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後鳥羽天皇 即位の検索結果1 - 18 件 / 18件

  • 歴史書を読み解くと見えてくる、上総広常が粛清された「本当の理由」(呉座 勇一)

    『頼朝と義時』(講談社現代新書)の著者で、日本中世史が専門の歴史学者・呉座勇一氏が、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送内容をレビューする本企画。今回は、先週放送の第14話「都の義仲」、昨日放送の第15話「足固めの儀式」をまとめて解説。さまざまな史料や学説を参照しつつ、源氏の棟梁の座をめぐる源頼朝と木曽義仲の対立や、上総広常が粛清された真の理由に迫ります。 『鎌倉殿の13人』の第14話では木曽義仲の入京、第15話では上総広常の粛清が描かれた。権力者となった源頼朝の冷酷さが露わになっていき、その謀略に戦慄する北条義時。歴史学の観点から第14・15話のポイントを解説する。 源頼朝と木曽義仲の対立 『鎌倉殿の13人』第14話のナレーションで説明されたように、木曽義仲は北陸道で平家の大軍を撃破し、京に向かって進軍する。平家は安徳天皇と三種の神器を伴って都落ちし、入れ替わりに木曽義仲・源行家らが

      歴史書を読み解くと見えてくる、上総広常が粛清された「本当の理由」(呉座 勇一)
    • 源平合戦の英雄・源義経の孤立と没落は「必然」だった!?(呉座 勇一)

      『頼朝と義時』(講談社現代新書)の著者で、日本中世史が専門の歴史学者・呉座勇一氏が、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送内容をレビューする本企画。今回は、先週放送の第18話「壇ノ浦で舞った男」、昨日放送の第19話「果たせぬ凱旋」をまとめて解説。さまざまな史料や学説を参照しつつ、一ノ谷の戦いから壇ノ浦の戦いに至る一連の流れや、源平合戦が展開する中で源頼朝・義経兄弟の間に生まれた亀裂の理由に迫ります。 『鎌倉殿の13人』の第18話では平家滅亡と腰越状、第19話では源義経の挙兵失敗が描かれた。誤解とすれ違いの積み重ねによって悪化の一途をたどる源頼朝・義経兄弟の関係を、北条義時は何とか修復しようとするが、果たせなかった。歴史学の観点から第18・19話のポイントを解説する。 屋島の戦い 一の谷合戦後、紆余曲折を経て、源頼朝は弟の範頼を平家討伐に起用する。範頼軍は元暦元年(1184)8月8日に鎌倉

        源平合戦の英雄・源義経の孤立と没落は「必然」だった!?(呉座 勇一)
      • 「村雨の 露もまだ干ぬ 槇の葉に」 寂蓮法師 日本的な風景を目で追うような叙景詩 - 安心感の研究 by 暖淡堂

        百人一首第87番目の歌の作者は寂蓮法師じゃくれんほうしです。 定家の従兄弟にあたる人です。 今回は寂蓮法師について紹介します。 寂蓮法師とは 生年は1139年頃、没年は1202年。 俗名は藤原定長で、父は阿闍梨俊海。 後、阿闍梨俊海の兄の藤原俊成(藤原定長の伯父)の猶子(養子)となります。 30歳過ぎに出家しました。 出家後も御子左家の歌人として活躍し、新古今和歌集の選者の一人となっていましたが、完成する前に没してしまいました。 この歌の「村雨」とは通り雨、にわか雨。 その雨が梅雨を真木(まき:杉や檜で常緑樹)の葉に露を残します。 その露の滴に視点を集中してから、目を上げ、立ち上る霧を見ます。 そしてさらには山全体を眺め、そこに広がる夕暮れの光に身を浸す。 そんな情景のダイナミックな動きが味わえます。 見事な叙景詩といえますね。 詩人らしい心の動きと、それを表現される確かな技巧が味わえる歌

          「村雨の 露もまだ干ぬ 槇の葉に」 寂蓮法師 日本的な風景を目で追うような叙景詩 - 安心感の研究 by 暖淡堂
        • 治天の君から隠岐配流へ。承久の乱の果て…後鳥羽上皇ゆかりの京都史跡

          こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。 いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、治天の君から隠岐配流へ。承久の乱の果て…後鳥羽上皇ゆかりの京都史跡です。 ■承久の乱の果てに 東国対西国…その雌雄を決する戦い、承久の乱。 東国・幕府軍は、進軍の道すがら兵を膨らませ大軍と化し、ついに西国・朝廷軍の最終防衛線である宇治川を突破しました。 幕府軍は京の町に雪崩れ込むと、京の町に火を付け略奪暴行を働きます。 恐れおののいた後鳥羽上皇は、幕府軍に使者を送り、先に発した義時追討の院宣を撤回しました。 さらに「この度の乱は謀臣の企てであった」として、朝廷軍を率いた藤原秀康、三浦胤義らの逮捕を命じる院宣を下します。 藤原秀康らは宇治川の敗戦後、最後の一戦をするために院御所を訪れましたが、上皇に「お前たち

            治天の君から隠岐配流へ。承久の乱の果て…後鳥羽上皇ゆかりの京都史跡
          • 天才武将木曾義仲の失敗というか不運というか - 暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

            平安時代の末期、日本は大混乱の中にありました。 平家VS.源氏 権力を握る平家に対し、源氏が挙兵。 合戦に次ぐ合戦が繰り広げられていました。 源平争乱です。 そして1人の英雄が登場。 平家の世をひっくり返すのです。 いえ、今日は源頼朝のお話ではなく。 木曾義仲です。 信州の山奥で挙兵。 平家軍に連戦連勝を重ねた天才武将です。 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にもこれから木曾義仲は登場するかと思われますが(青木崇高さん演)、このブログには史実としてのネタバレがあることをご了承ください。 目次 天才武将、木曾義仲 木曾義仲の生い立ち 挙兵 木曾義仲の快進撃 木曽馬 倶利伽羅合戦 都へ 次の天皇 後白河法皇との決裂 木曾義仲の最期 木曾義仲の失敗 義仲を弔うための木曽節 天才武将、木曾義仲 天才武将、木曾義仲(1154~1184)は地方の反乱軍でありながら都を制圧するという、貴族の世から武士の

              天才武将木曾義仲の失敗というか不運というか - 暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ
            • 7 夢のなかぞら(父藤原定家と後鳥羽院) 大垣 さなゑ (2007) - 小説を 勝手にくくって 20選!

              夢のなかぞら 父藤原定家と後鳥羽院 [ 大垣さなゑ ] 価格: 2933 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 「神器なき即位」。安徳天皇が神器を携えて西国に逃れたため、三種の神器がないまま即位した後鳥羽天皇。これはそのまま後鳥羽帝の心に残る「トゲ」となって生涯に影を落とす。そんな後鳥羽帝は、帝でありながら自らも刀鍛冶を行なうほどの類いまれな才能も有していた。 「日本一の大天狗」と呼ばれた祖父後白河院。今様に狂い帝の器ではないと周囲から見られながらも、即位するや権力を縦横無尽に操って、勝者が入れ替わる源平の争乱を渡り歩く。その姿を学んだ後鳥羽帝は、退位後も治天の君として朝廷、そして自らの権威を高めるにはそうすればよいかを考え続けた。 後鳥羽院の卓越した才能は和歌にも向かった。当時の和歌は「世を治め民を和らぐる道」とされ、和歌の力は平和をもたらすと信じられていた。後鳥羽院は習作を重ね、遂には当代

              • 【即位の礼】天皇陛下の「即位の礼」 儀式で用いる「三種の神器」の歴史 : 哲学ニュースnwk

                2019年10月22日19:00 【即位の礼】天皇陛下の「即位の礼」 儀式で用いる「三種の神器」の歴史 Tweet 1: しじみ ★ 2019/10/22(火) 12:38:43.21 ID:+JDgyYOR9 各国の代表や国内の代表を招き、国内外に新天皇誕生を披露する「即位の礼」が10月22日に挙行される。祝賀パレードは台風19号の被害を考慮し11月10日に延期されたが、祝宴である「饗宴の儀」は31日まで計4回、催される予定だ。歴史作家の島崎晋氏が、一連の儀式でもっとも重要な「即位礼正殿の儀」に用いられる「三種の神器」の歴史について解説する。 * * * 来たる10月22~31日にかけて新天皇の「即位の礼」が行なわれる。一番重要なのは初日の昼過ぎに実施される「即位礼正殿の儀」で、総理官邸ホームページ掲載の「即位礼正殿の儀の次第概要」には、「天皇陛下が正殿松の間にお出まし」になるのに続き「

                  【即位の礼】天皇陛下の「即位の礼」 儀式で用いる「三種の神器」の歴史 : 哲学ニュースnwk
                • 鎌倉殿の13人 第14回 旭将軍と人質 御家人たちに謀反の兆し - 山姥の戯言日記

                  「都の義仲」感想 法王と頼朝に翻弄される義仲 今回の主なキャスト 北条小四郎義時 小栗旬さん 八重 新垣結衣さん 源頼朝 大泉洋さん 政子 小池栄子さん 大姫 落井実結子さん 北条時政 坂東彌十郎さん りく 宮沢りえさん 牧宗親 山崎一さん 実衣 宮澤エマさん 阿野全成 新納慎也さん 三浦義澄 佐藤B作さん 三浦平六義村 山本耕史さん 和田義盛 横田栄司さん 畠山重忠 中川大志さん 安達盛長 野添義弘さん 源九郎義経 菅田将暉さん 源範頼 迫田孝也さん 上総広常 佐藤浩市さん 下総常胤 岡本信人さん 梶原平三景時 中村獅童さん 大江広元 栗原英雄さん 比企能員 佐藤二朗さん 道 堀内敬子さん 文覚 市川猿之助さん 木曽義仲 青木崇高さん 源義高 市川染五郎さん 今井兼平 町田悠宇さん 巴御前 秋元才加さん 源行家 杉本哲太さん 後白河法皇 西田敏行さん 丹後局 鈴木京香さん 公式サイト: 

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                  • 北条に敗北「後鳥羽上皇」権力を握った意外な経緯

                    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、後鳥羽上皇(院)を歌舞伎役者の尾上松也さんが演じていますが、上皇は同ドラマにおいては「ラスボス」(物語の最終局面に待ち受けているボスキャラ)的な位置付けになっています。それは、上皇が主人公・北条義時を打倒するため挙兵し、承久の乱(1221年)が勃発することを指してのことでしょう。承久の乱は、物語終盤の見どころの1つです。 では、この後鳥羽上皇とはどのような人物だったのでしょうか。 平家が倒されなければ表舞台に立つことはなかった? 上皇は、治承4(1180)年7月、高倉天皇の第4皇子として生を受けました。母は、坊門信隆の娘・殖子。高倉天皇の中宮は平徳子(平清盛の娘)であり、徳子は安徳天皇を産んでいます(安徳天皇は、1178年生まれ)。つまり、安徳天皇と後鳥羽天皇は、異母兄弟の関係にあったのでした。世が平穏であったならば、後鳥羽天皇が後にこれほど歴史の表舞台に

                      北条に敗北「後鳥羽上皇」権力を握った意外な経緯
                    • 『廃帝綺譚』宇月原晴明 順帝、建文帝、崇禎帝、そして後鳥羽院の物語 - ネコショカ(猫の書架)

                      『安徳天皇漂海記』とあわせて読みたい 2007年刊行作品。宇月原晴明(うつきばらはるあき)としては六作目の作品にあたる。ミルキィ・イソベの表紙デザインが美しい。 廃帝綺譚 作者:宇月原 晴明 中央公論新社 Amazon タイトルや表紙デザインから想像がつく方もおられるかもしれないが、本作は2006年に上梓された『安徳天皇漂海記』の姉妹編とも言える作品である。本作は単独でも十分堪能できるが、出来うることなら『安徳天皇漂海記』を読んでから臨まれることをお勧めしたい。 中公文庫版は2010年に刊行されている。 おススメ度、こんな方におススメ! おすすめ度:★★★★(最大★5つ) 王朝の最期に興味がある方、滅びの美学を堪能したい方、明代や元代の中国史がお好きな方、伝奇小説ファン、源平合戦の時代が好きな方におススメ! あらすじ 大都を追われ北辺に去った元朝最後の皇帝、トゴン・テムル(順帝)、明朝の二

                        『廃帝綺譚』宇月原晴明 順帝、建文帝、崇禎帝、そして後鳥羽院の物語 - ネコショカ(猫の書架)
                      • 2月23日 天皇誕生日 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                        2月23日は、天皇誕生日です。 (天皇誕生日変遷) おっさんは昭和生まれなのですが、これまで「昭和」「平成」「令和」の3つの時代を生き、天皇誕生日は3回経験しています。 昭和の時代は4月29日。これは、昭和天皇の誕生日を記念し国民の祝日となりました。 このころは、まだ週休2日制ではなく、土曜日は午後から休みの「半ドン」でした。 4月末から5月頭にかけては、暦上は休みが飛び飛びで、「飛び石連休」と呼んでいました。 「天皇誕生日」は昭和天皇がお亡くなりになった後は、「みどりの日」になり、 その後「昭和の日」になりました。 ちなみに「みどりの日」は、「昭和の日」ができたときに5月4日に移動しました。 そのころ、時代は、土日が休みになる「週休2日制」が浸透し、 4月29日から5月5日まで、有給休暇を合体させると連続休暇が取得できるように なりました。 「ゴールデンウイーク」、「大型連休」と呼ばれま

                          2月23日 天皇誕生日 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                        • 後鳥羽上皇の骨壺を持って旅するイケメン僧侶・西蓮。元寵童・伊王丸の都市伝説! | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

                          愛する人といつまでも一緒にいたいと願うことは今も昔も変わりません。 例え相手が死んでしまっても、その骨と一緒に……と書くとゾッとする反面、なんだかとてもゴシックで耽美な世界を感じる人も少なくないでしょう。 愛する人の骨壺を首から下げて日本全国を巡り、寺を創建する美貌の僧侶。そんな都市伝説が鎌倉時代にありました。 彼の名前は「西蓮(さいれん)」、僧になる前の名を藤原能茂(ふじわらの よしもち)という、実在する人物です。 後鳥羽上皇の寵童、伊王丸 能茂は幼名を伊王丸といいます。後鳥羽上皇が我が子同然……それ以上に可愛がって面倒を見ていた少年です。 元服前から後鳥羽上皇の側に仕えていて、後鳥羽上皇から荘園をもらったり、蹴鞠会に参加している様子が、公家たちの日記からも見て取れます。 元服し、藤原能茂と名乗ると、北面武士として後鳥羽上皇の常にそばにいました。 治天の君だった後鳥羽上皇が、ここまでそば

                            後鳥羽上皇の骨壺を持って旅するイケメン僧侶・西蓮。元寵童・伊王丸の都市伝説! | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
                          • 順徳院(100番)🍃百敷(ももしき)や 古き軒端(のきば)の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

                            順徳院(100番)続後撰集 雑下・1205 🍃 百敷(ももしき)や 古き軒端(のきば)の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり 〜時代を経て古びてしまった建物の軒の端に、 しのぶ草が生い茂っている。 それを見るにつけ、 朝廷が栄えた昔のよき時代が しのばれて懐かしく思われることだ。 💠 順徳院 💠 じゅんとくいん (1197~1242) 後鳥羽天皇の第3皇子 14歳で第84代の天皇に即位。 「承久の乱」に破れ、佐渡へと流されました。 父の後鳥羽院と同じく歌の名手 歌学書「八雲御抄(やくもみしょう)」 を残しています。 少納言のホームページ 源氏物語&古典 syounagon-web ぜひご覧ください🪷 https://syounagon-web-1.jimdosite.com 💠少納言チャンネルは、聴く古典として動画を作っております。ぜひチャンネル登録お願いします🌷 【ふるさ

                              順徳院(100番)🍃百敷(ももしき)や 古き軒端(のきば)の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸
                            • 平家物語 (アニメ) - Wikipedia

                              『平家物語』(へいけものがたり)は、鎌倉時代の軍記物語である『平家物語』を描いたテレビアニメ[1][2]。作家の古川日出男が現代語訳した『平家物語』[注釈 1]を底本としている[1][2]。制作はサイエンスSARU[1][2]。2021年9月15日よりFODで先行配信され、2022年1月から3月までフジテレビの深夜アニメ枠『+Ultra』ほかでテレビ放送された[1][2]。 物語の語り部となる琵琶法師の少女「びわ」が主人公に据えられており[3]、彼女と平家の人々の交流を軸に、叙事的な史実に留まらず、時代に翻弄されながらも懸命に生きた人々の群像劇として描かれる[1][2]。 あらすじ[編集] 平安時代末期の都では平家一門が栄華を極めていた。少女・びわは琵琶法師の父親を平家の武士に殺されたあと、平家の屋敷に侵入。そこで出会った平家の棟梁平重盛に「お前たちはじき滅びる」と予言する。亡者が見える重

                              • 安徳天皇が生き延びたという伝承の地 ~福岡県北九州市 隠蓑~ - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                                福岡県にある安徳天皇落ち延び伝説の地を訪れる! 源平合戦の最終章、1185年の壇ノ浦の戦いで平家が敗北したとき、同時に安徳天皇も一緒に海に沈み死亡しました。 しかし、「実は安徳天皇は死んでなく生き延びた」という伝説が日本各地にあります。 その1つが、福岡県北九州市小倉南区の山奥・隠蓑(かくれみの)という地名の場所で、ここに安徳天皇御陵があります。 じゃあ、行ってみようということで、福岡県北九州市小倉にある安徳天皇が落ち延びた地に行ってきました。 近くの道路には「隠蓑 安徳天皇御陵」という看板がありました!! この辺りは、さすがに、身を隠した場所にふさわしく、実際に隠蓑に足を運んでみると山里近くにある静かな地域でした。 ここは1185年に源平最終合戦があった壇ノ浦に面した北九州市門司区とは同じ北九州市ですが、当時ここまで徒歩で逃げてきたとするなら、数日かかったと思われます。 この隠蓑(かくれ

                                  安徳天皇が生き延びたという伝承の地 ~福岡県北九州市 隠蓑~ - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                                • 2月23日は、令和最初の天皇誕生日 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                                  2月23日は、令和になって最初の天皇誕生日です。 現在の天皇陛下は、初代神武天皇から数えて第126代目です。 学術的には、初代神武天皇からしばらくの天皇は神話のお話と言われています。 天皇家は、25代の武烈天皇が跡取りがないままお亡くなりになったことから、越前にいた血のつながりがある継体天皇(450年?~531年?)を呼んできて、26代天皇として皇位につけました。 継体天皇の3人の皇子はそれぞれ、安閑天皇(27代)、宣化天皇(28代)、欽明天皇(29代)になり、(当時は行為の兄弟相続が主であった)欽明天皇のご子孫が現在の天皇家につながっています。 途中、皇位継承に関しては、古代では兄弟相続もありましたし、壬申の乱や南北朝分裂があり、あるいは女性天皇も出るなどが起きたために、完全な長男による直系相続ではありませんでしたが、それでも同じ血は現代まで受け継がれてきました。 【宮内庁公式HPの天皇

                                    2月23日は、令和最初の天皇誕生日 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                                  • 7月13日 後鳥羽上皇、隠岐に流される!! - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                                    鎌倉時代の1221年に起きた朝廷と幕府の争乱、 承久の乱。 7月13日、この戦いに敗れた朝廷側の指導者、 後鳥羽上皇が隠岐に流されます。 (源氏滅亡のタイミングで挙兵) 1219年3代将軍、源実朝が兄の頼家の子供で、実朝の甥にあたる公暁に暗殺され、 その公暁も殺される事で、源氏の本流の血筋が途絶えてしまいます。 源氏が3代で途絶えると頼朝の遠縁にあたる京都の貴族が将軍として迎えられ、 鎌倉幕府は頼朝の奥さんの北条政子の実家である北条氏が実質的に実権を握るように なります。 一方、この時期、京の都で院政を敷いていて朝廷のナンバー1だったのが後鳥羽上皇です。 後鳥羽上皇の邸宅跡地は,五辻殿(いつつじどの)と呼ばれていました。 現在の住所では、京都市上京区五辻通千本東入るにあり、そこには石碑や案内板があります。 (承久の乱勃発) 1221年、後鳥羽上皇は、源氏滅亡のタイミングを見て、全国各地の武

                                      7月13日 後鳥羽上皇、隠岐に流される!! - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                                    • 思ってたんと違う(3)源平合戦 - 大和徒然草子

                                      皆さんこんにちは。 さて、源氏と平氏といえば、源平合戦に代表されるように、一般にライバル関係にあった一族という見方をされる方も、少なくないんじゃないでしょうか。 年末の風物詩、紅白歌合戦の紅白も、源氏が白、平氏が紅い旗を使っていたことに由来しますし、私が子どもの頃は、夏に人気の昆虫、カブトムシは平氏、クワガタムシを源氏という呼び方があり、とかく並立つものの代名詞となってきた感があります。 また、武家政権は源氏と平氏で交代していくという源平交代思想という、トンデモ論も、未だに根強く語られるほど、両氏は武家のツートップとして認識されています。 やはり、平家物語で描かれた源平の争乱のイメージが、その後の両氏に対するイメージを決定づけたように思われますが、果たして源氏と平氏の関係はどのようなものであったのでしょうか。 両氏のルーツについて 源平はライバルか 治承・寿永の乱は源平合戦か 両氏のルーツ

                                        思ってたんと違う(3)源平合戦 - 大和徒然草子
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