cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日
クトゥルフ神話と登山を融合させたTPRG「狂気山脈~邪神の山嶺~」を原作としたアニメ「狂気山脈 ネイキッド・ピーク」の制作プロジェクトが進行しています。制作資金の一部をクラウドファンディングで募ったところ、目標の800万円に対して1億円以上が集まり、パイロットフィルムが作られました。マチ★アソビ vol.26では、原作者であり自らアニメ化企画を推し進めているまだら牛さんが、多くの観客を前にトークイベントを行いました。 アニメ映画『狂気山脈 ネイキッド・ピーク』公式サイト https://nakedpeak.jp/ 会場はufotable CINEMAシアター1で、座席は満席。抽選で選ばれた人が参加しました。 まずは制作ドキュメンタリーとパイロットフィルムが上映されました。この内容はYouTubeで見ることが可能です。 【配信アーカイブ】『狂気山脈 ネイキッド・ピーク』 パイロット・フィルム
『アンクル・トムの小屋』は、じつは、こんなに難解な作品なのである。子供向けの抄訳でこの作品を「読んだことがある」読者の皆さんは、原作の全訳である本書に接して、ずいぶん趣の異なる作品を読んだような印象を抱かれたかもしれない。 原作は、文章表現そのものの難解さもさることながら、奴隷制度についていろいろな側面から考察する内容が概念としてかなり複雑なのである。物語に登場するオーガスティン・サンクレア氏の懊悩のように、奴隷制度を単純に悪と決めつけるだけでは問題の解決につながらないという厄介な現実を前にして、当時のアメリカ市民は、知識人や宗教家から卑しい奴隷所有者にいたるまで、それぞれの立場でさまざまな矛盾を抱えて魂の迷路をさまよっていた。抄訳ではそうした難解な部分は大部分がカットされて、「善人で信心深い黒人奴隷トムが極悪非道な奴隷所有者の手で残虐な殺され方をしました、だから奴隷制度はまちがっています
2023年は卯年だそうです。そこで「卯」にまつわる文章を書くことにします。 「卯」という文字の字源は現在でも明らかではありません。本記事では明らかではない理由を軽く説明します。 1. 「卯」の古文字字形 「卯」という字の古い形は以下のようになっています。 「卯」字の商金文、師組甲骨文、賓組甲骨文、西周金文 ここであげた古文字は甲骨文や金文でも十二支の4番目に用いられており、現在の形(「卯」)に至る変化過程も明らかですので、これらの字が現在の「卯」字の古い形であることは間違いありません*1。 一般に甲骨文の字形は両側が「」と角ばってますが、これは効率化(甲骨に刀で刻む場合直線は書きやすく曲線は書きづらい)のために筆画が簡略化されたもので、初期の甲骨文(上掲の師組甲骨文参照)や金文の形は「」と丸まっています。 2. 『説文解字』の「卯」の説明と「表意文字の誤謬」 『説文解字』の「卯」字の項目に
漫画家・杉浦茂の全仕事を紐解くコレクション デタラメ、ナンセンス、シュール、奇想天外―― 杉浦茂を評する数々の言葉だけでも、この漫画家の異端ぶりが分かる。 戦前のユーモア・教育漫画から戦後の独特なギャグ漫画まで64年の漫画家人生を通じて膨大な作品を世に送り出した杉浦茂。 没後も未収録作品の発掘が行われ全集が再編されるなど 今もなお全容把握が進められている漫画家でもある。 このWebサイトでは杉浦茂に関わる膨大なコレクションから、 初出・再録を含めたすべての作品をまとめた。 まさに杉浦茂の「全仕事」を知るための入り口である。 このホームページについて ➡
門野(かどの)、御存知(ごぞんじ)でいらっしゃいましょう。十年以前になくなった先(せん)の夫なのでございます。こんなに月日がたちますと、門野と口に出していって見ましても、一向(いっこう)他人様(ひとさま)の様(よう)で、あの出来事にしましても、何だかこう、夢ではなかったかしら、なんて思われるほどでございます。門野家へ私がお嫁入りをしましたのは、どうした御縁からでございましたかしら、申すまでもなく、お嫁入り前に、お互(たがい)に好き合っていたなんて、そんなみだらなのではなく、仲人(なこうど)が母を説(と)きつけて、母が又私に申し聞かせて、それを、おぼこ娘の私は、どう否(いな)やが申せましょう。おきまりでございますわ。畳にのの字を書きながら、ついうなずいてしまったのでございます。 でも、あの人が私の夫になる方かと思いますと、狭い町のことで、それに先方も相当の家柄なものですから、顔位は見知ってい
[まとめ]江戸時代に読まれた一寸法師 - うきよのおはなし~江戸文学が崩し字と共に楽しく読めるブログ~ いやっふー! 妖怪だ妖怪だ。水戸藩は妖怪と縁があったとかいうウワサを聞いたことがあるのですが、どこを調べたら出てくるのか分からないのです。ご存じならぜひ。 2022/10/24 18:16 b.hatena.ne.jp ご質問の答えにはなっていないのですが、水戸藩と妖怪の関わりと言って、ふと思い出したのが、水戸黄門が八幡の藪知らずに入ったエピソードです。 八幡の藪知らずは、千葉県市川市に今でも存在する禁足地です。 このエピソードは『義公黄門仁徳録《ぎこうこうもんじんとくろく》』[江戸中後期成立か。呑産通人(呑産道人)作]が初出だと思われます。 『義公黄門仁徳録』は、現在の『水戸黄門漫遊記』のベースになった作品です。 この作品は、徳川家の人物のことを書いているので、当然江戸時代には出版する
源氏物語の各種現代語訳について少し言及しておきたい。その前に、というか、前提ともなるのだが、源氏物語原文主義というか、源氏物語は原文で読むから味わい深いのであって、現代語訳はその劣化コピーか二次作品である的な立場がある。島内景二先生も『源氏物語ものがたり』でどの現代語訳もなじまないふうに述べているが、先生自身の『新訳 うたたね』はご自身の別の場でのコメントにもあるように、アーサー・ウェイリーの影響はあるだろう。同書では、原文との対応はあえて取れない(なので、私は別途直訳も試みているが)。 こうした原文主義は西洋文学についてもいえて、英語仏語ドイツ語など原文がよいという考え方である。 こうした文脈での原文主義は私は無意味だと思う。好きな人はそうすればよい。現代語訳者や翻訳者がどのような文学的な貢献をしているかという点において、原文主義の主張者がそれにまさるのは、微細な衒学趣味であることが多い
私はムーミンが好きです。そこそこのムーミン・ファンであり、作者のトーベ・ヤンソン(Tove Jansson)のことを尊敬する人物として挙げることもあります。そして、『Tove』の日本公開を楽しみにしている映画好きで、文化人類学とクィア理論を専門とする研究者の端くれです。 ムーミンの作者トーベ・ヤンソンの伝記映画『Tove (トーベ)』(2020)の日本公開が決定し、その話題の中で彼女の私生活、とりわけ彼女に同性のパートナーがいたことに触れる記事やツイートが今後さらに増えるでしょう。 私は、トーベのセクシュアリティについて言及する際に決めていることがあります。 それは、トーベのセクシュアリティを語る上で、彼女が「男性とも女性とも恋をした」人物であるという事実を排除しない、ということです。トーベは、「私は男性とも女性とも恋に落ちてきた」という言葉を残しています。 トーベの言葉 "I alway
今年、画業20周年を迎えた漫画家の施川ユウキ。鋭利な言語感覚と発想力が光るギャグ漫画から、愛や友情をまっすぐに描いたストーリー漫画まで、無数の才能がひしめく漫画界の中でもひときわ異彩を放つ作品たちを世に送り出してきた。9月10日に刊行された『ハナコ@ラバトリー 新装版』では、初の小説にも挑戦。多くの漫画好きを唸らせるユニークな作風はどのように生まれ、“心に深く刺さるもの”へと進化を遂げていったのか。インタビューを通じて、デビューから現在に至るまでの20年間を振り返る。 ――画業20周年おめでとうございます。せっかくの機会ですので、デビュー前に作品を投稿していたころのお話から伺えますか? まず愛読していた『週刊少年ジャンプ』に投稿したんですが、これは全然ダメでした。次いで落選しても寸評を添えてくれるという『週刊少年サンデー』にも送ってみたんですけど、いざ原稿が返ってきたらなにも書いてなくて「
2019年10月25日、国立国語研究所は、「語彙研究文献語別目録」の全文テキストデータの公開を発表しました。 「語彙研究文献語別目録」は、佐藤喜代治氏編『講座日本語の語彙別巻』(明治書院、1983年)所収の目録であり、個々の語にどのような研究文献があるかを語別に検索することが可能です。今回、「編集のことば」「あとがき」と凡例はPDF形式で、目録はExcel形式及びTSV形式で公開されています。 なお、「語彙研究文献語別目録」の公開ページ上の記載によれば、全文テキストデータの二次利用条件はクリエイティブ・コモンズ・ライセンスのCC BY-NC(クリエイティブ・コモンズ 表示 – 非営利4.0 国際ライセンス)となっています。 2019年度のニュース一覧(国立国語研究所) https://www.ninjal.ac.jp/newsyears/2019/ ※2019年10月25日付けのニュースに
[インタビュー]スウェーデン生まれのクトゥルーもの「Kutulu」はいかにして生まれたか。制作者・Mikael Bergström氏に聞く,北欧TRPG事情 ライター:森瀬 繚 2023年3月4日,テーブルトークRPG「Kutulu」の公式ミニコンベンションが,東京・秋葉原のviviONの本社で開催された。 「Kutulu」は,ミステリーものにフォーカスした取り回しの軽いルールが特徴の,スウェーデン発のテーブルトークRPGだ。「クトゥルフ神話TRPG」や「暗黒神話TRPGトレイル・オブ・クトゥルー」などの先行製品と同じく,20世紀前半のアメリカ人怪奇小説家H・P・ラヴクラフトが創造した“クトゥルー神話”の世界観をベースにしている。 2022年4月27日に日本語版ルールブックが発売されたのを皮切りに,公式サイトにてさまざまなシナリオが発表されているほか,「現代日本ソースブック」「Kutulu
吉原遊郭は、浅草寺から北に約1キロのところにありました。現在の東京都台東区千束3~4丁目にあたります。 こちらは江戸時代の地図。左上にある、四角で囲まれている場所が吉原遊郭です。 吉原遊郭の周囲は緑色になっていますが、これは田んぼであることを示しています。吉原遊郭は田んぼに囲まれているという、不便な場所にあったのです。 こちらは二代広重の「東都新吉原一覧」。吉原遊郭をはるか上空から見下ろした作品です。遊郭の周囲が四角く囲まれ、その外には田んぼが広がっていることが分かります。 この吉原遊郭に行くには、どのようなルートを通っていくのでしょうか。さまざまな方向から向かうルートがあるのですが、今回は舟を使う人気のルートをご紹介しましょう。 江戸の中心地から吉原遊郭へ行く場合、まずは猪牙舟(ちょきぶね)に乗って隅田川を北上するのが便利な方法でした。猪牙舟とは、舳先が猪の牙のように細長く尖った、2~3
獅子心王ことイングランド王リチャード1世(在位1189~1199)が自身の剣に伝説のアーサー王の愛剣と同じエクスカリバー” Excalibur ”と名付けていたという説が広く知られている(注1)。本当だろうか?結論から言うとリチャードが持っていた剣はエクスカリバーではなくカリバーンであった。以下まとめ。 アーサー王の剣中世ウェールズの伝承を集めた「マビノギオン」に収録されている「キルッフとオルウェン(キルフーフがオルウェンを手に入れたる次第)」(1100年頃成立、注2)に、アルスル(アーサー)の剣として「カレトヴルッフ(カレドヴルフ、ウェールズ語”Caledfwlch”または”Caletuwlch / Kaletvwlch”)」(注3)という剣が登場する。 ウェールズ伝承を元に、アーサー王物語を描いた「ブリタニア列王史」(1136頃)を著したジェフリー・オブ・モンマスは「カリブヌス(ラテン
「積読(つんどく)」という言葉はいつから使われているのか。江戸時代からあるとインターネットで見たが、出典がわからない。 積読について、残念ながら初出は特定できなかったが、江戸時代の用例は複数見出せた。 調査過程と主な資料を以下に紹介する。なお、資料1,2は都立多摩図書館所蔵資料、それ以外の資料は都立中央図書館所蔵資料である。 また、「国立国会図書館デジタルコレクション」( https://dl.ndl.go.jp/ )において、資料1は図書館・個人送信、資料10はインターネット公開されている。 まず、手がかりを得るためにGoogleをキーワード<積読 江戸時代>で検索すると、情報1の個人ブログ記事が見出せた。 情報1 「「積ん読」の語誌」(OKAJIMA_Akihiro’s blog) https://okajima-akihiro.hatenadiary.jp/entry/2009010
文芸評論家の北上次郎氏が、2023年1月19日、肺がんのため逝去されました。享年76。葬儀は近親者のみにておこない、後日、お別れの会をとりおこなう予定です。 1946年東京生まれ。明治大学卒。1984年、『冒険小説の時代』で日本冒険小説協会大賞最優秀評論大賞を、1994年、『冒険小説論 近代ヒーロー像100年の変遷』で日本推理作家協会賞評論その他の部門と日本冒険小説協会大賞最優秀評論大賞を受賞。 北上次郎名義のほか、本名・目黒考二として《本の雑誌》を創刊、藤代三郎名義では競馬エッセイストとして、幅広い分野で活躍しました。 北上氏と弊社とは、1970年代終わりから《ミステリマガジン》で冒険小説の大ファンとしてお付き合いが始まり、同誌の連載をまとめた『冒険小説論 近代ヒーロー像100年の変遷』や『感情の法則』、『息子たちよ』の著作のみならず、多くの解説やミステリ評論、書評、雑誌の特集企画などで
久しぶりのマイ書評。老眼の進行とともに読書量が極端に落ちている。 もう十年以上前になるが、急性仏教かぶれを発症して仏教関係書をいろいろ読んだことがある。 仏教の篤信者として知られた中国南朝梁の皇帝・武帝についても知りたくなって関係書を検索したが、ヒットした一冊の森三樹三郎『梁の武帝―仏教王朝の悲劇』は版元品切れで確かAmazonマーケットプレイスではとんでもなく高値が付けられていたのだった。 その時は代わりにつか吉川忠夫『侯景の乱始末記──南朝貴族社会の命運』(中公新書)というのを読んだのだった。これはこれで好著でたいへん面白く読ませていただいた。 www.watto.nagoya なおこちらも中公新書版は版元品切れで、志学社からの復刊が新刊で手に入るようだ。 侯景の乱始末記──南朝貴族社会の命運 (志学社選書) 作者:忠夫, 吉川 志学社 Amazon 面白いなんて書いたがそれは国と時代
こんにちは、暖淡堂です。 ゆーりんちーです。 Youtubeの「有隣堂しか知らない世界」、フォローしています。 www.youtube.com 「有隣堂しか知らない世界」で、ものすごく好きなシリーズ企画があります。 それは「J-Popを古文で歌う」。 そもそも、今は誰一人として古文で話したりしていないです。 短歌を書く人はいても、和歌はその道の人だけ。 (短歌もそうかな…) なので、学校の教室で聞くことはあっても、普段耳にすることはほぼない。 「源氏物語」が好きでも、平安時代の言葉で話そうとする人はいません。 (いるかな…) 百人一首は、好きな人の間での暗号のようなもの。 (違うか…) そんな古文で、J-Popを歌ってしまうのが凄い。 そもそもそんなことを思いつくのが凄い。 ちなみに歌うと、よく覚えられるので、古文の勉強になりますね。 で、これまで何曲が紹介されているのですが、そのうちの暖
新連載のお知らせです。 普段はこういう告知みたいなことはあまり書いたりしないのですが、今回はかなり特殊な事例なので最初に説明があったほうがいいかもしれないと思いまして、ここに書きます。 端的に言いますと、ロシアからとあるコミックが届きまして、その日本語翻訳をはじめることにしたのです。 ちょっとだけ紹介しますので、よかったらお付き合いください。 その作品の名は『Sobakistan(サバキスタン)』(露語表記『Собакистан』)といいます。 【追記】2023年8月に本が出ることになりました! 単行本について詳しくはこちらに書いています。 https://note.com/inocotokyo/n/na06a3996c281 第1巻が8月9日に発売されます。日本版ブックデザインは森敬太さん。ロシア語で「Cобака」(サバーカ)とは犬、「スタン」は中央アジア地帯で「国」を表す言葉なので、
今年35周年を迎えた「かいけつゾロリ」シリーズ。7月12日に71巻『かいけつゾロリ にんじゃおばけあらわる!』が発売になりました。 読書が苦手な子も「かいけつゾロリ」だけは読むといわしめるシリーズの作家はどのように生まれたのでしょうか。原ゆたか先生に、子ども時代から作家になるまでの足跡をふりかえっていただきました。 最新刊「かいけつゾロリにんじゃおばけあらわる!」子ども時代 物心ついた時にはすでに絵をかくのが好きでした。よく絵をかいたり、紙でなにかつくったりしていたようです。そのせいか、小さい頃から絵を習わせてもらうようにもなりました。 読み聞かせもよくしてもらったので、小さい頃は本も好きでした。 でも、学校に通うようになって、学校ですすめられた本があまりおもしろくなくて、本がきらいになった時期もあったんです。 テレビや映画とちがって、本は自分で能動的に読まないとお話が進まないですよね。す
昔の中国語の発音 私の研究室があるお茶の水女子大学の建物は、だいぶ老朽化が進んでいる。特に授業の行われる教室が並ぶ3階はなぜか吹きさらしになっており、ひときわ傷みが激しい。初めて赴任してきたときには、「ここを開けておくと冷蔵庫になります」「ハクビシンが入ってきます」という張り紙も目に入り、軍艦島の廃墟に来たのかと思った(なお、教室の中だけは改修してあるからきれいだ)。 ところで、私が現在入っている部屋の前任者の前任者は、頼(らい)惟勤(つとむ)先生だったと聞いた。頼先生は『日本外史』などで知られる江戸後期の大学者・頼山陽の直系の子孫である。すでに亡くなられて久しいが、YouTubeに孟子の素読を行う音源が上がっている。本来、素読とはこのように節をつけて読むものだったことがわかる。 その頼先生が専門としていたのが音韻学で、私も大学生のときにご著書『説文入門』『中国古典を読むために―中国語学史
はじめに 「歴史的仮名遣い」と「現代仮名遣い」 国家意識と国語表記 歴史的仮名遣いの原理 国語改革1 占領軍の権力を背景に 国語改革2 さしあたっての漢字制限 国語改革3 さしあたっての仮名遣い 国語改革4 定着と忘却 本ブログの仮名遣い 書籍案内 はじめに このブログでの日本語の書きかた、ぼくの「仮名遣い」はヘンテコです(政治年表は公共性を意識して例外的にふつうに書いてゐます)。「住んでゐます」とか「まづ、はじめに」とか、一般には見られない書きかたをしてゐます。ちょっと古臭い印象をうけるかもしれません。「ゐます」や「まづ」という書きかたは、戦前につかわれてゐた「歴史的仮名遣い」によるつづりかただからですね。これが「国語改革」によって「います」および「まず」と書くようになりました。 「ゐます」や「まづ」と書きながら、上段の文章において「つかはれて」や「書くやうに」とは書いてゐません。そこは
Library Lounge みすずLounge & Bar 当宿自慢の「みすずLounge & Bar」はみすず書房の社主が茅野市の出身であり、また「岩波文庫の回廊」は、同じく岩波文庫の創業者も諏訪市の出身であることから、 出版事業を通して日本の文学、哲学に多大な功績を残し続けていることを誇りに思い、その名を冠したスペースを創りました。 皆様にも文化の華咲く土地を感じて頂きたく、約3万冊の蔵書を取り揃えてお寛ぎのひと時に、ワインやウィスキーを片手に愉しんで頂けたらと思っております。 岩波文庫の回廊 あなたも若かりし頃にきっと何冊かは読んだであろう、岩波文庫。あの頃の懐かしい1冊を手に取るもよし。新しい発見に湧き踊る1冊を見つけるもよし。
天智天皇から順徳院まで100人の歌を1首ずつ集めた『百人一首』は、かるたで広く親しまれ、漫画や小説の題材にもなっている。その撰者(せんじゃ)は、鎌倉時代前期の歌人・藤原定家(1162〜1241年)というのが、一般的にはほぼ通説かもしれない。だが、第一線の和歌研究者16人による最新の論集『百人一首の現在』(青簡舎)を読むと、そうとは言えないようだ。編著者の一人、田渕句美子・早稲田大教授(65)に聞いた。 (北爪三記) 「もう何年にもわたって考えてきて、やはり撰者が定家とはとても思えない、と。ただ、すごく大きなテーマなので、最初に言うのはかなり勇気が必要でした」。田渕さんが、二〇一九年の研究会での発表と、それに続く翌二〇年の論文刊行当時を振り返る。 『百人一首』の成立に関する手掛かりの一つは、定家の日記『明月記』。一二三五年五月二十七日に、定家が「古来の人の歌各一首」を蓮生(れんしょう)(宇都
まずは結論。下記のような流れ まずは結論です。現状分かっている「テレレレッテレー」の生まれたタイミングと、なぜ誤用されたのかなの仮説です。詳細説明を後述していきます。 「てれれってれー」はどんな音? まず芸人のやる「てれれれってれー」とはどんなメロディか。実際の音を作りました。下記のようなものです。 「ソドミソッミソー」という感じです。(芸人によって揺らぎがありますが、概ねこんな感じです。) 皆さんも聞いた事あると思います。「たたたたったたー」「ちゃらららっちゃらー」など表現はまちまちですが、メロディは同じです。なぜか皆これをドラえもんの効果音としてマネするのです。 実際のひみつ道具はどんな音? 「テレレレッテレー」誤用は大山ドラ時代から見られたものなので、実際のひみつ道具の音は大山ドラ基準で説明していきます。 言葉にすると「ピコン!ピシャピシャピシャピシャ!」「シュパシュパシュパシュパ」
4月5 中島隆博『中国哲学史』(中公新書) 7点 カテゴリ:思想・心理7点 「哲学」というと、どうしても西洋のものということになり、中国や日本のものは「思想」という形で括られることが多いですが、本書は、あえて「哲学」という言葉を使い、西洋哲学や仏教との比較や対話も試みながら、中国哲学の歴史を描きだしてます。 中国の思想を紹介する本は数多くありますが、基本的には諸子百家を中心にそれぞれの違いなどを論じたものが多いです。そうした中で、本書は、中国内の関係(例えば孔子と老子)だけではなく、中国の外から来た思想との関係(例えば儒教と仏教、キリスト教)を見ていくことで、より立体的な中国哲学の姿を構築しています。 索引なども入れれば360pを超える本で、内容的にも難しい部分を含んでいるのですが、今までにないスケールで中国の思想を語ってくれている本であり、中国社会を理解していく上でも興味深い論点を含ん
稲生神社は、 広島市南区の南区七大伝説の一つ、 先日の河童猿猴伝説に次いで「妖怪伝説」のある神社です。 稲生神社は、 三次の妖怪話として有名な稲生物怪録(いのうもののけろく)! 妖怪を退散させた稲生武太夫(いのうぶだゆう)が祭られています神社です。 こちらの稲生神社は、いのう神社ではなく、いなり神社と読みます。 広島県三次市では、稲生物怪録に稲生武太夫の武勇伝が書き残されていて、 三次市では、この伝説を元に世界妖怪会議が行われているそうです。 その稲生武太夫を祭られています稲生神社は、妖怪を退散させたことから、魔除け・強運を招く神様と言われています。 稲生武太夫公は、浅野公の仕官で藝州藩指南役で、妖怪退治に数々の伝説を残しています。 忠誠を誓った妖怪から授かったといわれる木槌を終生肌身離さず天下天上のために使ったといわれています。 その木槌は、東区山根町の國前寺に残されています。 國前寺に
ぼくはしなない ぼくは しぬかもしれない でもぼくはしねない いやしなないんだ ぼくだけは ぜったいにしなない なぜならば ぼくは じぶんじしんだから(・・・・・・・・・) (岡真史『〈新編〉ぼくは12歳』ちくま文庫、1985) こんばんは。先日、授業でコラボしている大学の先生が、新年会の席でこんなことを言っていました。曰く「人間だけが、死ぬことができる」云々。それから、同じテーブルを囲んでいた某・作家さん曰く「臨床にはエロスがある」云々。臨床 ≒ 現場です。 種々、考える。 こういった言葉に反応してしまうのも、人間だからでしょう。人間以外の動物は、自ら命を落としたり、ジョルジュ・バタイユのエロティシズム論に反応したりしません。人間だけが思考を止めることができない。なぜならば、人間は、考える葦だからです。 新編 ぼくは12歳 (ちくま文庫) 作者:岡 真史 筑摩書房 Amazon 岡真史く
吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授) 日本の国歌に制定されている「君が代」について、みなさんはどの程度のことをご存じですか。ここでその歴史を少しばかりたどってみましょう。まず出典ですが、一番近いのは『古今集』賀の巻頭にある、 我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで(343番) です。これは題知らず・読人知らずの歌ですが、年賀に天皇の長寿を讃美・祝福したものと考えてよさそうです。なお初句は「我が君は」とあり、「君が代」という本文異同は認められません。 この歌は、以後いろんな歌集に再録されます。その一つが『和漢朗詠集』ですが、その鎌倉時代の写本に初めて「君が代は」本文が登場していますが、主流は依然として「我が君は」でした。それが江戸時代になると、狭義的・主観的な「我が君は」より広義的・客観的な「君が代は」の方が使い勝手がよいということで、広く流布していきました。この「我が君
2020年に新学習指導要領が導入されてから3年。 小中の英語教育に混乱が起きているようです。 AERA 2023年5月15日号に掲載された記事が、Yahoo!ニュースに取り上げられていました。 dot.asahi.com dot.asahi.com 主に、小中の連携が取れていないことが原因として、 小学校の英語はコミュニケーション重視で読み書きはやらないにもかかわらず、小学校の教科書に出てきた英単語約700語は「既習」となる。 中学校へ進学する前に、英語の基礎的な学習を終えていることが前提。 中学校で習う単語は1200語程度から、1600~1800語程度に増加。(小中合わせて2800〜3000語になる) 会話文を何となく言えても、英文そのものを理解していない。 中学校の授業はオールイングリッシュが基本となっていて、無理がある。 中学のテストの平均点は下がり気味、成績分布は『ふたこぶラクダ』
米国防総省が「未確認飛行物体(UFO)」の映像を公開したことから、UFOの存在に再び関心が集まっている。日本では江戸時代、茨城県にUFOが漂着した? 不思議な乗り物が描かれた古文書を手掛かりに、当時の「うつろ舟」伝説の背景とUFOとの関連性を研究する田中嘉津夫さんに話を聞いた。 田中 嘉津夫 TANAKA Kazuo 岐阜大学名誉教授。1947年生まれ。専門は光情報工学。大学では専門科目の他に、教養科目で「懐疑思考 (Skeptical Thinking) 」を講義した。「うつろ舟」伝説研究の第一人者。2009年に加門正一のペンネームで『江戸「うつろ舟」ミステリー』(楽工社)、19年英語の研究書『The Mystery of Utsuro-bune』 刊行。海外にうつろ舟伝説の面白さを伝えることに意欲的な一方で、毎年岐阜大学の市民講座で研究成果について講演している。 享和3年(1803年)
コンテンツへスキップ 青龍山茂林寺。分福茶釜の寺として知られる当山は、 応永三十三年(1426年)、大林正通大和尚によって 開山された曹洞宗寺院です。 ➡ 行事のお知らせ・周辺案内 茂林寺の歴史 分福茶釜と茂林寺 境内のご案内 拝観のご案内 交通案内
エンタメ消費の高レベル化が止まらない kansyomazo.booth.pm note.com ここ最近になってから、オタク文化評論界隈の高学歴化が急激に加速していると思う。例えば「大阪大学感傷マゾ研究会」「早稲田大学負けヒロイン研究会」とか言った「研究団体」が、Twitterやnoteで注目を集めている。また、名前は書かないが、立命館大学の博士課程院生や日本大学の非常勤講師で、アニメについて研究している人が同じくTwitterで活躍していたりもする。私よりも学歴が高い人々がオタク文化について研究し、界隈で強力なコロニーを形成していると感じる今日この頃である。 私は先月、暇潰しに東京大学美学芸術学研究室のホームページを閲覧した。そして学部生の卒論を覗いてみたら、予想を裏切る内容だった。令和の東大生の卒論の題名がなんともおちゃらけ…ゲフンゲフンポップな内容だったからだ。 「ビデオゲーム作
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