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ブックマーク / www.highriskrevolution.com (4)

  • 80年代末に作り手になった人間のRPG史観 | Colorful Pieces of Game

    なぜかはわからない。 ともかく80年代初頭にアメリカからやってきたRPGという概念を、日ゲームの作り手は80年代終わり~90年代初頭にプレイヤーを主人公とする基的には一道の物語を語るゲームと咀嚼して、いわゆるJRPGと言われるものを確立した。これは自分がプロになった80年代末から90年代初頭にみんなが目指していたメジャーな流れ(自分ももちろんその一人だった)なので、少なくとも大ずれではないと思う。 だから僕のJRPGの定義は「一のストーリーをRPGメカニクスを使って、プレイヤーに語るゲーム」だ。 ところでJRPGという単語は、揶揄する言葉として登場したわけだけど、まあ「日RPGによくある要素を色濃く持った」という意味を説明するうえではとても便利な単語なので、この文章では肯定的な意味で使っておきたい。 ではJRPGの方向を決定づけた作品はなんですか? つまりRPGに「J」をつけ

  • イースⅠ・Ⅱ通史(8):『ファザナドゥ』開発物語(1) | Colorful Pieces of Game

    これはイース通史の中で、イースとは直接的には関わりのないエピソードなのだけど、ハドソンが『イースⅠ・Ⅱ』の許諾を取る上では、大きな問題になった…と思われる『ファザナドゥ』のエピソードだ。 まず『ファザナドゥ』という作品について、簡単に説明しておきたい。 『ファザナドゥ』はファルコムの大傑作ソフト『ザナドゥ』を、ハドソンがファミコン用に移植したゲーム、ということになっている。 「ということになっている」というのは、発売されたゲームが、まるで別物だから。 ここで名誉のために書いておくと『ファザナドゥ』は、まあまあ出来がいいRPG要素の入ったアクションゲームだ(RPG要素の入ったと書いているのは経験値による成長サイクルがないのでCRPGとは呼び難いから)。 ただアイテム名やモンスタ―名、それとも称号に共通しているものがある以外は、何一つ『ザナドゥ』と共通点がなく、「どうして『ザナドゥ』の名前がつ

  • ファミコン版FFⅡのアルテマはなぜ弱かったのか?::Colorful Pieces of Game

    Twitterでメモ書きした話をもう少しちゃんと残しておこうと思った。 ただの記憶でしかなく、細かいところに間違いがある可能性は十分にあるが、大枠は間違っていないはず。 25年前(1989年の初頭だったはず)、僕は自分のデビュー作、さいきょーRPG『凄ノ王伝説』の宣伝で、マル勝ファミコンの座談会に出してもらえることになった。この座談会は1988年冬~1989年初頭のゲーム業界で、言うまでもなく1988年2月に出た『ドラゴンクエストⅢ』で空前のRPGブームが来ていた、まさにRPGの全盛時代といっていいタイミングで行われていた。 僕自身はというとPCエンジン版の『イースⅠ・Ⅱ』の制作に入る前で、さくまセンセイのところでどんちゃんに叩きのめされる前だったと思う。 自分のゲームに対する考え方とアプローチは『イースⅠ・Ⅱ』の制作に入るまでの2ヶ月ほどで激変するのだけど、こんときはまだゲームを作るプロ

    raimon49
    raimon49 2014/10/02
    最高だなぁこれ。
  • 同人について語ったustに腹が立った::Colorful Pieces of Game

    9/19 17:26に大幅に訂正。 怒りすぎてて、いろんなものがグダグダになっていたので、書き直しました。 誤解もあると言われたのでust関係のところを冷静になって見直したのだけど、問題があると自分で思った。多分、自分が周辺のツイートとも絡み曲解してしたっぽいので、昨日のustに関する怒りは謝罪し、削除しておきます。 9/19の朝、Twitterのハッシュ#doujin24と絡んでustでプロと同人が一緒に同人ソフトについて語っていた。討論内容はグダグダな上に結構ムカつくところもあったのだが、ともかく、気になったのが「同人の定義」が極端に曖昧なことと「儲けること(商業活動)」だった。 というのも、約20年前、僕は天外2を作っているときに不幸な出会いがあり、当に同人が大嫌いだった。 そして、同人に対していわれなき悪意を持っていたが、これを木っ端みじんにしたのが故・岩田次夫さんだった。僕のあ

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