タグ

戦争と死に関するraimon49のブックマーク (8)

  • 漫画家鳥山明氏の死 - drfridge’s blog 老生常談

    先日メディア一斉に鳥山明氏の死を報じた。まだ68歳で急性硬膜外血腫による突然の死亡だったということである。 その名を見て一体どういう人だろうか分からなかった。説明に「ドラゴンボール」の漫画で一世を風靡したとあったので、「ドラゴンボール」という名は聞いたことがあり、漫画かアニメでかなり有名な人だったのであろうことが分かった。どうも世間ではあまりにも有名な漫画家ようである。 私も漫画は子供の頃から親しんできた方で、「のらくろ」や「タンクタンクロウ」、「冒険ダン吉」などの漫画を読んだし、手塚治虫は中学校のクラスメートだったので、戦争中から自作の漫画を見せてもらったりしていた。戦後も手塚や長谷川町子、赤塚不二雄その他の漫画は結構見ていた方であった。 それでも鳥山明と言われても分からなかった。「ドラゴンボール」と聞いてそんな漫画もあったなあと思い出したが、名前だけで実際に見たことはなかった。「ドラゴ

    漫画家鳥山明氏の死 - drfridge’s blog 老生常談
  • チェルノブイリの祈り・第1話

    M36fe6VYt2uWzmIeGFDpt0G57gIBVl4d M36fe6VYt2uWzmIeGFDpt0G57gIBVl4d 0a14794708506d7da285874678f3b3f8

    チェルノブイリの祈り・第1話
  • 【記者コラム】ブチャ:死体で埋め尽くされた通り

    ウクライナの首都キーウ近郊ブチャで、自宅の庭に作った息子の墓で泣く女性(2022年4月6日撮影)。(c)RONALDO SCHEMIDT / AFP 【4月27日 AFP】ウクライナの首都キーウ郊外の静かな住宅街ブチャ(Bucha)の惨状を、世界で初めて目撃したジャーナリストはAFPの取材班だった。ロシア軍が、占領した1か月余りの間に数百人もの市民を虐殺したとされる場所だ。このコラムは、取材班の一人、ダニー・ケンプ(Danny Kemp)が書き留めたものだ。(文中に残酷な描写があります) ■ブチャにて 最初に3人の遺体が目に入った。ぼろ布のように道に横たわっていた。その光景だけで十分だった。 「死体…」 車内の誰かがそうつぶやいた。それしか言葉が出なかった。車を止め、外へ出た。ブチャのはずれの灰色がかった長い一道は、薄曇りの空へと続いていた。遺体は、積み上げられた建設資材や木製パレットの

    【記者コラム】ブチャ:死体で埋め尽くされた通り
  • 前線へ送られるロシア兵の現実−−「兵士の母の会」の告発

    ロシアウクライナ侵攻で苦戦している理由として、ロシア兵の未熟さ、士気の低さがよく俎上に上る。前線に送られる若きロシア人兵士がどのように生み出され、どんな実情に晒されているのか、ロシア「兵士の母の会」ワレンチナ・メリニコワ会長のウェブテレビのインタビューでよく分かる。 今回掲載するのは”Skazhi Gordeevoy”と”Popularnaya Politika”にアップされたロシア語のインタビューを筆者がまとめたものだ。 「兵士の母の会」は、ソ連時代、ペレストロイカの流れの中で作られた、軍隊での人権侵害の実態を公表して兵士の権利と尊厳を守るための団体が母体となっている。1994年チェチェン紛争が始まるとロシア全土に草の根的に広がり、捕虜の交換に積極的な役割を果たしたり、消息不明の兵士の生死を軍に照会したりするなど、ロシア社会に反戦の機運を高めてきた。紛争地帯に赴いて人権状況を査察するな

    前線へ送られるロシア兵の現実−−「兵士の母の会」の告発
  • さかさま船の魔女 - 近藤笑真 | 少年ジャンプ+

    JASRAC許諾第9009285055Y45038号 JASRAC許諾第9009285050Y45038号 JASRAC許諾第9009285049Y43128号 許諾番号 ID000002929 ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第6091713号)です。

    さかさま船の魔女 - 近藤笑真 | 少年ジャンプ+
  • 真珠湾攻撃で戦死、「2階級特進」から漏れた6人の真実 史実追求の先にあったもの

    1941(昭和16)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃で戦死認定された航空兵55人には、冷徹なまでの「死後の選別」があった--。79年前のきょう、太平洋戦争の戦端を開いた戦果を受け、攻撃に加わって亡くなった彼らに対し、軍部は異例の「2階級特進」を適用した。だが、この処遇から6人だけが除かれ、1階級の進級にとどまっていたことが分かった。敵前逃亡など、あからさまな咎(とが)があったわけではない。同じ作戦に基づいて、同じ戦闘に、同じ航空部隊から参加して命を落とした兵士に、なぜ明確な格差が生じたのか。(小川 晶) 神戸新聞社の神戸社11階、文化部フロアの片隅に、年季の入った1台のコンピューターがある。1990年代のデスクトップパソコンのような、厚みのある外観。社内では「マイクロフィルム」の名で通る。過去の新聞記事が焼き付けられたフィルムを、コマ送りで見ることができる装置だ。 航空機事故を取材する新

    raimon49
    raimon49 2020/12/09
    資料とインタビューから浮かび上がる、1階級特進に留まった人は兵学校出身でないか華々しく死んでいないからという仮説。本物の「取材」と呼べる記事だ。
  • 米軍を唖然とさせた日本軍の人命軽視〜重傷病者には「自決」を要求(一ノ瀬 俊也)

    兵は味方兵士の「遺体」回収にものすごく熱心だった。しかし、その一方で、苦しんでいる傷病者の扱いは劣悪で、撤退時には敵の捕虜にならないよう「自決」を強要した。このような態度を米軍はどう見ていたか? 一ノ瀬俊也『日軍と日兵 米軍報告書は語る』より「第二章 日兵の精神」を特別公開します。 個人とその生命を安易に見捨てた過去の姿勢を、現代の日社会は脱却できたと言えるのだろうか……。 葬送と宗教 日兵の宗教観と死生観について、米軍はどのように観察していたのだろうか。 書にたびたび登場する元捕虜の米軍軍曹は、日軍将兵の死者に対する弔い方、宗教精神のあり方を次のように詳しく描写している(IB*1945年1月号「日のG.I.」)。 *米陸軍軍事情報部が1942-46年まで部内向けに毎月出していた戦訓広報誌Intelligence Bulletin(『情報公報』)。日軍とその将兵、装備

    米軍を唖然とさせた日本軍の人命軽視〜重傷病者には「自決」を要求(一ノ瀬 俊也)
    raimon49
    raimon49 2015/08/13
    戦力の差だけでなくバックヤードの差もあった話。
  • 兵士たちはなんと言い残して亡くなっていったのか - Apeman’s diary

    旧軍将兵の従軍記、回想記などには(士官学校出の正規将校のものはちょっと別として)しばしば、「天皇陛下万歳! と言って死んでいった兵士などいない」といった趣旨のことが書いてあります(この夏にNHK BSHiで放送された「兵士たちの戦争」シリーズでもそうした証言があった)。『日中戦争の軍事的展開』(慶応義塾大学出版会)の第9章、河野仁の「日中戦争における日兵の士気――第37師団を事例として」で引用されているある元上等兵のインタビューでは、「天皇陛下万歳といって亡くなった戦友を見たことがありますか」という問いに対し、「天皇陛下万歳? そげんバカはひとりもおらん」という激しいことばで否定的な回答がなされています。この点について、具体的な数字を挙げて証言しているのが『ソロモン軍医戦記』(平尾正治、光人社NF文庫)です。その「あとがき」によれば、最期を看取った将兵が126人。このうち、「天皇陛下万歳

    兵士たちはなんと言い残して亡くなっていったのか - Apeman’s diary
  • 1