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ブックマーク / at-akada.hatenablog.com (14)

  • James Harold「虚構世界の価値 - あるいはなぜ指輪物語を読むべきなのか」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    『指輪物語』は素晴しい文学作品ではないけれど、素晴しい虚構世界を作ったので素晴しいものなのだという話。 ある種の作品は、作品単体ではなく、それが作る虚構世界のために評価されるという話をしている。小ネタだけどなかなかおもしろかった。こういう特殊な鑑賞をどう特徴づけるかみたいなの大事ですね。 http://philpapers.org/rec/HARTVO-5 http://www.contempaesthetics.org/newvolume/pages/article.php?articleID=584 1. 序 2. 中心的ケース: ファンが愛する虚構世界 3. フィクション作品を道具的に価値づけること 4. フィクション作品を道具的に価値づけることは合理的でありえる Haroldが取り上げる中心的ケースは『指輪物語』、『スターウォーズ』、『スタートレック』、あるいはホームズシリーズなど

    James Harold「虚構世界の価値 - あるいはなぜ指輪物語を読むべきなのか」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • Stacie Friend「偉大なカブト虫の論争: 名前による想像の研究」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    http://philpapers.org/rec/FRITGB Friend, Stacie (2011). The great beetle debate: A study in imagining with names. *Philosophical Studies* 153 (2):183-211. 1. 想像の指図 2. 標準的説明 3. 単称的想像 4. 想像の方法 5. 概念とその対象 6. ネットワークを同定する 7. 内容と真理条件 8. 結論 今度勉強会で読むのでレジメ作ってたんだけど、これは当にいい論文だ。著者は「フィクショナルキャラクターは存在しないよ派」なんだけど、「フィクショナルキャラクターは存在するよ派」の私でも一瞬「これが正しい立場なのでは…」と説得されかかった(まあ最後の最後でうまくいかないのだけど)。 ↓勉強会 分析美学研究会、次回は12/5。Stac

    Stacie Friend「偉大なカブト虫の論争: 名前による想像の研究」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • Bence Nanay「音楽の二面性」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    告知 ブログ更新通知用のTwitterアカウント作ってみたよ。 → https://twitter.com/at_akada_phi/ http://philpapers.org/rec/NANMT Nanay, Bence (2012). Musical twofoldness. The Monist 95 (4):607-624. 1. 序 2. 二面性と図像 3. 二面性と音楽の演奏 4. 音楽の演奏の美的評価対音楽の美的評価 楽器性 マルチモダリティ 5. 結論: 真性性論争の枠付け 図像の二面性についての議論から音楽の美的評価にも二面性があるという議論をしている。 図像の二面性というのは、絵や写真を見る時に、線や印など表面的特徴と、描かれているものの両方の経験があるという話で、描写の議論ではしばしば指摘される。 ただし、ナナイはまず、図像の二面性を以下の二つに分けている。 図像表

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  • Aaron Smuts「ストーリーの同一性とストーリーのタイプ」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    ストーリーの同一性について。これ結構おもしろい問題かもしれない。 http://philpapers.org/rec/SMUQIA Smuts, Aaron (2009). Story Identity and Story Type. Journal of Aesthetics and Art Criticism 67 (1):5-14. 1. 序 2. 基的なジレンマ 3. 誤ったフィクショナルな指示 4. 高次レベルタイプの質的属性 5. ストーリーの同一性かストーリーのタイプか 6. 結論 チャトマンなどがいうストーリー/言説の区別はよく受け入れられている。例えば、小説のテキストとそれが表現するストーリーは別だ。私たちは同じストーリーを語る別のテキスト(これ、言説とかテキストとかって、映像でもいいし絵とかでもいいんだけど、いい言葉がないので言説とかテキストと呼ぶ)があることを認め

    Aaron Smuts「ストーリーの同一性とストーリーのタイプ」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • 科学哲学会発表の宣伝: ストーリーはどのような存在者なのか? - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    科学哲学会第45回大会での発表について宣伝します。 11/15(土) 午前の部です。 会場は南山大学名古屋キャンパスとなります。詳しくは、科学哲学会の公式サイトを 日科学哲学会 以下内容の紹介。 近年分析美学の世界では物語の哲学が盛り上がっている。2009年にはトップジャーナルであるThe Journal of Aesthetics and Art Criticismで特集が組まれ、その後もグレゴリー・カリーやピーター・ラマルクといったビッグネームが物語の哲学に関する単著を次々と出版している。こちらは主に小説映画のような物語表象に対する新しいアプローチとして出てきている感じだ。 一方で、以前から倫理学や形而上学における「物語論アプローチ」というのもある。こちらの人たちは主として現実世界の中に物語の事例を見出そうとしてきた。物語としての人生とか物語的自己とかいったキーワードで知られて

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  • Peter Lamarqe「物語に期待しすぎないこと」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    http://philpapers.org/rec/LAMONE Lamarque, Peter (2004). On not expecting too much from narrative. Mind and Language 19 (4):393–408. 目次 1. 物語の定義 2. 構造的特徴 3. 指示と真理 4. 物語の実践 5. 物語の価値 6. 物語的同一性と人生の物語 7. 結論 ラマルクによれば、物語(ストーリーテリング)の定義は ストーリーは見つけられるのではなく、語られる 複数の出来事を語る 出来事の間に非論理的関係(主に因果関係)が成り立つ 出来事の間に時間的な順序がある こうしたミニマルな物語の定義を前提に、物語の概念に多くを読み込む人たちを批判している。 例えば、歴史が物語であるということから、歴史もフィクションであるという人たちがいる(やりだまにあがって

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  • Guy Kahane「われらの宇宙的無意味さ」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    http://philpapers.org/rec/KAHOCI Kahane, Guy (2013). Our Cosmic Insignificance. No〓s 47 (2):n/a-n/a. 目次 無意味さとメタ倫理 内在的価値からの議論 重要性は価値と同じではない 宇宙的重要性 想定されたわれらの宇宙的無意味 宇宙的視点から当に私たちは見えないのか? 当は何が私たちの宇宙的重要性を決めるのか もし私たちが孤独ならば 考える葦 ラムジーの世界像 私たちの外在的価値 私たちに価値はあるか? 他のものに価値はあるか? 私たちが存在することは重要か? すみっこにいること もし私たちが孤独でないならば 私たちの個人的重要性 結論 宇宙は大きい。空間的スケールでも時間的スケールでも。これは私たちの先祖が知らなかったことである。そして、しばしば宇宙の広大さによって、私たちは自分は取るに足

    Guy Kahane「われらの宇宙的無意味さ」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • Nicholas Diehl「De Re的想像と語りについての対称性テーゼ」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    以下のに入ってる論文を順番に読んでるのだけど、これで何目かな。 The Poetics, Aesthetics, and Philosophy of Narrative (Journal of Aesthetics and Art Criticism) http://philpapers.org/rec/DIEIRT Diehl, Nicholas (2009). Imagining De Re and the Symmetry Thesis of Narration. Journal of Aesthetics and Art Criticism 67 (1):15-24. 用語: De Re的な想像 特定の「もの」についての想像。例えば、ごっこ遊びにおいて、特定の棒が剣であることを想像する。 背景として、映画には小説などと違って、暗黙の想像上の語り手は存在しないという議論があるらし

    Nicholas Diehl「De Re的想像と語りについての対称性テーゼ」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • 哲学的意義とは何か - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    まえおき 哲学的意義の話をするとっかかりはいろいろとある。とりあえず、妥当性との違いから話をはじめよう。 哲学者はよく、哲学のアーギュメントが妥当かどうかということを気にする。ちゃんと結論をサポートする理由をあげることができているか。例は妥当か。推論は妥当か。 しかし議論の仕方が妥当であったら良い哲学の論文なわけではない。当たり前のことを妥当な仕方で書いても価値はない。 良い哲学の論文が良い論文なのは、それが哲学的に重要なことを明らかにするからだ。よい哲学には哲学的意義がある。例えば、これまで知られていなかった、重要で質的なことを言っているからこそ価値がある。 では哲学的意義とは何だろうか。メタ哲学や哲学方法論は最近盛り上がっていると言われるけれど、哲学的意義に関する議論はほとんどない。少なくとも私は知らない。 なぜなのかは知らない。「単一の哲学的意義などというものはない」という人もいる

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  • Timothy Williamson『哲学の哲学』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    The Philosophy of Philosophy (The Blackwell / Brown Lectures in Philosophy) 過去記事 Timothy Williamson『哲学の哲学』5章 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ Timoty Williamson『哲学の哲学』6章「思考実験」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ Williamson『哲学の哲学』5章「形而上学的様相」のレジメ - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ Timothy Williamson『哲学の哲学』7章「哲学における証拠」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ 一応読み終わったので全体の感想。全体の要約は無理なのでほんとにただの感想になった。 いくつかの章はざっと読んだだけなので、ほとんど理解できていない章もある。私はどちらかというと普段簡単な哲学書しか読まないので、これ

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  • 哲学の初学者にありがちな間違い - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    哲学の初学者にありがちな間違いのひとつをこの間思いついたので記しておく。哲学の場合、初学者ほど他の哲学者が素朴に見えるという現象がある気がしている。 例えば、プロの哲学者が何らかの原理Xみたいな前提を使うとしよう。 しかし初学者にはなんでこのXを認めないといけないのかがよくわからないので、Xを認めることが素朴に見える。非合理的な信仰やドグマのようなものにすら見えるかもしれない。 もちろん筋から言えば、Xを前提する側がXを使う理由を説明した方がいいかもしれない。しかしひとつの論文のなかで、すべての前提を説明することなどできないので、ごく標準的常識的な事柄であれば、特に議論なく前提するだろう。 もちろん当にドグマであるケースもあるだろうが、ここで考えているのは、Xを擁護する議論が別のところでなされていたり、合理的な理由があっても、初学者はそういう事情を知らないので素朴に見えるというケースだ。

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  • John Hyman「芸術の理論における写実主義と相対主義」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    http://philpapers.org/rec/HYMRAR http://www.queens.ox.ac.uk/academics/hyman/files/realism_and_relativism.pdf Hyman, John (2004). Realism and relativism in the theory of art. Proceedings of the Aristotelian Society 105 (1):25–53. 写実性を自然への類似として理解するような素朴な写実主義観を否定し、グッドマンの「写実性とは私たちが慣れ親しんだ慣習にすぎない」という相対主義も否定しつつ、どちらでもない写実性の定義を探りましょうという論文かな。美術史上の例を豊富にあげている。 しかしなんでこの論文Schier[1986]とかLopes[1995]とかに言及しないんだろう。

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  • Abell, Bantinaki編『描写の哲学的視座』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Philosophical Perspectives on Depiction (Mind Association Occasional) 描写depictionの哲学についてのアンソロジー。とりあえずイントロダクションだけ。 1. 描写のプロジェクト 1.1 アプローチの用語法 1.2 さらなる制限ー適切さの基準standard of correctness 1.3 適切さの基準の認識的含意 1.4 適切さの基準の美的含意 2. 図像の経験 2.1 内に見ることseeing-inの質 2.2 内に見ることの射程 2.3 屈折inflectionとミメーシスのパズル 3. 図像知覚ー哲学的含意 3.1 図像知覚のメカニズム 3.2 図像知覚の内容 3.3 図像知覚の機能 結論 描写depictionの問題は、図像一般に関わる問題であり、描写の哲学を美学の下位分野にするのは、言語哲学を文学

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  • うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    前回はこちら。 Fatalism in American Film Noir: Some Cinematic Philosophy (Page-Barbour Lectures) (English Edition) 作者:Pippin, Robert B.University of Virginia PressAmazon 前回説明したように、Fatalism in American Film Noirでは、フィルム・ノワールを宿命論の映画と捉えている。宿命論の映画とは、主人公の不適格な行為により──だまされたり、誘惑されたり、知らなかったり、運が悪かったりして──自らの選択によって、不可避的に破滅へとはまり込む映画という感じだ。ピピンはこれを行為論の問題として──反省に基づく合理的行為によって主体が状況を変えていくという近代的行為者観への懐疑の表現として──捉える。個人的には、最近も何作

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