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トップ > 市政全般 > 広報 > 記者発表・会議案内 > 記者発表資料 > 平成30年度(平成30年4月~平成31年3月) > 平成30年7月 >平成30年07月19日 記者発表資料 四日市公害を忘れないために~一新聞記者のみた四日市公害~の開催について 「四日市公害を忘れないために」~一新聞記者がみた四日市公害~の開催について 四日市公害裁判の判決日に合わせて、当時、四日市で新聞記者として取材活動に従事された方を招き、講演会を開催いたしますのでお知らせいたします。 記 事業名 「四日市公害を忘れないために」~一新聞記者がみた四日市公害~ 日時・場所 平成30年7月21日(土)13時30分から15時00分まで 博物館(そらんぽ四日市)1階 講座室(開場13時00分) 対象 一般(事前申し込み不要、当日先着順)、定員80名 講師 伊藤 章治 氏 桜美林大学名誉教授、元中日新聞編集委員兼論説
小平物語 第一・道三 先祖のこと · 第二・武田と小笠原・諏方の合戦 · 第三・武田と諏訪 和睦する · 第四・福与城攻め · 第五・小笠原信定 板垣を切り崩す · 第六・小笠原長時 越後国へ浪人 · 第七・道三 太々神楽を奉納する · 第八・諏訪明神の祭礼 · 第九・武田が道三の財宝を取り上げる〜金を埋める · 第十・道三の舎弟と子供の事 · 第十一・小平辰之介 浜松へ初陣 · 第十二・たしなむべきは弓である · 第十三・小平辰之介 三方ヶ原合戦に出陣 · 第十四・武田信玄 他界する · 第十五・両角惣兵衛 小平辰之介へ異議を唱える · 第十六・小平円帰の婿入り · 第十七・三州長篠で両角 討ち死にする 2 · 小平物語 人物相関 · 小平物語 年表 赤羽記 赤羽記序 · 赤羽記01鎌倉時代の保科氏 · 赤羽記02保科氏 高遠に仕える · 赤羽記03高遠氏 諏訪から系図を盗む · 赤羽記
廃道・未成道・隧道・林鉄・廃線跡 古き良き「交通」を冒険する オブローダー「ヨッキれん」の記録 >> 13/12/11/10/9/8/7/6/5/ 4/3/2/1 >> 4/3/2/1 >> 9/8/7/6/5/4/3/2/1 >> 2/1 >> 3/2/1 >>
【住所】愛知県名古屋市中区千代田三丁目9–14 アクセスは地下鉄鶴舞駅から徒歩6分! 駐車場は無いので公共交通機関で来館することをオススメします。 【開館時間】10時〜16時 【定休日】日曜、祝日、お盆、年末年始。 【入館料】無料! あいち銭湯資料館に行ってきた! というわけでやってきましたあいち銭湯資料館! どーん! 普通のビルだ! 気づかないと通り過ぎてしまいそう! ちゃんと入り口の前に看板が出ています。 資料館はビルの二階! ビルの1階は事務所になっているので行く前に軽く声を掛けておくとよいと思います! 階段を上って二階へ向かいます。 階段の途中にも色んなものが展示されています。 喜乃湯さんに掛けてあった看板や、 傘立て、 下駄箱の扉や 縁台! うーん、雰囲気ある!!! そして2階に着くと更に色々な資料が! 値段設定にすごく時代を感じる……! 橋本七度煎! 他にも様々な資料が展示され
この地図は北海道函館市(都市人口27万人、都市圏人口34万人)のものですが、「動く街」を観察するのにとても分かりやすい例です。 都市圏の規模は、前回触れた佐世保や佐賀と近いですが、どちらとも似ないパターンが特徴です。佐世保が1点にかたまる街、佐賀が全方向に拡散し各施設が点在するパターンだとすると、函館は、時代を追うごとに新たな点ができ、新旧4つの点がそれぞれ性質の異なる街なのです。 それぞれの街の中心の移動から、時代の移り変わりを観察できる。そういうことでもあります。実線の赤い矢印が、これまで住宅地の拡がってきた方向ですが、ちょうど山裾まで来たところです。函館都市圏の人口のピークは過ぎましたが、近年まで人口が増加し、現在も僅かに拡大が見られるのは、平地がある北西方向(北斗市、七飯町)です。新幹線の新函館北斗駅ができ、郊外型の商業施設が多いのもこのエリアです。 函館市は明治以降対外貿易港とし
北海道の最東端に位置する別海町にあるホテルです。知床までも車で2時間、根室まで1時間と道東観光には最適な場所に位置しております。
中標津町内殖民軌道探査記録 北のケービン 北海道廰殖民軌道 [リンク]と[文献] [リンク] 殖民軌道の動画!! なんと、最近になって、昭和39年の厚床・風蓮間の馬鉄(国鉄標津線開通後も風蓮地区の足として残された、根室線の南端部です)の動画「根釧原野の馬トロ」が、ネット上に出現しました。 しかも、カラー、さらに作者は、「電子立国・日本の自叙伝」などを制作した、元・NHKの名ディレクター相田洋(あいだ ゆたか)氏です。 http://jp.youtube.com/watch?v=boau70_AtHg 紹介・解説記事は、こちら http://asciidotpc.jp/modules/xeblog/index.php?caldate=2007-12-12&user_id=18&cat_id= 殖民軌道の写真 ・戦前の絵葉書 戦後の絵葉書 楽しめる絵葉書 の 戦前絵葉書 北海道 殖民鉄道 に
浜中町営軌道(はまなかちょうえいきどう)は、かつて北海道浜中町にあった簡易軌道。 概要[編集] 開拓者が入植した当時、火山灰地域であることから道路がなかなか整備できない状況であったため、1927年に馬車鉄道として根室本線の茶内駅から浜中町奥に入っていく路線が敷設された。戦後動力を馬から機関車及び自走客車に改めるなどして、近代化も図られた。 後には、雪印乳業や明治乳業の工場への生乳輸送も盛んに行われるようになり、大半の殖民軌道が赤字経営に陥っていた1960年代にあっても当軌道は黒字経営であったため、1970年に国の補助金が打ち切られることになった後も独立採算で営業を継続する予定であったが、結局は道路網の整備で1972年に廃止された。本軌道の廃止によって北海道の殖民軌道の歴史は幕を閉じた。 昭和30年代に殖民軌道の研究を行っていた湯口徹によると、メーカーから納車された自走客車の試運転を定期列車
標茶町営軌道(しべちゃちょうえいきどう)は、かつて北海道川上郡標茶町にあった簡易軌道。 概要[編集] 1955年、道内最後の簡易軌道線として開業。はじめは貨車を旅客車にも代用していたが、1958年にはバス窓を採用した自走客車が入線する。 1961年に簡易軌道としては最長の184mの鉄橋を釧路川に完成させ、開運町より標茶駅前まで延長したが、輸送量は予想を下回り1967年に運行を止めた。また1966年に支線として中御卒別(なかおそつべつ) - 沼幌(ぬまほろ)間が開業するも、その4年後には道路改良の進展で廃止された。累積赤字は2200万円となり補助金を打ち切られたため[1]本線も1971年に廃止。廃止後は標茶町有バスが代替する。 路線データ[編集] 路線延長が最長だった時点のデータを示す。 路線距離: 本線:標茶 - 上御卒別間24.2km 沼幌支線:中御卒別 - 沼幌間6.5km 軌間:76
殖民軌道(しょくみんきどう)とはかつて日本の北海道で見られた軌道の一形態である。1942年(昭和17年)以降は簡易軌道(かんいきどう)と改称された。 現在では広義の軽便鉄道の範疇で捉えられることが多いが、未開地での道路の代替手段という性質を持ち、根拠法令を異にしていたという歴史的経緯がある。この点で一般の鉄道・軌道とは異質なものであった。 旧北海道庁が開拓民の入植地における交通の便を図るために拓殖計画に基づいて建設したもので、「地方鉄道法」や「軌道法」に準拠せず敷設された。最終的に廃止に至るまで法的根拠は曖昧だった。建設された場所は泥炭地など泥濘で通行困難な地帯が多く、軌道を設けることで輸送費の高騰を防ぐものとして整備されたのである。当初の動力は馬だった。 1924年頃以降から昭和初期にかけて建設が盛んとなり、総延長は600kmを超えた[1]。建設予算は内務省が支出し、動力となる馬などは入
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