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2007年5月23日のブックマーク (18件)

  • インドで横行する臓器売買――「合法化が最善策」の声も | WIRED VISION

    インドで横行する臓器売買――「合法化が最善策」の声も 2007年5月23日 社会 コメント: トラックバック (0) Scott Carney 2007年05月23日 インド、チェンナイ発――2007年1月に行なわれた警察の強制捜査で、人間の腎臓を売買したとして密売人3名が逮捕された。この一件で、地域の医療規制当局の不始末に注目が集まるとともに、臓器売買に関する国際的な議論が再燃している。 タミル・ナードゥ州の各地に住む500人以上の人々が、1994年に成立した臓器移植に関する規制法に違反して、臓器ブローカーに自分の腎臓を売ったと話している。しかし規制法の成立以降も、この法律を守らせなければならないはずの行政当局は、しばしば見て見ぬふりをしてきた。 タミル・ナードゥ州の移植承認委員会のメンバーは、匿名を条件にワイアード・ニュースの取材に回答し、次のように述べている。 「われわれはすべて法律

    rajendra
    rajendra 2007/05/23
    "非合法の臓器売買がなければ、患者は何の希望も持てなくなるという。なぜならインドでは、遺体から臓器が寄付されることは非常にまれだからだ。見返りがなければ、実質上ドナーはいなくなる。"
  • 「水からの伝言」に言語学の立場から反論する - 誰がログ

    追記(2020/12/28) 改訂版を書きました。解説・表現を見直し,少し読書案内を追加しました。 dlit.hatenadiary.com はじめに というわけで、宣言どおり「水からの伝言」に対する言語学的な視点からの反論を書いておくことにします。 これまでこのブログではこういう話題は全然取り上げてこなかったので突然に思われるかもしれません。web上でこの話題に出会ってからかなり多くの関連サイトをのぞいて勉強させていただきましたが、「言葉」の役割がかなり大きい問題であるにも関わらず、言語学的な問題に焦点を当てた反論というのは管見の限り見つかっていません(いや、色んなところでちょっとずつ触れられてはいて、それで議論はほとんど尽きてさえいるのですが…例えば”http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=3571”ではこのエントリ

    「水からの伝言」に言語学の立場から反論する - 誰がログ
  • 借金のタンゴw - Baatarismの溜息通信

    米国のクレジットカードの話: 極東ブログ 自己裁量と私の能力:支払い慣行のお話 - セカンド・カップ はてな店 id:finalventさんとid:Soredaさんが、アメリカやカナダでのクレジットカード事情について、興味深い話をしています。内容を自分なりにまとめてみると、こんなシステムのようです。 アメリカやカナダではクレジットカードは自動引き落としてはなく、カード利用者が自分で手形を切って決済を行う。 アメリカクレジットカードを利用するときは、クレジットヒストリと呼ばれる借金歴が重要視される。日みたいに「定職に就いてなければカードを作れない」なんてことはないが、過去にカードを利用していない人はクレジットヒストリがないので、カードを作りにくい。(「限度額相応の現金を預託しておいてカードを作る」という手はある) 利用した金額すべてを一度に支払う必要はなく、カード会社が決めたミニマムの支

    借金のタンゴw - Baatarismの溜息通信
    rajendra
    rajendra 2007/05/23
    そのとおりですな。>市場で決まった金利をきちんと支払っている限り、そこに倫理的な善悪を持ち込む必要はないはずです。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    【自分語り】1推しの卒業によせて . 私の1推し、ゆきりんこと柏木由紀ちゃんが、17年に渡り在籍したAKB48を卒業することになった。 この機会に、ゆきりん推し(48ファン)としての自分自身のことをすべては不可能であるものの振り返ろうと思う。 内容からして世代がわかることも仕方ないし、限りなくゼ…

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  • 与える、あげる、やる - 深く考えないで捨てるように書く、また

    http://fragments.g.hatena.ne.jp/b_say_so/20070522/1179801368 こちらの記事を読んで、つらつらと思った。id:b_say_soさんの述べたことからはちょっと脇道にそれた話なので、トラバは送らずにおく。 以前、こんな話をどこかで聞いた。 最近、「(何々を)あげる」という言葉を自分の子どもやペットに使う人が増えているが、来は「あげる」は謙譲を表す言葉であって、従って目下にあたる子どもやペットに使うのは正しくない。謙譲の意を含めないのは「やる」である*1。これは子どもやペットを「お子様」「ペット様」と考えてしまう人が増えたからではないか。 最後の部分についてはとりあえず置いておいて、「あげる」は「さしあげる」と共通の発祥をもつ謙譲語であることについては、その通りだろう。 これに対して、「与える」は、はっきりと自分(与える側)のほうが目上

    与える、あげる、やる - 深く考えないで捨てるように書く、また
    rajendra
    rajendra 2007/05/23
    「思い遣り」という言葉があるように、「やる」は「遣る」であって乱暴な意味は本来はないはずだけど、そういう空気をまとう言葉になってしまってるな。
  • 「警察官の人命」 - 地を這う難破船

    37年間の孤独 - 地を這う難破船 こうしたことを、瀬戸内シージャック事件の経緯も含めて、finalventさんの指摘があるところに重ねて記す必要があるのか、と自問しながら掲示したエントリに、予想外の反響があったことは、大変に、嬉しかった。書いてよかった。ブックマークしてくださった皆様に、コメントも合わせて、感謝を。 id:catfrogさん、id:t_yanoさん、ポイントの送信、ありがとうございます。御礼申し上げます。 蛇足かも知れないけれども、いくつか、補足として記しておくことを。 1970年。当時の世論の空気がいかなるものであったかというと、上記において引用した書評にもあった通り、あさま山荘事件の時点では、現場において警官が2名殉職してなお、犯人が確保された直後においてさえ、連合赤軍側に対するシンパシーは一定層において健在であった。少なくとも、言論として公然に掲載される類の声として

    「警察官の人命」 - 地を這う難破船
  • 著作権法の違反行為の単純「非親告罪化」について - 感量主導 ~ led by passion ~

    えー、娘が生まれました。そんなわけで、家中バタバタで、1ヶ月も何も書いてませんでした。うへー 原稿もたまってます。やること山積みです。ブログどころではない、という気もちょっとしていたのですが、 書かなければならないこともあるのです。 例によって/.Jに報じられていましたが、たけくまメモでも触れられていたように、著作権法の複製権違反行為に対する従来の「親告罪」取扱を「非親告罪」とする案が政府内で議論されているそうです。以前ぜんぜん政府とは関係ない方面からたれ込みがあり、懸念は表明していたのですが、まさかーと高をくくっていたら、マジに話が進んでいるらしいという報道にビックリしています。 発端は知的財産推進計画2007にあります*1。「海賊版対策」ということだったようです。 それはともかく、これは「改悪」というよりも、法律の主旨を相当曲げるものとなる点に注意が必要です。 そもそも、著作権は私権で

    著作権法の違反行為の単純「非親告罪化」について - 感量主導 ~ led by passion ~
    rajendra
    rajendra 2007/05/23
    "単純な「非親告罪化」は、問題があるだけでなく、実利がないのです。"
  • ブログちゃんねる:どうのつるぎとこんぼうで店舗経営は可能か

    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/22(火) 06:56:04.03 ID:62BOVOms0 ?BRZ(10103)

  • 蹴球メディア探検隊 | 週刊サッカーダイジェスト 「仙台対徳島」採点、その他

    『週刊サッカーダイジェスト』(2007年5月22日発売号)にて、仙台対徳島の試合採点・寸評と仙台情報を担当。 試合から2日が経過したが、北村央春主審につけた「3.0」について、今のところ大きな反響はないようだ(少なくとも僕の元には聞こえてこない→何かありましたらブログコメント等でお願いします→まあ、このブログはヒット数の多さの割りにまったくコメントがないのが特徴だけど)。実を言うと、当初は2.0だったのだが、編集部と相談して3.0に修正した。この編集部による判断は正しかったと思うし、感謝もしている(確かに2.0は行き過ぎた)。 それにしても……「ダイジェストに主審採点の項目があってよかった」と実感したのはこれが初めてである。 今季のダイジェスト誌における仙台ホームゲームの試合採点・寸評は今のところすべて担当しているが(※無記名なのはスペース上の問題→つまりJ2だし、小さなスペースだ

  • http://www.asahi.com/national/update/0523/TKY200705220442.html

  • cinra magazine vol.12 > BOOK > 首席矯正処遇官に聞く、受刑者の皆さんは何読んでいますか?

    cinraが発行しているフリーCDマガジン「cinra magazine」の第12号。音楽、美術、 映画小説、演劇、デザインなど他分野の作品や記事をご覧頂けます。

  • http://www.asahi.com/politics/update/0523/TKY200705220441.html

  • Umikaze Blog

  • http://bewaad.com/2007/05/23/124/

    rajendra
    rajendra 2007/05/23
    あのへんでウダウダ議論してる人たちって行政府に対する不信感が前提としてあるから、噛み合わせるためにはかなりの労力が必要じゃなかろうか。
  • 2007-05-23

    Loonie tops 92 cents http://www.reportonbusiness.com/servlet/story/RTGAM.20070522.wloonie0522/ BNStory/robNews/?cid=al_gam_nletter_maropen 1997年以来はじめて、1カナダドルが92米ドルを超えてきた。 うわぁああ、とこのところ毎年言ってる気がする。水準をあげながらもその中でのトレンドとしては春に高い、かな、多分。 年央に向かって96まで行くだろうという声もあるようだが、するってーと、でもって、ひょっとしてカナダ人の夢の1カナダドル=1米ドル時代はすぐそこか? 米国のクレジットカードの話 http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/05/post_0f46.html 毎度finalventさんの

    2007-05-23
  • 五ヶ年計画。

    anond:20070522150726 寛解のポイント・・・なんだろう。 無理をしなかったことかなぁ。いきなりフルタイムの仕事に復活したら、身体的にも精神的にも飽和状態でかえって悪化するかもしれない。そう思って、身体も心も徐々に慣らしていって、自分の「クリア条件」を「ちょっとだけしか頑張らないライン」に設定した。それをクリアしたら、しばらく様子をみて、またその位置から「ちょっとだけ上のライン」をクリア位置として挑戦する。クリアできなさそうだ!と思ったら、すぐ元の位置に戻る。で、また時期を観て挑戦する。 なんだかそんな、じりじりとした攻防戦(?)でした。あとは、いぜんは考え方がわりと「オール オア ナッスィング」だったので、自分を赦すことを学習したりとか。一番底辺にいた時期もつらかったけど、治りかけも実はつらい。目に見えるほど早くよくならないからね。「悪くなってないなら、とりあえずおk」っ

    五ヶ年計画。
    rajendra
    rajendra 2007/05/23
    lifehackとしての負荷の好例。しかしそれを見極められる人は多くはないようにも。>身体も心も徐々に慣らしていって、自分の「クリア条件」を「ちょっとだけしか頑張らないライン」に設定した。
  • あなたを見ているととても悲しい

    あなたはただ、自分の思い通りにならないことにいら立ち、他人をコントロールしようとしているだけのように思える。 まあ、人間なんて多かれ少なかれみんなそうだし、それはそれで仕方無いことなのかもしれない。 けれども、あなたを見ているととても悲しい。 あなたの情熱はわかる。 信念があるのもわかる。 そこまでの情熱を持てない自分にコンプレックスを感じることもある。 けれども、あなたには全く共感できない。 あなたの演技は、痛々しい。 他人を騙すだけではなく、自分を騙しているから、演技だと見破られていることに気づかない。 気づかれたところでどうでもいいと思っているのかもしれない。 もう、あなたはあなたで、勝手にあなたの目指すところに向けて進めばよい。 自分にはめざすところはない。 いつまでもここに取り残されるだけだろう。 それでいいのかとあなたは詰め寄るだろうが、少なくともその答えはあなたに従うことの中

    あなたを見ているととても悲しい
    rajendra
    rajendra 2007/05/23
    "どちらも持ち合わせない自分は、ただそれを所与のものとして受け止めることしかできない。"
  • 壁抜け男の憂鬱 - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 他者とつながりたいという欲求抜きには、社会的生物としての人間は語れない。 しかしその「つながりたい」という欲求を成り立たせるためには、まず最初に、 「自分は他者と切り離されている」という感覚がなければならない。 事物がつながりを持つためには、まずもって隔てられなければならない。 孤独を自覚できるからこそ、人はつながりたいと考える。 自意識の壁は、外界との絶対的遮断を意味しない。 むしろそれは、他者とのインターフェースとして、 自意識を投影するためのスクリーンとして機能する。 劇団四季のフレンチミュージカル「壁抜け男」は、そんな自意識の大切さを謳った物語。 ミュージカル「壁抜け男」 郵政省の苦情処理係デュティユルは、平凡な独身男で、切手集めとバ

    rajendra
    rajendra 2007/05/23
    "いろんな他者との関係を作っていく中で、他人から見た自分の投影像を意識しながら、「あるべき自分の姿」を見せやすい属性を身につける以外ないんだと思う。"