何か「ある」なら、それがあることは証明できるでしょうが、そもそも「無い」ことは証明のしようがありません。アリバイ(不在証明)が、同時刻に別の場所に「いた」ことの証明で成り立つ所以です。 では、「無い」ことの主張は、論理としていかにして行えばよいのでしょうか。 一つは、「ある」ことの証明が原理的に不可能であることを示す。もう一つは、「ある」と主張すると論理的な矛盾が生ずることを指摘する。 しかしがら、これら二つは、実際には「あるとは言えない」ことを主張できても、「無い」ことの論証にはなりません。ということは、「無い」ことの主張は、事実上、「ある」とは言えないが、「無い」とも言えない、という言い方によってなされるほかありません。これが、釈尊の教える「無記」のアイデアです。つまり、有無の判断をもろともに無効化するわけです。。 したがって、ナーガールジュナが「空」の主張を『中論』で行うとき、帰謬法