●映像圏の射程 渡邉大輔が『イメージの進行形』で提示した概念・映像圏は、情報環境の変化によってイメージが社会に氾濫した状態をさす。主たる分析は映画である。それまで比喩的にも字義的にも固定されていた観客、監督(作者)という役割、それらを直線的に媒介すると考えられていた物語=映画が、イメージの例外状態によって輪郭を失い、絶えず自己参照しつつ増殖していく。作品はそれだけでは完結できず、観客の身体をコミュニケーションをフックにして作品の一部として取り込み、再提示する。それまで不・可視化されていた観客の身体は、過・可視化される。例えばYouTubeやニコニコ動画にあふれる「踊ってみた」動画といった形で。 渡邉は、現代の映像文化、映像的なものの全社会的な浸潤を共時的に切り取って提示しているが、それと同時に映画の歴史をひもときながら通時的な視点も取り入れている。なかでも興味深いのが、初期映画時代の映画館
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