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隧道探険隊
古くは明治より、近代秋田の交通を支え続けてきた奥羽本線。 東北本線と並ぶ東北の大動脈として宿命付け... 古くは明治より、近代秋田の交通を支え続けてきた奥羽本線。 東北本線と並ぶ東北の大動脈として宿命付けられていた“本線”だったが、その福島~秋田~青森を結ぶ487.4kmに及ぶ行程には、険しい山々にいくつもの大河…殆ど手付かずだったみちのくの自然そのものが立ちはだかっていた。 明治26年、工事は青森・福島両方から開始された。 それぞれが、暫定的に北線・南線と呼ばれ、ほぼ両者の中央であった秋田県湯沢を目指したのである。 そして、明治32年の6月、県境の矢立峠の難工事を制し、当時の北秋田郡白沢村にまで鉄路を伸ばした奥羽北線が、秋田県鉄道一番乗りを果たした。 さらに、同年11月には当時まだ市制が敷かれる前の大館町(現大館市)までが開業している。 その後も日露戦争を挟みつつも工事は続き、明治38年に遂に、南・北線は一つになったのである。 今回のターゲットは、明治32年に開業した大館~白沢間にある。 白
2010/06/01 リンク