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<追悼・坂本龍一>「ぼくが死んだ後は…」直腸がんで闘病生活を送っていた教授の知られざる“最期の願い” | 文春オンライン
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<追悼・坂本龍一>「ぼくが死んだ後は…」直腸がんで闘病生活を送っていた教授の知られざる“最期の願い” | 文春オンライン
授業をさぼり、名画座、ジャズ喫茶に入り浸った新宿高時代 坂本さんは1952年1月17日に東京都中野区に生... 授業をさぼり、名画座、ジャズ喫茶に入り浸った新宿高時代 坂本さんは1952年1月17日に東京都中野区に生まれた。父は埴谷雄高や三島由紀夫を手掛けた高名な文芸編集者の坂本一亀。幼稚園のときにピアノに触れ、やがてピアノ、作曲の道に進むことになる。中学、高校時代は音楽に夢中になっていたという。 <自分が夢中になっている音楽の話を共有できるような友だちは、周りにはいませんでした。学校にもいなかったし、家に帰ってもいなかった。譜面を見ながら自分でぽろぽろ弾いてみて、どうしてこんな音がするんだろう、なんて思っていた。ひとりで音楽と語らっているような感じでしたね>(2009年。自伝『音楽は自由にする』より) 10歳のときから日本を代表する作曲家、松本民之助に師事し、高校生の頃にはすでに周囲から神童と評されていた。新宿が日本のサブカルチャー、カウンターカルチャーの中心地だった頃、新宿高校に通い授業をさぼっ