不問にされた無謀な「戦争」 昭和十四(一九三九)年九月一日、百五十万のドイツ軍部隊が、ポーランド国境を越えて攻撃を開始する。第二次世界大戦のはじまりである。このヨーロッパ情勢の激変もあり九月十五日、ノモンハン付近の国境線をめぐる日ソ戦は早急に停戦協定が結ばれ、終結した(角川新書編集部注:昭和十四年五月に始まったノモンハン事件で、関東軍は大本営の方針に背いて戦線拡大したが、ソ連軍の優勢な火力により第二十三師団壊滅の大敗を喫した)。 歴史に「もしも」はないが、あのまま戦闘がつづけられていたならば……は、「運命の十年」を考える上で絶好の面白いテーマとなる。つまりは、日本はこの事変から何を学んだか、ということに帰結するのであるが。 ところが、組織というものは今日もまた同様で、失敗の研究を徹底的にし、その責任を明らかにしようとはしないものである。文字面としての各論は一応は残すが、頂点まで責任の及びか