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ここに一つのサイコロがある。 このサイコロは完全な立方体ではなく、なにがしかの歪みがあるようだ。ただ、どの程度の歪みかはわかっていない。ひとつ分かっている歪みは、安定した振り方をしていると偶数よりは奇数の目が出る確率が若干高い*1ようだということだけだ。 また、オッズは以下のようになっている。 偶数奇数に賭けた場合は当たれば2倍 特定の目に賭けて当たった場合0倍から100倍までオッズは変動 ただし、賭ける時点ではオッズは不明 過去のデータによれば、オッズの平均は6.1倍程度らしい。 たまにサイコロがテーブルの外に落ちてしまうことがある その場合、テーブルの下で出た目に賭けていた掛け金は没収 その他の掛け金は手元に戻る さて、サイコロの出る目に賭けてもらおう。 ┌サイコロの出る目なんて分かるわけないよ派 │├奇数に賭けときゃ平均してプラスでしょ派 ⇒インデックス投資(橘玲派) │├はずれたら
どうでもいい話:ケータイを持つことは日本国民の義務なのか? 先日、知人と酒を飲んで与太話をしていたときに話題になったことの一つが「ケータイ」だった。 その話の相手の知人は、明確な意志により夫婦そろって携帯電話を持っていない。 まぁ、ケータイを持たないという考え方自体は、自分は真似できないけれど、それほどすごい違和感もない。それに10数年前は、自分もケータイの無い生活をしていた訳だし。 ただ、現実的には、「ケータイを持たない」という生き方は、不便とかどうのこうのというよりも、今の日本ではごく当たり前な社会的サービスも利用できなくなる可能性があるのではないかという話になった。 つまり、ケータイ番号を便宜的に個人IDとして登録させて提供するサービスが今後増えるだろうから、そういう時に携帯電話を持っていないと、そのサービスを全く利用できない可能性がありそうなのだ。 事実、その知人は、とある宅配の再
一書に曰くと書いてあるように、日本書紀が執筆された時代には、国史を書くための参考文献が幾つか存在したはずである。日本書紀の執筆者(グループかもしれないが)はそれらの文献を読み検討した結果として本文を書いているはずである。多くの物語があって、どれが本当かわからない、しかし 古事記が通読するには読みやすい分量であるのに比して、日本書紀は大部の書籍になる。巻数にしても古事記が上中下三巻なのに、日本書紀は三十数巻に及ぶのである。 しかしながら、神代記のしかも本文に限っていえばかなり素っ気ないものになっている。古事記の上巻を通読し、では日本書紀ではどう書いてあるのかと手にしてみる。構成からして古事記とはかなり異なる。本文が一段落書かれた後、有名な一書に曰くが続く。延々と続く。まるで学術書を読んでいる趣。幾つかの一書に曰くが終わると、次の本文が記される。一フレーズ終わると、また一書に曰くが続く。 この
本当は、昨日書こうと思ってたんだけど、ダラダラしてたんで、今日になってしまったお話なんだけどね。 というわけで、今日は、「豚もおだてりゃ木に登る」ならぬ「人をおだてると生産性が上がる」というお話ね。それと、人間関係が組織の基本という当たり前の話。まぁ、物凄く噛み砕いた話で、大まかな言い方だし、当たり前の話というか。 Life is beautiful: なぜ日本企業による米国企業の買収がしばしば失敗に終わるのか 実は、この中嶋さんのエントリを読んだ時に、書こうと思っていた話なんだけど、何か、だらだらしてしまい、あとであとで思っているうちに、 電通「鬼十則」、そして電通「裏十則」 - GIGAZINE ギガジンで、こんな話がでて、そうそうこれこれと思っていたら、 小野和俊のブログ:IT業界の大企業での生々しい話を5つほど 小野さんのブログでも、こんな話が出て、そんでもって、 My Life
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