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戦後史の検索結果1 - 10 件 / 10件

  • 特集ワイド:「国策民営」 日本の原子力、戦後史のツケ - 毎日jp(毎日新聞)

    危機と対応の混乱が続く福島第1原子力発電所。この国には、この「フクシマ」を含め54基の原子炉がある。そもそも被爆国であり地震国でもある日本に、なぜ、これほど多くの原発が造られたのか? 「原子力の戦後史」をひもといた。【浦松丈二】 ◇米国の「冷戦」戦略受け導入 政治主導で推進、議論尽くさず <ポダムとの関係は十分成熟したものになったので、具体的な協力申し出ができるのではないかと思う> 早稲田大学の有馬哲夫教授(メディア研究)が05年、米ワシントン郊外の国立第2公文書館から発掘したCIA(米中央情報局)機密文書の一節である。終戦直後から60年代までに蓄積された474ページにわたるその文書には、日本に原子力事業が導入される過程が詳細に描かれていた。 「ポダム」とは当時、読売新聞社社主で日本テレビ社長だった正力松太郎氏(1885~1969年)の暗号名。原子力委員会の初代委員長を務め、のちに「日本の

    • 今もいる。見えてない。隠されている。――『ひとり暮しの戦後史』重版に寄せて

      本書『ひとり暮しの戦後史』に書かれた女性の人生は多様だ。彼女たちの人生を通じて、まさしく戦後史のB面にふれることができる。その多様な人生において、悲しいかな、経済的に豊かではないということは共通していた。 私の祖母は、私の母を生んでから数年後に寡婦となった。続いて舅も亡くなり、農家は男手を失った。一家の大黒柱として、祖母は外で働き始めた。それから50年以上働き続けた祖母が、私の高齢女性のモデルであった。 一家7人を養うため、生活のために働いていた祖母は、職歴や学歴があったキャリア女性というわけではない。祖母が落ち着いた職業は保険外交員。職歴や学歴を問わずとも女性が働ける職場であった。自分の夫が亡くなったときいかに苦労をしたか、と保険の大切さを説いていた(それはつまり、いかに公的扶助が足りなかったか、ということである)。そして、寡婦・母子家庭子供会で、福祉活動をしていた(そう、これも、いかに

        今もいる。見えてない。隠されている。――『ひとり暮しの戦後史』重版に寄せて
      • ブースカちゃんはANTIFA on Twitter: "あなたがいくつくらいの年齢の人なのか、どういう背景をお持ちなのかはわかりませんけど、最近は若い人だけでなく、高齢の人でも、日本の戦後史をまったく知らない人がいるので、常識の範囲内でちょっとだけ書いておきますね。 (・ω・) https://t.co/0cmeDH17sa"

        あなたがいくつくらいの年齢の人なのか、どういう背景をお持ちなのかはわかりませんけど、最近は若い人だけでなく、高齢の人でも、日本の戦後史をまったく知らない人がいるので、常識の範囲内でちょっとだけ書いておきますね。 (・ω・) https://t.co/0cmeDH17sa

          ブースカちゃんはANTIFA on Twitter: "あなたがいくつくらいの年齢の人なのか、どういう背景をお持ちなのかはわかりませんけど、最近は若い人だけでなく、高齢の人でも、日本の戦後史をまったく知らない人がいるので、常識の範囲内でちょっとだけ書いておきますね。 (・ω・) https://t.co/0cmeDH17sa"
        • 在日韓国・朝鮮人の戦後史――「特別永住資格」の歴史的経緯とは/田中宏×鄭栄桓×荻上チキ - SYNODOS

          在日韓国・朝鮮人の排斥を訴え、人種差別的な街頭宣伝やネットでの書き込みを行うヘイトスピーチが問題になっている。ヘイトスピーチ的な言説において、しばしば在日韓国・朝鮮人は「不当に特別な権利を持っている」という主張がなされ、その代表例として「特別永住資格」が挙げられる。いったい、「特別永住資格」はどのようにできたものなのか。その歴史的制度に迫る。 TBSラジオ・Session-22「在日韓国・朝鮮人の戦後史」より抄録。 ■ 荻上チキ・Session22とは TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番

            在日韓国・朝鮮人の戦後史――「特別永住資格」の歴史的経緯とは/田中宏×鄭栄桓×荻上チキ - SYNODOS
          • わかりにくい沖縄「だれにも書かれなくなかった戦後史」 - 深町秋生の序二段日記

            沖縄についてちょっと調べる必要があり、佐野眞一の分厚いハードカバー「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」を購入。おしっこ漏れるぐらいにおもしろかった。 ダイエーの隆盛と衰退を通して戦後を描いた「カリスマ」や読売グループの首領正力松太郎を取り上げた「巨怪伝」も同様におしっこ漏れるぐらいにおもしろかったわけで、もっと早く読んでいたらと後悔さえ覚えた。発売から一年以上経っているけれど、かなりベストセラーだったらしく、私が購入したやつは六刷だった。 そもそもテレビが取り上げる沖縄はたいてい退屈だった。とくに故・筑紫さんの「ニュース23」がひどく、嬉しそうに彼が沖縄について語り出そうとするところでチャンネルを変えた。青い海をバックに、平和そうな顔をした沖縄の人がサンシンを引いて陽気に踊る。のんびりやろうぜ。あと戦争はよくない。なんたって激戦地となった悲劇の島だ。今も米軍が我が物顔でしきっている。

              わかりにくい沖縄「だれにも書かれなくなかった戦後史」 - 深町秋生の序二段日記
            • 特集ワイド:「国策民営」 日本の原子力、戦後史のツケ - 毎日jp(毎日新聞)

              危機と対応の混乱が続く福島第1原子力発電所。この国には、この「フクシマ」を含め54基の原子炉がある。そもそも被爆国であり地震国でもある日本に、なぜ、これほど多くの原発が造られたのか? 「原子力の戦後史」をひもといた。【浦松丈二】 ◇米国の「冷戦」戦略受け導入 政治主導で推進、議論尽くさず <ポダムとの関係は十分成熟したものになったので、具体的な協力申し出ができるのではないかと思う> 早稲田大学の有馬哲夫教授(メディア研究)が05年、米ワシントン郊外の国立第2公文書館から発掘したCIA(米中央情報局)機密文書の一節である。終戦直後から60年代までに蓄積された474ページにわたるその文書には、日本に原子力事業が導入される過程が詳細に描かれていた。 「ポダム」とは当時、読売新聞社社主で日本テレビ社長だった正力松太郎氏(1885~1969年)の暗号名。原子力委員会の初代委員長を務め、のちに「日本の

              • 「絆」の戦後史 - dongfang99の日記

                漢検の今年の漢字として「絆」が選ばれた事に関して、どこかの新聞で、いま人と人との結びつきとして理解されている「絆」は昔は否定的な意味であったという記事を読んで、「へえ、そうなんだ」と思い、ではいつ頃から肯定的な意味に変わってここまで普及するようになったのか、ということが気になって国会議事録や朝日新聞の記事タイトルなどを検索してみた。単に暇な時に興味があって調べたというもので、特に言いたいことや結論があるというわけではない。 確かに新聞や議事録などにおける1960年代頃までの用法を見ると、「絆創膏」「脚絆」(ゲートル)など以外には、身動きが取れない環境を指して、「羈絆(きはん)」などの意味で使われていることが多い。また、「封建的な絆」「悪弊のきずな」とか、束縛や癒着・結託といった明確に否定的が意味が込められることも少なくない。「絆を断ち切るべき」という表現も散見される。これは、家畜を繋ぎ止め

                  「絆」の戦後史 - dongfang99の日記
                • 【歴史】ドイツの戦後史

                  Wegmarken @s1ut2 ドイツ政府、ポーランドからの賠償請求を改めて拒否。その根拠は、旧東ドイツとポーランド間で結ばれた条約にあるとのこと。この条約で、ポーランドはドイツに対する賠償請求権を放棄している。 なお、旧東独は一切の賠償要求に応じていない。 p.dw.com/p/2jb3N?tw 2017-09-09 22:14:26 Wegmarken @s1ut2 旧東独が賠償・補償要求に応じなかった根拠は、旧東独がナチス・ドイツの継承国でないという認識にある。 また、ポーランドが1953年の条約を無効とみなす根拠は、当時の共産党政権が、「旧ソ連の傀儡政権であったから」。 2017-09-09 22:21:35 Wegmarken @s1ut2 もともと、ドイツの賠償問題は棚上げの状態であった。なぜなら戦後国家が二つに分裂し、本来の国際法人格的なドイツがないままであったからである。

                    【歴史】ドイツの戦後史
                  • 「若者に貼るレッテル」の戦後史:日経ビジネスオンライン

                    「マイスターにあたるベテラン技術者は、先輩の技を盗んで仕事を覚えた世代。後輩に対し積極的に教えることをしないという。対して今の若手は『指示待ち世代』。自分から教えを請わない傾向があり(中略)危機感を抱いていた」(カギ括弧は筆者が追加)。以上は、日刊工業新聞の2010年3月30日付けの記事に登場する文章です。ある電機メーカーが、技能を伝承するための新制度「技能マイスター」を設けたことを伝える記事でした。 ここで筆者が注目したいのは、2010年の新聞記事に『指示待ち世代』という言葉が登場していること。記事に登場するメーカーは工業高校の卒業生を採用しているので、ここで言う「指示待ち世代」とは「1992年生まれの世代」を指すことになります。言い換えると「2012年現在で20歳の世代」です。 ところがこの「指示待ち世代」という言葉。実は今から31年前の1981年に登場した「懐かしの流行語」なのです。

                      「若者に貼るレッテル」の戦後史:日経ビジネスオンライン
                    • NHK 戦後史証言プロジェクト|日本人は何をめざしてきたのか 第6回 障害者福祉 共に暮らせる社会を求めて

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