経済学は、一般的なエンジニアにとっては“別世界”だ。ところが、この連載でいろいろ話を聞いてくると、自然科学や工学と“親しい”ところもあるように思えることがある。であれば、歴史のなかでは「エンジニア兼経済学者」なんていう人がいたかも? 今回の質問は、そんな素朴な疑問から始まります。
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rimaさんとこの更新をふふんふんふんと読んでいたら、ほえ?とびっくり。三歳児検診の発達相談で”ベテラン保育士”に「自閉症傾向アリ」のようなことを言われたとかなんとかだとか。 さて誰の言葉を信じましょうかしら/塀までひとっとび! はあ〜ん、なんともねえ、と思う。こういう診断じみたことを言ってのアドバイスって、一人の保育士の初見で言っていいもんかねえと思う。日常みてる保育士のメモと、そのメモを読んだベテラン保育士の初見。なんとも言えませんねえ、と思う。つ〜か、感想がいつのまにか診断になっちゃっているようにも解釈できそうなとこが怖いよなあと思った。その怖さっての、子どもの母親に簡単に与えることに対してなにがしかちゃんと思ってるのかいこの人たちは、とは思った。ダウン症のように採血でわかる障害は明らかに結果が出るけれど、行動傾向から診断する類のものは難しいとこがあるとも思う。 障害を早期に発見する
先日の「ガイアの夜明け」で東京都内で病児保育に取り組むNPO法人「フローレンス」が取り上げられた。 「起業家はいま・・・ 〜ライブドアショック後のベンチャー像〜 」 http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview070522.html NPO法人「フローレンス」 http://www.florence.or.jp/ フローレンスは、ETICとか「社会企業家」とか、まぁそこらへんに興味があったり近しい学生や若者にはそこそこ有名なNPO法人で、私もフローレンス代表者の駒崎弘樹氏のブログをたまにチェックしている。 病児保育のNPO法人フローレンスを運営している駒崎弘樹のblog http://komazaki.seesaa.net/ フローレンスのビジネスモデルは、サイトをざっと見る限り、簡易な民間保険という感じである。 http://www.
前回「だまされていたけど、真実を知った私」という扇動されやすい人の話をした。論理的な思考力を鍛える訓練をしたことがないのに、情報に触れた人が陥りがちな過ちであるが、これは何も今の学生に特有の現象ではない、と思う。 思えば私自身も学校では論理的な思考力を養う訓練は一切行なわなかったように思う。大学進学率が50%を切る、いわゆる進学校の出身ではないせいかも知れない。私がそういう訓練を受けたのは、予備校の小論文対策講座だった。 私は私大文系に進学した。もちろん小論文などない。そのせいか、論理的な思考力が欠落した学生が多かったように思う。私自身論理的な思考力がついていたとは胸を張っていうことはできない。そして概ね情報弱者である。 情報弱者で論理的な思考力が欠落しているが、その自覚のない人が大学に入って、「政治的な理由で教科書には書かれていないが、これが真の歴史である」とか、「馬鹿には理解できないが
【2ch】ニュー速クオリティ:彼女や妻がいるのに浮気したことがある 男性の3人に1人 のはてBコメント覗いてたら、はてなブックマーカーの女性陣が怒りまくっているようなので、まぁ、それはしょうがないとして。 キンゼイ Alfred Charles Kinsey 1894-1956 アメリカの調査とかだと、キンゼイ・レポートが有名だけど(この間映画にもなったし)、これはこれで面白い。調査方法が標本抽出だってのがあって、今では、数字に疑問符がつけられることが多いけど、それでも、彼のレポートによれば、既婚アメリカ男性の50%が浮気。既婚女性では26%が浮気をした経験があることになっている。最近、みた奴だと、もうちょい数字が低かったんだけど。どこだかは忘れてしまった。 で、なんだけど、浮気に関する最大の違いはほぼどの文化圏でも普遍的に「女性の浮気のほうが離婚の原因になりやすい」という こと。 心理学
現在鎌倉時代の講義*1をやっている。一昨年にもやったが、今年もやっている。なぜだかテスト一発勝負はダメ、という大学で、そのくせ数百人を一つの教室に詰め込むから、講師としてはどうやってテスト以外の評価をするべきなのか、よくわからない。そこで適当な時期に小レポートを書かせている。 一昨年宝治合戦のところでレポートを書かせた。宝治合戦とは、鎌倉幕府の有力御家人であった三浦泰村が北条時頼に滅ぼされ、鎌倉幕府の政治上の大きな画期となった合戦である。一般には得宗専制への道と評価される事件だが、永井晋氏の『吾妻鏡を読み直す』という著書の該当箇所を読ませて、レポートを書かせた。永井晋氏は、従来の時頼黒幕説ではなく、時頼は三浦氏から安達氏への外戚の交代をスムーズに行いたいと思い、三浦泰村にも事を荒立てるつもりはなかったのだが、時頼派の強硬派安達景盛と三浦氏の強硬派三浦光村に引きずられる形で合戦に至った、とい
社会に出てしばらく、開発の仕事をしていました。志望して就いた職ですが、忙しいの何の。「俺たちはこんなにがんばっているのに」と営業に当たりちらすこともしばしば。その後開発を離れて客先に行く仕事に就きましたが、(ああ、営業の連中はこんなに苦労していたのか)と自分の視野の狭さを恥じました。 営業職にある人は、自分の責任でないことで客に怒られています。 学校じゃないわけですからがんばっていても何の価値もありません。会社にとっては結果を出して何ぼです。客もそれを要求しています。営業は結果を出せないことを客に起こられているのですが、結果を出していないのは開発部隊です。 じゃ、「私のせいではありません」と営業が開き直るかというと、そんなことはありません。彼らはそんなことをしても何の結果も生まないことをよく知っていますから。 営業職がどれほど重要でありがたいか、新人の技術者には口をすっぱくして説明するので
年功序列を基本とする昭和的価値観は、企業内だけではなく、社会のあらゆるところでも見られるものだ。 その代表はプロ野球。本来、完全実力主義の世界であるべきなのに、少なくとも監督人事については プレイヤーとしての実績を要求する球団が多い。特に巨人なんて、ジャイアンツの選手として実績を残した 人間以外は、絶対に認めようとしない。一昨年、星野氏の招聘が議論された時、「OB以外にポストを渡すな」 とOB会が強行に反対したことは、いまだ記憶に新しい。 要するに、プレイヤーとマネージャーのキャリアパスが分かれていないのだ。 これは年功序列組織の典型と言っていい。 一方、比較的プロスポーツとしての歴史が浅く、また世界的に競技が普及しているサッカーの場合、 昭和的価値観はあまり見られない。監督として実績のある人間を外部からばんばんスカウトしてくるし、 時には他チームから引き抜いたりもする(フロンターレの関塚
海外の図書館に関する授業を受けていてちょっと思ったことなんだが。 ヨーロッパの図書館の中でも、北欧の公共図書館が充実していることはよく紹介されている。 一方で、菅谷明子さんの「未来をつくる図書館」でニューヨーク公共図書館が紹介されて割と有名になったが、アメリカにも素晴らしい図書館が多いことは有名。 しかし、同じ「図書館がよく整備された」社会ではあるものの、この2つの社会での図書館の「充実」は意味が違うんじゃないだろうか。 北欧は福祉が充実してる、ってのはなんかもう知識として一般化してきてるが、図書館サービスの充実も同じ文脈の上にある。 誰もが等しく素晴らしいサービスを受けられる、そのサービスの一つとして図書館が含まれている。 そういう意味では北欧で図書館が充実していることはなんら意外ではないし、費用がただなのも他のサービスと同じである。国立大学もタダだしね(だよね?)。 一方で、アメリカの
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