前回は関東大震災ですし職人が東京から地方都市へ移っていく直前に誕生した粉わさびの歴史を辿ってみた。では、そのまま順調に普及したのかというと、ある問題を抱えていた。 辛味が抜けてしまう日本のわさび 粉わさび誕生の経緯を詳しく書いた『小長谷才次伝』は、こう書いている。 ここで一寸説明して置きたいことは、小長谷与七の発明した「粉わさび」も、その初めは川根方面の山葵を粉末にしたのであるが、これだけではとても量産の見込みがない上に、価格的にも引き合わない、そこで何か適当な配合物はないかと考えた末に、横浜の内田商店が扱っているカラシ粉に着眼し、これを山葵の風味を損じない程度に配合することを考案して、大正八、九年頃からその製法を行ったため、それからは量産が可能となり成功した。序に粉わさびの変遷を簡単に説明すると、このカラシ粉に代るものとしては、昭和十二年頃、北海道北部の山野に自生する「岡わさび」(別名西