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ブックマーク / monado.hateblo.jp (19)

  • グレゴリー・チャイティン「メタマス!」 - モナドの方へ

    これはすごい! 個人的には「ゲーデル・エッシャー・バッハ」や「皇帝の新しい心」に匹敵するくらいのだと思っている。ライプニッツ礼讃ということでひいき目に見ているところはあるにしても、書で言及されていることは、最高にセンス・オブ・ワンダーだ。 数学、そしてデジタル哲学をテーマにしているんだけれども、冒頭からカフカの「掟の門」である。ここでまずガツンとやられる。それから、不完全性原理→プログラム停止問題→ディオファントス方程式→LISP→DNA……と展開してゆき、これらが抽象的には同型の問題であるということを明らかになってゆく。 書でのコアとなってくる考え方がアルゴリズム情報量というものである。これは、ある数字列を生成する最短のプログラムを考えることで、その数字列の情報量を定義するというものだ。0.123だったら、簡単にはputs("0.123")みたいにベタで書いてしまう方法もある。でも

  • ロバート・チャールズ・ウィルスン「時間封鎖」 - モナドの方へ

    昨年話題となったSFを今更ながら読了。 地球全体が巨大な黒い膜に覆われ、その外の世界は1億倍のスピードで時間が流れている、というシチュエーションから始まる。次々とアイデアが展開されると言うよりは、人間ドラマを交えながらじっくりと。またそのアイデアも突拍子もないトンデモではなく、きわめて現実的で、シチュエーションから演繹されるものばかりだ。 グレッグ・イーガンの『宇宙消失』と比べるムキもあるようだが、これは優劣と言うより好みの問題だろう。個人的にはイーガンの方が性に合っている。極限状態の人間を描くという意味では作の方が上。おそらく一般の基準から言えば、作の方が好きな人が多いと思われる。 次は『無限記憶』に続くわけだが良いところで終わるらしいので、完結編の第三部が出てから通読したい。 時間封鎖〈上〉 (創元SF文庫)posted with amazlet at 09.10.16ロバート・チ

    ロバート・チャールズ・ウィルスン「時間封鎖」 - モナドの方へ
  • 「チャールズ・バベッジ―コンピュータ時代の開拓者」 - モナドの方へ

    言わずと知れたコンピュータの先駆者バベッジの伝記と実績を簡単にまとめた。 読み所は、バベッジの開発していた「階差機関」「解析機関」の解説の部分である。どちらも非常にわかりやすく説明がされており、中学生レベルの数学がわかってれば充分理解できるだろう。 まず「階差機関」であるが、こちらはコンピュータというよりは手回し計算機に近い。ルネサンス期にさまざまなに作られた計算機の集大成というものであった。 それだけでも充分凄いのだが、「解析機関」は現代のコンピュータの質に迫っていた。入力装置、メモリ、演算装置、出力装置を備えていたのである。ただし、その機構を機械的な部品に頼らざるを得なかったところがバベッジの限界であった。それを作り上げることは叶わなかった。 そこから約一世紀。数学による理論的裏付けと、電子回路の発達によって、ようやくバベッジの夢は実現することになる。そこから今に至るまで、コンピュ

    「チャールズ・バベッジ―コンピュータ時代の開拓者」 - モナドの方へ
  • レーモン・クノー「青い花」 - モナドの方へ

    スゴイ!でも絶版! 夢と歴史(=物語)をテーマにした壮大な実験的な小説である。 書にはオージュ公爵とシドロランという二人の主人公がいる。 シドロランのほうは現代(と言っても1960年代)のパリらしきところで、河船に乗って暮らしている。 一方、オージュ公爵はしゃべる馬を引き連れて、始めは13世紀、15世紀、17世紀とどんどん時間旅行をしつつ最後は現代にたどり着く。何を言っているかわからないと思うが、読んでいるこっちもわけがわからない。別にタイムスリップなどというギミックが用意されているわけでもなく、なんの説明もなしに時間軸を飛び越えてゆくのである。 二人の関係は胡蝶の夢形式になっていて、片一方が眠るともう片一方が目覚めて語り出すという形式をとっている。普通、この形式でやるなら切り替わるたびに章を切り分けそうなものだが、シームレスにそれをやってしまう。はじめこそ「××は眠りについた」で次の行

    sakstyle
    sakstyle 2009/09/13
    人物や時間という視点を切り分ける境界がどんどん曖昧になってゆき、小説そのものを解体してゆく、と言った方がよいだろうか。
  • ヒュー・ケナー「機械という名の詩神」 - モナドの方へ

    テクノロジーが文学にいかなる影響を与えたか? を検証するという著作。 電子機器が発展した今でこそテクノロジーと文学という繋がりは容易に連想できるものの、これが書かれた1987においてはなかなか受け入れられなかったのではないかと予想される。今になって翻訳されたのもむべなるかなというものだ。 エリオットは観察する 一見するとなんということはないエリオットの詩の中に、都市化されてゆくロンドンのテクノロジー、メディアの変遷が見て取れるという指摘は面白い。エリオットの観察眼もさることながら、それを発見するケナーの手腕に驚かされる。 パウンドはタイプを打つ 詩を記述する上で、タイプライターというハードウェアと辞書などのソフトウェアが、ある種の集合知としてパウンドにひとつの様式を与えたという論。システムはいつでも、意識的に、あるいは無意識的に人々に影響を与える。 ジョイスは書写する フィネガンズ・ウェイ

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  • マイケル・S. ガザニガ「脳のなかの倫理」 - モナドの方へ

    書は二つの問題をテーマにしている。 ひとつは脳科学の発展によってもたらされる新技術の評価である。 スマートドラッグによる脳の強化、着床前診断など遺伝子による命の選別、人はいつから人なのか……という問題だ。これらの技術の発展はすさまじく、すでに普及しているものもある。臨床段階のものも数年後には一般的になると言われている。にもかかわらず法整備はまったく整っていない状態だ。 身体能力、記憶力、集中力を向上させるという薬が次々と作られている。しかもこれらはテストの成績を平均××点アップさせるというように、極めて具体的な効果をもたらす。仮に副作用がまったくなかったとしても、たとえば記憶が残り続けることが果たして良いことといえるのか、簡単にイエスとは答えられない。人々はつらいことや、とるにたらないことを忘れることで日々を快活に暮らしている。すべてが忘れられなくなってしまったら、おそろしく臆病な人間に

    マイケル・S. ガザニガ「脳のなかの倫理」 - モナドの方へ
  • ジェラルド・M・エーデルマン「脳は空より広いか」 - モナドの方へ

    ノーベル賞受賞科学者によるクオリアとか、意識とか、いわゆる心脳問題を取り扱った。 詩的なタイトルでありページ数もそれほどないが、中身はガッツリ理論的なので気軽には読めない。 結論からいくと大変示唆に富む内容ではあるのだけれど、自分の理解がともなっていないせいか納得のいかないことが多かった。 書の中核はダイナミック・コア仮説を使った意識現象の説明だ。しかし随伴現象説との決定的な違いがよくわからなかった。これって一段噛ませた随伴現象説に思えるんだけど……自分の理解が足りないせいですかね…… 最終章にでてくる、今後の予想めいた部分が面白い、と同時にハードプロブレム解決までの道のりはまだまだ遠いのだなあと実感してしまった。 脳は空より広いか―「私」という現象を考えるposted with amazlet at 09.04.26ジェラルド M. エーデルマン 冬樹 純子 豊嶋 良一 小山 毅 高

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  • 伊藤計劃「ハーモニー」 - モナドの方へ

    生体情報のすべてが管理された社会でおこる事件と、巨大なパラダイムシフトの物語。 一読、問いとしては最高に面白い、しかしストーリー&オチはやや不満であった。 まず読んでいて気になったのがetmlで、この記法が気になって気になってなかなか読み進めなかったほどだ。たとえば <list:items> <l:文章1> <l:文章2> </list>というような表記があるんだけど、これじゃ文章の部分が修飾できないよ!と出てくるたびにつっこみを入れてしまった。 またその使い方にも気になるところがあって、たとえば <list:company> <c:セキュリティー・アーツ社> <c:ハードシールド社> <c:ユージーン&クルップス社> <c:エトセトラ、エトセトラ> </list>わーエトセトラは会社名じゃないから!セマンティックが!セマンティックが!自分落ち着け!とこんな調子で読書していたのでなかなか進

    伊藤計劃「ハーモニー」 - モナドの方へ
    sakstyle
    sakstyle 2009/01/26
    そもそもこれ系のオチってみんな生物都市に見えてしまう問題ですよ。諸星大二郎の壁は厚い。/しかし酒の肴としては最高の食材
  • 池上高志「動きが生命をつくる」 - モナドの方へ

    池上高志を知ったのは茂木健一郎による芸大授業のmp3だった。複雑系の専門家でありながらアートにも造形が深くて、ただの学者ではない、一筋縄ではいかない印象を持っていた。 主著があったら読みたいなと思っていたんだけれども、ついに単著が出たということで手に取った次第。 自律したシステムをいかにして構成してゆくかをテーマにしていて、その手探りをしている感じが、非常によく現れている。 計算能力の向上によりコンピュータシミュレーションの精度は飛躍的に向上した。そのなかでカオスや複雑系のシミュレートが盛んに研究されている。そんな背景を確認しながら、人工生命の基礎とも言えるライフゲームについて語っている。また機械的なミニマムモデルを発展させていって生命へと近づけようとするブライデンベルグの研究を紹介し、そこから生命とは何かを探ってゆく。 このあたりは、さながらマーヴィン・ミンスキーの「心の社会」を思わせる

  • 文学フリマ - モナドの方へ

    日曜日に行われた文学フリマに行ってきました。twitterで知り合った人で出店/参加するが多かったというのもあり、またゼロアカにちょっとウォッチ的な興味があったということが主な理由です。 ゼロアカの目的自体にはほとんど興味はないんだけど、この企画の副産物として得られるかもしれない批評の広がりみたいなのには期待していて、そういう側面を自らの目で確かめておきたいというところもありました。 突撃インタビュー! ゼロアカと言えば動画やustreamなんだけれども、門下生はおろか筑波批評社のメンバーも両手がふさがっている状態。これは一肌脱ごうと勝手にustreamを開始し、リアルタイムでインタビューなんかをしたりしていました。事前に宣伝したわけではないので、あまり集客できなかったというのがちょいと残念。 そんなこんなで、twitterなどで見知っていた参加者にインタビューをしながらも、隙をうかがって

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  • 米盛裕二「アブダクション」 - モナドの方へ

    アブダクションと言っても宇宙人にさらわれるアレではないですハイ。推論のための論理操作のことだ。 三段論法の推論には三種類あり、演繹、帰納、そしてアブダクションだ。簡単に説明すると以下のようになる。 ・演繹法 AならばBである Aである よってBである ・帰納法 Aである Bである (上記のような例がたくさん見られる) よってAならばBである ・アブダクション Bである AならばBであると仮定する よってAであるらしい この例を見ていただくとわかるが、演繹法は論理的に間違いがない。しかし帰納法とアブダクションは当然誤っている場合がある。 アブダクションで言うと、オレオレ詐欺はわかりやすい誤謬の例だ。 電話主が「オレオレ」と言う 息子は「オレオレ」とよく言っている よって電話主は息子であるらしい と同時に、これがコミュニケーションにおいて重要な役割を果たしていることもわかるだろう。もしも電話の

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  • ハロルド・ブルーム「影響の不安」 - モナドの方へ

    ハロルド・ブルームの理論は奇妙だ。 ブルームの理論は一言でいうと「シェイクスピアに与えたT・S・エリオットの影響について考える」ということである。おいおい逆だろ逆!と思ったあなたの精神はまともだ。ブルームの考え方がちょっと異様なのだ。 なぜこのような話になってくるのか、ちょっと面白いので理論的に追ってみよう。 何かの創作を行う者は、規範となる先行者に多大な影響の元でしか活動できない。しかし先行者を規範と、それこそ至高の表現であると認めていては、自らの表現はその劣化コピーとしかならない。数限りない先行者がいる時代(ブルームによればミルトン以降になるが)では、あらゆる詩人は「遅れてきた詩人」であり、先行者の影響の不安に晒されているのである。 その影響の不安を乗り越えるためには、強く誤読することによって、その影響を批評的に打ち崩してゆく必要がある。そうでなければオリジナリティを獲得することができ

    ハロルド・ブルーム「影響の不安」 - モナドの方へ
    sakstyle
    sakstyle 2008/09/22
    先人の「劣化コピー」になる不安を乗り越えるための、誤読の方法
  • 本棚晒し - モナドの方へ

    棚を晒す - 心揺々として戸惑ひ易く なにやら呼び声を聞いたので、棚をさらしてみる。 カラーボックスにつっこんでいるだけで、あまり整理してないことがバレバレですが…… 高山宏の棚 バルトルシャイティス、リアクション叢書、ジュネット先生厚すぎ! ニーチェと文学理論。容積率が限界。 ややアレ系 この棚だけで幾らだよ……っていう 縦にしか積めないの巻。一番左がCODEX SERAPHINIANUS 変形を詰め込んでいる

    本棚晒し - モナドの方へ
    sakstyle
    sakstyle 2008/09/20
    monadoさんの本棚。ジュネット棚がすごい
  • 鈴木謙介「カーニヴァル化する社会」 - モナドの方へ

    あまり社会学系は読まないんだけれども、いつもpodcastでLifeを聞いているので、一度くらいはチャーリーのを読んでみるかと手に取ってみた。 比較的わかりやすい文章で、ぐんぐん読ませるし、主張も論理も基的には納得いくものであった。若手であるということとベンチャー企業につとめていた経験から、技術系に目配りが利いているところは特に好感が持てる。基的な主張は、Lifeで断片的に聞いていたことが殆どだったんだけど、ひとつの流れで読めたのはよかった。 ちょっとひっかかったのが2章のデータベースと個人の関係性のところ。ここではAmazonのおすすめ書籍を例に、データベースとアルゴリズムに確率的に選び出された結果に人間的理由を見いだすという点だ。もちろん選択アルゴリズムとデータベースが隠蔽されてる以上、そこに人間的な臭い、あるいは魔術的なものを感じるという主張はわかる。 しかし、私個人が平均的な

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    sakstyle
    sakstyle 2008/08/27
    データベースという言葉の使い方にたいする違和感
  • クリストファー・ノーラン「ダークナイト」 - モナドの方へ

    悪い評判を一切聞かない珍しい映画。所詮勧善懲悪のアクション映画だろ?と斜に構えて見に行ったんだけれども、予想を上回る傑作だった。メメントの監督だし外れることはないだろうとは思ってはいたけど、脚・演出ともにここまで作り込まれているとは! 個人的に注目したのは全体の構造におけるジョーカーの役割。ジョーカー=道化論をふまえた作りになっていて、山口昌男監修かと思ったほどだ。自分も一時期はまっていて「道化の民俗学」やら「道化と笏杖」やらを読みあさっていたことがあった。 このジョーカーという存在が、一見、単純な善悪の対立構造に見えなくもないストーリーに深い味わいを与えている。わかりやすくするために、レヴィ=ストロースっぽい感じで構造を図にしてみよう。 ゴッサムシティーでの基的対立は、警察と悪党による単純な善悪の対立だ。警察は法でもって正々堂々と悪党を裁こうとする。悪党にもまた悪党のルールがあり、き

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  • 宮澤淳一「マクルーハンの光景 メディア論がみえる」 - モナドの方へ

    いわずとしれたみすず書房の理想の教室シリーズの一冊。このシリーズ良書揃いであるが、書も入門書としても復習がてらに読むにしてもよくできている。 「ホットなメディア」「クールなメディア」や「メディアはメッセージだ」から「メディアはマッサージだ!」まで、突飛な用語で人を煙に巻く印象のあるマクルーハンを的確に要約し、かつわかりやすくまとめてある。 個人的に面白かったのはジョン・レノンとの対談や、現代アートとの関係性だ。それらは今日的な問題の連なりのひとつであり、インターネットの隆盛に伴ったマクルーハン・リヴァイバルともいえる今へなめらかに接続してくれる。 何がメディアなのか、すべてはメディアだというのか? そういうことを考えるヒントとして、まずは書をとってみるのは悪くない。マクルーハンの原典をいきなり読むのは、けっこうしんどいからだ。 マクルーハンの光景 メディア論がみえる [理想の教室] (

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    sakstyle 2008/08/07
    この本、この前見つけた。良書らしい。
  • 押井守「スカイクロラ」 - モナドの方へ

    若者を対象にしているということで、中高生の気持ちで見た。ちなみに原作は読んでいないし、できるだけ予備知識なしで挑んだ。 決して視線を交わそうとしない、人形のような登場人物。そして人間関係の気持ち悪いこと悪いこと。キャラデザの不気味さもあいまって、非常に居心地の悪い映画になっている。その違和感は、計算されたものだろう。透徹したストイックさがそれを証明してくれる。 情念を揺さぶるような感動的なシーンは、TVCMで編集されてるところがすべてで、あとは静かでストイック。過剰な演出に彩られたテレビ映画に辟易している自分としては、まずこれが嬉しかった。 空中戦もストイックそのもの。BGMによる盛り上げも最小限に抑えられていて、響き渡るのはただ銃声のみだ。異常に視界の狭いコクピットと、広々と晴れわたる青空の対比の中で、敵も味方も混じり合い、わけのわからないうちに撃墜される。登場人物の死は、戦闘終了後に帰

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    sakstyle 2008/08/07
    響き渡るのはただ銃声のみだ。異常に視界の狭いコクピット/しかし簡単に世界は変わらない、ラストは悲観的だ。
  • ジェラール・ジュネット「フィクションとディクション」 - モナドの方へ

    言わずと知れた文学理論の巨人、ジェラール・ジュネットの小冊。文学とはなにかという問題から真っ向から対決した、薄いながらもかなり濃い内容がつまった一冊だ。 ジュネットは文学をフィクションとディクションという形に分類する。フィクション、つまり虚構性を孕むものはその現実からの飛躍故に文学となる。一方ディクション、つまりテクストの形式によって文学となる詩のようなものがある。 この二つの軸を中心にさまざまな面白い論議が展開されてゆく。 たとえば言語は虚構に奉仕するときに創造者となるだとか、ミメーシスを虚構と考えてみるだとか、虚構に真も偽もないゆえに芸術になるだとか……詩的な発想と論理的なモデルがアンサンブルを奏でるのがジュネットの真骨頂だ。 そして複雑な思考を巡らしてゆくのだが、結局は元々の主題に素直に立ち戻る。芸術としての文学とは、フィクションであるということと、ディクションの形式という軸によって

  • 松下電工汐留ミュージアム 「アール・ブリュット/交差する魂」 - モナドの方へ

    アール・ブリュットあるいはアウトサイダー・アート。正統な美術教育を受けたことのないものによる生の芸術。 服部正の「アウトサイダー・アート」を読んでから、展覧会があれば飛んでいくようにしている。 個人的にはアート=アルス(技術)論の立場をとっているので、ただ精神疾病による異常な絵というのをアートとして受容する気にはなれない。もちろんアウトサイダー・アートだからといって、そこに技術がないわけではない。ただその技術がいわゆる伝統的な美術教育に組み込めない異次元のものであるのだ。下手をすると、画家などより数倍も絵を描いている場合だってあるのだから、技術的に向上するのはあたりまえだ。 さてアウトサイダー・アートのビョウキ的な面は精神科医や病跡学の専門家にまかせておくとして、それを一般人の我々がアートとして受容する動機とはなんだろう? ただの美というものであれば、いわゆる正統な芸術のほうがしっくりくる

    松下電工汐留ミュージアム 「アール・ブリュット/交差する魂」 - モナドの方へ
    sakstyle
    sakstyle 2008/07/21
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