋(写真に写る建物)が一棟、後の方に古碑が幾つかある。 敷地は“くの字”型に道に囲まれた一角だが、取りたてて「道路」を祀るという立地には見えない。 全体的に見て、いたって平凡な小社である。 神社の前面はマンション群に囲まれている。 ここは表通りに面しておらず、また通りに看板なども無いために、地元の人でなければほとんどその存在を知らないだろう。 また、鳥居に扁額もないから、これが「道路神社」という名前であることを知るためには、注意深く境内を観察する必要がある。 鳥居の脚

                                            • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                              2003.5撮影 福島県福島市 栗子山 道路レポートに掲載した一枚の写真。 この写真が、今なお未解明な部分を数多く残す、万世大路最後の謎の始まりであった。 現地は、海抜850mを越える、万世大路のハイライト栗子隧道福島側坑門直前。 棄てられて30年以上を経た廃道の脇、もはやそこへ近付く方法すら分からないような谷間に、明らかに橋台と分かる一対の石組みの構造物があった。 道路レポートで記したとおり、私はこれを、明治にはじめて万世大路が拓かれた当時の痕跡と考えた。 余りにも風化が進んでおり、非常に古い時代の物と思えたからだ。 しかしレポート公開直後、当サイト掲示板に別の可能性が提示された。 サイト『山形の廃道』の作者にして、廃道界の権威 fuku氏 によるその書き込みの、本稿に関する部分をそのまま以下に転載した。 それは、驚くべき内容であった。 さて、詳細不明の橋台ですが、人道橋と云うよりもしか

                                              • 道路レポート

                                                仙岩峠と言えば、秋田県民で知らないものはない、本邦最重要の峠の一つである。 それは、秋田県と岩手県を隔てる奥羽山脈にあって、秋田・岩手両県の県庁所在地を最短で結ぶ国道46号線の要衝である。 全長2544mの仙岩トンネルを含む8つのトンネルと20以上の橋で構成された、国道46号線仙岩道路は昭和51年の開通以来、峠を意識させないほどの快適な奥羽山脈越えを、提供し続けている。 一方で、一つのトンネルも介さずに、ガチンコで山脈を越えていた旧国道は、現道開通間もなくより秋田県側の大部分が通行止めとなったままで、田沢湖町道「仙岩峠線」と雫石町道「国見ヒヤ潟線」という名も与えられてはいるものの、実質的には廃道である。 峠の標高は、奥羽山脈を超える峠の中でも、旧一級国道としては最も高い890m。 藩政時代より重要な峠であったこの地に、初めての車路が開通したのが、昭和38年。 それが今日の旧国道であったが、

                                                • 【山さ行がねが】道路レポート 塔のへつりの廃道

                                                  2008/7/29 9:57 《現在地》 ここは福島県南会津郡下郷町の一角で、大川(阿賀川)の西側にいくつかの集落を束ねる白岩地区だ。 写っている赤い橋は「塔のへつり橋」。 「えっ? つり橋? これって吊り橋じゃないよね?」 いえいえ。 “塔のへつり”で一つの地名。 この辺りではかなり名前の知れた、岩と水の織りなす景勝地である。 橋が渡る大川の500mほど上流にそれはある。 ちなみにこの道自体は下郷町の町道だ。 で、右に下っていく細い路。 気になるすべ? 分岐に何の案内も無いところを見るに、この立派な橋の旧橋にでも繋がっていそうだ。 そう思ったので、歩きで見に行ってみることにした。 あれれ? こんなトコロに一軒家が。 道は、ちょっと無理やりなカーブを重ねながら、一気にその庭先へと下って行くではないか。 これは… 旧道とは関係ないのか? もう少し行ってみる。 一軒家への道を無理やり右に分かち

                                                  • 【山さ行がねが】隧道レポート 大多喜町の共栄隧道

                                                    皆さんは、こんなことをしたことはないだろうか。 ネット上で、一度見たら忘れられないような、奇抜な姿をした隧道を見る。 そしたら、敢えてその場所を積極的に調べようとせずに、 「何度か訪問している内にいつか見つかるだろう」 …と、放っておく。 基本的に、道に限らずあらゆる地物は時限付きなので、あまりこういう先送りの泰然主義は、オブローダーとしての成果主義とは相容れない。 しかし何となくそれでも良いかなと思えるような隧道が、いくつかある。 例えば房総半島のように全体が箱庭的であり、しかも自宅からは近く、繰り返し行くことになりそうな場所。 さらに廃道ではなく現役の道だったりして、そこそこ自力でも見つかりそうなものの場合。 それはサブイベント的な楽しみ。 「いつか出会えるかもしれない景色」として、頭の片隅においておく。 今回はそんな隧道のひとつで、しかもとびきり奇抜なヤツに、遭遇することが出来た。

                                                    • 『廃線×廃墟×廃道 廃のタッグマッチ(仮)』 TOKYO CULTURE CULTURE:@nifty

                                                      2010 03 28 [Sun] 『廃線跡の記録』刊行記念! 『廃線×廃墟×廃道 廃のタッグマッチ(仮)』 Open 17:30 Start 18:30 End 21:00 (予定) 前売り券2000円 当日券2500円(飲食代別途必要・ビール¥590など) 失われゆく、鉄道大国ニッポンの原風景 断崖絶壁の上に取り残されたレール、草に埋もれる廃車両、崩落の進む廃隧道…。 日本の近代的発展を足元から支えながらも、不要と判断され廃止されてしまった鉄道路線“廃線跡” そこには見る者の心を揺さぶる魅力的な風景があります! ※全国の朽ちゆく鉄道遺構をまとめたムック『廃線跡の記録』(三才ブックス・3月18日発売 定価1,600円)の刊行記念イベントを開催します。当日は物販コーナーにて販売も予定しております。 【出演者】 オープロジェクト(軍艦島をはじめとする産業廃墟をさまざまなアプローチで作品化するメ

                                                      • 【山さ行がねが】橋梁レポート 小鹿野町三山の廃吊橋

                                                        2010/2/25 16:16 秩父市から西北西の方向に荒川支流の赤平川をさかのぼり、志賀坂峠から群馬上野村へ、さらに信州へ続く国道299号。 その途上の小鹿野(おがの)町三山(さんやま)地区旧国道脇に、珍しい形をした廃吊橋がある。 今回はそれを紹介したい。 右の地図にカーソルオンで拡大する。 田ノ頭と久月の間の国道は、新旧道が赤平川を挟んで並行している。 途中、北岸の旧道から南岸の現道に向けて一本の橋が架けられているが、これが今回見つけた橋だ。 最新地形図に描かれてはいても、これが廃橋なのだった。 なお、探索を終えた現在でも、この橋の素性は不明のままである。 正式な名前さえも分からないので、地区名を取って「田ノ頭吊橋」と仮称することにする。 目の前を流れる川は赤平川。 奥は下流方向となる。 谷幅の割に水量が少ないのが目に付くが、その理由は分からない。 そして左岸の1車線の道路は旧国道で、

                                                        • 廃道研究家「ヨッキれん」さんがぞっこんな「日光いろは坂」の「エンジンブレーキ使え」「一速に落とせ」の標識群

                                                          ヨッキれん/平沼義之 @yokkiren 廃道に身も心も捧げるオブローダーの道路愛好家。「山さ行がねが」主宰。 実業之日本社「日本の道路122万キロ」ほか執筆。コミックキューン連載中「はいどう!」の監修者。 ツイートに🦆が登場したら、山行がの更新が近い合図カモ?!クワッ!! yamaiga.com ヨッキれん/平沼義之 @yokkiren 日光いろは坂のこの標識が超好き! 長い下り坂に「エンジンブレーキ使え」はたまに見るけど、さらに「一速に落とせ」や「二速に落とせ」といった具体的なシフト操作まで指示してくる道はほとんどない。「ここが運転できれば一人前」と、古いドライブガイドには大抵書いていた道の凄まじさを感じる。 pic.twitter.com/8hnLh3beO2 2024-01-27 00:14:00

                                                            廃道研究家「ヨッキれん」さんがぞっこんな「日光いろは坂」の「エンジンブレーキ使え」「一速に落とせ」の標識群
                                                          • 【山さ行がねが】ミニレポート第171回 青森県道274号陸奥関根停車場線

                                                            前回のミニレポ170回では、駅と共に廃止された停車場県道を岩手県からお伝えしたが、 今回紹介するのは、駅が廃止された後も存続している停車場県道である。 その名も、青森県道274号陸奥関根停車場線という。 東京からかなり遠い場所のため、訪れたことのある人はさほど多くないと思うから、まずはどこにあるのかを確認しよう。 青森県道274号陸奥関根停車場線は、下北交通大畑線陸奥関根駅と国道279号を連絡する全長0.3kmの短い県道で、昭和36年に認定されている。 そして、下北交通大畑線は平成13年4月1日に全線が廃止されており、当然陸奥関根駅もこの日に廃駅となっている。 下北交通大畑線は、JR大湊線下北駅(むつ市)と大畑駅(むつ市、旧大畑町)を結んでいた全長18kmの非電化ローカル線で、昭和60年に廃止された国鉄大畑線を下北交通が継承して運行していた。 この路線は当初、国鉄大間線として下北半島の突端

                                                            • 【山さ行がねが】廃線レポート 光明電気鉄道 阿蔵隧道と大谷隧道

                                                              昭和の初期に静岡県西部(遠州地方)の広大な農村地帯で、まるで綺羅星のような都会的高速電気鉄道を運行させた「光明(こうみょう)電気鉄道」は、その数奇で悲劇的な歴史で知られ、地元や鉄道ファンの間では今なお語り種になっている廃線である。 今回は、資料や読者からの情報提供を元に探索した、廃線跡に存在する2本の廃隧道を紹介したい。 まず、同電鉄の歴史を簡単に紹介しよう。 鉄道計画の発端は大正10年である。 東海道の宿場町であった見付(みつけ)は、明治22年に開業した東海道線の経路から外れたため衰微著しく、対策として東海道線中泉駅(現:磐田駅)と見付(磐田市)を結ぶ鉄道が計画された。 しかも計画はそれだけに止まらず、さらに北上して北遠地方の中心都市であった二俣(ふたまた)を経由して、天竜川水運の要衝地 光明(こうみょう)村船明(ふなぎら)へと至る二十数キロの路線を、当時都会でも出始めたばかりの電気鉄道

                                                              • 日本初のプロ・オブローダー「ヨッキれん」の講演を聞いてきた

                                                                「オブローダー」とは、「obsolete(廃れた)+「road」+「-er」から来た造語で、廃道探索などを好む人のこと。「ヨッキれん」こと平沼義之氏は「山さ行がねが」というサイトの管理人で、あちこちの廃道・旧道・廃線跡などを探索する著名なオブローダー。近年は廃道を中心としたDVD・著作で生計を立てている、プロ・オブローダーでもある。 この「山さ行がねが」というサイトの読み応えは、ヘタに読み始めるとWikipedia以上に夜が明けてしまうというレベル。最近はテレビ番組やイベントへの露出もあるものの、中の人を生で見られる機会はなかろうということで、この立正大学環境科学研究所講演会・「ヨッキれん流 山さ行がねがの裏側見せます。交通調査ツールの活用方法」を聞きに行ってきた。 7月16日(木)に立正大学熊谷キャンパスで「ヨッキれん流 山さ行がねがの裏側見せます。交通調査ツールの活用方法」と題した講演

                                                                  日本初のプロ・オブローダー「ヨッキれん」の講演を聞いてきた
                                                                • 【山さ行がねが】ミニレポート第203回 国道20号旧道 高尾山IC内

                                                                  いきなり見て頂いた3枚の地形図は、東京都八王子市内の高尾山付近である。 【位置図(マピオン)】 ここは案内川の谷沿いに明治以来の甲州街道が通じ、現在は国道20号となっている。通ったことのある読者も多いことだろう。 道の際に迫る深い緑に関東平野からの脱出を意識し、来る都県境大垂水峠へ意識を向ける、そんな印象深い谷間の道に、平成24年3月、鮮烈なインパクトを持った新しい場面が加わった。 長い工事の末に出現した圏央道(首都圏中央連絡道路・国道468号)高尾山ICである。 今回のレポートは、この高尾山ICの敷地内に残る、国道20号の旧道についてである。 上の3枚の新旧地形図を見較べると分かるが、現在の高尾山ICがある場所には、込縄という小さな集落があったのである。 さらに昔に遡ると、国道が通っていた場所も少し変わっており、大正12年の地形図では、国道は案内川の右岸を通っていたようである。 これら

                                                                  • #038 君津エースゴルフクラブ

                                                                    房総半島では釣り人や登山者に特に有名だった廃橋がありました、全国的に見てもその規模は大きくて見るものを驚かせたといいます。深い山中で揺れた娯楽産業開発とバブル崩壊、その後二転三転する再開発の顛末を徹底調査。現在は太陽光発電区画なった現場の歴史をご紹介します。 千葉県│君津エースゴルフクラブ 調査:2010年12月 再訪:2011年01月 / 2011年05月 / 2012年05月 公開:2011年04月05日 名称:正式名称→君津エースゴルフクラブ 状態:開発再開(大規模な太陽光発電パネル設置区画) レポートの内容は初来訪時とその後の再訪現地調査、そして現在の状況を総括して再構築されています。写真に対するキャプションは所々当時の内容が反映されていますが現在は民間企業が管理する太陽光発電区画となっています。 房総では有名な廃橋だった 2009年、山岳会の知人から「笹川に釣り人に良く知られてい

                                                                      #038 君津エースゴルフクラブ
                                                                    • 【山さ行がねが】道路レポート 国道113号東港線バイパス 第1回

                                                                      たまには当サイトもそこそこメジャーな案件を取り上げたい。 ジャンルとしては、未成道。 このジャンルが好きな人なら一度は見聞きしたことがありそうな物件だが、紹介したい。 新潟市。 人口80万人を数える本州日本海側唯一の政令指定都市であり、国内有数の港湾都市だ。 この街のど真ん中に、市民から“ジャンプ台”と呼ばれ親しまれている高架道路が存在する。 ジャンプ台なんて使ったら大切な車が大変なことになってしまいそうだが、これがどのような状況の道を比喩した表現であるかは、未成道ファンでなくても察せられるであろう。長らく未成の尻切れトンボ状態である高架道路が、ここにあるのだ。 浅からぬ歴史を持つ、この未成の高架道路は、国道113号の一部である。 国道113号は道路法上の路線名だが、これとは別に都市計画法に則って新潟市が指定する都市計画道の路線名として、東港(とうこう)線の一部も構成しており、中でも高架道

                                                                      • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                                        2004年最大の林鉄系発見「定義林鉄 巨大木橋」の5kmほ下流には、古くから「定義さん」と呼ばれ親しまれてきた古刹「定義如来」がある。 この定義如来を起点として仙台市中西部に至る主要地方道が、主要地方道定義仙台線だ。 大都市近郊でありながら、その沿道には大倉川が流れ、大倉ダムがあり、山深い道という印象がある。 そして、いつの頃かは定かではないものの、起点付近の道筋はもともと大倉川右岸にあったものが、左岸へと大規模に付け替えられている。 この付け替えによって生じた旧道区間はおおよそ6km。 うち、最上流部の1kmが、現在は廃道となっている。 ご覧頂こう。 まずはオードブル。 県道の起点からさらに上流へと市道が続いている。 この市道の十里平と定義の中間付近、大倉川を渡る橋があるが、この橋の辺りから川原に降りる事が出来る。 そこから下流を見るとびっくり、 こんな場所によくぞ川が通ったもんだ。 特

                                                                        • 【山さ行がねが】ミニレポート第235回 掛川市上張の手掘り隧道(仮)

                                                                          【周辺地図(マピオン)】 静岡県中西部の位置する掛川市は、東海道の掛川宿および掛川藩の城下町として発展した、長い歴史を持つ地方都市である。 牧ノ原台地の西部を占め、この地方の特産品である茶葉の生産が盛んであるほか、交通の便に恵まれた立地を活かした工業都市としても発展が著しい。2018年現在の人口は約11.5万人である。 オブローダー的な視点から見た掛川市は、東海地方における代表的な“隧道王国”の観を呈している。 低い稜線と谷戸が複雑に入り組んだ丘陵地形で、古くから農業が盛んで高位な土地利用がなされてきたという、典型的な隧道多産地の特徴を持っている。 以前紹介した岩谷隧道も、掛川市にある特徴的な素掘隧道であったが、より知名度が高いのは、土木学会が選定する『日本の近代土木遺産(改訂版)―現存する重要な土木構造物2800選』に、「青田隧道他、旧県道の煉瓦トンネル群」として登録されている、明治中

                                                                          • 【山さ行がねが】道路レポート 東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道

                                                                            私が青ヶ島で過ごしたたった1日の最初と最後を共にしたのが、島の玄関口として不動の地位にある青宝トンネルの旧道であったことは、偶然ではなかったが、出来すぎているとも思う。 そして、一周約9km、わずか約6km2の島中のたかだか1.3kmに過ぎない道で、ここまで多くの文字数を費やして語りたくなるほどの“探索”があろうとは、「青ヶ島は凄い」と聞いていた私の想像をも越えていた。 本稿は、今回探索した旧道“残所越(のこじょごえ)”の歴史解説編を主とするが、同時に青ヶ島全体の道路整備の歴史についても概観を述べたい。 そうしないことには、小さな島内において代替路があまり存在しない道の存在意義を上手く説明することができないためである。 また、島内の陸上交通は島外との海上交通と不可分の問題であり、すなわち港や航路や新造船の整備とも深く関わる問題であるばかりでなく、島民の生活のほぼ全方位にも関わる事柄であるが

                                                                            • 隧道レポート

                                                                              お馴染み「全国隧道リスト」に「昭和8年竣工」と示されている古隧道の一つに、青森県青森市の善知鳥前隧道がある。 東北の最大幹線で日本最長の国道である4号線、その最後に待ち受けていた難所「善知鳥崎」は、かつて「親不知子不知に匹敵する」と称された難所であったという。 そこに穿たれた隧道とは、一体どのようなものだったのだろうか? 複雑な変遷を辿った、善知鳥崎を越える道の謎を紐解こう。 青森市久栗坂は、陸奥湾沿いに走る東北本線の野内駅と浅虫温泉駅の丁度中間に位置する。 レールは集落を縦断しているものの駅はなく、また国道4号線も久栗坂トンネルでやや内陸を通過してしまっている。しかし、青森市街にも近い比較的ひらけた集落である。 久栗坂の往来の中心は、旧国道である一般県道259号「久栗坂造道線」である。 昭和11年竣工の根井橋は、根井川の最も河口よりに架かる県道の橋だ。 正面に見える小松山(海抜244.9

                                                                              • 【山さ行がねが】ミニレポート第170回 旧岩手県道 大荒沢停車場線 (机上レポ)

                                                                                昭和34年3月31日、岩手県告示第280号によって、岩手県内の一般県道、158路線が告示された。 昭和29年に先だって認定を受けていた主要地方道20路線と合わせて、現行道路法下(昭和27年制定)における岩手県道網は、この合計178路線でスタートしたのである。 そしてこの一般県道の整理番号92番(これが現在で言うところの「路線番号」と呼べるかは不明)に、大荒沢停車場線という路線が記載されているのだが、現在この路線名を持つ県道は存在せず、それどころか大荒沢停車場自体、いくら地図を探しても見つけることが出来なくなっている。 92 一般県道 大荒沢停車場線 起点、大荒沢停車場 終点、二級国道大船渡本荘線交点(湯田村) この大荒沢停車場、つまり大荒沢駅とは、国鉄北上線の駅であった。 しかし、昭和37年に北上線の路線が付け替えられた際、大荒沢駅は信号所に格下げ(その後廃止)されている。 おそらくこの前

                                                                                • 【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道515号 三井相模湖線

                                                                                  物音を出来るだけたてないように注意しながら、玄関の扉を閉める。 砂利敷きの駐車場に置かれた、我が愛車ルーキー号。 狭く短い坂を下ると、そこは北野街道と名の付いた県道だ。 ここでは、分からないことだらけだ。まだ。 何故この辺りの住人は、県道や国道に「街道」の名を付けたがるのだろう。 お陰で、青看板と道路地図帳での探索では、たびたび戸惑いを覚える。 件の北野街道を西に向かう。 時刻は午前6時より前だが、道路端に敷かれた複線の線路には、既に幾度も列車が駆けていた。 しかも、その編成はどれも長い。始発はいつなんだろう。 6時をまわる頃、有料道路になっている高架のバイパス道路と交差した。 巨大な高架の上からは、獅子の咆哮にも似た騒音が絶え間なく聞こえてくる。 ここまで、行く先々、ひとときも車通りは途絶えていない。 街は日のあがる前に、もう目覚めの時を迎えているのだった。 さらに西へと進んでいく。 や