廃屋 社 「一宮さん」と呼ばれていた。 家屋 家屋 納屋 同 祠 屋敷跡 屋敷跡石垣と奥に蔵 御堂跡 案内板より 天正元年(一五七三)土佐国主中村城主、一条兼定、長我部元親に追われ豊後大友宗麟の許に在った頃、一時当地平地村梶屋谷城に仮定したという。 其処で彼はキリシタン修行と旧領奪還の陣立に専念し、天正三年一度は旧領選に成功したが、年余の後、渡川の会戦に敗れて南予地方処々に潜行後、天正十年宇和海の孤島戸島に隠棲中、旧豆の一人に暗殺された。 実に悲劇的な生涯だったが、彼に所縁の地にはそれぞれに彼の信仰の址が残っている。 当地平地村梶谷には紅十字紋キリシタン不動像と往昔の紀念の植樹ヤマモモの大樹が現存、俗名「切支丹畑」「礼拝堂址」の伝承があり、また安政年間現地出土宇和島藩保蔵の青銅キリスト像が此の度公表された。 これを機に一条兼定の名を此処に記して記念としたい。 同 碑 同 社 「ほとさま」と