一 はしがき 袋中大徳(タイチユウダイトコ)以来の慣用によつて、琉球神道の名で、話を進めて行かうと思ふ。それ程、内地人の心に親しく享け入れる事が出来、亦事実に於ても、内地の神道の一つの分派、或は寧、其巫女教時代の俤を、今に保存してゐるものと見る方が、適当な位である。其くらゐ、内地の古神道と、殆ど一紙の隔てよりない位に近い琉球神道は、組織立つた巫女教の姿を、現に保つてゐる。 而も琉球は、今は既に、内地の神道を習合しようとしてゐる過渡期と見るべきであらう。沖縄本島の中には、村内の御嶽(オタケ)を、内地の神社のやうに手入れして、鳥居を建てたのも、二三ある。よりあけ森の神・まうさてさくゝもい御威部(オンイベ)に、乃木大将夫婦の写真を合祀したのが一例である。 国頭(クニガミ)の大宜味(オホギミ)村の青年団の発会式に、雀の迷ひ込んだのを、此会の隆んになる瑞祥だ、と喜び合うたのは、近年の事である。此は、