座禅をするコンピュータは実現できるか? - 禅的な手段によるコンピュータの学習- 松岡 正剛 コンピュータにはいわゆる迷いはない。あたかもマシンが次に何をすべきかを正確に知っているかのように、あらかじめプログラムされた処理が進んでいくのみである。人間の場合は違う。人間は意識にも言語にも判断にもつねに迷いが存在している。つねに揺らいでいる。 仏教や道教は、東洋哲学や日本文化の底流をなしてきた。俳句のリズムや着物のデザインはなんと自由に自らを主張していることか。日本文化では、判断できないことや不確定なことなどは排除の対象とはならず保持される。いわば、ベンチを暖めながら、それらの概念が共鳴をおこしはじめるのをじっと待っているのである。ひとたび共鳴を起こし始めると、これらは主役となって表舞台に登場する。 ZENetic Computer において私が焦点を当てようとしたのは、禅の修行者が禅師に導か
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く