長崎県の雲仙・普賢岳で43人が亡くなった1991年の大火砕流から27年となり、被災した麓の同県島原市では3日、発生時刻の午後4時8分、サイレンを合図に遺族や市民らが黙とうして犠牲者を悼んだ。市内3カ所に設けられた献花台には多くの人が訪れ、鎮魂の祈りをささげた。当時、消防団の詰め所になっていた同市北上木場町の農業研修所跡地では、遺族が打つ追悼の鐘が響く中、サイレンに合わせて黙とう。団員の夫(当時
川崎市に住む外国人の代表として市が選任する「外国人市民代表者会議」の委員らが、1年間の活動内容をまとめた平成29年度年次報告書を福田紀彦市長に提出し、災害時対応や子育て環境充実の必要性を掲げた。市に対し、多言語版の各種記入用紙の活用を求めるなど、外国人市民が増え続ける川崎市で、共生にかかわる諸課題を解決し、住みよいまちづくりを目指す取り組みが進んでいる。 (外崎晃彦) ◇ 「川崎市は外国人市民にとって住みたい、働きたいまちとして魅力的に感じられている」。年次報告では、外国人市民が市に抱く感想がこうまとめられた。 多言語版シート作成 同会議の委員長を務めたヘイ・ジャフィさん(24)は市について「私自身は住みやすいと感じている。ただ、人や環境によって、求める政策は異なる。時代に合わせた対応をしていかなければならない」と話し、同会議が意見を吸い上げ、市に提案していくことの意義を強調した。 同会議
福島原発被害訴訟原告の藤原理恵さん(仮名、47)が子ども2人を連れて3月24~25日、ドイツの2都市を訪れ、東日本大震災から7年間におよぶ苦難の生活について講演した。藤原さんは被ばくから子どもを守るため、福島県いわき市から東京に「自主避難」中で、同じく自主避難の2組の母子とともに、国連人権理事会出席のために渡欧した。フランスでも講演し、深刻な放射能汚染や健康被害などの「福島に帰れない理由」を訴えた。(ドイツ・アーヘン=川崎陽子) 「3.11から7年後の問題の実情を知ることができた」と感想を述べる国会議員のオリバー・クリシャー氏東日本大震災が起きた時、放射能被ばくによる健康被害の予備知識があった藤原さん一家は、福島第一原発の冷却がおかしくなるだろうと予測し、すぐに車で風上に逃げた。 原発事故後も、自宅のあるいわき市には政府からの避難指示は出なかったため、東京の避難所では、同じく福島から避難し
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