まえおき 哲学的意義の話をするとっかかりはいろいろとある。とりあえず、妥当性との違いから話をはじめよう。 哲学者はよく、哲学のアーギュメントが妥当かどうかということを気にする。ちゃんと結論をサポートする理由をあげることができているか。例は妥当か。推論は妥当か。 しかし議論の仕方が妥当であったら良い哲学の論文なわけではない。当たり前のことを妥当な仕方で書いても価値はない。 良い哲学の論文が良い論文なのは、それが哲学的に重要なことを明らかにするからだ。よい哲学には哲学的意義がある。例えば、これまで知られていなかった、重要で本質的なことを言っているからこそ価値がある。 では哲学的意義とは何だろうか。メタ哲学や哲学方法論は最近盛り上がっていると言われるけれど、哲学的意義に関する議論はほとんどない。少なくとも私は知らない。 なぜなのかは知らない。「単一の哲学的意義などというものはない」という人もいる