JASRAC許諾第9009285055Y45038号 JASRAC許諾第9009285050Y45038号 JASRAC許諾第9009285049Y43128号 許諾番号 ID000002929 ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第6091713号)です。
JASRAC許諾第9009285055Y45038号 JASRAC許諾第9009285050Y45038号 JASRAC許諾第9009285049Y43128号 許諾番号 ID000002929 ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第6091713号)です。
『マンガ ドラゴンクエストへの道』は、エニックスが出版事業に参入してまだ日が浅い1990年2月に出版された。 同時期の「モンスター物語」などと同じB5判で、280ページ以上もある長編だ。 中身はご存じだろうが、堀井雄二と中村光一がエニックスと出会い、ドラクエ1を開発するまでの経緯をマンガにしたもの。 有名な本だ。 現在も本書は一線級の資料として扱われており、ときにはゲーム史の参考文献として使用されていることもある。 本の中にはフィクションともノンフィクションとも書いてないのだが、大部分は事実に沿って構成されているが、もちろん一部は脚色も入っているという見方が一般的である。 そこに罠があったという話を、今回やっていこうと思う。 いろいろあったが、結局入手するしかないという考えに至り、こうなった。 のち91年にガンガンコミックスから再編集版が出ているが、単純にオリジナル版のほうが内容が多いよう
鳥山明は、縦の間白(コマとコマの間)より横の間白を広くとり読みやすくする工夫など、先鋭的な作品ではむしろダサく見えてしまう表現上の更新もしている。が、それが典型的に示すように、新しい革新的な表現に注目しがちな批評言説からは注目されにくい作風である。けれど、彼は間違いなくジャンプ最盛期の牽引役で、その後のジャンプ路線のシンボルだった。のちにジャンプを支える『NARUTO』の岸本斉史、『ワンピース』の尾田栄一郎ら、多くのジャンプ作家に影響を与えた。いわば読者を育て、そこから作家を生み出したのである。いいかえると、彼はジャンプの基準、範例のようにも見なされ、結果「明朝体」のように感じられるようになったのかもしれない。 鳥山明はとてつもない作業量をこなし、しかも締め切りを守った。その理由が、会社員を経験したので、〈原稿が遅れるといろんな人に迷惑がかかる〉*1と思ったからだという。ただ、絵を描くのが
ブッダ「見てよ 待合室におかれた…… この古いジャンプを……!」「ドラゴンボールとジョジョとスラムダンクとダイの大冒険とタルるートくんとターちゃんと幽白と男塾と」 イエス「連載陣の豪華さで(※歯医者を)選んだのかい!?」 ブッダ「いや だって…… 見てよ このラインナップ…!!」「どこから読んだらいいのか…」 中村光『聖☆おにいさん』(講談社)6巻より すべての見出しを開く 『週刊少年ジャンプ』誌の影響力、発行部数などが全盛を誇った時代をジャンプ黄金時代と呼ぶ。 大雑把に言うと『北斗の拳』の連載開始(1983年9月)くらいから『スラムダンク』の連載終了(1996年6月)までのおよそ13年間。『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』(鳥山明)の連載時期にほぼ重なると考えてもらってもわかりやすいかもしれない。ピークの1995年(ただし実際の発売は1994年末)「新年3・4合併号」では、漫画雑誌と
ジャンプ誌上でたくさんの作品を発表された鳥山明先生が逝去されました。 突然の訃報に、集英社・編集部一同大きな悲しみに包まれております。 『Dr.スランプ』『DRAGON BALL』『SAND LAND』...先生が描かれた漫画は、国境を越え世界中で読まれ、愛されてきました。 また、先生が生み出された魅力あふれるキャラクターたちと、その圧倒的なデザインセンスは、数多くの漫画家・クリエイターに大きな影響を与えてきました。 先生の偉大なご功績を讃え、感謝の意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 週刊少年ジャンプ編集部 Vジャンプ編集部 ジャンプSQ.編集部 最強ジャンプ編集部 少年ジャンプ+編集部 株式会社バード・スタジオ/株式会社カプセルコーポレーション・トーキョーと、先生と親交の深かった方々からコメントを頂戴しました。 ◆ ファン、関係者の皆さまへ 突然のご報告になりますが、
※本コンテンツはアキバ総研が制作した独自コンテンツです。また本コンテンツでは掲載するECサイト等から購入実績などに基づいて手数料をいただくことがあります。 中国オタク事情に関するあれこれを紹介している百元籠羊と申します。 新年あけましておめでとうございます。 今回は2024年最初の記事になるということなので、近年中国国内で広まり定着している日本のRPG関連のお約束的な知識と、日本の古典的名作RPGの中国のオタク界隈での評価や人気がイマイチな理由などについて、中国の過去のゲーム事情と一緒にまとめてみようかと思います。 あわせて読みたい 現代中国では扱いが難しくなった日本の中華ファンタジーと 中国の10月新作アニメ事情 やっとサービス開始したものの予定どおりにいかない中国国内向けウマ娘と 中国の10月新作アニメ事情 現在の中国のオタク界隈、日本のアニメ視聴者の間にはさまざまな日本の作品における
『ダイの大冒険』『仮面ライダーW』三条陸が語る、「ヒーローの条件」とは?──どんなにカッコよくても、「頑張れ!」と思えなければ好きにはなれない 「80年代」……それは『ウルトラマン』と『仮面ライダー』という日本を代表する特撮シリーズに「空白」が生じた時代である。 1980年に放映された『ウルトラマン80』を最後に、1996年の『ウルトラマンティガ』までの間、ウルトラマンシリーズのテレビ放映は16年に渡って中断されることとなった。 『仮面ライダー』においても、1980年に放映された『仮面ライダースーパー1』以降、1987年から1989年に掛けて放映された『仮面ライダーBLACK』、『仮面ライダーBLACK RX』という例外は在りつつも、2000年に放映された『仮面ライダークウガ』から始まる、いわゆる「平成ライダーシリーズ」までは長い休眠期間に入ることになる。 そして1980年代とは、1981
ナタリー コミック 特集・インタビュー “異世界もの”はなぜ一大ジャンルに成長したのか?その源流から最新トレンドまでを識者が語り尽くす 講談社シリウス編集部 PR 2023年9月8日 2010年代初頭の小説投稿サイトでの人気に端を発し、今では書店の一角にコーナーが展開されるほどの一大ジャンルに成長した“異世界もの”。現実世界から転移・転生し、魔法やチート能力が使えるファンタジー世界を舞台に、主人公が戦ったりスローライフを送ったりする様子が支持を得ている。特に2013年に小説家になろうで連載開始され、さまざまなメディアミックス展開が行われている「転生したらスライムだった件」は、原作小説やコミカライズを合わせたシリーズ累計発行部数が4000万部を突破。2022年に公開された「劇場版 転生したらスライムだった件 紅蓮の絆編」は興行収入が14億円超と、異世界ものが市井の人々にも広まっていることを示
三条陸 DAI WORKS を語る永遠の名作『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』の原作者が、そのすべてを語りつくす。 『ダイ』は『ドラクエIV』バックアップ計画の末っ子──まず『ドラゴンクエスト ダイの大冒険(以下『ダイ』)』という作品が生まれたきっかけから教えていただけますか。 それはやはり、『ドラゴンクエスト(以下『ドラクエ』)』シリーズの生みの親である堀井雄二さんが「週刊少年ジャンプ(以下「ジャンプ」)」で記事ページのライターをしていたことが一番大きいですね。ジャンプ編集部の鳥嶋和彦さんも、もともと大のゲーム好きだし、ゲームというメディアの可能性に注目していて、『ドラクエ』シリーズをずっと誌面でプッシュし続けていました。ターニングポイントが訪れたのは、『ドラクエⅣ』の発売が見えてきた時期です。 ──『ドラクエ』の漫画化として『ダイ』の企画が立ち上がったと…。 いえ、実はこの段階で『ドラ
『ドラクエ』は初代の時点で“面白い”と確信していた──……では、本日のゲストをお迎えいたします。まずおひとり目が『ドラゴンクエスト』の生みの親であるゲームデザイナーの堀井雄二さん。そしてさらに、元少年ジャンプ編集長にして『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』、『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』の生みの親であり、『ドラゴンクエスト』誕生のきっかけを作ったとも言われるマンガ編集者・マシリトこと鳥嶋和彦さんです! 堀井さんはインタビューだとか、『ドラゴンクエスト』の新作にあわせてのコメントだとかはいくつか拝見したことがあるんですが、テレビやラジオというものにはあまり出演なさってないですよね? 堀井雄二氏(以下、堀井氏): はい、あんまり出ないですね。あがり症なものですから(笑)。 ──そのころは集英社の会議室に堀井さんが夕方6時ごろに現れて、夜の10時から原稿を書き始めていたとか……。 堀井氏:
アフタヌーンの編集長、金井暁と申します。ちょっと思い立ちまして、マンガについて考えたことなどを実話や経験とあわせて書いてみようと思います。 昨年2022年12月5日、渋谷LOFT9のイベントに高松美咲さん、幸村誠さんと一緒に、マンガ大好き芸人・吉川きっちょむさんのお招きで登壇しました。その際きっちょむさんから、 「アフタヌーンってどんな雑誌ですか?」 と質問され、正直うまく答えられませんでした。 「お前、編集長だろ!?」と言われても致し方ないのですが、アフタヌーンは言葉にしようとすると実相から遠ざかるんです。言葉で説明しにくい。その一方、SNSでやたら目にするのが「ジャンプ(またはジャンプ+)で読んだマンガ、アフタヌーンかと思った!」というコメント。目にするたびに「どこらへんで!?」って少々モヤモヤするのですが、読まれた方がそうお感じになったのならこれも致し方ないですね。というわけで最初に
福地 翼(ふくち つばさ、本名同じ[1]、1980年2月7日[2] - )は、日本の漫画家[2]。男性[2]。栃木県出身[2]。血液型A型[2]。代表作は『うえきの法則』[2]、『うえきの法則+』[2]、『タッコク!!!』[2]、『アナグルモール』[2]、『サイケまたしても』[2]。 1980年2月7日、栃木県で生まれる[2]。 10代のころ、ドラゴンクエスト4コマクラブに投稿しており、投稿作が単行本に掲載されている。ある時、キングスライム賞を受賞するも、その代でドラゴンクエスト4コマクラブが終了した為、『月刊少年ガンガン』でのデビューが断たれてしまう。その悔しさをバネにストーリー漫画を描き始め、『週刊少年ジャンプ』『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』のどれかに投稿しようとした時に、原稿を描き終えた時点で、一番締め切りが近かったのがサンデーだったためサンデーに投稿する[1]。 1999
週プレNEWS TOPニュースエンタメ"ゲーム音楽の父"すぎやまこういちさん追悼インタビュー。"Dr.マシリト"鳥嶋和彦さんが『ドラクエ』誕生秘話を語る! 『ドラクエ』シリーズに名曲の数々を送り込んだすぎやまこういち氏 10月7日、作曲家・すぎやまこういちさんの訃報が日本列島を駆け抜けた。享年90。『ドラクエ』シリーズに名曲の数々を送り込んだ"ゲーム音楽の父"に哀悼の意を表して――。 編集者として『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』を生み出し、『ドラクエ』誕生にも深く関わった鳥嶋和彦(とりしま・かずひこ)さんが当時を振り返る。 * * * ■『ドラクエ』を作った"伝説のパーティ" 『ドラクエ』誕生にも深く関わった鳥嶋氏 ――35年前、『ドラゴンクエスト』の記念すべき第1弾が発売されました。鳥嶋さんはキャラクターデザインに鳥山明先生を紹介して最大級の貢献をなさるわけですが、当時の、『ドラクエ
「ジャンプ」と「コロコロ」の複雑な関係 学校読書調査で毎年行われる「(調査直近の)5月の1ヵ月間に読んだ雑誌」ランキングの小学校4年~6年男子部門では、1990年代後半以降、ずっと「コロコロコミック」がトップである。 しかし、90年代半ばまでは違っていた。1970年代には「週刊少年マガジン」、「週刊少年チャンピオン」、小学館の学年誌と「ジャンプ」がトップ争いを繰り広げていたが、1980年以降はしばらく「ジャンプ」がトップとなり、1996年調査で初めて小4のトップを「コロコロ」に奪取され、以降、徐々に「コロコロ」が優勢となり、現在に至っている。 今ではすっかり「ジャンプ」は中学生以上が読む雑誌になり、小学生向けの「コロコロ」と棲み分けるようになった。だが80年代から90年代にかけて 、二誌はライバルとして激しく争い、ビジネスモデルも相互に影響を与えながら洗練させてきた。 年齢に合わせて棲み分
「いのまたむつみ展」では『サイバーフォーミュラ』、『ブレンパワード』、『小説ドラゴンクエスト』、『テイルズ オブ』シリーズなどの原画、そしてアニメーター時代に手掛けた原画の数々が展示され、その作品数は初公開を含むと約80点にも及ぶ。 だが、いのまた氏の画業40年の中で、展示会では知ることができない1年があるのだ。それこそが、1990年代に大ブームを巻き起こしたセガの格闘ゲーム『バーチャファイター』に捧げた1年だ。 当時の大会の様子。以下に掲載している「当時の画像」は、すべてブンブン丸氏提供によるもの。 特に『バーチャファイター2』(以下、『バーチャ2』)のハマりっぷりは凄まじく、ゲーセンに入り浸るも、仕事でゲームができないことにストレスを感じ、ついには筐体を購入。ところが、今度は対戦相手が見つからず、涙を流したほどだという。 そんな日々に迫るのが今回の対談である。いのまた氏と永野氏は「バー
1990年に発行された『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』は絶大な人気を誇り、「月刊少年ガンガン」刊行にもつながりました。『ドラクエ4コマ』黎明期を支えた人気作家・石田和明先生に、当時の思い出を聞きました。 人気RPG『ドラゴンクエスト』を題材とし、複数の漫画家による4コママンガを収録した『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場(以下、ドラクエ4コマ)』は、1990年4月にエニックス(現:スクウェア・エニックス)から第1巻が発行されました。その人気から『ドラクエ4コマ』はシリーズ化され、「月刊少年ガンガン」刊行にもつながります。 のちに『ドラゴンクエスト』だけでなく、さまざまなゲームの『4コママンガ劇場』が発行されました。「アンソロジーコミック」の先駆けともなった『ドラクエ4コマ』の黎明期を支えた作家陣のひとり、石田和明先生に当時の思い出を聞きました。 ーー石田先生が『ドラクエ4コマ』の第1巻に
Hakuro Matsuda さんと、Blade Runner 2049, Game of Thrones, ソーシャルゲームなどについて話しました。 Show Notes Blade Runner 2049 (2017) - Rotten Tomatoes ‘Blade Runner 2049’ Sputters at the Domestic Box Office Ryan Gosling Mackenzie Davis Black Mirror | San Junipero Game of Thrones Rebuild: 193: Winter Is Coming (gfx) SINoALICE ーシノアリスー | SQUARE ENIX アズールレーン Tencent WeChat Kung Fu Yoga (2017) スマートフォン版 どうぶつの森 ニンテンドークラシックミニ
【堀井雄二インタビュー】「勇者とは、諦めない人」――ドラクエが挑んだ日本人への“RPG普及大作戦”。生みの親が語る歴代シリーズ制作秘話、そして新作成功のヒミツ 今年7月29日に発売された「ドラクエ」の新作『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』が絶好調だ。 「ドラクエ」こと「ドラゴンクエスト」シリーズが、言わずとしれた国内RPGの大人気タイトルであることは強調するまでもない。本編としては11作目となる本作も、発売から10日後の8月7日には、国内出荷本数とDL販売数の合計が300万本を突破。まさに「王者」の貫禄を改めて見せつける数字を叩きだしている。 『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』 (画像はPlayStation Storeより) さて、そんな「ドラクエ」新作であるが、今回ほど発売前にメディアやネットでの期待感が薄かったナンバリングタイトルも、珍しいのではないだろうか。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く