並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 24 件 / 24件

新着順 人気順

加藤和彦さんの検索結果1 - 24 件 / 24件

  • Kenrocks Nite - Ver. 2 2021年12月10日(スカイ、ティン・パン・アレー、サディスティック・ミカ・バンド) - ラジオと音楽

    ゲスト:小原礼&林立夫 (SKYE) 今回のゲストは最近SKYEというバンドをスタートしたベースの小原礼さんとドラムスの林立夫さんでした。今回はお越しになりませんでしたが、ギターは鈴木茂さん、キーボードは松任谷正隆さんというスーパーバンドです。 佐野史郎さんのバックバンドを小原さん、林さん、鈴木さんの三人でされており、そこに林さんがキーボードの松任谷さんを呼んで今回の姿となったそうです。「SKYE」というバンドは1968年の皆さんが学生の時からあったバンドだそうです。 SKYE『SKYE』 SKYE Nippon Columbia Co., Ltd./NIPPONOPHONE Amazon ISOLATION Daydream Dear M Reach Out To The Sky コロナに負けないぞ!という歌だそうです。 Tin Pan Alley「ポケットいっぱいの秘密」 林さんの所属

      Kenrocks Nite - Ver. 2 2021年12月10日(スカイ、ティン・パン・アレー、サディスティック・ミカ・バンド) - ラジオと音楽
    • 第5回 「教授」以前の彼(その4)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま

      比類なき輝きを放つ作品群を遺すとともに、「脱原発」など社会運動にも積極的に取り組んだ無二の音楽家、坂本龍一。その多面的な軌跡を「時代精神」とともに描き出す佐々木敦さんの好評連載、第5回の公開です! 1 「THOUSAND KNIVES」と「ISLAND OF WOODS」 それではいよいよ『千のナイフ』を聴いてみよう。 1曲目はアルバム・タイトル曲「THOUSAND KNIVES」。曲名はベルギーの画家・詩人アンリ・ミショーの詩集『みじめな奇蹟』の冒頭の一節より。曲の始まりは毛沢東の詩を収録したレコードの(今で言う)サンプリングで、「水調歌頭 重上井岡山(水調歌頭・ふたたび井岡山に登る)」という詩の朗読をヴォコーダーに通したもの。1927年10月、毛沢東は自ら率いる蜂起軍(ゲリラ)とともに井岡山に辿り着き、農村革命の根拠地を立ち上げた(このことから井岡山は「武装闘争発祥の地」と呼ばれる)。

        第5回 「教授」以前の彼(その4)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま
      • 激動の70年代を共に過ごした旧友、高橋幸宏に捧ぐ〝ユキヒロのこと〟 | 連載『松山猛の 70年代日記』vol.4|ぼくのおじさん

        2023年1月11日、高橋幸宏さんが亡くなった。なんと50年以上にわたってシーンの最先端であり続け、その穏やかな人柄で後進のミュージシャンたちに慕われた、まさに音楽界における〝ぼくのおじさん〟。また、加藤和彦さんと並び世界で最もお洒落なミュージシャンとしても有名な彼は、どんな熱気を帯びたステージでも涼しい顔をして、トム・ブラウンやプラダのスーツを颯爽と着こなし、正確無比なドラムを叩いた。実は本誌でおなじみの松山猛さんは、1970年代前半にはサディスティック・ミカ・バンドの作詞を手がけており、当時の高橋幸宏さんと深く親交をもったひとりだ。今回はそんな松山さんに、高橋幸宏さんへの追悼の言葉を綴ってもらった。 ユキヒロとぼくはサディスティック・ミカ・バンドを通じて出会った。 バンドの初期メンバーだった角田ヒロ(つのだ★ひろ)が自分のバンドを始めるために抜けたあと、新しいメンバーとして小原礼ととも

          激動の70年代を共に過ごした旧友、高橋幸宏に捧ぐ〝ユキヒロのこと〟 | 連載『松山猛の 70年代日記』vol.4|ぼくのおじさん
        • 吉田豪と松永天馬 渋谷系とエイジングを語る

          アーバンギャルドの松永天馬さんが『猫舌SHOWROOM 豪の部屋』に出演。吉田豪さんと渋谷系やエイジングについて話していました。 #猫舌SHOWROOM #豪の部屋 ありがとうございました。 自分の話をしないことで有名な僕ですが、時代の話に終始するなかで、ようやく自分の感情が見えてくる所もあり。あの人やあいつに対してもそうだ。 自分を客体化してしまう人間は総じて冷たく、しかし映画のラストで泣く。豪さんもそのタイプだと思う pic.twitter.com/14Xx5pADfv — 松永天馬(アーバンギャルド)?TOKYOPOP? (@urbangarde) December 10, 2019 (松永天馬)まあ、そんな感じで一通り僕が言いたいことは……まあ、自分の話をあんまりしていないですけどね。アーバンギャルドというバンドをやっておりますよ。 (吉田豪)ねえ(笑)。僕もずっと好きなバンドです

            吉田豪と松永天馬 渋谷系とエイジングを語る
          • Kenrocks Nite - Ver. 2 2024年5月24日(サディスティック・ミカ・バンド) - ラジオと音楽

            www.interfm.co.jp 【目次】 特集:『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』 サディスティック・ミカ・バンド「ピクニック・ブギ」 サディスティック・ミカ・バンド「塀までひとっとび」 サディスティック・ミカ・バンド「タイムマシンにおねがい」 特集:『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』 今回はゲストに「British Pavilion」の加藤直樹さんが来られて、加藤和彦さんの映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』の特集でした。大貫さん選曲で加藤和彦さんの楽曲がかかりました。 tonoban-movie.jp サディスティック・ミカ・バンド「ピクニック・ブギ」 番組では1973年武道館でのライブ・バージョンがかかりました。 www.youtube.com サディスティック・ミカ・バンド アーティスト:サディスティック・ミカ・バンド ユニバーサル ミュージック (e) A

              Kenrocks Nite - Ver. 2 2024年5月24日(サディスティック・ミカ・バンド) - ラジオと音楽
            • 「奇跡の世代」と音楽やってきた先に 高橋幸宏(前編) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

              世界が認めた伝説のバンドのメンバーとして活躍し、国内外のアーティストに大きな影響を与えた高橋幸宏さん。アメリカ文化の洗礼、ビートルズの衝撃、同世代アーティストたちとの出会い、そしてYMO結成――。1960年代から80年代にかけ、日本の音楽シーンに旋風を巻き起こしながら駆け抜けたあのころを振り返る。(文 中津海麻子) ◇ 音楽をする兄たちが憧れだった ――音楽に出会い、魅せられた体験をお聞かせください。 僕は5人兄弟の末っ子で、音楽に関してはすぐ上の兄の影響を強く受けました。1960年代半ばのエレキブームのころ、兄貴は慶応大学でフィンガーズというバンドを組んでいて。メンバーはブリヂストンの創業者の孫とか、歌人・齋藤茂吉さんの孫とか、いわゆる慶応のぼんぼんバンド。実力はあって、グループサウンズのバンドとしてプロデビューも果たしました。楽しそうに音楽をする兄貴たちの姿は、少年だった僕には憧れでし

                「奇跡の世代」と音楽やってきた先に 高橋幸宏(前編) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
              • 「YMO」ドラマー、高橋幸宏さん死去 「ライディーン」を作曲:朝日新聞デジタル

                サディスティック・ミカ・バンドやイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)などで活躍したミュージシャンの高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)さんが11日、脳腫瘍(しゅよう)に併発した誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。15日に所属事務所が発表した。70歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻喜代美さん。後日お別れの会を開く予定。2020年に脳腫瘍の摘出手術を行うなど、近年は闘病生活が続き、昨年末から容体が悪化したという。 東京都生まれ。高校時代からスタジオミュージシャンとして活動し、大学在学中の1972年、加藤和彦さんらが結成したサディスティック・ミカ・バンドにドラマーとして参加。英国で公演するなど海外でも高い評価を得た。 78年には細野晴臣さん、坂本龍一さんとYMOを結成した。電子楽器による「テクノ・ポップ」を世界に先駆けて展開し、ドラムと共に「君に、胸キュン。」などでボーカルを担当。高橋さん

                  「YMO」ドラマー、高橋幸宏さん死去 「ライディーン」を作曲:朝日新聞デジタル
                • 夏といえば『サザン』でも『TUBE』でもなく『二名敦子』が好き! - sugarless time

                  社会人でも早い人はすでに夏休み中の人もいるかもしれませんね。 もう2年前になるんですけど、過去にこんな投稿をしています。 www.sugarless-time.com リンクでは『村田和人』と言ってますが、本当は私にとっての夏は『村田和人』と『二名敦子』の二人がマストであり双璧。 2年前になぜ『村田和人』を好きとしたかといえば世の認知度を考えると『村田和人』>『二名敦子』かなと思って投稿したんですけど、普通に考えたら50歳以下で二人を知ってる人なんて激レアですし、50歳以上でもレアなんですよね。 でも『二名敦子』を好きだったという人はそこそこいます。 だって、ウィキペデイアに名前があるくらいです(内容は薄いですけど)。 ja.wikipedia.org 『二名敦子』との出会いは友人がバイトしてた貸しレコード屋(CDレンタルではない(笑))、友人と仲が良かったのもありますけど、当時は色んなも

                    夏といえば『サザン』でも『TUBE』でもなく『二名敦子』が好き! - sugarless time
                  • 「シンガプーラ」 杏子 憧れながらみていたバービーボーイズ - 安心感の研究 by 暖淡堂

                    こんにちは、暖淡堂です。 学生時代、バンドをやっていました。 で、同時代のバンドがとても気になっていました。 バンドは、スタートはヘビメタで、アイアンメイデンとかブラックサバスとかジューダスプリーストのような、今でも活動しているヘビメタバンドのコピーから入りました。 で、「体力の限界、気力の限界」を感じ、ライオットやヴァンデンバーグ、ナイトレンジャーなどに流れ、最後はオリジナル曲をやっていましたね。 そんな頃、よく聞いていたのがバービーボーイズでした。 そして、ある意味、憧れも感じていました。 その理由が杏子さんの存在。 僕のバンドは男ばっかり三人で。 バービーボーイズには恭子さんがいて。 なんだ、この差は、と思ったりもしていました。 バービーボーイズ以降の恭子さんもよいです。 「シンガプーラ」は加藤和彦さんの曲ですね。 名曲です。 休日の午後などに、ごゆっくりとお愉しみください。 www

                      「シンガプーラ」 杏子 憧れながらみていたバービーボーイズ - 安心感の研究 by 暖淡堂
                    • 高橋幸宏さん 10代から貫く自身の美学 世界にテクノブーム巻き起こす(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

                      イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)やサディスティック・ミカ・バンドのメンバーとして世界的な名声を集めたドラマーでシンガー・ソングライターの高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)さんが11日午前5時59分、脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎により死去したことが15日、分かった。70歳。東京都出身。葬儀は家族葬として行われた。 【写真】2022年6月6日の70歳の誕生日に自宅での写真と共に「みんな、本当にありがとう。」と感謝 ◇  ◇ 高橋さんは細身から生み出す正確無比で繊細なビートと卓越したファッション感覚で、ドラマー像、ロックミュージシャン像を革新した。75年、ミカバンドの英国公演ではイブ・サンローランの靴を履いて演奏。「客席から見えるはずはないんだけど、それでいい」と美学を貫いた。 小5でドラムをたたき始め、中学時代に早くも兄・信之のバンド「ザ・フィンガーズ」で代演を務める早熟ぶり。音楽仲間

                        高橋幸宏さん 10代から貫く自身の美学 世界にテクノブーム巻き起こす(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
                      • 松任谷由実は「いつも新米の船乗りでいたい」と…武部聡志が“1970年代前半の東京”をテーマに語る | J-WAVE NEWS

                        作曲家/編曲家/音楽プロデューサーの武部聡志が、「1970年代前半の東京」をテーマに亀田誠治と音楽談議を繰り広げた。 武部が登場したのはJ-WAVEで放送中の『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』(ナビゲーター:亀田誠治)。その時代、その場所で、どんな音楽を聴きたいか──時代を越えて、国境を越えて、ナビゲーターの亀田誠治が旅好き・音楽好きのゲストとともに音楽談議を繰り広げる、空想型ドライブプログラムだ。ここでは12月3日(日)にオンエアした内容をテキストで紹介する。 松任谷由実の、時代の空気をまとったデビュー曲 今回、武部は空想ドライブのテーマとして「1970年代前半の東京」をセレクトした。 武部:自分の音楽の血や肉になっているベースをもう一度検証したいと思って。自分が中学時代、1970年代の東京の学校があった麻布周辺であったり、日比谷野音であったり、その辺りを旅して

                          松任谷由実は「いつも新米の船乗りでいたい」と…武部聡志が“1970年代前半の東京”をテーマに語る | J-WAVE NEWS
                        • 高橋幸宏さん死去 YMO「ライディーン」作曲、70歳:時事ドットコム

                          高橋幸宏さん死去 YMO「ライディーン」作曲、70歳 2023年01月15日18時12分 一世を風靡(ふうび)したテクノグループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のドラマーで、ソロでも活躍したミュージシャンの高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)さんが11日午前5時59分、脳腫瘍により併発した誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。70歳だった。東京都出身。葬儀は近親者で行った。喪主は妻喜代美さん。後日、お別れの会を開く予定という。所属事務所が15日、発表した。 〔写真特集〕YMOの高橋幸宏さん 1972年、加藤和彦さん率いる「サディスティック・ミカ・バンド」に参加。78年、細野晴臣さん、坂本龍一さんとYMOを結成し、電子機器を駆使した斬新なサウンドでテクノポップブームを巻き起こした。欧米など海外でも作品のリリースやライブツアーを行い、高く評価された。高橋さんは精緻で巧みなドラム演奏に加え

                            高橋幸宏さん死去 YMO「ライディーン」作曲、70歳:時事ドットコム
                          • 【話の肖像画】精神科医・エッセイスト きたやまおさむ<26> 遺書を書いて消えた加藤和彦

                            加藤さんの部屋に残されていたアマチュア時代のフォークルの解散コンサートの写真(㊨加藤さん、㊥きたやまさん)=昭和42年(きたやまおさむさん提供) 《きたやまさんにとって、とてもつらく、悲しいことを振り返ってもらわねばならない。平成21年10月17日、ともにザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)をつくり、40年来の親友・盟友だった加藤和彦さんが長野県軽井沢町のホテルで亡くなった。62歳。自死だった》 当時、加藤が精神的に異変をきたし、「死にたい」と漏らしていたのは知っていました。理由はいくつかあったと思います。ひとつは「創造ができなくなった」というのです。同じことを繰り返すのがイヤで、常に新しいものを生み出してきた加藤にとって、クリエーティブな活動ができなくなったということは、とてもつらいことだったに違いありません。 もうひとつは経済的に切迫していたことです。加藤はグルメだし、ファッション

                              【話の肖像画】精神科医・エッセイスト きたやまおさむ<26> 遺書を書いて消えた加藤和彦
                            • 天国ってどんなとこ(M) - 東京まで77.7マイル

                              人は死んだら「どこに行くのだろうか」と、 時どき考えてしまう。 というか、 人は死んだら「どうなるのだろうか」 といったほうがいいのかもしれない。 “死は、単なる物理的変化である” などといわれても、本当のところはよくわからない。 どこに行くのかということについては、 天国と地獄があるというのをよく聞くものの、 二択というのは少々無理があるような気がする。 いい人は天国へ行き、 悪い人は地獄に落ちるらしいけれど、 いい人に魔が差すこともよくある話だし、 悪い人が悪いことばかりしているとも思えない。 周りを見たってどっちつかずの人ばかりである。 どちらかといえば「いい人」と、 どちらかといえば「悪い人」に振り分けるにしても、 どんな基準で、誰が分けるのかが解らない。 とにかくどちらともいえない人は、 このままでは行き場がなくなってしまう。 いちばん厄介なのは、 その場所はどこにあるのかもわか

                                天国ってどんなとこ(M) - 東京まで77.7マイル
                              • 山下達郎サンデーソングブック 2021年02月21日「ウォール・オブ・サウンドで棚からひとつかみ2」書き起こし - おとのほそみち

                                達郎氏による曲の解説部分を書き起こしています。インフォメーションやリスナーからのメッセージは割愛しています。 ネットに楽曲があるものは張り付けていますが、オンエアされた音源とは異なる場合が多々あります。 ------------------------------- 1. JODY / 山下達郎 "ビッグ・ウェイブ" '84 2. DON'T ANSWER ME / THE ALAN PARSONS PROJECT '84 3. OOH I DO / LINSEY DE PAUL '74 4. FOXY, FOXY / MOTT THE HOOPLE '74 5. GIRL COME RUNNNING / THE FOUR SEASONS '65 6. 芽ばえ / 麻丘めぐみ '72 7. DO YOU REMEMBER ME? / YUKI OKAZAKI '80 8. 二人は片想い /

                                  山下達郎サンデーソングブック 2021年02月21日「ウォール・オブ・サウンドで棚からひとつかみ2」書き起こし - おとのほそみち
                                • 名曲『あの素晴しい愛をもう一度』オリコン10位なのに歌い継がれたワケ(週刊現代) @gendai_biz

                                  「フォークル」解散後、それぞれの道を歩む二人をつないだのは、特別な歌だった。優しく切ないこの「愛」の歌は、世代を超えて今日もどこかで歌われている。 違う道を選んだ二人が再び あの素晴らしい愛をもう一度 71年に発売された北山修と加藤和彦のシングル。'94年、'09年にCDで再発売。オリコンチャートの最高順位は10位。天地真理や桑田佳祐などにカバーされ、音楽の教科書にも掲載された 佐藤 きたやまおさむさん、加藤和彦さん、はしだのりひこさんが中心となって活動したザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)が解散したのは'68年10月。『帰って来たヨッパライ』などの数々のヒット曲を世に出しながらも、プロデビューからわずか1年でグループとしての活動は終了しました。 そんなきたやま・加藤のコンビが再び帰って来たのが、『あの素晴しい愛をもう一度』(以下『あの素晴しい愛』)でした。 きたやま '71年4月の

                                    名曲『あの素晴しい愛をもう一度』オリコン10位なのに歌い継がれたワケ(週刊現代) @gendai_biz
                                  • 牧村憲一さんと語る!70年代シティポップはこうして生まれた | 連載『松山猛の 70年代日記』vol.2|ぼくのおじさん

                                    ぼくたちが大好きなファッション&カルチャーの、ほぼすべてに関わってきた、偉大なる〝ぼくのおじさん〟松山猛。もしかしたら知らない人もいるかもしれないが、彼は編集者であると同時に、1970年代までは作詞家としても活躍。音楽におけるぼくたちの関心事〝シティポップ〟にも、もちろん大きな影響を与えてきた。なんと「サディスティック・ミカ・バンド」の名曲『タイムマシンにお願い』をつくった人でもあるのだ! 今日は山下達郎や竹内まりやを見い出した音楽プロデューサーの牧村憲一さんをゲストに迎えて、そのルーツを探ってみたいと思う。 松山猛と牧村憲一が 「フェイスレコード」を歩く! 今回の対談の舞台になった「フェイスレコード」は、東京・渋谷のMIYASHITA PARK内にある。 松山さん、今回の『70年代日記』は、最近ブームになっているシティポップについて語っていただきたく、東京・渋谷の宮下パーク内にある中古レ

                                      牧村憲一さんと語る!70年代シティポップはこうして生まれた | 連載『松山猛の 70年代日記』vol.2|ぼくのおじさん
                                    • interview with Toru Hashimoto | ele-king

                                      ■橋本さんの拠点は渋谷のイメージがありますが、渋谷だったのはなぜでしょう? 橋本:もともと駒沢で生まれ育って、就職して出版社時代は2年半目白にいて、フリーランスになって渋谷に来ました。会社を辞めるタイミングでCISCOのすぐそばに引っ越したんですね。その後そこが手狭になってカフェ・アプレミディを始める99年のタイミングで公園通りの渋谷ホームズへ移って。だから90年代後半は15秒でCISCOにレコードを買いに行って、オルガンバーでDJやって、30秒で家に帰ってくるみたいな生活(笑)。(当時編集長を務めていたタワーレコードのフリーマガジン)『bounce』の編集部までも5分かからない感じ。でもなぜ渋谷だったのかというと、やっぱりレコード屋がたくさんあって近かったからでしょうね。 ■「Free Soul」を手がけたりコンパイラー生活を続けていくなかで、印象に残った事件や出来事があれば教えてくださ

                                        interview with Toru Hashimoto | ele-king
                                      • Remembrances 〜高橋幸宏に寄せて - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア

                                        2023年1月11日、71歳でこの世を去った高橋幸宏。ここでは、ミュージシャンやエンジニアからお寄せいただいた追悼コメントを掲載する。生前に親交の深かった方、または音楽的な影響を受けた方ばかりなので、じっくりと読み進めていただきたい。 飯尾芳史 石野卓球 いとうせいこう 小山田圭吾 木本ヤスオ 戸田誠司 後藤次利 ゴンドウトモヒコ 佐橋佳幸 白根賢一 スティーヴ・ジャンセン 砂原良徳 高桑圭/Curly Giraffe 高田漣 立花ハジメ 土屋昌巳 デイヴィッド・パーマー TOWA TEI 林立夫 松武秀樹 矢口博康 矢野顕子 山口一郎 LOVE PSYCHEDELICO 高橋幸宏インタビュー from サウンド&レコーディング・マガジン 1983年3月号 関連記事 飯尾芳史 【Profile】YMOらの録音に携わった後、1982年に細野晴臣『PHILHARMONY』でエンジニア・デビュー

                                          Remembrances 〜高橋幸宏に寄せて - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア
                                        • 『名曲百選第五章(68)年度末から新年度へ、今日まで そして 明日から・・・』

                                          「三月は去る」と言いますが早いですね。 週一回の更新の私は もう三月最後の更新です。 紅梅。 カメラを向けたら 振り向いてくれたのは、マヒワの雌です。 オブジェのようなネコヤナギ。 今年は 今頃になって姿を現しました。 アトリ、100羽ぐらいの凄い群です。 星の瞳、英名 キャッツアイ。 ------------------------------------------------------------ 3月から4月にかけては 卒業や進学のシーズンだったりするので 学生時代を思い出します。 音楽を聴き始めた中学の頃、初めて買ったレコードは 吉田拓郎さんのシングルでした。 そして、初めて買ったLPレコードも吉田拓郎さんでした。 お小遣い貯めて、仲の良い友人数人とバスに乗って、隣町にある大きなレコード屋さんに買いに行ったのを 思い出します。 友人たちは、当時の人気アイドルの天地真理さんや 南

                                            『名曲百選第五章(68)年度末から新年度へ、今日まで そして 明日から・・・』
                                          • 旅をするなら ~京都~ - Good Old Music 、Fantastic高校野球

                                            「清水の舞台から飛び降りる」な!!!(笑) ワタシは医者から、清水の舞台に立つことを禁じられている(笑)ので、 ここに行くことはないでしょう(笑)(´∀`*)ウフフ 清水寺 お久しぶりの「旅をするなら」。 そろそろ秋の気配がしのびよってくる頃、 この季節にふさわしい旅行先No.1といえば、やはり京都ですね(*´ω`*) コロナ禍で、修学旅行も出来なくなっているこのご時世、 学生のみなさんも、親御さんたちも、 京都へのバーチャル修学旅行をお楽しみいただければ・・(*´ω`*) おいでやすm(_ _)m 1980年代半ば、京都のアンダーグランドシーンから メジャーデビューしたローザ・ルクセンブルグ。 バンド名の由来は、20世紀初頭のドイツの社会主義運動の理論的活動家で 美しき革命家でもあったローザ・ルクセンブルグ。 ヴォーカルで、バンドの顔でもあったどんとは、 京都大学出身! バンド名にも知性

                                              旅をするなら ~京都~ - Good Old Music 、Fantastic高校野球
                                            • 『加藤和彦ヒストリー ~知られざるふたりの妻 福井ミカと中丸三千繪〜 あの素晴らしい愛をもう一度』

                                              Kou音楽雑感と読書感想を主に、初老の日々に徒然に。 ブログタイトル『氷雨月のスケッチ』は、はっぴいえんどの同名曲から拝借しました。 このブログでは、いわゆるJ-POP草創期のミュージシャンを取り上げています。作詞家である安井かずみについても、『ZUZU物語』としてアップしました。今日はその夫であった、加藤和彦のお話です。 トノバンこと加藤和彦の名は、ある年齢以上の人なら、だれでも知っているでしょう。しかし彼が三回結婚していたことは、あまり知られていないようです。『帰ってきたヨッパライ』で一世を風靡したあと加藤は、サディスティック・ミカ・バンドを結成していますが、このボーカルが、最初の妻、福井ミカです。彼女は加藤と離婚したのち、自伝的な本を著していて、ふたりの出会いから別れまでを詳細に語っています。以下にその要約をまとめてみました。ミカという、個性的な人柄の一端に触れていただけると思います

                                                『加藤和彦ヒストリー ~知られざるふたりの妻 福井ミカと中丸三千繪〜 あの素晴らしい愛をもう一度』
                                              • 追悼/ 鮎川誠 interview:「オレたちの曲は生きとるから。『クライ・クライ・クライ』も『スイート・インスピレーション』も『レモンティー』も『ユー・メイ・ドリーム』も、毎日ピカピカ新しいのが自慢な|内本順一

                                                追悼/ 鮎川誠 interview:「オレたちの曲は生きとるから。『クライ・クライ・クライ』も『スイート・インスピレーション』も『レモンティー』も『ユー・メイ・ドリーム』も、毎日ピカピカ新しいのが自慢なんです」 鮎川誠さんのご冥福をお祈りします。 「NO ROCK NO LIFE。俺たちは死ぬまでロックだぜ」。 そう言って、それを貫いた人。 ロックの人。愛の人。 大好きでした。 ミュージシャンとしても。人としても。 2015年のタワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE?」ポスター追悼の意を込めて、2014年に行なったインタビューの記事をここに掲載します。 これはシーナ&ロケッツが結成35年目を迎えたときのインタビュー。鮎川さんにお話を聞く機会はこの前にもあったけど、シーナ&ロケッツがどのように始まって、どのように転がっていったかを改めてしっかり聞くなら、6年ぶりの新作『ROKKE

                                                  追悼/ 鮎川誠 interview:「オレたちの曲は生きとるから。『クライ・クライ・クライ』も『スイート・インスピレーション』も『レモンティー』も『ユー・メイ・ドリーム』も、毎日ピカピカ新しいのが自慢な|内本順一
                                                • 週末の一曲。。٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ - サンちゃんの「 秘密❤️の日記帳 」

                                                  昼間にもシナロケいった気がしないでもないですがお構いなしであります〜! (*゚▽゚)ノ ミカバンドの最終メンバー?なのですが物凄い顔ぶれ!!!   加藤さん、高中は当然としてカエラさん、幸宏、亜美タンのダーリン小原さん、そして大迷惑の民生❗️笑 オヤジたちがカエラさんを囲んで楽しそうに演奏しています♪   加藤さんはニコニコ☺️   高中さんがこんなにはしゃいでいるのを見た事がありません〜!  そして、幸宏&小原さんは相変わらず。。笑      とてもhappyな気分になれる一曲であります〜❗️ (╹◡╹) 加藤和彦さんは才能に溢れる方だっただけに晩年は心が締め付けられる思いです。。😿 ではでは、ご自愛して良い週末をお過ごしください〜☆   お疲れサマンサでした♪ (^-^)/

                                                    週末の一曲。。٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ - サンちゃんの「 秘密❤️の日記帳 」
                                                  1