沖縄戦の語り継ぎ方として、(表面的な政治思想的なことではなく根っこの情感としては)尚古右派的なものも進歩左派的なものも、どちらも必要であると思います。ただし左派の語り口は「時を得て奢りを生じた」と思わざるを得ないものも多いです。右派的な語り口は白眼視にさらされながら、時に人目をはばかって押し殺すような呻くような、そういったものも掬い上げてはきたわけですが、左派的な語り口は非常に言いやすいから好きなだけ言えてしまったという面はあるだろうな、と。 ただしそれについては先のエントリのコメント欄で、たんおさん宛てに書いたレスの一部をここに再掲しますが、今はまだ、現に多くの遺族の方々の巨大な恨みが残って、かつそれが政治利用的に増幅されているという一面がありますから、いたしかたないとは思います。私はその状況があることについて、戦後の誰を責めるでもないと思います。個々の言論の当否ではないですよ、そういう