展示余話 綱島温泉の痕跡 -ラヂウム霊泉湧出記念碑- 港北区の綱島地域はかつて東京や横浜の「奥座敷」と呼ばれた温泉街であった。東急東横線綱島駅の西側と東側、そして鶴見川を越えた樽町には、温泉旅館が建ち並び、多くの人で賑わっていた。しかし、高度経済成長期以降、人々の娯楽が多様化するなか、温泉街は次第に衰退、旅館は商業施設と集合住宅を兼ねた高層建築物へと姿を変えていった。綱島は京浜の奥座敷からベッドタウンへと変貌していったのである。 だが、綱島駅の周辺には、温泉旅館に使用していた建物が残っているほか、高層建築物にも温泉旅館の名前を継承したものが存在する。また、大綱橋の南側、綱島街道の三叉路には、1933(昭和8)年3月に建立された「ラヂウム霊泉湧出記念碑」があり、かつてそこに温泉があったことを示している。 この石碑については、大倉精神文化研究所の平井誠二氏が『わがまち港北』(2009年)に詳し