1969年、デンマークがハードコアポルノを合法化し、これを皮切りに1970年代から西側各国で「表現の自由」の名のもと、多くの国でポルノ映画に対する規制が解禁された[1]。1970年代に入ると、法規制の緩和により、アメリカ合衆国や他の多くの国々で「XXXレート(本格的ポルノと評価された)」映画の上映が許可され始めた[2]。 日本では1962年の『肉体の市場』を嚆矢として「ピンク映画」が登場[1]、大手東映も1968年、『徳川女系図』でこれに参入、これに大映、日活、松竹も続く[3]。また、1971年からは「ポルノ」との呼び名も聞かれるようになった[3]。 またこの時代1960年代後半〜1970年代初頭の映画によくある描写として素人が映ったアダルト作品を男女問わずみんなで集まって鑑賞するというスタイルが新宿界隈で流行っている様子が映し出された作品が何点もある。素人のアダルト作品がアンダーグラウン