ブックマーク / charis.hatenadiary.com (27)

  • [演劇] モリエール『守銭奴』 SPAC - charisの美学日誌

    [演劇] モリエール『守銭奴』 ジャン・ランベール=ヴィルド演出、SPAC 12月11日 (写真は、左からアルパゴンの息子クレオント[永井健二]と娘エリーズ[宮城嶋遥加]、全体の半分ぐらいを、語りではなく音楽と踊りにした「コメディー・バレー」形式が楽しい) モリエールの作品は、ほとんどが宮廷で上演されたもので、音楽と踊りがふんだんにある「コメディ・バレー」形式で、「宮廷祝祭」の楽しい雰囲気に満ちている。この上演も棚川寛子による音楽と踊りがとてもいい。まるでフェリーニの映画を見ているようで、演技も、歌舞伎の一部を取り入れていて楽しい。モリエールは19世紀以降のリアリズム演劇ではないので、今回の演出はむしろ正統的なのではないか。11月に東京芸術劇場で見たプルカレーテ演出『守銭奴』は、狂気を前面に出したホラー仕立てになっていて、ぜんぜん楽しくなかったが、こちらはとにかく祝祭気分が横溢していて、こ

    [演劇] モリエール『守銭奴』 SPAC - charisの美学日誌
  • [オペラ] ロッシーニ《チェネレントラ》 - charisの美学日誌

    [オペラ] ロッシーニ《チェネレントラ》 新国立劇場 10月13日 (写真は舞台、上は舞踏会で偽王子(中央の白ガウン)に媚びる二人の姉(左側の緑と赤の服)、下は中央がチェネレントラ、エプロン姿の女中として姉二人の衣装を持たされている、そして継父と戦う彼女) 粟國淳演出、美術・衣装A.チャンマルーギ、チェネレントラ:脇園彩、王子ラミーノ:R.ベルベラなど。私は初見だが、こんなに素晴らしい作品とは知らず、今まで知らなかったことを後悔した。「シンデレラ物語」ではあるが、ディズニーの「シンデレラ」などとは全然違う。チェネレントラ(=シンデレラ)は、白馬に乗った王子様を待つ受動的な女性ではなく、自ら愛を勝ち取りに行く戦う女、「愛の主体」である女として描かれている。チェネレントラは、究極の女性性としてのヒロインであり、アンティゴネ、コーディリア、コンスタンス修道女、『フィガロ』のスザンナなどと同系列の

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  • ウースター・グループ『タウンホール事件』 - charisの美学日誌

    [演劇]  ウースター・グループ『タウンホール事件』 横浜・KAAT 9月29日 (写真右は舞台、右端はイギリスのフェミニストであるジャーメイン・グリア、中央左のジーンズジャケットの女性はレズビアン活動家のジル・ジョンストン、彼女の左の男性は二人ともノーマン・メイラー、後に映ってるのは、実際のシンポの画像で、映っているのは実在のグリア、写真下は、ケンカする二人のノーマン・メイラーと仲裁する(看護婦?)) 「タウンホール事件」というのは、1971年にニューヨークのタウンホールで行われた女性解放をめぐるシンポジウムのこと。ノーマン・メイラーの『性の囚人』を批判する討論会で、フェミニストたちとメイラーの激しい討論がなされ、会場の多数の聴衆のヤジや不規則発言なども含め、大荒れだった。画像はすべて映画に収録されているので、それの一部をスクリーンで見せながら、その討論を舞台で「再演」(re-enac

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  •  [映画] ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語 - charisの美学日誌

    [映画]  ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語 Movixさいたま 6月23日 (写真↓、下は冒頭、ジョーは、原稿が出版社に売れて大喜びで街を疾走する、原作とは時間順序が違い、未来と過去が繰返し交錯する凝った構成) 私はオルコットの原作は未読だが、映画版は、(1)キャサリン・ヘプバーンがジョーを演じた1933年の作品と、(2)エリザベス・テイラーがエイミーを演じた1949年の作品を見た。作は、それらよりも凝った作りだが、とてもいい。作家志望の次女ジョーを原作者ルイザ・オルコットと重ね、「書く女」をクローズアップしたところに特徴がある。そして、長女のメグも四女のエイミーも、とても個性的に描かれていて、自由に生きたいと願う少女たちが生彩豊かに輝いている。みな、自分の理想をもっており、それに向かって一生懸命生きている。監督のグレタ・ガーウィクは、映画『フランシス・ハ』の主演女優で、

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  • アイスキュロス/R.アイク 『オレステイア』 - charisの美学日誌

    [演劇] アイスキュロス/R.アイク『オレステイア』 新国立・中劇場  6月26日 (写真↓は、左から、クリュタイメストラ、イピゲネイア、エレクトラ、オレステス、アガメムノン、このメンバーが卓を囲むことは、アイスキュロスにはなく、ありうるとすればエウリピデス『アウリスのイピゲネイア』だが、そのときオレステスは幼児のはず、2015年のイギリス上演では子役がやっている https://www.youtube.com/watch?v=dHE1V19Bz5Q) イギリスの若い劇作家ロバート・アイクが、アイスキュロス『オレステイア』三部作を翻案劇というかミステリー劇に仕立て直した作品。だが、全体の構成が完全な無理筋で、私は見ていて白けてしまった。ほとんどの科白が浮いた感じで、リアリティがない。場面場面で、「えっ、そりゃないでしょ 」「人間は、そんな科白ぜったい言わないよ」という気持ちになる。翻案劇

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  • プーランク 『カルメル会修道女の対話』 - charisの美学日誌

    [オペラ] プーランク『カルメル会修道女の対話』 METライブ 東劇 6月12日 (写真下は、開幕冒頭の修道女たち、その下は、新たに修道女となるブランシュ) ジョン・デクスター演出、ネゼ=セガン指揮で、5月11日にMETで上演された舞台。この作品の内容分析については、過去二回見た上演記録に書いたので↓、今回は新たに気が付いたことだけ書きたい。 https://charis.hatenadiary.com/entry/20090315 https://charis.hatenadiary.com/entry/20100207 きわめて洗練されてスタイリッシュな舞台。プーランクの音楽も(1957年作)、明らかに現代音楽だ。黒色と白色だけの修道院と、最後に平服になって修道院を去り、民衆や共和派官憲などに立ち混じるシーンの豊かな色彩との対照が(写真↓)、悲しみを倍加する。フランス革命の中で実際に起

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  • 演劇版 コクトー『恐るべき子供たち』 - charisの美学日誌

    [演劇]  コクトー『恐るべき子供たち』 横浜、KAAT  5月29日 (写真↓は、上が、雪合戦シーン、下が、左からジェラール、ポール、エリザベス、アガート、白い布で作られたシュールな舞台がいい) コクトーの小説(1929)を、ノゾエ征爾が台、白井晃演出で、演劇化した。原作は、シュールで夢幻的な美しさに溢れており、超現実というか、パリのど真ん中でありながら異世界のような「子供部屋」。学校にも行かず、そこに籠って恋人のように暮す姉と弟。二つベットを並べ、互いの眼前で着替えもする近親相姦的な姉弟の、ピリピリした緊張感がいい。何よりも、地の文が輝くようなメタファーで表現されているのが『恐るべき子供たち』の魅力である。たとえば、「カールした短い髪の下の姉の顔は、もはや素描ではなく、形を整え、混乱のうちに美に向かって急いでいた」(中条訳、p49)、「エリザベートは服を脱ぐ。姉と弟の間には何の遠慮も

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    saebou
    saebou 2019/05/30
    「彼女が「下町風の、きっぷのいい逞しいねえちゃん」ぽかったので、やや違和感を感じた。」
  • ケラ・サンドロヴィッチ『修道女たち』 - charisの美学日誌

    [演劇] ケラ・サンドロヴィッチ『修道女たち』 下北沢、多劇場 10月20日 (写真右と下は、舞台、6人の修道女と一人の知恵遅れの村娘) 2006年に観たケラの『労働者M』は、カフカ的な寓話をナンセンス劇仕立てにしたもので、物語を作る構想力に感心した覚えがある。この『修道女たち』も似たところがあり、どこかズレたところのある修道女たちが、いつもすれ違ってしまう滑稽な日常が生き生きと描かれている。修道女たちは、みなどこか頭が固くて融通の利かない人たちなのだが、それぞれに個性豊かで、出自も性格も違う一人一人の人物造形がとてもいい。彼女たちの少しぶっ飛んだところが、シュールに描かれている。そして知恵遅れの少女と、ちょっとずっこけた青年との恋もからむ。最後は国王の宗教迫害によって修道女たちは全員殺されてしまうので、真正の悲劇なのだが、ナンセンスと不条理に溢れており、一人一人の人物を作者が愛情を込め

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    saebou
    saebou 2018/10/24
    私も、あの殉教の理屈はおかしいと思った。
  • 河合祥一郎訳・演出『お気に召すまま』 - charisの美学日誌

    [演劇] シェイクスピア『お気に召すまま』 シアター・トラム 9月9日 (写真右は、ロザリンド[太田緑ロランス]、男装して叔父の宮廷を脱出する前の彼女は暗い、写真下は舞台、奥の方にレスリング試合に負けて退出するチャールズが見える) 「お気に召すまま」は、私のアマゾン・レヴューのハンドルネームにしているくらい好きな作品だが、河合祥一郎の新訳と演出も、はつらつとして、とても楽しい舞台だった。この演出の特徴は、オーランドが、ギャニメートは実はロザリンドの男装であることに気づいている、という解釈を取った点にある。彼は気付いたうえで、わざと騙されているふりをして、恋愛ゲームを楽しんでいるのだ。シーリア、ロザリンド、オーランドの三人とも、少年ギャニメートという「嘘」を一緒に楽しんでいるから、三人とも、とても生き生きとしている。彼らは、一時もじっとしてなくて、激しく動き回りながら、オーバーな身振り手振り

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  • METライブ 『コジ・ファン・トゥッテ』 - charisの美学日誌

    [オペラ] モーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』  METライブ/Movixさいたま (写真右は、左から、女中デスピーナ、姉フィオルディリージ、妹ドラベッラ、下は舞台、1950年代のアメリカの遊園地、巨大だがチープな感じで、大道芸人がたくさん活躍するのがいい) 『コジ・ファン・トゥッテ』(=女はみんなこういうことをする)は、スワッピックが主題でもあり、道徳的・倫理的に問題だとして19世紀にはあまり上演されなかった。劇評を引用すると、「・・すべての女性を侮辱しており、女性の観客には決して気に入られず、したがって成功しないというみじめな作品」(1791年、F.L.シュレーダー)、「《ドン・ジョバンニ》や《コジ》のようなオペラは私には作曲できない。こうしたものには嫌悪感を感じる。このような題材を私が選ぶことはありえない。軽薄すぎる」(1825年、べートーヴェンの手紙)。ワーグナーも、「音楽はい

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  • NTL、イプセン『ヘッダ・ガーブレル』 - charisの美学日誌

    [演劇] イプセン『ヘッダ・ガーブレル』NTライブ TOHOシネマズ橋 12月1日 (写真右は、ヘッダ(ルース・ウィルソン)を誘惑するブラック判事(レイフ・スポール)、ブラック判事にはきわめてセクシーな男優を使った、下は舞台写真、ぶち切れて花束を部屋中にぶちまけるヘッダ、新婚生活の居間を倉庫のような空間にしたのが成功している、その下は、左からブラック、レェーヴボルク、ヘッダ、テスマン、美しい彼女を前に男たちは狂ってしまう) ロンドンのナショナル・シアター公演。演出は、最近、池袋で上演された『オセロ』と同じオランダのイヴォ・ヴァン・ホーヴェ。なるほど『ヘッダ・ガーブレル』とはこういう作品だったのか、と納得させる名演だ。科白は原作よりはシンプルになっている。とにかくヘッダを演じるルース・ウィルソンが素晴らしい。美しい「野鳥のような女」! ヘッダのモデルになった18歳の実在の若い少女エミーリ

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  • 木ノ下歌舞伎『心中天の網島』 - charisの美学日誌

    [演劇] 木ノ下歌舞伎『心中天の網島』 横浜にぎわい座のげシャーレ 11月15日 (写真右は、最後の心中直前の治兵衛(日高啓介)と小春(伊東茄那)、原作でも28歳と19歳の若者、写真下は舞台、大きな網目のような模様で、床も壁も統一したのがいい、「網島あみじま」なのだろう。手前は治兵衛) 木ノ下歌舞伎を見るのは昨年の『義経千桜』に次いで二回目だが、とても良かった。現代の若者の恋に置き換えて、原作にない場面を補い、軽快な音楽と踊りをつけて、心中という悲劇が美的に昇華されている。無責任な翻案ではなく、原作の重要な場面と科白はきちんと踏襲されている。『心中天の網島』が、男女の愛を描いた『源氏物語』から『春琴抄』にいたる日文学の中でも、最高傑作の一つである理由が、よく分った。それは、女性が徹底した「愛の主体」として描かれているからである。この作品の核心は、女同士の命を賭けた友情であり(原作では「

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  • NTL『お気に召すまま』 - charisの美学日誌

    [演劇] NTライブ シェイクスピア『お気に召すまま』 TOHOシネマズ橋 10月17日 (写真右は、左がシーリア(パッツィー・フェラン)、右がロザリンド(ロザリー・クレイグ)、写真下は、シュールな「アーデンの森」、そして第一幕、レスリングの試合で勝ってしまうオーランド、場所が現代の会社のオフィスというのがいい) ロンドンのNational Theatreが2015年に上演した『お気に召すまま』を映画に撮影したもの。とにかく、全体が楽しくて、シュールで、生き生きしていて、とても良かった。一番良かったのは、完全に少年化したロザリンドで、ピチピチと水面を跳ねる魚のように元気だ。普通は、「いやだ、私、赤くなってる。こんな男の格好してるからって心までズボンはいてると思うの?あとちょっとでもじらしたら、女の性丸出しにして南太平洋みたいに荒れ狂うからね」(第3幕)とシーリアに懇願するように、ロザ

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  • ITCL公演『Twelfth Night』 - charisの美学日誌

    [演劇] ITCL公演『十二夜』 東京女子大・講堂 5月25日 (写真右は、双子の兄妹のセバスチャンとヴァイオラ、写真下は左からトービー、マルヴォーリオ、アンドルー、そして道化フェステを間に挟む双子の兄妹、役者みずからトランペットを吹いたりバイオリンを弾く) 好都合なことに、東京女子大の非常勤の講義を終えてすぐ、大学講堂で行われたInternational Theatre Company Londonの『Twelfth Night』を観ることができた。この劇団は、主宰のP.ステッビングズがポーランドの演出家グロトフスキーから学んだグロトフスキー・メソッドによる上演であるという。リズムのある声が、ときに重唱・合唱を交え、ばねのような身体の動きを特徴としている。科白は原作より少なくなっているが、しゃべりが速すぎないので、ブランク・ヴァースが美しく響く。喜劇ではあるが、ヴァイオラやマルヴォーリオ

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  • ギリシア悲劇『エレクトラ』 - charisの美学日誌

    [演劇] ギリシア悲劇『エレクトラ』 世田谷パブリックシアター 4月22日 (写真右は、クリュタイメストラの白石加代子と、エレクトラの高畑充希、写真下は、エレクトラと、弟オレステスの村上虹郎) 俳優も演技も素晴らしい舞台だったが、上演台(笹部博司作)にやや問題があると思う。『エレクトラ』は、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスの三人がそれぞれ戯曲を書いており、内容が微妙に違うところも面白いのだが、今回の『エレクトラ』は、ソフォクレス版を中心としながらも、他の二人の作品と組み合わせて作っている。たとえば、クリュタイメストラが自分の乳房を見せて、母を殺そうとするオレステスを動揺させるシーンは、アイスキュロス版は舞台で実演され、エウリピデス版では隣室でのこととして言葉で報告され、ソフォクレス版にはないが、舞台では、アイスキュロス版を使っている。それはよいのだが、作は、『エレクトラ』以

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  • 二つの劇団によるイプセン『人民の敵』 - charisの美学日誌

    [演劇] 二つの劇団によるイプセン『人民の敵』 12月3日シアターΧ、7日シアタートラム (写真右は、雷ストレンジャーズの上演、ストックマン博士を演じる寺十吾、下の写真は劇団tgSTANの舞台、2014年9月オスロ公演のもの、今回と配役は同じ、右端がストックマン博士) イプセンの1882年の作品を二つの劇団がほぼ同時に上演するのを見ることができた。日の劇団、雷ストレンジャーズと、ベルギーの劇団tgSTANの公演。私はこの作品は初見だが、非常な違和感を覚えた。筋は、温泉で街が発展しようとする矢先、温泉水の汚染が発見されたが、観光客が途絶えることを恐れた町の幹部が、発見者のストックマン博士にその発表を差し止めさせ、博士を孤立させたが、町民のほぼ全員がそれを熱烈に支持という物語。確かに環境汚染の問題と、利害関係者の対応というテーマはきわめて現代的で、まさにこういうことが起きていることは分かる。

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  • 東京芸術劇場『かもめ』 - charisの美学日誌

    [演劇] チェホフ『かもめ』 熊林弘高演出 東京芸術劇場 2016.11.6 (写真右は、ニーナ(満島ひかり)とコースチャ(坂口健太郎)、下はアルカージナ(佐藤オリエ)とトリゴーリン(田中圭)、そしてポスター) 私はこれまで『かもめ』の実演は、蜷川幸雄、岩松了、マキノノゾミ、齋藤晴彦による演出を見たが、今回が一番良かった。一緒に観た群馬県立女子大の卒業生は「鮮烈な、心に刺さった舞台」と言ったが、当に、魂に突き刺さるような『かもめ』だった。チェホフはどの作品でも、誰もが狂おしいほど愛を求めているのに、それが満たされず寂しいままに人生を生きてゆく姿を描いている。その切なさと、限りない愛おしさこそ、チェホフの魅力である。チェホフにでてくる人は、みなちょっと変だ。でもそれは我々自身の姿であり、とりわけ愛を求めるときには、人は誰もがちょっと変になる。そして大概は、求める愛は与えられないので、また別

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  • ミュージカル版『ヴェローナの二紳士』 - charisの美学日誌

    [ミュージカル] シェイクスピア原作『ヴェローナの二紳士』 日生劇場 2014.12.27夜 (写真右は、最後の大団円、中央の白い三人は左からシルヴィア姫(霧矢大夢)、ヴァレンタイン(堂珍嘉那)、プロテュース(西川貴教)、写真下はジュリア嬢(島袋寛子)とプロテュース(西川)、彼女はとても可愛い、そして最後の写真はミラノの町、中央高所のサングラスの軍人は安倍を擬した軍国主義者のミラノ大公、最前列中央右は赤い服を着て踊るシルヴィア姫) シェイクスピアの原作『ヴェローナの二紳士』は、喜劇に初めて取り組もうとした「修業時代の作品」と言われ、筋に混乱と不整合の多い欠陥作品といえる。ほとんど上演もされない。それをどうやってミュージカルにするのか、興味津津だったが、夢のように楽しいエンターテインメントに仕上がっている。さすがは宮亜門だと感嘆した。40年前にブロードウェイや劇団四季のミュージカル化があっ

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  • 文楽『不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ)』 - charisの美学日誌

    [文楽] 不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ) 9月13日、国立劇場・小劇場 (写真右はポスター、下は、2013年ザルツグルグ音楽祭のヴェルディ『ファルスタッフ』と、今回のふぁるすのたいふ) NHKで動画もありました。http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/english/news/features/201409190819.html シェイクスピア『ヘンリー四世』『ウィンザーの陽気な女房たち』には、太っちょでエッチなオヤジであるファルスタッフという騎士が登場する。そのキャラが面白いので、ファルスタッフは、ヴェルディのオペラや、日の狂言新作『法螺侍』などに翻案されてきた。そして今回、初めて文楽に。企画・作曲は鶴澤清治、脚は河合祥一郎。 文楽は、語りと音楽の絡みが作り出す高揚や陰影の中で、大きめの人形が絶妙な動きと表情を見せるので、どこか西洋のオペラに似たところがある

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  • 映画『大いなる沈黙へ』 - charisの美学日誌

    [映画] 『大いなる沈黙へ(原題 Die Grosse Stille)』 8月7日 岩波ホール (写真右は、グランド・シャルトルーズ修道院、フランスのスイス国境に近い山中にある、写真下は院内の光景、修道士たちは会話を禁じられており、週一回の昼後だけ右側のように会話を楽しむ) 大変に貴重な映画だ。カトリックのカルトジオ修道会に属するグランド・シャルトルーズ修道院は、1000年以上にわたって古い戒律を守って存続している。訪問者を中に入れることはなく、ラジオもテレビもない。私物の所有はブリキ缶一つしか許されず、神に祈ること以外は何もしないで、50年くらいを生きて死んでゆく修道士たち。この映画も監督一人が中に入ることを許され、6か月間修道士とともに生活しながら撮影した。約30人くらいの集団だろうか、質素で規則的な修道生活は、現代人の生活とはきわめて異質なものだ。 この修道院では、ミサや聖歌などで

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