蝉川夏哉 @osaka_seventeen @ogawaissui 「魔法があるので収量が大きいんです」とか「中世ヨーロッパ風だけど、食ってるのは水稲です」とか色々やってはみるんですが、「中世後期のフランスでさえ一つの戦場には一万五千以上の兵を集結させることはできなかった!」と殴って来るので、兵站ものラノベを書きたいです 2015-10-20 08:11:45
![ファンタジーと兵站のアレコレ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/ac1047016410db32f391969448e10171bebf1286/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp3%2Fb41314b52e325b855c8b07ce4b103b83-1200x630.jpeg)
破壊と命の奪い合いを行う戦争の影響は、戦争そのものが終わっても土地を汚染して影響を与え続けることがあります。第一次世界大戦でフランス軍とドイツ軍が熾烈な戦いを交わした戦地には今でもその負の遺産が残されたままの状態となっており、100年が経過した今でも人や動物が住むには適さない場所としてうち捨てられています。 After 100 years, World War I battlefields are poisoned and uninhabitable - We Are The Mighty https://www.wearethemighty.com/popular/world-war-i-battlefields-uninhabitable/ Red Zone - National Geographic Society http://nationalgeographic.org/news
天下泰平の世上は、日本刀のブームだという。とりわけ女子中高生が、ゲームの影響をうけて刀剣美術館に列をなしているとか。 筆者はこれこそが、日本刀の正常な姿だ、と思う。日本刀はつまるところ、鑑賞のためにしか存在しないのだから。 刀剣女子(? のみならず、日本刀愛好家の方々に尋ねたい。 侍が腰に差した刀を、どうすれば抜けるか。これはかんたん、鞘走らせれば誰でも抜ける(腕の長さ、腰などチェックポイントはあるが)。 では、どうやって鞘の中に本身(俗にいう真剣のこと)を納刀するのか。鋒(刃物の先端)は切れる。鞘口(その形状から鯉口ともいう)をおそるおそるのぞき込みながら、右腕を前につき出すようにして、刀を納める時代劇などみたことがない。 剣には残心というものがあり、敵を倒したとしても、注意力は前方にむけられていなければならなかった。鞘口をのぞき込んでいては、ふいに倒れた者に斬りつけられるかも
千葉日報オンラインに載ったインタビュー記事で、1941年に潜水艦でドイツに渡ったとする88歳のご老人が登場。 しかし、事実かどうか怪しいとネット民、ついに研究者からも疑問の声が。
コミケ参加とガルパン劇場版のために来日したワルシャワ軍博物館で戦車の修復をしているオペちゃんさんの靖国神社遊就館レポートです。
ブリキヲ @burikio Hiro, Japan. 1953-01-20. とあるが、hiroとは広島の事か?現在の原村演習場付近に向かうセンチュリオン。当時は英連邦朝鮮派遣軍の演習場だったそうだ。 pic.twitter.com/wrc3EbVTs9 リンク Wikipedia イギリス連邦占領軍 イギリス連邦占領軍(イギリスれんぽうせんりょうぐん、British Commonwealth Occupation Force, BCOF)は、第二次世界大戦後の1946年-1952年まで、第二次世界大戦における日本の敗戦に伴い、日本を占領するために駐留したイギリス軍、オーストラリア軍、ニュージーランド軍、イギリス領インド軍から成るイギリス連邦の占領軍を指す。 イギリスは戦勝国となったものの、ビルマやマレー半島、香港など東南アジア一帯の植民地を日本軍の占領下におかれた上に、本土もドイツ空軍の
研究者の目に歴史ゲームはどのように映っているのか。ドイツで行われた軍事史研究会をレポート ライター:山室 良 2015年11月26日から28日にかけて,ドイツ東部の都市ケムニッツで「軍事史研究会」の年次大会が開催された。この軍事史研究会は,軍事史と社会,文化との関わりについて毎年興味深い報告を行っていることで有名で,とくに今年のテーマは「コンピュータゲームにおける戦争と組織化された暴力」という,筆者を含めたストラテジーゲームファンにとっては興味深いものになっていた。これはぜひ行かねばなるまい,ということではるばるケムニッツまで取材に行ってきた。 研究会の開催されたケムニッツ工科大学の建物。1836年に設立された職業学校を起源とする由緒ある大学だ ドイツ「軍事史研究会」公式サイト(ドイツ語) カール・マルクスの頭像。さるアニメのように飛び跳ねたりはしない,たぶん 残念ながら初日のパネルディス
若林宣 @t_wak 野良。近代史・乗り物系。戦前趣味、鉄道マニア、ミリオタ左派。『戦う広告』(小学館、2008)、『帝国日本の交通網 つながらなかった大東亜共栄圏』(青弓社、2016)、2023年に『B‐29の昭和史』(ちくま新書)を出して、あと『女子鉄道員と日本近代』(青弓社)が暮に出ます。 若林宣 @t_wak 一等巡洋艦「足柄」が狼に喩えられた話、急展開があったのだが、まったくしょぼーんとするような内容であった。訪英の途上、立ち寄ったシンガポールで、誰かがそばにいた空母イーグルと比べて「イーグルは女性っぽいけれど、足柄は狼みたいだね」と言ったという、ただそれだけの話である。 若林宣 @t_wak 評されたのはロンドンではない。資料には「或る人」としか記されておらず、報道関係者か軍事評論家かわからない。ことによると邦人かも知れぬ。しかもイーグルと比べての見た目の話で、日英の居住性がど
日本陸軍が戦時下、極秘に試作した世界最大級の「150トン戦車」の設計図が見つかった。当時の作業日誌からは、物資の欠乏で鋼板が手に入らず工程が大幅に遅れるなど、戦況悪化で生産体制は危機的状況だったことがわかる。 1941年4月、旧陸軍が三菱重工に発注し、試作1号の車両部分が42年4月に初めて試運転された。機密保持のため「ミト車」(三菱重工)、「オイ車」(陸軍側)の名称のみが知られ、これまで詳しい形状や仕様は不明だった。 図面や仕様書、試作車の報告書や作業日誌が近年、古書市場に出た。軍用車両の研究家で知られる精密模型メーカー「ファインモールド」(愛知県豊橋市)社長の鈴木邦宏さん(57)が入手し、復元模型づくりを進めている。 報告書によれば、ミト車は総重… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます
「不沈猫オスカー」とは、当初戦艦ビスマルクに乗っていた猫がビスマルク撃沈後救助され、合計三度の沈没に遭遇するも生き残ったというお話です。 こんぱすろーず @flowerclass 不沈猫オスカーについては ・関係する各艦(「ビスマルク」「コサック」「アークロイヤル」沈没したコサックの乗員を救助した「ジョンキル」)の乗組員は誰もその存在を知らない。 ・確実にそうだ、とされる写真が一枚もない(ほかの艦猫は豊富に残っているのに…) こんぱすろーず @flowerclass ・後年になってオスカーを知っている、と主張する証言者が現れたが、オスカーの容姿が証言者ごとにバラバラ(黒猫、キジトラ、ハチ割れ) と、普通に考えれば実在しなかったと結論づけてもよいと思われる非常に疑わしい逸話です。
駐日ロシア連邦大使館 @RusEmbassyJ (1)ソ連の対日参戦について数多くの憶測や偏った評価が出ています。世界中が学校で習って知っている詳細には触れず、原則的な意味で以下のことを指摘したいと思います。#北方領土の日 #北方領土 #千島列島 駐日ロシア連邦大使館 @RusEmbassyJ (2)第二次世界大戦中、日本はヒトラー率いるナチスドイツの同盟国であり、ソ連は米、英、中国などの国々とともに、残忍なヒトラー体制と闘う反ヒトラー連合に入っていました。このような理解は国連憲章(特に106条および107条)にも記されています。#北方領土の日 #北方領土 #千島列島 駐日ロシア連邦大使館 @RusEmbassyJ (3)人類に対するナチス体制の恐るべき犯罪行為は後に国際社会から裁きを受け罪人はニュルンベルグ裁判の判決に従って厳罰に処されました。ヒトラー体制と同盟を組みアジア太平洋地域で戦
偽教授 @tantankyukyu 昭和天皇は、人柄と見識はともかく、君主としての器でいえば何をどう持ち上げても第一級とは言い難い。なんとなれば、賢いんだけど、あまりに善良すぎて、野心がなさすぎるんだよね。もしも専制君主となって国政を牛耳ろうという野望がちょっとでもいいからこの人にあったならば…… 偽教授 @tantankyukyu 実際、こんなことがあった。張作霖爆殺事件のとき、昭和天皇は当時の首相に犯人の処罰を厳命した。ところが、首相は口先だけそれを約束しながら、結局指導力不足で果たせなかった。温厚な昭和帝もこの時ばかりはブチ切れて、「君、それは辞職した方がいいのではないかね」と告げた。 偽教授 @tantankyukyu 果たして内閣が本当に総辞職することになった。いかに傀儡とはいえ、昭和天皇にもこれくらいの影響力はあった。しかし、昭和天皇は自らこの一事を「若気の至りであった」と恥じ
70年前の終戦直後に進駐軍のアメリカ兵が神奈川県横須賀市で戦艦「三笠」の船内から持ち去ったとする軍艦旗が、このほどアメリカで見つかり、近く日本に返還されることになりました。 この「三笠」の船内から太平洋戦争の終戦直後にアメリカ兵によって持ち去られたとみられる軍艦旗が、このほどアメリカ西部アリゾナ州で見つかりました。見つかった旗は横5メートル、縦3メートルほどの大きさで、ところどころに焼けて出来たような穴があいています。 旗を保管していたアリゾナ州に住む92歳の元海兵隊員の男性は「終戦直後、日本に進駐した際、自分が三笠の船内から持ち出した。日本に返したい」などと話しているということです。旗は男性から依頼を受けたアメリカ側の関係者が近く横須賀市を訪れ、三笠保存会のメンバーに直接、手渡すことにしているということです。 三笠保存会は「進駐軍によって資料も含め多くのものが接収されてしまったため旗がど
数あるドイツ軍礼賛戦記の中に確立しつつある「末期戦モノ」とでも言うべきジャンルでは必ず「○○攻勢に赤軍は野砲何千何百門、戦車何千何百輌を集結し」とうたい上げて敵の物量を強調するのが約束事です。この数字の読み上げは「精強を誇るドイツ機甲部隊であっても赤軍の膨大な物量の前に敗北は必至だった」と悲壮な雰囲気を盛り上げる道具ですから、太平記の語り口みたいなものです。 こうした太平記方式では「大砲が沢山あるなぁ」とは思えてもなぜ、何のためにそんなに大砲があるのかが解りません。膨大な物量を誇りながら、ちっとも豊かなイメージの無い世界史の奇跡のような存在のソ連軍がなけなしのリソースをどうしてこんなに注ぎ込んだのか疑問に思わない書き手も書き手、読み手も読み手です。 ドイツ軍の現状がどうであれ、ソ連軍が攻勢のために準備した砲兵火力は何処の何と比べて多いのか少ないのか、多くても少なくてもその理由や目的が解らな
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