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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (20)

  • [書評]対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子)、その2: 極東ブログ

    昨日のエントリ「極東ブログ: [書評]対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子)」(参照)であまり触れるのもなんだなと思ってお茶を濁した話題があるが、それとちょっと関連のあることで、もしかしたら、若い世代から誰かいつかこの問題を考える人が現れてぐぐることを僅かに期待して……というほどでもないが、ちょっと補足しておきたいことがある。ハーバート・ノーマンと都留重人のことだ。二人に深い親交があったことはよく知られているのだが、そこを少し超える話になる、が秘史の部類ではない。上坂もそこが気になっていたようだ。 鶴見が言うように都留が終戦工作に関わっているとすると、ちょっとこの意味合いが変わってくる史実があるかもしれないというあたりだ。結果からいうと上坂はあまり突っ込んでいない。 事件として見れば工藤美代子の「スパイと言われた外交官―ハーバート・ノーマンの生涯」(参照)が詳しいといえば詳しいのだが。と、

  • あえて勧める5つのユーミンの歌: 極東ブログ

    ネットは言論の場としては、けっこうひどいところだ。私も長くブロガーやっているし、いただく反応のなかにも、ひどいこと言うなあというものがある。匿名で誹謗する人が多いが、匿名と限らないし、大学の先生だったりすることもある。ということを確認させられたのが、ユーミンに寄せられた罵倒で、「荒井由実のまま夭折すべきだったね。当に、醜態をさらすより、早く死んだほうがいいと思いますよ。ご人の名誉のために」というのが、ネットで話題になっていた。 村上春樹もそうだが、ユーミンも、初期作品や中期作品で強固なイメージが作られてしまい、最近の佳作があまり理解されない。特に、ユーミンはそうだなと思う。私にしてみると、ユーミンが長くシンガーソングライターを続けてくれることで、老いと恋の苦悩の美しい曲が聞けて、幸せだなと思う。 そんな曲を5つ紹介。ユーミンを語るなら聞いてほしいなとも思う。 「もうここには何もない」

  • 香港大規模デモについて: 極東ブログ

    現下の香港の大規模デモについては、日のメディアでもけっこう報道されていることと、このブログでは香港の民主化についてこれまでも扱ってきたので、ごく簡単に言及しておきたい。 まず、なぜデモなのか?という原点を確認したい。これがもっとも重要な点だとも言える。理由は、議会が普通選挙による民主的な議会ではないためだ。日のように普通選挙が実施されている民主主義国なら、市民はデモを行っても当然よいが、政治参加としては投票に次ぐものになる。ところが、香港には、市民の普通選挙がない。市民の意思表示は、デモ以外にはないのである。 この原点が意味するところは、2つに分けて考えてもいい。①議会が市民の代表ではないということ、②普通選挙が実施されていないこと。前回の雨傘運動は、この普通選挙を求めるものだった。そして、その意味での、普通選挙を求める香港市民の意思は変わりない。そこが目標でもある。 次に、現下のデモ

  • 「イスラム国」による日本人人質事件で思ったこと: 極東ブログ

    「イスラム国」による日人人質事件について思ったことをとりあえずブログに記しておきたい。 ツイッターのほうではすでに前もってコメントしたが、72時間の期限でのリアクションはないだろうと私は見ていた。理由は、どちらかというと「イスラム国」に対して欧米ほど危機感ももたず、脅威にも感じていない日国民を、期限通りの処刑によって激怒させ、その結果いっそう欧米側に付かせることにすれば「イスラム国」にとって利益にはならないだろうと思われたからだ。 「イスラム国」としては国際世界が一致するよりは、割れていたほうがよい。この手法は北朝鮮の外交戦略と同じである。ついでにいえば、西側諸国としても中東の利害は割れていたほうが、ローマによる分割統治的な意味合いで、利益にはなる。ただしシリアに端を発した今回の事態は三すくみのような複雑な分割にはなり、誰が利益かという構図は崩れてしまった。 「イスラム国」側の思惑だが

  • [書評]反音楽史(石井宏): 極東ブログ

    言語を勉強すると微妙に感覚や感性が変わってきて面白いのだけど、ドイツ語を勉強し始めて、自然にドイツ的なものに関心が向くのか、あるいは無意識がそういうふうにドイツ語的な感覚で配列されるのかよくわからないのだけど、何か微妙に変わってきて、自分でも不思議だったのだが、ブラームスとか聴くようになった。以前は好んでいなかったのに。 聴くというより、わかるという感じだろうか。その他、モーツアルトやベートーヴェンやバッハもそうなのだが、ドイツ音楽がなんか、以前よりくっきりわかる。どうやらワーグナーにも感覚が届いてきた。(副作用で小林秀雄が以前よりわかるようになった。) これはいったいどういうことなんだろうか? というのとたまたまマイブームの『のだめカンタービレ』がシンクロしてしまって、どうにも奇妙なことになった。 さらに言うと、そろそろ書こうかと思うだのけど、もう一台ブルートゥース・スピーカーを買った

    [書評]反音楽史(石井宏): 極東ブログ
  • [書評]日本人とユダヤ人(イザヤ・ベンダサン/山本七平) Part 1: 極東ブログ

    いまさら話題にするようなでもないと思うが、先日書店を見ていたら、「日人とユダヤ人 角川oneテーマ21」(山七平)というのがあって驚いた。「日はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条」の売れに気をよくしての企画なのだろうが、驚いたのは、著者名だ。山七平となっていたことだ。まさかと思ってコピーライト表記を探したのだが見あたらなかった。いずれ世間的には、このの著者は山七平ということできまりなのだから、それでもいいのだろうし、山七平著作についておそらく全権を持つれい子夫人もかねてよりこの主張をしていたから、そうした承認も取れているに違いない。私はというと、ミンシャ・ホーレンスキー氏かジョン・ジョセフ・ローラー氏が亡くなったのかとも思った。この話は後で触れる。 「日人とユダヤ人」はある一定以上の年代の人なら誰でも読んでいるだろう。私もなんどもなんども読み返し、先日もふと読み返したが、概ね今

  • 「自然」という言葉を愚考する: 極東ブログ

    世の中は連休である。私も泳ぎ終えた午後のけだるさに新緑の木陰でぼうっとしながら「自然」という言葉を考え、そして奇妙に考え込んでしまった。というわけで、その愚考をネタに。 「自然」という字面の言葉は恐らく仏教用語として日語に定着したのだろう。親鸞の教えにも自然法爾(じねんほうに)があり「じねん」と呉音で読ませる。してみると平安時代には定着していたのかと字引を見ると、源氏物語の用例もあるが、「自然にそのけはひこよなかるべし」のように副詞で用いるらしい、というところでうかつにも今頃気がついたのだが、自然法爾とは自然に法爾ということかもしれず、「自然(じねん)」自体が平安初期までに客体的な概念であったかはわからない。 が、後期の親鸞にとっては、阿弥陀は自然(じねん)を知らしむる料なりというように、阿弥陀と自然は同義であるか、むしろその思想においては自然が体であり、阿弥陀はその表象でしかなかった

  • 仏教入門その1: 極東ブログ

    私は仏教を理解しているとはとうて思えない。私の仏教入門など、お笑いぐさだろうと思う。が、メモがてらに書いてみたい。自分の人生のちょっとした追想のようなものであるからだ。 仏教を知るのに最適な書籍はなにか。私の結論は「大乗起信論」である。現代語訳付きで安価な岩波文庫のものが近年出ているのだが、アマゾンを見たらすでに在庫がない。ある意味、よいことだと思う。大学の教科書などで利用されているのだろうと推測する。皮肉を言えば、よって、古書でより安価にありそうなものだが、アマゾンの古書にもない。 現代思想かぶれには、井筒俊彦の「東洋哲学覚書 意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学 中公文庫BIBLIO」が受けるだろうが、井筒俊彦はあまりお薦めしたくない。デリダとかお薦めしたくないのと同じ理由だ。私は井筒のファンとも言ってもいいのだが、こうしたは若い人には害があるように思う。 現状、大乗起信論は安価なも

  • 台湾とピンイン: 極東ブログ

    現下の台湾での学生による立法院占拠についてはなかなかブログに書きづらい。ごく簡単に言えば、心情的には私は学生を支持したいが、国際政治・経済的な観点あるいは日の国益との関連から見れば、この運動は、かつての韓国の米国牛肉輸入反対運動や日の反TPP運動のように反動的なナショナリスティックな運動にも見え、支持しがたい面もあるからだ。 ではどうなのか。近景としては学生に注意深く平和裏に運動を進めてほしいし、巨視的には台湾の難しい状況――中国に経済的に飲み込まれること――に同情するしかない。中国経済に飲み込まれず台湾が存立していけるかは、難題に思えるし、日もまた同様の立場にある。 さらに巨視的に見るなら、中国経済が開かれていくことは現在の近景とは逆に、中国台湾化につながる。そしてそれは中国社会の不安定化と軍事強化の矛盾を強くするだろうし、その余波を日が強く受けることになるだろう。日は、静か

    台湾とピンイン: 極東ブログ
  • ピンイン(拼音)について: 極東ブログ

    中国語を学んでいて、発音についてかなり手こずった。理由はピンイン(拼音)の存在である。当初、ピンインを発音記法だと思い込んでいたからだった。もちろん、そう思い込んでいても間違いではないのだが、記法の記号を一対一に対応しても実際の発音は構成されない。つまり、仮に発音記法ではあっても発音記号ではない。 手こずったのは、今学んでいるピンズラー方式では、実は発音訓練というのは存在しないこともある。これは創始者ピンズラーの直観が関係しているのだろう。結論からいうとそのあたりがなるほどと理解されつつもある。中国語に関して言うと、初学者がピンインから入ると発音がうまく習得できないという思いもあるのだろう。敷衍していうと、そもそも音記法は言語習得の邪魔になるとピンズラーは考えていたとしてよいだろう。 そういうわけで、自分については、基はまず耳に聞こえた音で学ぶ、それからピンインや漢字を見るというふうにし

    ピンイン(拼音)について: 極東ブログ
  • [書評]マックス・ヴェーバーの哀しみ(羽入辰郎): 極東ブログ

    怪著と表現していいのかわからないがスゲーである。「マックス・ヴェーバーの哀しみ 一生を母親に貪り喰われた男(羽入辰郎)」(参照)。新書だし文体はのりのり。爆笑すること幾度。面白かった。 マックス・ヴェーバーを知らない人にとっても面白いかどうかというと、それなりにすごく偉い社会学者がいたというのをそのまま鵜呑みにすれば、おk、おっと2ちゃん語使うなよ、大丈夫大丈夫。このド偉い学者さん、浮気はできるのにとの性交渉はできず、その原因はマザコン、というお話だよ、お立ち会い。マックス・ヴェーバーの夫婦関係ってそこまでおセックスレスだったのかというのは知らなかったので驚いたぜ、というレベルの面白さてんこもり。これ、劇画の原作にしてもすごい面白いと思う。弾小飼さんに献したら説教十倍返しくらいのリアクションはきっとある。 ここに一人の哀しい男がいる。 彼はおのれの職業をまっとうし、多数の著作を残した

  • 曖昧母音が英語発音のポイント。"April"の発音は「エイプリル」ではないよ: 極東ブログ

    もひとつだけ英語発音の話。曖昧母音が英語発音のポイントということ。これはけっこうあちこちで言われていることだけど、ちょっと書いみたい。 ちなみに、"April"の発音は「エイプリル」ではないよ。「米国英語だとそうだけど英国英語だと……」という人は英国英語も確認してみるといいけど、違うよ。"April"の"ril"のところは曖昧母音になる。米語だと「エイプラ」に聞こえる。英国英語だと「エイプゥ」みたいになる。いずれにしても、「リル」みたいな「i」の音はない。でまあ、それはなぜなのかという話なんだが。たぶん、ややこしいので、この手の話がお好きなかたは、どうぞ。 マイクロソフトの"Surface"は「サーフェイス」? 久しぶりに曖昧母音のことを考えたのは、先日、マイクロソフトが"Surface"という新端末装置を発表したのがきっかけ。これ、なんて発音しますか? 英語に詳しそうな人が「サーフェイス

  • 白川静は「と」だと思う: 極東ブログ

    白川静の漢字についての話は、膨大な「と」(「とんでもない」法螺話)だと思っている。こんなものをありがたがるの知識人がいるのも、なさけないことだなと思っている。が、そういう意見を見かけたことがない。ま、いいか。自分ではそれで決着が付いている。だが、どうも最近、天声人語など白川説を使ったエッセイのようなものをみかける機会が多く、不快というか、阿呆臭くてしかたない。誰かきちんと専門家が批判せーよと思うのだが、批判というのがあまり見あたらない。と、そんなことを思っていたら、面白い話をブログで見つけた。羊堂舗(2004-02-06)「ここはひどいインターネットですね」(参照)である。そこから関連の話を読んだ。 知らなかったのだが、2ちゃんねるで白川静が「と」じゃねーのということで話題になっていた。ふーんという感じだ。やっぱ、白川静は「と」だと思う人は少くないようだ。やっぱなと思う。対極で出てくる藤

    rodori
    rodori 2013/05/16
    白川静に対する反論として文字は音声の表記にすぎないと主張する恥知らずな記事。白川は、まさにそのような音声中心主義を疑うことから出発し、文字は音声に対して、それ自体で自立した体系を持つと考えた。
  • 漢字という虚構: 極東ブログ

    さらに漢字について書く。ご関心のないかたも多いことだと思うので、おつきあいを願うものではない。そして、おつきあい頂いたかたの反論や反感も多いのではないかと思う。ある程度、しかたがないと思う。というのは、これまでの漢字についての私の話は虚構といえば虚構なのだ。「白川静は『と』だと思う」(参照)で、なぜソーシュールなんかをひっぱり出したかというと、虚構を打ち立てるためだ。 虚構は、ここでは、嘘という意味ではない。言語学の方法論というのは、こういう虚構を必要とする。そして、この虚構がなければ、果てしない混乱になるし、私は白川静の漢字研究はその混乱の果てであると考えている。以上の考えに変更はない。 が、もう少し述べる個人的な必要性を感じている。私のこの分野の思想を少し展開してみたい気がするのだ。 関連して余談めくが、この間、暗黒日記から批判のようなものがあった。ご関心のあるかたは、先の記事の長いコ

  • [書評]いまこそルソーを読み直す(仲正昌樹): 極東ブログ

    ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)については、翻訳だが私もそれなりに主要原典を読んできた。カントのように「エミール」(参照上巻・参照中巻・参照下巻)には一種の衝撃も受けた。これは難しい書物ではない。先入観なしに誰でも読むことができる。長編の割に読みやすく、おそらく読んだ人誰もが人生観に影響を受けるだろう。特に娘をもった父親には影響が大だろう。他、「告白」(参照上巻・参照中巻・参照下巻)は、ツイッターで元夫の不倫をばらすような近代人の猥雑さが堪能できる奇書でもある。 そして、と紹介していくのもなんだが、私はこうしたルソー人への関心と、政治哲学の基礎文献でもある「人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫)」(参照)や「社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫)」(参照)などの理解とは旨く像が結びつかない。前者の人文学者としてのルソーへの共感と、後者の

  • クルーグマンのアベノミックス評: 極東ブログ

    ニューヨークタイムズに掲載されている、「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞」受賞者でもある、経済学者クルーグマンによる、素朴なアベノミックス評があり、現状の日の論壇にとっても、なかなか含蓄があると思われるで、全文訳はあまり好ましいことではないけど、ちょっと試訳してみた。意訳なので、検証用に原文も添えておいた。ご参考までに。 ※  ※  ※  ※ Is Japan the Country of the Future Again?(参照) 日はまたも「未来の国」なのか? In the broad sense, surely not, if only because of demography: the Japanese combine a low birth rate with a deep cultural aversion to immigration, so the

  • [書評]中世哲学への招待 「ヨーロッパ的思考」のはじまりを知るために(八木雄二): 極東ブログ

    ごく個人的な興味だが、デカルトの「方法序説」を読みながら、原点になったスコラ哲学をもう少し理解しておきたい気分がしてきたので、なにか入門書のようなものはないかと「中世哲学への招待(八木雄二)」(参照)を読んでみた。スコラ哲学の基的な考え方とバリエーションを簡素にまとめた書籍を期待していたので、その点では求めていたものとは違う印象もあったが、これはこれで興味深いだった。著者は自身のグリーンボランティアの体験談を含め、一般向けにゆったりと雑感を込めて書を書いている。エッセイ的に読みやすいと言えば読みやすい。が、どちらかというと思想史というより世界史に関心ある人向けではないかとも思った。 「中世哲学への招待」と銘打ってはいるものの、実際にはヨハネス・ドゥンス・スコトゥス(Johannes Duns Scotus)の紹介書と言ってよい。その名前だが、書ではドゥンスは家系名かとの推測余地も残

  • 第三の新人が日本の実存主義だった: 極東ブログ

    第二次世界大戦とはなんだかったか。一概には言えないが、大きく見れば世界思想の水準における社会主義終焉の明確な始まりだった。 この社会主義には二系統ある。一つはソ連型の社会主義、つまりアジア型ナショナリズムにルサンチマンが結合した独裁主義である。これが純化されてアジアにも影響した。 もう一つは、近代福祉型ナショナリズムにルサンチマンが結合した独裁主義、つまり国家社会主義(ナチズム)である。これは第二世界大戦においてほぼ終焉への道筋が敷かれたかに見えた。 欧米の実存主義は、こうした第二次世界大戦後の、社会主義に対する対抗や反抗のあり方として現れた。実存主義は、社会の義よりも個人の自由が義となる世界思想として重視されたのである。 顧みると、そもそも19世紀以降社会主義が台頭したのは、近代人=市民の終わりを止揚的に継承したものである。市民は社会に統合されることで、生と世界が実現するかのような情念を

  • 極東ブログ

    一昨日、昨日と続く東京市場の大暴落と今日の回復に関連して、この市場の変動と世界経済の今後について、AI (LLM) と対話を行い、その対話のログから、インタビュー記事を自動生成してみました。というわけで、以下がその結果です。ヴィンセント博士はAI (LLM) で記者は私です。 「世界経済の行方 - AI (LLM) が語る最新動向と展望」 記者: 日は、経済アナリストのヴィンセント博士をお招きし、世界経済の最新動向と今後の展望についてお話を伺います。ヴィンセント博士、よろしくお願いいたします。 ヴィンセント博士: こちらこそ、よろしくお願いいたします。 記者: まず、最近の日の株式市場の動きについて伺いたいと思います。8月5日に大暴落があり、翌日には回復しました、この急激な変動をどのように分析されますか? ヴィンセント博士: はい、8月5日の日株式市場の大暴落とその翌日の急激な回復は

    rodori
    rodori 2011/08/02
  • [書評]天皇はなぜ万世一系なのか(本郷和人): 極東ブログ

    「天皇はなぜ万世一系なのか」という問いかけは魅力的だし、新書表紙の半分を覆うほど広い帯にある「世襲か、実力主義か」というキャッチフレーズも書のガイドライン的に添えられたものだろう。結論からいうと、若干だが、ほぉと驚く意外な答えが書かれてはいる。そういう考えもあるのかな、というものだ。同時に多少がっかりもする。おそらくこの問いに魅せられた人に納得がいくというものでもないだろう。もちろん納得のいく答えがあったとして、それがどれほど真理を射貫いているかは別として。 帯にはさらに「皇室、貴族、武士、高級官僚の出世と人事から、「日権力構造」最大の謎に迫る」とあり、これも補助的なフレーズなのだが、すでに天皇の問題が日権力構造という一般構造に吸着されていることが伺われ、どうやら書のテーマは先の問いに焦点化していないか、散漫なのではないかという印象を与えてしまう。読後の感想としても、日史に興味の

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