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どうもしんざきです。今日の記事は、不倒城には珍しく画像多めの為折りたたみます。一応、大長編ドラえもんの一作「魔界大冒険」のネタバレが随所にありますので、未見・未読の方はご注意ください。 最近、といっても去年くらいからですが、長男(現在小学一年)は漫画を読み始めました。大変お気に入りなのは、藤子・F・不二雄先生の「ドラえもん」で、何かにつけててんとうむしコミック版のドラえもんを買って欲しがります。特に「一巻から順番に」というこだわりなどはない様で、巻数はばらばらですが今十冊くらい買ってます。彼はドラえもんを、のび太やジャイアンを狂言回しとしたギャグマンガとして楽しんでいるようで、しょっちゅう爆笑しています。 TPOとメリハリ(食事中に読まないとか)さえ弁えれば、マンガもゲームも大いに良かろうと私は思っているので、引き続き楽しんでくれればいいというところなのですが、最近ふとどうでもいいことに気
多分既出話なのだろうが、いつも通り特に気にせず、思いついたままに書く。様々なケースがあることは一応承知している。 会社側の人間として、採用面接をすることはこの時期多い。自分が、人の人生に影響を及ぼすに足る程の人間だなどと思ったことはないが、それでも仕事は仕事として、私は面接に臨む。中途の方とお話をすることもあるし、学生さんとお話をすることもある。 今日の面接は、来年卒業する予定の方々とのグループ面接だった。会社側の人間数名の中に混じって、私は学生さん数名とお話をした。 その時、会社側の偉い人が聞いた、「大学で得た一番の成果は」という言葉に対して、学生さんは口々に答えた。曰く、サークル活動でこういう企画のリーダーをやって成功させた。○○というボランティアを行った。アルバイトで、××という店の立ち上げに関わった。色々な人たちとコミュニケーションをとって、成功に導いた。会社側の偉い人も、得心顔で
こちらの記事を読んだ。 BLOGOS:アルジェリア人質事件 僕は「Aさん」では死にたくない 若干厳しい言葉を使うが、この記事は議論のすり替え以外のことを何一つしていない、と私は思う。 まず最初に、 アルジェリア人質事件で犠牲になった方を実名で報道するかが、大きな論争になっている。故人や遺族の了解なしに実名で報道できるのか、という疑問に、マスコミはきちんと答えてきたのだろうか。 というセンテンスを挙げられていて、ここが首題の一つだと判断して差し支えないだろう。 それに対して、この記事で提示されている回答は、 毎日起きている交通死亡事故の中にも、思わぬ社会の不備が隠されていることがある。遺族への取材が社会を突き動かし、事故対策が進むことは決して少なくない。 その一方で「Aさん」という匿名に社会を動かす力はない。 僕は「個人情報の保護」「匿名報道」という綺麗ごとや事なかれ主義よりも「実名報道」と
昔々のことだ。確かまだ学生の頃だったので、少なくとも10年以上昔の話である。 昔過ぎて経緯が曖昧なのだが、私があるステージに立ってケーナを吹く時、同じケーナ吹きの先輩が観に来てくれたことがあった。ステージの開始前に、ちらっと先輩と会話した。 細かい内容は忘れたが、謙遜のつもりで、ちょっとへりくだった言葉でも言ってしまったのだろう、多分。 先輩は同意するでも怒るでも笑うでもなく、単に一言、こういった。 「コックが「美味しくないですけど」といいながら出した料理を食いたい客がいるか?」 この言葉だけ、物凄く印象に残っている。今でも、この時の一言一句を鮮明に思い出せる。 後になってから理解出来るタイプの言葉だったと思う。この時は、先輩の言葉は他の会話の中に流れ去って、私は普通にステージに立ち、いつも通り演奏を終えた。 後から、私は、先輩の言葉をこんな風に理解するようになった。 時間なり、お金なり、
最初に、私の立ち位置を明確にしておこう。 私はいわゆる「昔からのゲーム好き」だし、今から始まるのは結論ありきの議論でもある。「基本無料のソーシャルゲームって、私にはあんまり面白く感じられないなー」というのが結論であり、「じゃあ、何で面白く感じられないんだろう?」というのを考えてみたくなった、というのが今から書くお話である。 整理から始める。 ゲームに限らず、あらゆる娯楽は、プロセス、コスト、リターンという三つから構成されていると思う。プロセスが、その娯楽を楽しむにあたって、実際に行う活動。コストが、それをする為に支払うもの。リターンが、それによって得られるもの。 例えば、読書という娯楽は、「本を買うお金」という金銭コストと、「本を読む時間」という時間コストを必要とする。そして、「実際に本を読む」というプロセスを経て、知識や、知的好奇心の充足や、臨場感など諸々の知的興奮といったリターンを得る
ふとどうでもいいことが気になった。 発祥がどこなのかは知らないが、ドラクエシリーズにおいて、主人公パーティが戦闘からの逃走に失敗すると、メッセージにはこう表示される。 「しかし まわりこまれてしまった!」 考えてみると、これは随分と妙な話である。何故「回り込まれる」のか。主人公パーティが背中を向けて逃げ出すのに失敗したならば、単純に「追いつかれる」で良いではないか。 「回り込まれる」状況を図示するとこうなる。絵心についての苦情は受け付けないが。 曲がってます。超捻じ曲がってます。何故ドラクエにおけるモンスターは、そこまで迂遠な道を選ぶのか。余りにも自分に厳し過ぎる。 普通に考えるとこれ、モンスターめっちゃ速い。かなり少なく見積もっても、移動距離が主人公パーティの3.14倍を超えている。お前ら、実は全員はぐれメタルちゃうんかと。星ふる腕輪標準装備かと。 3秒考えて、こう思った。「つまりこれは
気になったことが幾つか。メモ的に書く。 まず最初に。 関東地区女性校長会が激しくやばい件 『教育現場に水のメッセージを』(『Hado』9月号) 「水からの伝言」とか波動の人が女性校長先生集団に講演、更にホメオパシーのコンボ、とか字面だけ読むと脊髄反射でうわちゃあとか思うけど、うわちゃあの先には色々と考えなくてはいけないことがある気がする。 ここで思ったのは、例えばこういう講演を聞いて「いい話だなあ」と感じる人(どれくらいいるのか知らないが)は、「科学的な視点からの反論」に対してどう感じるのかな、ということである。 メッセージの届き方にもよるのだが、「(悪い意味での)科学至上主義者がなんかうるさいこと言ってる」という風にとられてしまう向きがありはしないか、と。(参照:Wikipedia:ノート:千島学説) 思考の方向というか、意識の決定的なずれがどこかにある様な気がする。 別のエントリーを読
つまりそれは、「はがねのつるぎ」を装備するか、88mm砲を積むかという、厳然たる壁だ。「ゴールドを稼ぐ」か「賞金を稼ぐ」かの、越えられない壁だ。 1991年という年は、ゲーム業界における文字通りの過渡期だった。 スーパーファミコンというハードが既に出現し、「ファミコンで出る予定だったあのゲームがSFCで」という噂がゲーム雑誌を跳ね回り始めていた頃。一方で、ファミコンのゲーム開発もいい加減煮詰まり、様々な「到達点」や「二番煎じ、三番煎じ」と言うべきタイトルが発売されていた頃。 PCエンジンもメガドライブもまだまだ現役で、一方任天堂はファミコンの普及台数を背景にSFCの勢力拡張を進めており、ハード間戦争が本当の意味で深刻だった頃。ラングリッサーが、マスターオブモンスターズが、イースIIIが発売されていた頃。ゲーセンにいけばストIIの筐体が立ち並び、対戦格闘ブームの狼煙が挙がり始めていた頃。 こ
学歴がどうとかいう話をなんとなく追っかけてみたら、なんか色んな話が入り混じっている様な気がしたので、ふと整理したい欲求に駆られた。 長いので一応折りたたむ。 没落エリートの出現―ビジネス社会から疎外される高学歴就職難民たち 学校ってバカを治療してくれんのか 学校はバカを治せるほど優秀なシステムじゃない なんとゆーか、皆様、それぞれちょっとずつ別の論点について語っている様に見えるのだな。 ちょっと切り分けてみよう。 ・学歴というツールをどう利用するか ・高学歴は優秀さを保証するか、学歴と能力の関係 ・学校で何を学ぶか、何を得るか これらはそれぞれ全くの無関係ではないにせよ、埼玉と千葉と栃木くらいには離れた問題なので、横着しないで別々に考えた方がいいんじゃないかなあ、と思ったよ。 外野から、思ったことだけを書き連ねてみる。 ・没落エリートがどうとかこうとかについて。 没落エリートとは高学歴であ
色々と考えるところがあった。あったんだけど、大部分は言葉にならない。 言葉にならないから、知っていることだけを書こうと思う。 思うこと。 実際のところ、漫画家さんを見下している編集者さんってのは、いた。多分少なからずいた。先生先生といいつつ内心は見下している、という人もいたし、もうちょっとストレートにデカい態度に出ている人もいた。昔、私も、何でなんだろうなあと思ったことがある。漫画家さんあっての漫画雑誌だろうに、と思ったこともある。 私が昔お世話になっていたのは、例えば小学館などとは比べ物にならない程小さな出版社だった。だからかどうか、雷句先生が憤っている程に「うーん」な編集者さんは、幸いというべきなのかどうか、一人も知らない。 その上で、敢えて単純に、私が聞いた限りの話をする。いい悪いの話ではなく、一切一般化されるべき話でもない、ということは断っておきたい。 私が実際にこの耳で聞いたこと
CRMというのは、顧客の傾向をリサーチして、それに基づいた営業が出来る様にするシステム。なんとなく心に残ったのでメモっておくことにする。 妙にシステム開発に詳しい床屋さんだったが、そもそも何でこういう会話になったか、という導入は面倒なので省く。 彼曰く。システム会社がクライアントの注文に応じて開発するWeb系のCRMってのは、大抵ダメCRMだ、と。 「いや、単純な話。彼らが欲しがるCRMって、要は「お客さんごとに適した営業活動が出来る様にする」システムでしょ。それが既に発想としてダメなんですよ」 「へ。そーゆーもんですか。そのココロは?」 「そっすねー。たとえば。しんざきさん、こういう風にサクサク会話につきあってくれてますけど、正直床屋で会話なんてウザいなーと思うことあるでしょ」 「まあ、ぶっちゃけるとたまにあります」 「大抵のお客さんってそうなんですよ。じーっと黙って、「あ、この人は会話
ちょっと迷ったけど、気になったから書く。 サヨ、カスラック、マスゴミ批判で一丁上がり! こうした光景は昨今のネット界隈でも見られるからだ。たとえば「左翼」と「JASRAC」と「マスコミ」の3点セット。これらを「サヨ」、「カスラック」、「マスゴミ」に置換してアジビラまがいの文章を書いている手合いからは、確固たる思想信条は感じられない。 何故確固たる思想信条が感じられないかというと、そもそも思想信条が読み取れる様な書き方をしていないからだろう。単純な話である。 そこに本当に思想信条が存在しないのかどうか、単に時流に流されているだけなのか、それとも書いてないだけで実は深い根拠があるのか、んなこたあWebに存在する文言を読むだけじゃ分かりはしない。そこにあるのは、「根拠の明示なく(=思想信条の表現不足)口汚い論難・総括をした(=サヨとかカスラックとかマスゴミとか)」という厳然たる罪であり、 あわよ
先日書いたが、子供が生まれた。 一生にそう何度も無いことだ。思ったことを何かの形で書き記しておきたいと思った。といっても、思った内容全てを書き切ることなど、私の脳みその表現力では到底期待出来ない。せめて淡々と、出来事の表面だけでも書き残しておこう。 以下の文章は、初めて妊娠と出産という場面を目の前で目撃した件に関するちょっとした記録、ただの私的な記録である。これをブログに書いておくというのは単なる私のわがままであり、別段面白い話でもないだろうことは先に言い訳しておく。 奥様が妊娠して、大きくなっていくお腹を撫でて、かなり早い段階から「助産院で産みたい」という彼女の言葉を聞いた。助産院の説明会にもついていった。それなりのリスクもありそうだとは思ったが、普段はあまり「やりたいこと」を自分から言い出さないうちの奥様が、珍しくはっきりと明示した意思であれば、特段文句はないと思った。この世になんとか
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