「どうしてもやりたい仕事なので、頑張って見積もりを出させていただきます」と元気に宣言した社長がいたかと思えば、出てきた見積もりがクソすぎて泣けるのです。これでお前アジア展開してアプリで儲けるとかいう話なのかよと愚痴のひとつも言いたくなるぐらい、お前らの見積もりは高いです。台湾の業者のざっと三倍とか、何のために東南アジアに開発拠点を設けたのか、喉ちんこの奥まで凝視しながら観察したいと思う本日でした。腸内にEM菌でも飼っているんでしょうか。 確かに、海外のデベロッパーが日本のソーシャルゲーム業界の成功を分析して、見習う動きがあったのは事実です。でもねえ、やはり市場が特殊だったからなんですよ。プラットフォームでDeNAが凄いとかGREEがいいとか言う話も、最近はあまり聞かなくなりました。単純に、海外展開だといっても英語圏の開発スタジオを買い漁る交渉をあちこちでしているから名前を聴く機会が増えたか
「若いヤツがシナリオを書きたいというから書かせたが、 どうしようもなかった」 ということを開発現場で聞くことがあります。 なぜ、このようなことが起きるのでしょうか? その若い開発者の方が、 ちゃんと現場で学んでこなかったからでしょうか? 私は、そうではないと思います。 問題はその若い開発者さんにあるのではありません。 今日はその話をしようかと思います。 (1)ものづくりの民は二種類 前述の若きシナリオライターの話の前に、 ゲーム開発に携わるひとたちの話をしたいと思います。 ゲームの開発現場には大きく分けて、二種類の人がいます。 ひとつめは、0から1をする人たちです。 この人たちは文字通り、無から有を生み出します。 このタイプの人たちは、たとえなんのヒントがなくても、 今描くべき事柄というのを常に持っており、 それを「作品」というひとまとまりの形に加工できます。 作家のようなひとたちです。
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