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  • 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への対応では先進国間の差はあまりないだろう: 極東ブログ

    新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への対応について、ジャーナリズムとしては、政局の文脈、つまり、現政権批判という文脈で語りたくなってしまうものだろうなとは思っていたので、たまたまだが、Yahooブログの木村正人・在英国際ジャーナリストさんの記事『新型コロナで浮き彫りになる安倍首相の“独り相撲” 英首相は科学主導の三人四脚 どちらが立派?』(参照)を見かけたときは、まあ、そういう記事を書きたくなるものだろうなとは思った。こういう話にしていた。 イギリスではパフォーマンス好きのジョンソン首相でさえ医学と科学に頭を垂れ、チームプレーに徹しています。欧州連合(EU)加盟国とは異なるアプローチをとるホウィッティ主席医務官とヴァランス政府首席科学顧問からは科学に基づく確固たる自信がのぞきます。 不安を覚えるのは安倍政権の政策決定にどれだけ科学的知見が生かされているか、です。新興感染症の流行に

    • 新潮社の雑誌『波』2020年5月号に岡田尊司著『ADHDの正体』の書評を書きました: 極東ブログ

      4月28日に発売の新潮社の雑誌『波』2020年5月号(参照)に岡田尊司著『ADHDの正体』の書評(というか感想)を書きました。以前、岡田尊司先生の『人間アレルギー』の文庫について一筆したことがあり、その関連で同じく岡田先生がADHDについて詳しい本を書くのですが関心ありますかと言われ、自称大人のADHDの私は当然関心を持ったという次第。 目次より 岡田尊司『ADHDの正体―その診断は正しいのか―』 finalvent/その症状、本当に「大人のADHD」ですか 以前から、岡田先生はDSM-5について何か興味深いことを書きそうだなという予想を持っていたので、その期待も含まれていた。実際、読んでみたら、どんぴしゃり(昭和用語)だった。驚いた。 率直に言って、「大人の発達障害」「大人のADHD」というもの、さらに、DSM-5と聞いてびびっと来た人は読んだほうがいいと思う本だった。さらに率直に言えば

      • アニメ『ゆるキャン』: 極東ブログ

        アニメ『ゆるキャン』が面白かった。が、どう面白かったのかと言うために、実に、奇妙な感覚を強いられる。 優れた作品か?と問い直して、やはり、もにょる。それほど優れた作品ではないけど魅力的、とでも言いたい気もするが、そうでもない。絵もそこそこきれいだし、コンセプトとかキャラもいい、と言えばば、それもそうなのだが、それでも、もにょる。友情? 女子トーク? まあ、そういう何かではない。 学習漫画『キャンプ入門』というのでもあれば、それに近い気もするし、特段、深いコンセプトがあるわけでもない。 なんというのだろうか。 まず……、私はびっくりしたのだった。 女子高生が一人で冬にキャンプってするのか? 昭和な私には、ありえねーと思ったのだが。危険じゃないのか。いや、危険じゃないし、別に女性高校生が一人キャンプに行ってなにが悪いわけでもない。ただ、昭和時代にはそれは実質無理だったのではないか。いい時代にな

        • [書評] 馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。(藤森かよこ): 極東ブログ

          著者の藤森かよこさんは、リバタリアンのアイン・ランドの研究者なので、彼女の思想を藤森さんの生き方に重ね、現代日本という文脈に合わせた一般向けの書籍だろうなと期待して読んだ。が、半分くらいまではアイン・ランドは出てこない。出てきたときはさすが研究者だなと思うようなとんでもない逸話が出てきてびっくりした。 というわけで、前半は、概ね、知的な65歳の現代女性で、いわゆるリベラル的な圏内の呪縛のない、言い方は悪いが、現実的なおばちゃんが、実際には8割がたを占めるであろう馬鹿ブス貧乏女性に、本当に愛を込めて書かれた教訓本である。現実と彼女の人生に裏付けられているので説得力がある。その分、通俗的だが、そうした通俗性を捨象すればフェミニストの上野千鶴子さんとよく似たタイプのフェミニズムの入門書でもある。特にそうした面では、レイプ後の具体的な対応についてかなり踏み込んで書かれていて、若い女性は読んでおくほ

          • 即位礼正殿の儀のこと: 極東ブログ

            朝、NHKの番組表を見ると、ほとんど終日、即位礼正殿の儀の番組なので呆れた。平成の時もそうだったろうかと思い出そうしたが、記憶が今ひとつ曖昧だった。30年前と違いは、いろいろあるだろうが、そうだな、ネットの反応、特にSNSの反応というのも大きな違いなるにだろうと思った。 ネットを覗くと案の定、関心を持つ人は多そうだった。天皇を好意的に受け止める人がこうも増えたものかと思い、こうした傾向は日本ナショナリズムの一つの達成でもあるのだろうなと他人事のように思い、なんの気なしに私もつぶやいた。 皇室が偉いというのは、国民国家意識が芽生えた江戸時代にできたもんだと思う。 それが、プチ炎上した。というか、罵倒を数多くいただいた。概ね、間違っている、歴史も知らないのか?、古典を読め、バカじゃね、といった類で、簡素なものだった。まあ、Twitterにありがちなことだし、その人たちに、①朱瞬水から水戸学の流

            • [書評] 自閉症は津軽弁を話さない リターンズ: 極東ブログ

              本書『自閉症は津軽弁を話さない リターンズ ---コミュニケーションを育む情報の獲得・共有のメカニズム』は、本書でも当然触れているが3年前に出された『自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く』の続巻とも言える。内容は、この現象、つまり、自閉症は方言を話さないという現象についての、学際的な広がり、実態報告、実証研究などであり、さらに、方言を話す自閉症についても言及されている。小説ではないので、ネタバレにもならないだろうが、本書の結語とも言えるのは、《自閉症と方言、解くべき謎はまだ残されているようです》ということだろう。この領域に関心を持たざるをえない私としても、全容はつかめていないように思えた。 まず、もっとも重要であり、議論の前提となるのは、「自閉症は方言を話さないという現象」である。前著に研究経緯があり本書でも言及されているが、概ね実証レベルでその現象がまずもっ

              • はてなの空気って変わったよね?

                新型コロナウィルスの流行で家で過ごす時間が長くなったので、暇を持て余して学生の時以来15年ぶりくらいに長時間はてなに入り浸っている。相変わらず、リアルの職場や友人とは話さないであろうネタが多くていい気分転換になるのだが、気になったのが、「全体的に話題が浅く内向きになった?」感だ。あまり上手く説明できないので箇条書きにするとこんな感じ。 ・海外情勢の記事減ったよね?2000年代半ばだとシリコンバレーの文化や流行みたいなの記事が結構あったような。梅田望夫氏とか人気だったよね?今だと中国のIT企業の裏側とかのネタもっとあってもいいと思うけど、俺の観測範囲では見ていない。 ・経済の話題が出なくなったよな?経済だと昔はリフレ派の主義主張を結構見た記憶が。最近だとMMTの話題や各国の中央銀行のコロナの経済対策とかの話題がありそうでない。 ・科学技術もそうで、惑星探査機はやぶさに、地球シミュレータ、PS

                  はてなの空気って変わったよね?
                • [映画] 天気の子: 極東ブログ

                  新海誠監督のアニメ映画『天気の子』を見た。美しく、素晴らしいアニメ映画だった。ストーリーやメッセージ性、世界観も表面的にはそれほど難しくはなかった。幅広い年代が見ることができるわかりやすい映画といってもいいだろう。だが、他方、それゆえにかもしれないが、私は、ある微妙な困惑も覚えた。それがなんであるかは直感的にはわかっていたが、うまく思いにまとまってこない。二点ある。 困惑の焦点は、私がこの作品をとてもパーソナルに見てしまったということだ。私の感動のツボはおそらくこの作品を見た多数の人と異なっているだろうと思う。が、にも関わらず、この作品の核心を受け取ったという奇妙な確信に由来する。それはとても簡単な形もしている。ある一つのシーンに集約される。 その前にネタバレにならないよう、ごく簡単に物語を紹介しておこう。主人公は離島(神津島)で暮らす高校1年生の森嶋帆高(もりしま ほだか)。島の閉鎖的な

                  • 日産自動車元会長・カルロス・ゴーン被告の国外逃亡: 極東ブログ

                    年末、日産自動車元会長・カルロス・ゴーン被告の国外逃亡という珍事というか、洋ドラのような話を聞いて、そう、まさに、洋ドラのように面白いなあと思ったのが、第一印象である。いやあ、まじでそういうことがあるんだなと。もちろん、保釈中に国外逃亡という事例が今回初めてというわけではないにせよ、これはさすがに面白すぎるだろう。 で、面白ろがっていていいのかだが、日本の国法に対する挑戦であり、日本国としては真面目に向き合っていかなくてはならないのは確かだ。が、現実問題、もう済んでしまったことであり、まあ、レバノンという国を考えれば、昭和な人の思いなら当然というべきか、もうどうとなるものでもない。ゴーン被告はもう晴れて自由の身というに近い。 さて、呑気なブロガーとしてこれをどう思うかというのを簡単に書いておきたい。というか、それなりに、正月でもあり、この問題をどう考えるべきか、と、おせち料理をつまみながら

                    • パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』をまだ「向こう側」に感じる: 極東ブログ

                      イタリアの小説家(物理学博士でもある)パオロ・ジョルダーノによるエッセイ『コロナの時代の僕ら』が、4月24日に発売されるが、それ以前に、緊急事態宣言が出された現在、日本において広く読まれるべき、として、noteに特別公開(12日19時まで)されていた(参照)。読んだ。 懐かしい奇妙な感覚がした。若い日に悩んだ離人症的な世界の感覚である。それは風景の透き通った「向こう側」あるという感覚である。 日本でも新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の問題が社会的に深刻化され、緊急事態宣言も出され、人々が外出を実質禁じられ、日常の風景まで変わったようでいながら、それでも、メディアを通してイタリアやアメリカなどを見ていると、まだまだ対岸の火事のように思えてくる。だから、「向こう側」なのかというと、そういうことではない。むしろ、今その「向こう側」にすっぽり包まれているのに、なぜか実感できない、という

                      • 捕鯨問題、終わりの始まり: 極東ブログ

                        世界を騒がせてきた、日本の捕鯨問題だが、これで、つまり、商用捕鯨の開始によって、終わりを迎えることになるだろう。つまり、捕鯨問題の終わりが始まったのである。 朝方、ツイッターで気軽に、こんなTweetをした。「そう言えば、商業捕鯨なんだけど、これを機に助成金が減り、クジラ肉はマーケットに委ねられる。つ・ま・り、捕鯨文化の安楽死なんじゃないかと思うが、そういう論調を見かけず。仕方ないからブログに書くかな。」 とは言ったものの、「捕鯨文化の安楽死」なんて物騒な言葉を使うと、そこだけ注目されて不用意な炎上を招きかねないので、とりあえず、なぜ捕鯨問題が終わるのかという道筋だけ簡素に述べて、炎上しかねないキーワードは自主規制しておくかなと思っていた。 それと、再考にするに、私が見てないだけで、きちんとした論評もあるかもしれない。そもそも私が書くような話でもない。が、そこは素朴に市民の複数の声として、

                        • シンプルな仮説と複雑な説明について: 極東ブログ

                          私は物事をできるだけシンプルに考えようとしている。オッカムの剃刀である。 Pluralitas non est ponenda sine neccesitate. Frustra fit per plura quod potest fieri per pauciora. (必要でないなら複数を想定すべきではない。より少なくて済むことを複数にするのは無駄である。) 一般的には、「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」ということで、事象を説明するのに、1つの仮説で済むなら、2つ以上の仮説を使うことは劣る、ということ。科学的説明の基本ともされる。 が、そこで前提とされるのは、オッカムの剃刀は、仮説の是非を問うものではないということだ。仮説の正しさを保証しない。突き詰めれば、趣味と言っていいかもしれない。 常識的に考えても、自然界や社会の事象は複雑で、単純な仮説で説明でき

                          • 〈物語シリーズ〉という物語: 極東ブログ

                            先日ネットで「アニメ〈物語〉シリーズ10周年」という話題を見かけた。私がこの物語をアニメで見たのは、近年のことなので、10年前のことは知らない。調べると、2009年7月に始まり、最初のクールの12話はその9月から10月に終わった。これで10年というのもうなづける。と、ブログの記事を書いてみたいと思ったのは、この物語の複雑さについてである。 私がこのアニメを知ったのは、たまたま「ひたぎエンド」の一部分を見たことだ。アニメ表現のある種の異常さ、物語の異常さ、キャラクターの異常さ、そうした異常なるなにかが、どうしてできたのだろうかと疑問に思ったのである。 そしてこの物語を知りたいと思った。が、まず最初に当惑したのが、物語の始まりがどこにあるのかわからないことだった。そんなことはない、アニメの最初は10年前だろうということはわかる。これが、『化物語』である。ヒロインである戦場ヶ原ひたぎが登場し、彼

                            • [書評] 存在消滅(高村友也): 極東ブログ

                              著者の高村友也さんから著書『存在消滅』をいただいた。高村さんは、このブログで私が死の恐怖に絶叫する話を読まれ、共感されたらしい。まあ、そういう人が世の中にはいるのだ。 本書にも登場するが哲学者・中村義道が哲学者・大森荘蔵に哲学の門を敲いたときも、ようするにこれだった。死の恐怖である。大森は、たしかこう言ったらしい、「あの、お腹のそこにずどーんとくるやつですね」と。正確な言葉ではないが、死の恐怖というものを味わった人間ならたぶんお馴染みだろう。 私の場合は、ブログにも以前書いたが、世界がぎらぎらしだすというのがある。薄暗い寝室で眠れず、死の恐怖が極まると、世界がぎらぎらと輝き出す。目をつぶる。絶叫することもある。死の恐怖というのは、まじで来るもんだ。高村さんは、本書で「呼吸ってどうするんだっけ」的なことを書かれている。 これに解決はあるか。 ない。 本書が、いい本だなあと思ったのは、そのこと

                              • 最近ニュースになっていた「あおり運転男」はニュースの価値があったのだろうか?: 極東ブログ

                                世間を自分の目で見て回ることには関心があるが、メディアを通して語られる世間のニュースにはあまり関心がない。さすがにそれでは生きにくいので、NHKの7時のニュースは見るようにしているが、それでも見るに耐えないニュースがけっこうある。事件被害者のプライバシーを延々とドキュメンタリー風に語るのとか。 執拗に出てくるニュースは意識にのぼる。最近でいうと、「あおり運転男」である。具体的には、18日に逮捕された、宮崎文夫容疑者(43)である。逮捕されて一連話題が終わっているのかもしれないが、このニュースに私はほとんど関心を向けてこなかった。今に至るも、これがなんでニュースだったのかよくわからないでいた。 振り返ってみる。現時点で探れる一番古いニュースは、これだ。 常磐道 あおり運転受けて殴られる 傷害などの疑いで捜査 2019年8月16日 16時22分 今月10日、茨城県守谷市の常磐自動車道で、24歳

                                • 東京高検・黒川弘務検事長、賭けマージャンの変な感じ: 極東ブログ

                                  東京高検・黒川弘務検事長(63)が朝日新聞社員(元新聞記者)と産経新聞記者2名と、5月1日と13日と二度にわたり、産経記者宅で賭けマージャンをした疑いがあると週刊文春が報じた(参照)ことを受けて、黒川氏が辞任することになった。世間的に考えれば、検事長ともあろう人が違法な賭けマージャンをするのは許せない、ということなのだが、なんとも変な感じがする。最初にお断りしておくが、私は黒川氏を擁護する気はまったくない。それと、彼が安倍晋三首相と密接な関係があるとも思ってないがその仮想文脈で安倍政権を支援する気も毛頭ない。ただ、世間に生きた人間として、なんだろこれ?と思う。 まず、賭けマージャンは、賭博罪(刑法第185条第2項「賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、三月以上五年以下の懲役に処する。」)で違法である。私はやったことないが(そもそもマージャンが嫌いだしできない)、他方、雀荘での

                                  • 東京都と隣接4県での不要不急の外出の自粛の、この時点の感想: 極東ブログ

                                    昨日26日、小池東京都知事は、隣接する4県、神奈川、埼玉、千葉、山梨の知事とともに市民社会に向け、人混みへの不要不急の外出自粛を要請した。 私はどう思ったか。まあ、週末は気温も下がり雨模様なので最後の桜を楽しむといった天候でもないから、おうちにいるのも無難だろうかとは思った。 もちろん、買い物や散歩(ランニングとかも)まで自粛せよというものではない。一人静かに雨の花見もよいものだろう。俳句の季語でいうなら、「花の雨」「雨の花」といったところだ。 日本国政府に目を向けると、安倍首相は、今日27日の参院予算委員会で東京都内の新型コロナウイルス感染者急増を問われ、「仮にロックダウンのような事態を招けば、わが国の経済にもさらに甚大な影響を及ぼす」と答えたようだ。つまり、彼にはロックダウン(都市封鎖)は避けたいという思いはあるらしい。なにより、日本は緊急事態宣言にも至っていない。 さて、「東京都内の

                                    • 「ダウンデート」: 極東ブログ

                                      道元に学びつつ生きているつもりでいながら、さして坐禅もしない。いわゆる坐禅は習禅にはあらず、とはいえ、坐禅なき禅も禅ではないだろう。あと、難病の影響で禅が難しいというのもあるにはある。それも禅をなにかの手段にしているようにも思う。病があっても生きているのだから、それに見合った禅はあるだろう。 で、坐禅の仕方とかは、正法眼蔵に坐禅箴に書かれているが、これはきわめて実用的なことである。とにもかくにも、ただ座るというのが本義である。 というわけで、坐禅にはなんにも要らない。 とはいえ、線香代わりにタイマーでもあったらよいかと思い、そういうえば、『雲堂』という坐禅用タイマーのようなアプリがあったことを思い出した。 探して、インストールするとき、2バージョンがあることに気がついた。最新版は最新のiOSに合わせているのだろうと思ったのだが、ふと、SNS機能やログの機能が抜けていることに気がついた。 以

                                      • WTO、運命の日は12月10日: 極東ブログ

                                        ろくでもない事態になることがわかっていて、どうにもならない、というのが現実というものだろうし、歴史の真なる姿というものはそういうものなのかもしれない、と呑気なこと言ってられない事態になった。12月10日がやってくる。WTO(世界貿易機関;World Trade Organization)が国家間の紛争解決で機能不全になる。ごく簡単に言うと、WTOが明日死ぬ。日本時間だと明後日だろうか。残念だったなあ。 ニュースを確認にしておく。NHKニュース『WTO 紛争解決で初の機能不全に 委員選任 米の反対で難航』より。 WTO=世界貿易機関は10日、貿易紛争の解決が1995年の設立以来初めて、機能不全に陥る見通しとなりました。アメリカの反対で、紛争解決にあたる委員が選任できないためで、貿易をめぐる各国の対立は一層激しくなりそうです。 (中略) 貿易をめぐる対立が加盟国どうしの協議で解決できない場合、

                                        • 映像化される「私」の自己確認とでもいうか: 極東ブログ

                                          これってなんだかアニメみたいだなと思うことがあって心にひっかかっている。それが社会問題なのだと声を上げたいわけでもない。映像化される「私」の自己確認とでもいうか。まあ、とりあえず3つほど書いてみよう。 いきなりパノプティコン 京アニ放火事件の容疑者が、街中を歩く光景をニュースとしてなんども見せられた。それほどそんな映像を見たいとも思っていないのに、見る機会は多かった。それと、「あおり運転男」の関連映像もそうだった。 何か事件があると、その人の街中の映像がよく流れる。そりゃ、あっちこっちに監視装置があるんだから。 監視社会というのは簡単だが、なんとも奇妙な幻想が入り交じる。あの溢れんばかりの監視装置に私も監視されている。どこにいても監視されている。そういう自分を受け入れているし、どこかしら、幻想のなかで、そういうふうに映像として自分を見ているような気がする。 自分がいつも見られている社会の完

                                          • 韓国光復節についてのWikipediaの補足的コメント: 極東ブログ

                                            韓国光復節についてのWikipediaの説明をざっと読んでいて、少し奇妙な感じがした。説明に間違いがあるというのではない。抜けがあるんじゃないかという感じがしたのである。その抜けと思われる部分について、ごく些細な参考までにではあるが、補足的なコメントしておきたい。もしかすると、編集過程で意図的に削除されているのかもしれない。なお、以前にも書いたが、私はWikipediaを使った嫌がらせを受けたことからこのプロジェクトには関わりたくない。 まず、関連部分を引用する。抜けと思われるのは、1945年8月18日のできごとである。Wikipediaのこの項目では、8月17日から9月2日までの間の話が含まれていない。なお、「連合軍軍政期 (朝鮮史)」や「朝鮮建国準備委員会」にも同様の抜けと思わる箇所がある。 朝鮮半島は韓国併合(1910年)以来、大日本帝国(朝鮮総督府)の統治下にあった。だが、1945

                                            • 登戸殺傷事件容疑者の14歳の写真報道は適切だろうか?: 極東ブログ

                                              5月28日に川崎市登戸駅近くでスクールバスを待つ小学6年生の女子と39歳の男性が51歳の男に刺され、殺害された。他、18人が重軽傷者となった。この登戸殺傷事件の容疑者は、2日、殺人と殺人未遂などの疑いで書類送検された。 容疑者はすでに自殺していることもあり、警察は遺品の捜査や親族への聞き取りなどを進めたが、動機の解明には至らず、これで捜査は終結した。 書類送検後はどうなるか? 通常の刑事事件では、警察の捜査後、容疑者は検察に送られ、検察が起訴すると裁判となる。が、容疑者が死亡している場合、捜査書類は検察に送られはするものの、本人の死亡により裁判は成立しない。よって、不起訴となる。 容疑者は永遠に容疑者のままとなり、事件の「なぜ」は公式には永遠に封じられたと言っていいだろう。 釈然としない気持ちだけが残る。 今後、時期を見て追悼の報道などはなされるだろうが、事件を解明する報道はなくなるだろう

                                              • なぜ、"How do you do?" と言うのか? (あるいは言わないのか?): 極東ブログ

                                                なぜ、"How do you do?" と言うのか? あるいは言わないのか? 「言わない」ほうについては、ネットを引くといろいろ情報が出てくるようだ。「ようだ」というのは、この件について、どの情報が情報と言いうるかよくわからないからである。とはいえ、概ね、現代英語では、"How do you do?"とは言わないと言っていいだろう。それはなぜか? というと、古めかしい英語表現だから、というのがとりあえずの答えになる。日本語なら、「お目にかかり幸甚でござる」とまではいかないか(ちなみに、こんな古語はないだろうけど)。 いずれにせよ、古臭い印象は与えるだろう。上流階級の挨拶を模したジョークになってしまうかもしれない。 普通なら、”Nice to meet you.”、”I’m happy to meet you.”、少し固くても、"Pleased to meet you."あたりだろうか。 と

                                                • 『安倍首相の「断腸の思い」は私には伝わった: 極東ブログ』へのコメント

                                                  ブックマークしました ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください Twitterで共有

                                                    『安倍首相の「断腸の思い」は私には伝わった: 極東ブログ』へのコメント
                                                  • スタンフォード大学の秋のキャンパスはどうなるか的な話: 極東ブログ

                                                    昨日の記事で言及した、2013年のノーベル化学賞受賞・生物物理学者マイケル・レビット(Michael Levitt)だが、1987年以降、スタンフォード大学で構造生物学の教授を務めている。その関係から、同大学の学内紙と見てもよいだろう(会社組織になっているが)The Stanford Dalyに5月4日付でインタビュー記事が掲載されていた。読みようによってはではあるが、興味深い言及があり、これもブログにメモ代わりに記しておきたい。 見出しとリードは次のとおり。試訳を付したが間違っているかもしれないので、ご参考までに。 Q&A: Nobel laureate says COVID-19 curve could be naturally self-flattening “I’m pretty sure we will be on campus for fall quarter,” Michae

                                                    • 秋葉原無差別殺傷事件と凡庸な無: 極東ブログ

                                                      秋葉原の路上で2008年6月8日に起きた「秋葉原無差別殺傷事件」については、鈍い心の棘のようなものが残っていて、折に触れて考える。あれはなんだったのか。どう考えればよいのか。7人が死亡し、10人が重軽傷を負った。その死についても、あれはなんだったのか、どう考えればよいのか、と。答えは出ない。 先日、この事件を扱っている番組をたまたま見た。NHK『事件の涙「“君の言葉”を聞かせてほしい~秋葉原無差別殺傷事件~」』である。以下のような枠組みでの番組だった。 7人の命を奪った加藤死刑囚。タクシーの運転中に現場に居合わせ、重症を負った湯浅洋さんは、この11年、獄中にいる死刑囚に手紙を送り続けてきた。多くの人の命を奪った罪の重さを、どこまで深く考えているのかを知りたかったからだ。ところが、今も、納得のいく言葉は届かず、皮肉にも事件前に加藤がネット上で格差への不満を訴えた言葉が、いまも広がり続けている

                                                      • 金融庁の報告書は生活福祉資金貸付制度と整合すべきだった: 極東ブログ

                                                        リバース・モーゲージについて書いたおり、リバース・モーゲージなんかできるわけないだろ的なコメントを見かけたが、話は逆であって、そういう現実をどうするんのか?という話であった。 というか、金融庁もその現状の問題認識を持っていたのに、ひっこめちゃったというのがまさに問題なのであった。 で、この問題をもう一段踏み込むと、高齢者が保有している、実際には金にもならない住宅資産をどうするのか、ということだ。 もっと端的な例で言えば、老朽化マンションをどうするの?ということである。一部例外を除けば、老朽化マンションはリバース・モーゲージの対象にならない。これに対して、宅地があれば載せものの価格がゼロになっても土地に価値が残る。が、ここに踏み込むと、それもわずかで、載せのものの解体費に満たないことがある。 さらに踏み込んでいえば、国や公共機関が、老朽化マンション対策として、リバース・モーゲージの名目で買い

                                                        • 源氏物語の各種現代語訳について|finalvent

                                                          源氏物語の各種現代語訳について少し言及しておきたい。その前に、というか、前提ともなるのだが、源氏物語原文主義というか、源氏物語は原文で読むから味わい深いのであって、現代語訳はその劣化コピーか二次作品である的な立場がある。島内景二先生も『源氏物語ものがたり』でどの現代語訳もなじまないふうに述べているが、先生自身の『新訳 うたたね』はご自身の別の場でのコメントにもあるように、アーサー・ウェイリーの影響はあるだろう。同書では、原文との対応はあえて取れない(なので、私は別途直訳も試みているが)。 こうした原文主義は西洋文学についてもいえて、英語仏語ドイツ語など原文がよいという考え方である。 こうした文脈での原文主義は私は無意味だと思う。好きな人はそうすればよい。現代語訳者や翻訳者がどのような文学的な貢献をしているかという点において、原文主義の主張者がそれにまさるのは、微細な衒学趣味であることが多い

                                                            源氏物語の各種現代語訳について|finalvent
                                                          • 小泉進次郎環境相が気候変動問題について「セクシーであるべきだ」と言った背景: 極東ブログ

                                                            22日、ニューヨークの国連本部での会合で小泉進次郎環境相が気候変動問題に「セクシーであるべきだ」と言ったことが、ネットで話題になっていた。 発言はロイター報道などではこう伝えている。 In politics there are so many issues, sometimes boring. On tackling such a big-scale issue like climate change, it’s got to be fun, it’s got to be cool. It’s got to be sexy too. (政治にはあまりに多くの問題があり、時にはつまらない。気候変動のような大きな問題に取り組むには、それは、面白く、かっこよく、そしてセクシーでもあるべきだ。) 話題としての受け止め方の一つの典型例は、舛添要一・前東京都知事(70)のツイッターでの発言だろう。 N

                                                            • 「ポストコロナ」の感覚: 極東ブログ

                                                              「ポストコロナ」という考え方は、現代思想などの一群の人々にお任せすればいいことで、医学的にはあまり意味がないだろうと私は考えていたし、ある意味、今でもそう考えているのだが、それでも、昨今、ああ、これが「ポストコロナ」の感覚なのかと思うことがあった。 きっかけは、ツイッターであるつぶやきを見たときのことだ。誰のつぶやきかはどうでもいいだろう。また、正確な引用ではないのだが、要は、「日本がきちんとロックダウンを継続して新型コロナを徹底的に封じておけば、現在のような第二波はなかっただろう」といった内容である。その含みに、さらなる緊急体制への希求があるのか、絶望感の表明があるのかはわからなかった。 だがそれを見かけたとき、あれ?と私は思ったのだった。私はまったくそのように考えたことはなかったからだ。では、どう考えていたかというと、世界保健機関(WHO)の緊急対応責任者マイク・ライアン氏が5月13日

                                                              • 「ブログランキング」の亡霊と『極東ブログ』の帰還 - いつか電池がきれるまで

                                                                ランキング参加中雑談・日記を書きたい人のグループ blog.hatenablog.com www.sucharaka-zaren.com 『はてなブログ』にカテゴリー別のランキング機能が! というのをみて、僕は驚いてしまいました。 いま、2023年だよね? 『はてなブログ』だよね? まさか、『エンピツ』(という日記レンタルサイトがあったのです。というか、今もあります)の「投票数ランキング」が現代によみがえってくるなんて…… www.enpitu.ne.jp 僕もずっと、こんな日記を書いていました。 www.enpitu.ne.jp この日記のもっとも新しい日付が2013年ですから、もう10年前になるんですね。 さまざまな日記レンタルサービスやブログのプラットフォームが終了しているなかで、まだずっとデータを残してくれている『エンピツ』は、本当に良心的ですね。「有料で永久レンタル」というのを作

                                                                  「ブログランキング」の亡霊と『極東ブログ』の帰還 - いつか電池がきれるまで
                                                                • 「合意なき離脱」の国内合意が取れない英国が病んでいるもの: 極東ブログ

                                                                  イギリスの動向が目まぐるしい。4日、EUからの離脱期限を来年1月末まで延期するよう求める法案が賛成327票、反対299票で下院で可決された。離脱強行派のジョンソン首相は、これに対抗し、それでは国民に信を問うとして、来月、総選挙を実施する動議を議会に提出し、採決。残念。必要な3分の2を超える支持を得られず否決。英国は日本の首相と異なり、単独で議会の解散権はもたない、というか、日本のこれも一種の解釈改憲なのでおかしいにはおかしいが。 BBCの報道を聞いていたら、事態を不思議の国になぞらえていた。ジョンソン首相は、離脱は求めているが合意なき離脱を求めているわけではない。野党労働党コービン党首は総選挙は求めているが総選挙の動議は認めない。まあ、だが今日ではない、ということのようだが、それで労働党は動議に棄権。 簡単にいうと、野党なのに、与党を倒して政権を取る気概はない。いや、気概の問題ではないだろ

                                                                  • フランスのロックダウン解除に向けたエドゥアール・フィリップ仏首相の演説の抜粋: 極東ブログ

                                                                    フランスは、5月11日から、段階的ではあるがロックダウン(都市封鎖)解除に向けて緩和する。それに先立って、フランス時間で4月28日、フランスのエドゥアール・フィリップ首相は議会で演説した。原文(参照)は公開されているので、読んでみた。けっこう考えさせられるものだった。 気になるところを抜書してみたい。ついで、試訳を添えておいたが、訳間違いもあるかと思うので、ご参考まで。 28 avril 2020 Discours de M. Édouard PHILIPPE, Premier ministre Présentation de la stratégie nationale de déconfinement (エドゥアール・フィリップ仏首相のスピーチ。国家の封じ込め戦略についての説明) Voilà donc le moment où nous devons dire à la France

                                                                    • 散歩で線路脇に茶の新芽を見かけたので少し摘んで烏龍茶にしてみた: 極東ブログ

                                                                      昨日はいい天気なので、適度な運動と日光に当たろうかと散歩した。広い公園を抜けて、足を伸ばし、もとより運行本数の少な路線の脇を歩いていたのだが、ふと雑草のような自然のままに伸びた茶の木を見かけた。新芽が美しい。組織的に植えられたものでもなさそうだ。鳥の糞から種が落ちたのだろうか。雑草と見なしてよさそうなので、10本ほど一芯二葉に摘んでハンカチに包み持ち帰った。ぽきっとする手摘みの感覚が心地よい。手のひらに載せて、わずかというくらいの量である。茶摘み歌を歌うほどもない。 帰宅して洗い、小さなザルに入れて振り、水気を飛ばし、日干しにした。夕方には少ししなれてきたので、軽く手揉みして、一葉づつ伸ばした。就寝前には半分ほど発酵し、案の定、花のよい香りがする。 一晩して見ると、発酵は進み、香りも芳しい。少し発酵がいってしまったかもしれないなと思いつつ、もう一度葉を伸ばし、琺瑯のミルクパンに入れ、弱火で

                                                                      • 後悔を受け入れて生きること: 極東ブログ

                                                                        先日だったか、Twitterで、たまたま、「若い人に伝えたいことは、後悔をしないように生きることだ」というのがあった。どのくらいのご年配の方が、若い人に伝えようとしているのかわからないが、62歳にもなってしまった自分としては、まあ、後悔なく生きるなんて、無理なんじゃないかな、と思った。ただ、それを、若い人にことさらに伝えるべきものかはよくわからない。 それでも、つまり、誰に伝えるというものでもないが、後悔なく生きなくてもいいように思うのだ。後悔して生きていい。というか、生きることは、後悔することとさほど変わらないように思う。 生きてみて思うのは、若い日に後悔なく行なった選択が、けっこうな時が経ってみると、じわじわと後悔に変わることはある。 逆に後悔していたことが、なんというか、それもまた幸運だったんじゃないかと思えることもある。たいていは、恋愛とか仕事とか、そういうけっこう大切なことで。時

                                                                        • [書評] 英語独習法(今井むつみ): 極東ブログ

                                                                          正直なところ、この手の本は読まないことにしている。英語と限らず外国語、しかも日本語からかけ離れた異言語を簡易に習得する方法はないし、死んだ言語でもなければ独習というのもほぼ不可能だからだ。とはいえ、本書『英語独習法』(今井むつみ)は、表題の含意とは異なり、むしろ、そのような私の持論のような内容だと聞き、それではと、読んでみた。ベストセラーともなっているらしく、しばらく在庫切れだった。ふとアマゾンを見たら在庫があるのでポチった。 読んでみて、予想通りだった。論旨としてはほとんど異論がなく、僭越ながら、自分が書いた本のような錯覚すらした。その意味では、悪意で言うのではないが、やや退屈な本でもあった。書店で見たら買っただろうかと問い直して、まあ、買っただろうとは思った。コーパス関連の部分は購入してじっくり読んでみたい印象があった。が、実際にその部分を精読してみると内容は薄い感じはした。というか、

                                                                          • カール大帝は何語をしゃべっていたか?: 極東ブログ

                                                                            以前、『英語の現在完了は、なぜ、「have + 過去分詞」なのか?』という記事を書いたことがある。そのなかで、こう触れた。 カロリング朝ルネサンスというなら、その中心は、「カール大帝」である。で、「シャルルマーニュ」である。え? どっち? さすがに、Charles the Greatはなしだが、Karl der Großeなのか、Charlemagneなのか? 当然、どっちも違って、ラテン語で、Carolus Magnusとしたいところだし、公式にはそれでいいのだろうが、さて、彼自身はどう捉えていたか? というか、カール大帝は、何語を喋っていたのか? ここで、歴史好きなら知っているだろうが、カール大帝の母は誰かわかっていない。母語、mother tongueは? だが、おそらく、ここは、カール大帝の母の言葉ではなく、彼の教育係の言葉だろうし、それはラテン語だろうが、日常会話はどうだったかと

                                                                            • 「国家の重⼤局⾯」で複数の声はどのように可能なのだろうか?: 極東ブログ

                                                                              昨日、厚⽣労働省のクラスター対策班の北海道⼤学‧⻄浦博教授は、⼈との接触を以前の八割まで減らさないと、COVID-19の流⾏終息までに、⼈⼯呼吸器などが必要となる重篤患者は約85万⼈となり、また、その49%にあたる約42万⼈が死亡する、という推計を発表した。⻄浦教授は「今は国家の重⼤局⾯にさしかかっている。今のままではまずい」とも述べていた(参照)。 驚くべき惨事の予測であり、しかも、感染症の専門家の予測なので、科学的に正しいものだろうと、まず思うが、驚きという印象に詳細が知りたいという思いも伴う。 どのような推計かという点については、新型コロナクラスター対策専門家のTweetにある(参照)。 説明を聞いていて、素朴な疑問が3点浮かんだ。 ①R0=2.5の設定根拠は欧米での感染爆発からの推定値なのだが、なぜ日本の値を推定値に取らないのだろうか? おそらく、日本の推定値がわからないからだろう

                                                                              • 東京電力福島第一原発の事故刑事裁判、地裁判決についての雑感: 極東ブログ

                                                                                東日本大震災の津波による東京電力福島第一原発の事故について、検察審査会の議決で強制起訴された東京電力旧経営陣の三被告、東京電力の勝俣恒久元会長(79)、武黒一郎元副社長(73)、武藤栄元副社長(69)に対して、東京地裁による判決があり、全員、禁錮五年が求刑されたが、無罪となった。以下、事実関係や裁判の認識については、NHK『詳細 東電刑事裁判』を参考にした。というか、それによる不出来な感想文のようなものである。 今回の地裁で刑法上問われたのは、結果回避義務である。そして争点となったのは、原発事故を引き起こすような巨大津波を経営陣が予測できたかという、予見性である。具体的には、二点に分けられた。①どのような津波を予見すべきであったのか、②津波が襲来する可能性についてどの程度の信頼性、具体性のある根拠を伴っていれば予見可能性を肯認してよいのか。 無罪となった理由は、「津波が来る可能性を指摘する

                                                                                • 関心の搾取、あるいは、自由の再定義: 極東ブログ

                                                                                  アニメ『さらざんまい』では、「欲望の搾取」という形式的なキーワードとその象徴的な映像は出てきたが、それが何を意味するかは、自明とは言えなかった。それでも、このアニメの主眼はまさにそこにかかっていることは理解できた。私が受け取った部分だけになるが、こういうことだろう。人は自身の欲望を持っているが、それが他者や社会、時代などによって、搾取される、強奪される、と言ってよさそうだ。このため、欲望を搾取された人間は、自身に由来する欲望が持てなくなる。 この先、その搾取された欲望と、倒錯した欲望(ゾンビ化した欲望)、愛、あるいは、つながりたい、という各種の記号がどのような、まるでラカンが無意識を評したような構造を持っているのかは、なかなか理解しにくい作品だった。 で、それはそれとして。 このところ、関心の搾取、ということを思う。 どういうことかというと、人が自然にもっている各種の関心やその関心のエネル