太秦(うずまさ)は、京都市右京区の地名。 概要[編集] 京都市右京区梅津以北から京都市北区に挟まれた住宅地が、現在の太秦の範囲である。木嶋坐天照御魂神社などの神社、京都最古の寺である広隆寺、蛇塚古墳などの前方後円墳が良く知られている。 広隆寺は秦氏の氏寺であり、国宝[1]の木造弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒)を安置した京都最古の寺である。『日本書紀』推古11年(603年)11月条には、聖徳太子から秦河勝が仏像を賜り、蜂岡寺(はちおかでら、現在の広隆寺)を建立したとある。『上宮聖徳太子伝補闕記』『聖徳太子伝暦』などは秦河勝が聖徳太子に仕えて活躍したとしている[2]。 大正期の葛野郡太秦村であり、1931年(昭和6年)京都市に編入された[3]。 地名の由来[編集] 雄略天皇の御世、 渡来系の豪族秦氏(秦酒公)が絹を「うず高く積んだ」ことから「禹豆満佐=うずまさ」の号を与えられ、これに「太秦」の漢字表