@aritayoshifu 様。その直前の証言です。ご参考まで;《ある元朝日新聞原発担当記者の回想》 長年、いつか来るのでは、と恐れていた原発の大事故になってしまった。最前線で命をかけて頑張る作業員や、汚染地域で不安にかられながらも避難所や自宅で屋内退避している住民に心配を寄せるしか出来ない己の無力さに言葉無し。せめてかつて一時ではあるが、”原発記者”だった自分が、なぜ朝日新聞が原発の危険を訴える報道から退いて行ったか、一時期を知っている者として僅かではあるが知るところを記す。 今から30年以上前だったか、ちょうど各地で原発ラッシュが始まるころだった。「イエス、バット」で条件付建設を推進しようと社説などで掲げる社に対して、全国の原発候補地では圧倒的に反対の動きを伝える紙面を展開していた。 これに業を煮やした社が、有楽町の旧社屋時代に、全国の担当記者を集めた業界としては初めてだった「原