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2014年2月16日のブックマーク (28件)

  • Python/Sphinx を使って Kindle 本を出版した

    Kindle を出版するのに使用した、ドキュメント生成ソフトウェア Sphinx の紹介と、ドキュメント自体の紹介をする。 はじめに AmazonKindle Direct Publishing は、手軽に電子書籍を出版するためのサービスだ。特定のフォーマットで電子書籍データを作り、ウェブページで情報を入力、手続きすれば、AmazonKindle として販売ができる。 先日、拙作を上梓したときには Sphinx  というソフトウェアを使った。Sphinx はドキュメントを生成するソフトウェア がある。サンプルをとったことはないけれど、おそらくは主にソフトウェアの技術文書を記述/生成するために使われていると思っている。たとえば Sphinx を使っているコミュニティのウェブサイトは、Sphinx で作られている。けれど別に仕様書を書く以外に使ってもよい。 restructur

    Python/Sphinx を使って Kindle 本を出版した
  • 山城とお別れをした

    人間は死ぬ 身近な友人が死ぬというのは人生初めての経験だった。送別会は悲しい一方で最高に楽しかったのは事実で、印象的だったのは参加者がくちぐちに「気持ちに区切りがついた」と言っていた事だ。自分は一昨日まで葬儀の存在意義がわからず、葬式など必要無いと考えていたのだが、それは死者のためでは無く、生き残った人々のためにあるというのが理解できた。弔いの儀式は人類が古くに編み出した文化的な行為であると。 Bye Bye Yamashiro. この様なバカ騒ぎをしながら氏を偲ぶのはjava-jaに必要な儀式なのだ。 俺と山城 彼とは職場が一緒になった事は無いが、java-ja.jsというイベントを一緒にやったりしていた。歯に衣を着せぬ物言いをしてくれる貴重な友人でもあった。 最後にちゃんと話をしたのは、同じビルで働いていた時に、職場の近くでランチをした時だ。彼は「Google AnalyticsをGo

    山城とお別れをした
  • ymsr名言STREAMS

    ymsr名言STREAMS ゲーム紹介:ストリームス / STREAMS

  • 山城さんについて思い返す - rokujyouhitoma's blog

    第一回チキチキjava-ja ymsr送別会に行ってきた。 先日、知人の山城さんが亡くなった。山城さんについて思い返す。 初めて会ったのはjava-jaが新宿で開催されてた時の懇親会か、BBQやった時のどちらか。間違いなく神奈川のBBQで会ったのは覚えてる。山城さんは子供と遊んでいたのを鮮明に覚えてる。 技術的な懇親会で一緒に飲む機会があった。Rubykaigiの懇親会、渋谷で知人数人で飲んだりもした。 会った記憶で一番鮮明なのは近年行われたjava-ja.childrenとクルーザー貸切東京湾花火大会。 人に打ち解けられない私だけど、私のことを山城さんは名前を覚えてくれてて、会うと話しかけてくれた。「ろくじょー。最近どう?」とか。最近だと「人生荒波にもまれている俺」について語ってくれたり、「不格好経営読み終わったしあげよか?」と気を使ってくれていた。 私の結婚祝いに『プログラミング言語の

    山城さんについて思い返す - rokujyouhitoma's blog
  • ymsr送別会へ行ってきた - 虎塚

    土曜日、ymsr送別会へ行ってきた。 やましろさんがその場にいる皆に愛されていたことが分かるイベントだった。送別会の概念が自分の中で覆るくらい、あるいは一周してしっくりくるくらい盛り上がっていた。参加した人から、「これ絶対頭おかしいですよね」と何度か確認された。(特に、遺品を奪い合うゲーム大会の後、景品のMacBook Airでスイカを割って、皆で故人を偲ぼうとしたあたりで) 思い出 やましろさんと初めてTwitterで絡んだのは2009年だった。やましろさんが「深夜だし、好きだったAV女優挙げていこうぜ」とか言っていて、「古都ひかるとか好きでした」とリプライしたのが最初だった。 初めて対面で話したのは、あるイベントの懇親会で、今回の送別会の二次会と同じ店だった。当時同じ会社にいた[twitter:@shot6]さんが、やましろさんに「これ、うちの後輩」と自分を紹介してくれた。「えっ。とい

    ymsr送別会へ行ってきた - 虎塚
  • 山城の死に寄せて - すこしふしぎ

    山城のことを書くとなると必然的に長くなる。そういうのは面倒だからこの一ヶ月ほど、書き出してみては消すことを繰り返していた。とはいえ昨日の送別会でご親族から背中を押されもしたので、長すぎて読めないタグ覚悟で書けるだけ書いておこうと思う。あの世からもはてなブログは読めるだろう。なんせそっちには、しなもん会長だっているんだろ? 山城の訃報を知ったとき、ああ彼の番が来たのか、と考えた。ずいぶん早いじゃないか、と。それから、ひどく動揺した。訃報AWSのセミナーを受けていたときにDMで受け取ったのだが、その後の受講内容はまったく覚えていない。動揺してしまった。どうせ人は死ぬ、だから誰が死んでも、それがたとえ自分であっても冷静でいようと決めていたのに、結局うまくいかなかった。 だって死んだのは山城だ。 山城との関係を語るのは、私には少し難しい。親しい友人というほど近い距離にいたわけではないし、おそらく

    山城の死に寄せて - すこしふしぎ
  • 山城が死んだ - masarakki's blog

    飯田橋のカフェを貸し切って山城のお別れ会。 LTしたり、花火打ち上げたり、カネ貸したまま返ってこない暴露話をしたり、 山城の恥ずかしいツイートを見ながら遺品山分けゲーム大会したり、 MBAでスイカ割ったり、MBAにベルギービール飲ましたり、 クズが集まってクズなどんちゃん騒ぎをして最高に楽しかった。 ただ、 楽しい場所には必ずいるはずの奴がいない。 いつも輪の中心で延々イジられ続けてるはずの奴がいない。 哀しい。 いたのかもしれないけど生きてる人間には見れない。 哀しい。 つーか死んでんじゃねえよバカ あと俺が死んだ時もLT大会で盛大に送ってほしいと思った

  • ymsr送別会で山城さんと酒飲んできた - YAMAGUCHI::weblog

    はじめに 技術的でもなんでもない、俺がymsr送別会に行ってきたという話。区切りを付けるために書く。 ymsr送別会 | Peatix 俺と山城さんが初めて会った日 前からTwitterではフォローしてたし、もしかするとどこかの勉強会で会ってるはずなんだけど、ちゃんと面と向かって話したのはjava-ja温泉だったと思う。1日目の夕の時間に、芳泉閣の例のご飯部屋で自己紹介タイムになった時に、幹事だった山城さんが「では自己紹介で、名前、id、何をやりたいか、そして童貞かどうかを話してください」と高らかに合図をして、のっけからやばいと思った記憶がある。 それから リアルに会ったのは、他のjava-ja勢から比べたらほんとに少ないし、飲み会なんかでは自分も酒飲んでバグってたから、正直何話したか細かい内容は結構覚えてない。ただ、ついさっきまでゲスい話をしていた10秒後に真面目にエンジニアの生き方み

  • 山城と総理大臣

    訃報を受けたのは、「怖いScala」というイベントの一週間後で、忘年会のときだった。 山城との思い出は、温泉とか朝まで飲んだりとかメイド喫茶行ったりとか色々あったけど、直近で印象に残ってるのは、太一と俺と山城と三人で飲んでるときに、アイツが「総理大臣になりたい。俺ほど総理大臣になりたいと思ってる奴はいないからきっとなれる!」とか妄言吐いてたのを太一と二人で徹底的に論破したこと。 今日もいつも通りみんなで飲んで、LTして、馬鹿な話で盛り上がって、山城いなかったけどそれが彼の残したものだと安心したし、それでもやはりちょっと寂しかったけど、でも楽しかっし、これからまたみんなで飲んでるときも、山城いないけど山城を感じることができそうな気がしたので、山城は仮想化されて物理山城は存在しなくても論理山城はみんなのなかにいるみたいだし、それはそれでひとつのあり方だと感じた。 だから、さよならはいわないでお

    山城と総理大臣
  • やましろ先生がアヘ顔ダブルピースで溶鉱炉に沈んでから 2 ヶ月が経った #ymsr - 祢占堂

    はい 死にました 詳細は割愛します。死んだので送別会をしました。 渋谷の北海道ではなく、なんか水の上の良いところでやりました。 これでもし、やましろ先生が 正直、「妹です。」って女装したymsrが出てくる可能性が少しはあり得ると思ってる。— 太一 (@ryushi) 2014, 2月 13 こんな感じで出てきても川に落として殺すことで送別会が成り立って便利、みたいな話をしてました。 思い出 一緒に仕事したこととかないんですけど、それ以外のところにはだいたい彼がいました。 最初に参加した Twitter オフ モンハンオフ/合宿 java-ja との出会い その他様々なオフや勉強会 特に java-ja との出会いはエンジニアコミュニティとの出会いであり、転職のきっかけであり、つまりは年収 2 倍です。まあ会場には ymsr 先生のおかげで 3 倍になった人もいた。 心情 向こうにやましろ先

    やましろ先生がアヘ顔ダブルピースで溶鉱炉に沈んでから 2 ヶ月が経った #ymsr - 祢占堂
  • 【メンテナンス】ymsr送別会 - regtanの日記

    昨年末、@Yamashiroが亡くなった。訃報を聞いたのは12/4の夕方だった。その日は、珍しく@j5ik2oからちょっと電話できるか?とFacebook messengerが飛んできた。飲みの誘いかなと思っていたら@Yamashiroの訃報だった。知らない人に伝えてほしいと社内の人や@kwappaに連絡した。 その日は、java-ja忘年会でもあり幹事は@mesoが引き継いで開催された。ぼくは色々あって忘年会は欠席だったので「なんかあったら連絡取れるようにしといたほうがいいだろ」という理由をつけて22時過ぎまで会社に残っていた。翌日、僕は@mesoと会社で話しながら「幹事がドタキャンとか最後まで迷惑な奴だな」とか言っていた。 彼が亡くなる直前は正直な所の関係性は良くなかった。彼自身にも思う所があってそのようなことをしていたのだろうけど、僕の目から見てそれは明らかにダークサイドだろというこ

    【メンテナンス】ymsr送別会 - regtanの日記
  • #ymsr送別会LT

  • ymsr先生

    2014/02/16 01:00 ※ 商品のリンクをクリックして何かを購入すると私に少額の報酬が入ることがあります【広告表示】 smsr先生の送別会へ行ってきた。 花火は上がるはMBAにビールをかけるはで大騒ぎ。とても良い会だった。 さて、ymsr先生には子供も遊んでもらったりしていたので来であれば一家で参加したいところだったけれど、まだ子供に知らせていないので1人でお別れに行ってきた。 親戚の年寄りが無くなったりといった経験はあるけれど、一緒に遊んだ人が亡くなるということは未経験で、そもそも人が亡くなることについて非常に恐怖感を持っているので知らせるのを躊躇している。しかも父親よりも若い人が世の中からいなくなるということは大変なショックを与えると思う。 でも福岡から来ていたきしださんに「10歳なら知らせた方が良かったかも」と言われて悩んでるところ。 モンハンのババコンガを見ればピンクの

  • #ymsr さんのこと

    (以下、基的には故人の公開情報のみを元にした記述です。まずいとこありましたら、Twitter @DrFaust まで。) やましろ・ゆたかは、神奈川の人である。またの名を 世界のymsr , ymsr先生 など。 はてなidを id:Yamashiro0217、Twitterアカウントを yamashiro、githubアカウントをyamashiro としていた。 2013年11月30日、彼は流れ星を見に行った。このときなにか危険な目にあったらしい。が、これとは関係なく、その3日後の12月3日、彼は事故に遭い、それが元で死んだ。彼の最後の自筆ポストは、11月30日早朝の「死ぬかと思った」 であった。それ以降に、2つの RT がある。 彼は大学受験のとき、横浜キャンパスが近いため、神奈川大学を受験し合格した。しかし、通うこととなった平塚キャンパスは「くっそ遠かった」。 彼は、Java をメ

    #ymsr さんのこと
  • 大好きな山城先生が死んだ #ymsr

    私の所へ悲報がきたのは、12月14日でした。 LINEのグループで【亀】というグループがあり、その中の一人の子が最近山城先生見ないけど生きてるのかな? みたいなチャットからの始まりだった。 LINEが既読にならない、携帯はかかるけど電話には出ない。 私たちはJava-jaとか仕事関係の人とはまったくといって面識がないのでTwitterで連絡がとれる人を必死になって探した。 夜の9時ぐらいだっただろうか、LINE友達から 「今携帯に電話したら妹さんが出て12月3日に事故で亡くなられた。もう葬儀も終わったって」 というチャットが入った。信じられなかった。 あれだけコンテンツ力高い人が亡くなって誰も何も言わない。TLしてない。だから嘘なんじゃないかって思った。 私は必死になって山城先生の悲報が当かどうなのか調べた。 Twitterで何か知ってそうな人にリプライし、岸田さん、ネトペンさんから、

    大好きな山城先生が死んだ #ymsr
  • やましろさん - tyskw

    2014-02-16 やましろさん 彼と初めて出会ったのは2009年のvim勉強会のときだ。と、思ってたけど違った。そこでレオさんにはじめて出会って、MerbJogという皇居ランwith技術トークなイベントをやっていることを知って、OOPJogという名前でパクってはじめて、でそれからだ。彼はvimの勉強会でも楽しそうなら来そうだけど、基eclipseメインだろうし、違和感を感じてた。記憶はすげー曖昧だな。 最初のやり取りは「OOPJogっていうイベントをやってるid:tsuyoshikawa」ですっていう切り出しに、ニコニコ笑いながら「java-jaのNo.2のやましろです」という返しで始まったは覚えている。自分はジョグイベントに紐づけて自分を不特定多数の人に覚えてもらおうと、名前を売ろうとしてた。それだけ言うと必死な感じだけど、2009年というとだいたいエンジニアでのtwitterブー

  • やましろ on Twitter: "@rokujyouhitoma 誕生日プレゼント届いたありがとう!!!"

    rokujyouhitoma
    rokujyouhitoma 2014/02/16
    そういえば、amazonウィッシュリストで贈り物したなー。逆に結婚時にお祝い頂いたし。PS3の3Dドットヒーローズ.
  • やましろ on Twitter: "@rokujyouhitoma タイミング的にびったりだったから勘違いしたw"

  • Amazon.co.jp: とおるメモ: ふるかわとおる: Digital Ebook Purchas

    Amazon.co.jp: とおるメモ: ふるかわとおる: Digital Ebook Purchas
  • ある夏の日 - 東のレガリア

    ある夏の日、山城さんが隣の席に引っ越してきた。騒がしかったので覚えている。 あっという間に、山城さんの私物の書籍とか箱とか棚とかぬいぐるみがあたり一帯を占拠していて非常に狭くなった。 山城さんは体格が非常に大きく、さらにその後ろに座っている加藤さんの体格も同じくらい大きいので、もはや、私の左側は簡単に通行できなくなった。 山城さんの席の机は、一見、雑然としているが、ミクのフィギュアがおいてあって、座ったらパンチラがちょうど見える角度になっていた。そこだけ計算されたかのようだった。 数ヶ月して、彼とともにやってきたプロジェクトがポシャったときに、 その引導を我々メンバに告げる会があり、部屋を輪になって囲むかたちになっていたのだが、その時に私の対面にいたのも山城さんだった。 私はプロジェクトがポシャったことがとても悔しく、やるせなかった。 だが、たまたま目にはいった山城さんはとても笑顔だった

  • ymsr送別会 - 新しいフォルダ (3)

    やましろ先生の送別会に行ってきました。 正直僕はjava-jaだってid:Ewigkeitに首根っこ掴まれて引っ張り込まれたのが最初だったし、それ以降も持ち前のコミュ障を活かして隅っこのほうで北海道のサラダラーメンってるだけの人間でしたし、一方的に知ってるだけで、やましろ先生と絡んだことも1,2回しかありませんでした。 そういう人間がこんな会に参加していいのかどうかギリギリまで迷っていたのですが、少し話しただけでも彼はいい人だってのが分かってたし、せめて送るくらいのことはしたいなと思って参加しました。 送別会、非常にいい会でした。java-jaらしい無茶苦茶な会でしたが、それが彼らしくて良かった。 人不在のまま借金の清算が成立する 死人に鞭打つエピソードの紹介、名言集 花火 ゲームの景品のMacBookがその場でベルギービールに沈む etc 妹さんもいらっしゃってたんですが、妹さんもや

    ymsr送別会 - 新しいフォルダ (3)
  • 山城死んだ #ymsr – yusuke.blog

    Java界、PHP界で名を馳せた山城さんが亡くなりました。 java-jaというやんちゃなコミュニティの宴会部長。訃報を聞いた瞬間は「おいおい冗談にもほどが・・」と一瞬思ってしまったくらい。 もちろん死をネタにするなんてことはさすがにないだろうと次の瞬間には当なんだろうと受け止めたけど、なんともやるせない。 たくさん勉強会で一緒したり、懇親会で飲んだり、お互い欲しい物リストにあるものを送りつけ合ったりした中でした。つい最近はFacebookやLINE仕事の話もしていたところで、これから一層活躍するはずだった矢先。残念至極。 氏の人徳もあってたくさんの人があつまって送別会をしました。「告別式」みたいなしんみりしたものではなく、みんなでワイワイガヤガヤ楽しんで当に素敵なお別れ会でした。 写真をパシャパシャ撮っていたけれども笑顔が沢山!整理できていないけれどもひとまずヨシオリさんの笑顔を1

    山城死んだ #ymsr – yusuke.blog
  • #ymsr 送別会に行ってきた - t-wadaのブログ

    (個人の日記レベルのエントリであり、故人の思い出語りなので、ご存じない方はそっと閉じてください) 俺たちの幹事 @yamashiro が亡くなってしまった。知らせを受けたときは正直現実味が感じられなかった。知らせてくれたのが @meso だったから真面目に受け取ることができたというか、最初は java-ja の悪ふざけの一種かもしれないと思ってしまった。 今日 (日付上はもう昨日のことだが) 彼の送別会があった。皆で LT したり、真冬なのに打ち上げ花火を見たり、遺品を奪い合うビンゴ大会を行ったり、 java-ja らしい露悪的で自重しない送別会だった。今日会った人たちは皆それぞれのやり方で @yamashiro の死を受け止めようとしているので、そして遺族である妹さんも送別会で「書いてほしい」と仰っていたので、久しぶりに個人の日記を書こうという気になった。 送別会の帰り道で思い出したのは

    #ymsr 送別会に行ってきた - t-wadaのブログ
  • 俺の中で山城は完全に死んだ。 - さにあらず

    LTしたが涙ぐんで、ちゃんと話せなくてみっともない感じになってしまった。 でも、言いたかったことは何となく伝わった感じだったので良かった。 java-ja ymsr送別会 利用したサービスについて amazon.co.jp 今更説明するまでもないけど、検索すれば、かなり無茶なものでも売ってる。 サードパーティが品売ってるので、もう何でも買える。 スイカ見つけた時には勝った感すらあった(何に勝つのかは分からない) ジャパンネット銀行 ブラウザだけで完結してる銀行口座として当に便利。 特に使い捨てのクレジットカード番号が使えるVisaデビットがあるお陰で、ちょいと変なサイトでも容赦なくクレジットカード番号をエントリできる。 それから、一日に使える金額をカジュアルに変えられるのも凄く良い。ちなみに、僕は15万に設定してる。 peatix.com 支払い方法が沢山あるのと、売上の受け取り方法が

    俺の中で山城は完全に死んだ。 - さにあらず
    rokujyouhitoma
    rokujyouhitoma 2014/02/16
    ( ̄д ̄)エーマイナスw > 収支合計 1,395,000 - 1,668,247 = -273,247
  • 大切な友人が逝ってしまった - 自分の感受性くらい

    java-jaの偉大な幹事であり、僕の人生を変えてくれた友人である山城が亡くなった。 今日はその送別会であったので、遺族である妹さんにも了承の上、山城が亡くなったことについて公に話そうと思う。 僕がその訃報を聞いたのは12/4の16時ぐらいだった。ちょうどその日に山城が幹事のjava-ja忘年会が予定されていたので、まさかという思いがありつつ、どうにかしないとという思いで幹事を引き継いだ。 とにかく集まった方に状況を説明し、よくわからないまま泣きながら家路についた。 山城は12月3日に事故にあって亡くなった。最後のツイートが 死ぬかと思った— やましろ (@yamashiro) November 29, 2013 なので誤解を受けているが、このツイートと山城の死因に因果関係はない。彼が亡くなったのはこのツイートの3日後だ。 生前、幹事としてドタキャンを最も嫌っていた彼が、最後の最後で亡くな

    大切な友人が逝ってしまった - 自分の感受性くらい
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  • お世話になった山城さんが亡くなったので #ymsr - 人工無脳が作りたかった

    今日、みんなで盛大に悪ふざけしつつ送った。 ぼくらがブログを書くことにOKしてくれた妹さん、ありがとうございます。 LTで喋ってきたのでスライドを上げておきます、内容が内容だけにみんなが何を喋るか空気が読めなくて迷ったけれど、凄くお世話になったし、自重はダークサイドという言葉が頭をよぎったので、ymsr先生にまつわる酷い話しと、ありがとうを言って来ました。 花火を上げたり やっぱり葬儀ビジネスは儲かるから、次回は会費3万にするとか。 遺品争奪の、やたら説明の長いビンゴ的な何かをしたり。 (パトレイバーのグリフォン貰った) 馬鹿騒ぎして、整理がついた気がします。 準備してくれた人達、ありがとうございました。

    お世話になった山城さんが亡くなったので #ymsr - 人工無脳が作りたかった
  • 友人の山城が死んだ - yoshiori.github.io

    山城が死んだ。 妹さんに アイツが生きていた事、残しておきたいからみんなでブログとか書いていいですか? って聞いたら 兄もそのほうが絶対喜ぶと思いますので是非 と言ってもらえたので書き残そうと思う。 「人は死ぬ」ってすっごい当たり前のことなんだけどもいざ降りかかってみると全然良くわからない。 事実として受け入れられないとか実感わかないとかじゃなくて、当に「よくわからない」というのが正直な感想だ。 なのでみんなで壮大に悪ふざけしてきた。 「不謹慎だ」とかいう人も居るかもしれないけど、ごめん、俺らにはこうすることしか出来なかった。 盛大に花火も打ち上げた。 Twitter とかで全然知らない人が「なんか花火上がってる」とか言ってて楽しかった。 その花火は僕らが友人を送るために上げました。 綺麗でしょ? LT で思いを吐き出してきた。 友人を送るためって言ったけど、結局は自分のためにそれぞれや