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2017年4月17日のブックマーク (2件)

  • オタクのぼくが味わった火事の恐怖をありのままに話す【実写真閲覧注意】

    永沢君の気持ちがわかります。 私が18歳の頃、自宅が全焼しました。原因は、不審火です。 私の家が燃えている画像です。 誰も死ななかったし、怪我もありませんでした。 今となっては笑って話せるので、まぁ別にいいのです。 しかし、あの火事のせいで、私の人生は壊れかけました。 オタクであるあなたの家がもしも燃えたとき、ぜひ注意していただきたいことがあるのです。 全焼でも燃え残る 「火事で全焼したら全部なくなる」 正しいのですが、間違っています。 燃え残るものがあるのです。 例えば戸棚の器の一部。 例えば下駄箱の タンスの服の内側の方のヤツ。 焚き火でも、ペラッペラな新聞紙は全部もえてなくなりますが、ギューギューに固めた新聞紙は中まで燃えにくいですよね。 あれと同じことが火事でも起こります。 ギューギューになっている場所は燃え残るのです。 火事の次の日 火災が発生してから3時間後、なんとか火は消

    オタクのぼくが味わった火事の恐怖をありのままに話す【実写真閲覧注意】
    r-taro
    r-taro 2017/04/17
    そうか、すぐ片付けねばならないんだな…
  • 壹遊呈獻:香港蛋撻Big Data

    若要選一種小來代表香港,蛋撻應該當之無愧,原因不單是因為它的普及程度,而是它的歷史意義。蛋撻原是一款西方品,東傳以後經過改良演進,才成為現在香港獨有的街頭小。它在CNNGo全球五十大美排行榜中,排至十六位,甚至比同樣是來自香港的西多士高出二十二位。所以,蛋撻現在除了是香港人的日常小吃外,亦成為了遊客來港的必嘗之選。 蛋撻始於英國中世紀時已出現的傳統凍甜點吉士打撻(Custard Tart),英國著名物歷史學者 Laura Mason在著作《Traditional Foods of Britain》指出,那時期英國人已懂利用奶品、糖、蛋及不同的香料,製作類似的品,也就是蛋撻的雛形。二十年代,吉士打撻引入廣州,百貨公司為了招徠客人便把撻設為星期美點。及後四十年代時再傳入當時仍是英國殖民地的香港,才成為上流社會人士於高級西餐廳的下午茶點,並於五十年代起揚名香港各大店及茶餐廳。二

    壹遊呈獻:香港蛋撻Big Data
    r-taro
    r-taro 2017/04/17
    香港のエッグタルト店データベース