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坂本一亀 三島由紀夫の検索結果1 - 13 件 / 13件

  • 大学3年生で初めての結婚、美輪明宏の伴奏をするバイトで生活費を稼いだ日々…若き音楽家・坂本龍一を驚かせたのは“はっぴいえんどのベーシスト”だった | 文春オンライン

    45年にわたり日本の音楽シーンをリードし続けた坂本龍一。71歳を迎え、記念発売される『坂本龍一 音楽の歴史』より彼の足跡を一部抜粋。三島由紀夫の担当編集者でもあった父・坂本一亀の長男として生まれ1970年代、東京藝大に入学した日々を辿る。(全2回の1回目/後編を読む) ◆◆◆ 「学校の外の路上では何十万人規模のデモ隊と機動隊がぶつかりあっているのに…」 藝大に入学した坂本龍一は音楽学部の雰囲気に猛烈な違和感を感じたそうだ。とくにクラシックを学ぶ同級生たちは品の良いお嬢さん、お坊ちゃん的な空気を纏まとう学生が多く、自分のようなタイプの人間はそこでは異質な存在と思えた。

      大学3年生で初めての結婚、美輪明宏の伴奏をするバイトで生活費を稼いだ日々…若き音楽家・坂本龍一を驚かせたのは“はっぴいえんどのベーシスト”だった | 文春オンライン
    • FILT NO SMOKING NO LIFE 細野晴臣

      失われかけているものの中にこそ、かけがえのないものがある。ミュージシャン・細野晴臣が、今後も「遺したいもの」や、関心を持っている「伝えたいこと」を語る連載の第11回。一つ一つの言葉から、その価値観や生き方が見えてくる。 消えないスピリット。 最後に会った日。 2023年になってから、本当にいろいろなことがあったね。幸宏、鮎川誠くん、岡田徹くん、そして教授。みんな立て続けだったから、気持ちが追いつかなかった。落ち着いてひとりひとりにさよならも言えない、仲間が戦死していくときの気持ちってこういうことなのかな、と。 幸宏の印象はいまも2019年当時のまま、その後の4年のあいだ止まってる。僕がロサンゼルスでライブをしたとき、幸宏が観にきてくれて、そのあと呼ばれたDJパーティにも幸宏が来た。ちょうど幸宏の誕生日だった。だからバースデー・パーティになってね。そのときの元気な印象が強く残ってる。それから

        FILT NO SMOKING NO LIFE 細野晴臣
      • 坂本龍一はなぜ京都を愛したのか“盟友”明かす素顔

        今年3月に亡くなった音楽家・坂本龍一さんが、一時移住を考えたほど京都を愛したのはなぜか。通り一遍の観光を嫌ったという「教授」の実像を“盟友”たちが語った。 シンポ「坂本龍一の京都」 「坂本龍一の京都」と題した追悼シンポジウムが6月18日午後、京都芸術大学の京都芸術劇場春秋座で開かれた。定員400人で事前に予約を受け付けると、すぐにいっぱいになり、関心の高さをうかがわせた。 訃報から約3カ月。「いろいろなメディアで坂本さんについて紹介されているが、まだ統一像を結ぶに至っていない」 坂本さんとの交流が40年近くに及んだという京都芸術大学の浅田彰教授はシンポでの冒頭、企画した意図を説明した。 坂本さんが細野晴臣さんと高橋幸宏さんと結成した音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)は1983年に「散開(解散)」した。その年、京都大学人文科学研究所の助手だった浅田教授は著書『構造と力

          坂本龍一はなぜ京都を愛したのか“盟友”明かす素顔
        • 音楽家の坂本龍一さん死去 71歳 がん闘病中 脱原発訴え、神宮外苑再開発にも反対:東京新聞 TOKYO Web

          音楽ユニット「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO」)のメンバーで、世界的に活躍した音楽家・坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが3月28日死去した。71歳。東京都出身。2014年7月に中咽頭がんを、21年1月に直腸がんを公表し、闘病を続けていた。 1952年、東京都生まれ。父は河出書房で伊藤整や三島由紀夫らの作品を手掛けた文芸編集者をした坂本一亀(かずき)。3歳からピアノを、10歳から作曲を学んだ。 東京芸大大学院修了。78年、アルバム『千のナイフ』を発表してデビュー。同年、細野晴臣さん、高橋幸宏さんと3人で結成したYMOにキーボード奏者として参加。シンセサイザーを駆使した電子音楽「テクノ・ポップ」で注目を集めた。

            音楽家の坂本龍一さん死去 71歳 がん闘病中 脱原発訴え、神宮外苑再開発にも反対:東京新聞 TOKYO Web
          • 『坂本龍一ヒストリー前編 ~ 幕末からのルーツ 誕生からミュージシャンへの軌跡  〜』

            Kou音楽雑感と読書感想を主に、初老の日々に徒然に。 ブログタイトル『氷雨月のスケッチ』は、はっぴいえんどの同名曲から拝借しました。 自分は四十年ほど前、坂本龍一の存在を知りました。彼がデビューする前、スタジオ・ミュージシャンだったころ、多くのアルバムのクレジットでその名をよく見かけました。ファースト・アルバムも、リアルタイムで買いました。 坂本龍一の音楽としては、ピアノソロや、民族音楽っぽいものが好きでよく聴きます。いまも曲を流しながら書いています。ただテクノ・ポップといわれる、彼を一躍メジャーに押し上げた、YMOのような機械的な音には、正直ついていけませんでした。また難しい音楽論もよくわかりません。興味があるのは坂本龍一という音楽家の、人間的な側面です。 坂本の自伝である『音楽は自由にする』は、その貴重な記録です。もう十年近くも前の本ですが、生い立ちから始まるミュージシャンへの軌跡が克

              『坂本龍一ヒストリー前編 ~ 幕末からのルーツ 誕生からミュージシャンへの軌跡  〜』
            • 大学3年生で初めての結婚、美輪明宏の伴奏をするバイトで生活費を稼いだ日々…若き音楽家・坂本龍一を驚かせたのは“はっぴいえんどのベーシスト”だった(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

              45年にわたり日本の音楽シーンをリードし続けた坂本龍一。71歳を迎え、記念発売される『坂本龍一 音楽の歴史』より彼の足跡を一部抜粋。三島由紀夫の担当編集者でもあった父・坂本一亀の長男として生まれ1970年代、東京藝大に入学した日々を辿る。(全2回の1回目/ 後編を読む ) 【画像】2010年、YMOで共に一世を風靡した高橋幸宏、細野晴臣と演奏する坂本龍一を見る ◆◆◆ 藝大に入学した坂本龍一は音楽学部の雰囲気に猛烈な違和感を感じたそうだ。とくにクラシックを学ぶ同級生たちは品の良いお嬢さん、お坊ちゃん的な空気を纏まとう学生が多く、自分のようなタイプの人間はそこでは異質な存在と思えた。 「学校の外の路上では連日何十万人規模のデモ隊と機動隊がぶつかりあっているのに、音楽学部の中はお花畑のようで、安穏とした雰囲気の中でお互い“ごきげんよう”なんて挨拶している世界(笑)。なるべく近づかないようにして

                大学3年生で初めての結婚、美輪明宏の伴奏をするバイトで生活費を稼いだ日々…若き音楽家・坂本龍一を驚かせたのは“はっぴいえんどのベーシスト”だった(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
              • <追悼・坂本龍一>「ぼくが死んだ後は…」直腸がんで闘病生活を送っていた教授の知られざる“最期の願い” | 文春オンライン

                授業をさぼり、名画座、ジャズ喫茶に入り浸った新宿高時代 坂本さんは1952年1月17日に東京都中野区に生まれた。父は埴谷雄高や三島由紀夫を手掛けた高名な文芸編集者の坂本一亀。幼稚園のときにピアノに触れ、やがてピアノ、作曲の道に進むことになる。中学、高校時代は音楽に夢中になっていたという。 <自分が夢中になっている音楽の話を共有できるような友だちは、周りにはいませんでした。学校にもいなかったし、家に帰ってもいなかった。譜面を見ながら自分でぽろぽろ弾いてみて、どうしてこんな音がするんだろう、なんて思っていた。ひとりで音楽と語らっているような感じでしたね>(2009年。自伝『音楽は自由にする』より) 10歳のときから日本を代表する作曲家、松本民之助に師事し、高校生の頃にはすでに周囲から神童と評されていた。新宿が日本のサブカルチャー、カウンターカルチャーの中心地だった頃、新宿高校に通い授業をさぼっ

                  <追悼・坂本龍一>「ぼくが死んだ後は…」直腸がんで闘病生活を送っていた教授の知られざる“最期の願い” | 文春オンライン
                • 第2回 「教授」以前の彼(その1)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま

                  比類なき輝きを放つ作品群を遺すとともに、「脱原発」など社会運動にも積極的に取り組んだ無二の音楽家、坂本龍一。その多面的な軌跡を「時代精神」とともに描き出す佐々木敦さんの好評連載、第2回の公開です! 坂本龍一は、1952年1月17日、東京都中野区に生まれた。父親は河出書房/新社の文芸編集者だった坂本一亀、母親は帽子デザイナーの坂本敬子。龍一はひとりっ子である。 両親と幼少時の思い出を坂本龍一は何度か語っている(『音楽は自由にする』2009年、『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』2023年、吉村栄一が坂本に長期間にわたりインタビュー取材を行って著した『坂本龍一 音楽の歴史』2023年、など)。 1 近くて遠い存在だった父親 三島由紀夫の『仮面の告白』(1949年)を始めとして、埴谷雄高、高橋和巳、野間宏、椎名麟三、井上光晴、中村真一郎、小田実、丸谷才一、いいだ・もも、辻邦生など戦後文学の重要作

                    第2回 「教授」以前の彼(その1)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま
                  • ファミリーヒストリーで紹介された坂本龍一の父 真実の姿を伝える「伝説の編集者 坂本一亀とその時代」|Web河出

                    前書き 文藝 文学 文庫 - 随筆・エッセイ ファミリーヒストリーで紹介された坂本龍一の父 真実の姿を伝える「伝説の編集者 坂本一亀とその時代」 田邊園子 2018.04.23 坂本龍一の父・一亀は「文藝」の編集長を務め、三島由紀夫や高橋和巳を世に送り出した伝説の編集者でした。 本書は坂本編集長による「文藝」復刊時に河出書房新社に入社した文藝スタッフ・田邉園子氏が、なんと子息である坂本龍一氏に直接、「父が生きているうちに父のことを書いて本にしてほしい」と依頼を受け記された一冊です。 本書よりNHK「ファミリーヒストリー」放映を記念し、まえがきを公開します。 ***************************************** はじめに 坂本一亀は、二〇〇二年九月二十八日、八十歳と九か月でその生涯を終えた。何年も透析に通っていた自宅近くの病院で、安らかに息を引きとったという。彼

                      ファミリーヒストリーで紹介された坂本龍一の父 真実の姿を伝える「伝説の編集者 坂本一亀とその時代」|Web河出
                    • 【彼の死は納得できない】生物学者・福岡伸一氏インタビュー「生物とがんと親友・坂本龍一さんのこと」

                      生物学と音楽というまったく異なるフィールドで活躍してきた“ハカセ”と“教授”は志を同じくする生涯の友だった──生物学者として“生命とは何か”を問い続ける福岡伸一さんは坂本龍一さん(享年71)が旅立ったことをどう受け入れたのか。福岡さんにインタビューした。 「生物学者として繰り返し、“死は最大の利他的な行為である”という生命哲学を表明してきた私ですが、いざそれが非常に近しい友人の身の上に降りかかったとき、一般的な理論とは違う“個別性”についてまざまざと感じさせられました。 自分というひとりの人間にとって、坂本さんが旅立ってしまったことの欠落や喪失は簡単に埋められないですし、彼の死は納得できない。いまだに『坂本さんだったら、こういう問題をどう考えただろうな』としばし思いにふけることがあります」 長く親交を育んできた音楽家の坂本龍一さん(享年71)のことをこう振り返るのは、青山学院大学教授・米ロ

                        【彼の死は納得できない】生物学者・福岡伸一氏インタビュー「生物とがんと親友・坂本龍一さんのこと」
                      • ベストバイ2022 - 塀の備忘録

                        はじめに FASHIONSNAP.COMが毎年12月に公開しているベストバイ企画が大好きなので自分でもやってみる。 余談だが、先日取材を受けた際に繊研新聞の記者さんにも「ベストバイ企画お好きですよね」とバレていて恥ずかしかった。 衣料品・ルームアイテム Carol Christian Poellのオーバーロックサルエル CCPのアイテムは今まで1つも持っていなくて、オーバーロックやデッドエンドのアイテムを買ってみたかった。 本命はオブジェクトダイスニーカーだったが、偶然試着したらしっくりきたのでサルエルを購入。 CCPというかアルチザンブランド全般に言える話だが、基本的にアルチザンブランドの服は作りがタイトだ。特に海外の製品はおしなべてタイトで、アームホールに腕すら通らないこともある。CCPも定番ジャケットなどタイトな作りだが、このサルエルは比較的ゆったりしていたので買ってもいいかな、と思

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                        • 「坂本龍一」生んだ伝説の編集者 父・一亀の業績に脚光 - 日本経済新聞

                          この人がいなければ、三島由紀夫は『仮面の告白』を書いていなかったかもしれない。この人が父でなければ、3月に死去した坂本龍一さんは、世界的な音楽家になっていなかったかもしれない。坂本一亀。旧河出書房の名編集者として知られ、三島のほか野間宏や高橋和巳、埴谷雄高ら戦後文学を彩る作家たちの作品を世に送り出した。息子の龍一さんが亡くなり、一亀の業績にも改めて光が当たっている。その猛烈で、情熱的な仕事ぶ

                            「坂本龍一」生んだ伝説の編集者 父・一亀の業績に脚光 - 日本経済新聞
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                            失われかけているものの中にこそ、かけがえのないものがある。ミュージシャン・細野晴臣が、今後も「遺したいもの」や、関心を持っている「伝えたいこと」を語る連載の第11回。一つ一つの言葉から、その価値観や生き方が見えてくる。 消えないスピリット。 最後に会った日。 2023年になってから、本当にいろいろなことがあったね。幸宏、鮎川誠くん、岡田徹くん、そして教授。みんな立て続けだったから、気持ちが追いつかなかった。落ち着いてひとりひとりにさよならも言えない、仲間が戦死していくときの気持ちってこういうことなのかな、と。 幸宏の印象はいまも2019年当時のまま、その後の4年のあいだ止まってる。僕がロサンゼルスでライブをしたとき、幸宏が観にきてくれて、そのあと呼ばれたDJパーティにも幸宏が来た。ちょうど幸宏の誕生日だった。だからバースデー・パーティになってね。そのときの元気な印象が強く残ってる。それから

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