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  • 大創出版

    物語の主人公になって、本の中を旅しよう! “きみが決める”選択は、どんな出来事や結末にたどり着くかな? ※店舗によって取り扱い、入荷の時期は異なります。 文・藤浪智之 (講談社/だんじょん商店会 講談社/怪盗クイーンはサーカスがお好きゲームブックなど) 絵・佐々木亮 (講談社/だんじょん商店会 角川文庫/バニラのお菓子配達便!など)

    • 『宮沢賢治とサハリン』

      先月に刊行された、『宮沢賢治とサハリン 「銀河鉄道」の彼方へ』(藤原浩著,東洋書店)という本を読みました。 著者は、鉄道・旅行ライターで、有名な旅行ガイドブックシリーズ『地球の歩き方』において、「ロシア」篇や「シベリア&シベリア鉄道とサハリン」篇を執筆しておられる方です。 そのような著者の専門性のおかげで、大泊(コルサコフ)、栄浜(スタロドゥプスコエ)、豊原(ユジノサハリンスク)など、賢治が訪れたであろう場所に関する案内や解説は、とても丁寧で詳細です。私のように、サハリンに憧れつつもまだその地を踏んだことのない者にとって、このわずか63ページの薄い本は、いつか実現したいサハリンへの旅の際には、ぜひとも携行したいガイドブックです。 さらにこの本には、そのような現地の案内本としての意味あいとともに、もう一つ「あとがき」において著者が次のように書いているような要素も、含まれています。 旅行ガイド

        『宮沢賢治とサハリン』
      • 百人一首の撰者は藤原定家にあらず: 忘却散人ブログ

        わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日本近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 国文学研究資料館の創立50周年記念式典の基調講演で、田渕句美子さんは、『百人一首』の撰者が藤原定家ではないという内容の講演をされ、オンラインで公開されていたため、私も興奮しながら拝聴していた。文学史を塗り替えるこの衝撃的な説は、2020年に既に論文として発表されていたようであるが、この基調講演ではじめて知った人も多かっただろう。私も噂には聴いていたが、元の論文を読んでいなかった。しかし、この説はまだまだ知られていないだろう。なにしろ、教科書の文学史を書き換えなければならな

        • ゲームブック「ファイティング・ファンタジー・コレクション40周年記念 ~イアン・リビングストン編~『巨人の影』」収録作品公開

            ゲームブック「ファイティング・ファンタジー・コレクション40周年記念 ~イアン・リビングストン編~『巨人の影』」収録作品公開
          • 源頼朝も興味津々!餅を使った坂東武者の伝統儀式「矢口の儀」を再現しちゃうぞ | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

            鎌倉時代の歴史書である『吾妻鏡(あずまかがみ)』にはこのように書かれています。 矢口の餅を用意したのは、北条義時(ほうじょう よしとき)です。一枚のお盆の左側に黒色の餅が三つ、中央に赤色の餅三つ、右側に白色の餅三つが置かれていました。餅の大きさは、長さが八寸、幅が三寸、厚さが一寸です。このお盆は三枚用意されて、頼朝様の御前に置かれました。 こんなカンジですかね……? 最初に工藤景光(くどう かげみつ)が呼ばれて前へ出てきて、蹲踞(そんきょ)しました。 蹲踞とは、当時の武士が目上の人に対して改まった座り方です。相撲や剣道の試合前の座り方ですね。 そして白い餅を真ん中に置き、赤い餅を右側に置き直しましました。 あらあら、義時が間違えちゃったんでしょうか それからそれぞれを一つづつ取って、黒が上、赤が真ん中、白が下になるように重ね、座っている左側の横に倒れた木の上に置きました。この分は山の神に供

              源頼朝も興味津々!餅を使った坂東武者の伝統儀式「矢口の儀」を再現しちゃうぞ | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
            • スヌーピーとレッドバロン

              レッドバロンは言わずと知れたドイツの撃墜王、マンフレート・アルブレヒト・フォン・リヒトホーフェン男爵です。一人だけ真っ赤に塗った 愛機フォッカーDr.I に乗り、生涯で80機以上撃墜したドイツの英雄です。軍用機は普通可能な限り目立たない塗装をしますが、リヒトホーフェンの機体だけが真っ赤に塗装され、敵のパイロットたちを動揺させる心理的効果もあったようです。撃墜王として恐れられていた存在なので、赤い機体を見た瞬間震え上がったことでしょう。 リヒトホーフェン のことは、小学6年生の時に知って大変興味を持ちました。ウィーンに住んでいた1973年頃、同じ日本人の知り合いの家族が日本から持ってきていた学習研究社 の小学5年生向けの「科学」に出会いました。そこに連載していた漫画、 平見 修二さん作、 真崎 守 さん作画の「ホモ・ウォラント」に大層感動して、夢中になって読んだ思い出があります。青年が謎の老

                スヌーピーとレッドバロン
              • 音の数に注目「八五調」を教える | TOSSランド

                北原白秋の作品を教材として,童謡でよく使われた「八五調」を教えます。2006年3月21日,卒業間際の6年生を対象に20分ほどで授業をしました。 対象学年:小5、小6

                  音の数に注目「八五調」を教える | TOSSランド
                • yasuienv.net

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                  • 江戸の人々が「エジプト産ミイラ」を薬として珍重していたワケ 単なる「迷信」というわけでもない

                    鎖国中の江戸時代に輸入雑貨屋が存在した 江戸時代は鎖国していたというが、長崎におけるオランダや中国(明→清)、釜山における朝鮮とは、かなりの大規模な交易をしている。だから、さまざまな舶来品が国内に流れ込んできており、お金さえ出せばそれらを手に入れることができた。 なんと、唐物屋といわれる、いわゆる輸入雑貨屋も存在したのである。『摂津名所図絵』(寛政八~十年・一七九六~九八)には、大坂の唐物屋の店内が描かれている。それを見ると、西洋の椅子やワイングラス、中国製の壺、孔雀の羽などが所狭しと並んでいるし、客寄せのためエレキテル(オランダの医療器具)の実験がおこなわれている。 また、寛政の三美人など美人画で有名な喜多川歌麿には「俗ニ云いうばくれん」と題した作品がある。その女性は、袖をまくり上げて二の腕をあらわにし、左手でむんずと蟹を手づかみにし、右手でワイングラスを持って酒を飲んでいる。そんな姿が

                      江戸の人々が「エジプト産ミイラ」を薬として珍重していたワケ 単なる「迷信」というわけでもない
                    • 関ケ原の前哨戦「小山評定」は史実か 家康支持の軍議めぐり研究活発|好書好日

                      「小山評定」は現在の小山市役所にあたる場所で行われたという。現地には碑が残る 小山評定をめぐる謎の一つが、7月25日とされる評定の後、「石田を討つ」と決した軍勢が西上したにもかかわらず、家康自身は8月4日まで小山を動こうとしなかったことだ。 宇都宮と往来? その理由については従来、「西国からの詳報を待っていたのでは」などとされてきたが、江田郁夫・栃木県立博物館副館長はこのほど、家康はずっと小山にいたのではなく、三十数キロ離れた宇都宮との間を行き来していたのではないか、との仮説を発表した。 江田氏がその傍証としてあげるのが、関ケ原合戦から5年後の1605年に家康が宇都宮大明神(現在は宇都宮二荒山神社)を再建していることだ。宇都宮二荒山神社には、家康の名前と征夷大将軍という官職名が刻まれた建立時の擬宝珠(ぎぼし)(手すりの柱に取り付けられた飾り)が今も残る。 「家康は小山評定の後、上杉攻めの本

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