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政治的なものの概念の検索結果1 - 19 件 / 19件

  • 「政治と関わりたくない人たち」がもたらす政治的帰結

    <大規模世論調査「スマートニュース・メディア価値観全国調査」が明らかにした日本の「分断」。連載第6弾では、政治にかかわりたくない層の増加は、何をもたらすのか、早稲田大学政治経済学術院教授・小林哲郎氏が解説する> ■本連載の記事一覧はこちら 筆者は2015年末から2023年8月まで香港の大学で勤務したことから、2019年から2020年にかけて香港で発生した大規模なデモとそれに対する政府の弾圧を間近で目にする経験を得た。2019年6月、人口約740万人の香港で200万人(主催者発表)もの人々がデモに参加。レストランや小売店が民主派vs.親政府派・親中派に色分けされて、ボイコットやバイコットが日常的に行われていた。さらに、コロナワクチンを接種する際ですら中国製を選ぶか否かという選択肢さえもが政治化。生活の隅々にまで政治的な対立が行き渡っており、好む・好まざるに関わらず、政治に関与することはごく普

      「政治と関わりたくない人たち」がもたらす政治的帰結
    • 遮音社会:「政治的にアウト」気付かせるポリコレ 正義の名の下に暴走なぜ | 毎日新聞

      差別や不謹慎さを含む表現を許さない「ポリティカルコレクトネス(政治的正しさ)」という概念が社会を覆い、表現者の間には萎縮ムードが広がる。ポリコレと表現の自由はどうバランスを取るべきか。ポリコレに詳しい武蔵野美術大の志田陽子教授(62)=憲法学=に聞いた。 ――ポリコレという言葉を最近よく耳にします。 ◆本来は「気付きを促す対抗言論」という考えです。米国では1960年代に公民権運動が活発化し、長年差別を受けてきた黒人や女性が「NO」と声を上げました。ポリコレという言葉はその過程で生まれ、「法的にはアウトではないが、政治的にはアウト」ということを明確に突きつけるものです。マイノリティーがマジョリティーと対等な立場で「私たちを傷付けている」と相手に気付かせる。ポリコレはそうした足場を支える重要な役…

        遮音社会:「政治的にアウト」気付かせるポリコレ 正義の名の下に暴走なぜ | 毎日新聞
      • リベラリズムにとって「手続き」と「平等」が大切な理由(読書メモ:『リベラリズム:リベラルな平等主義を擁護して』) - 道徳的動物日記

        リベラリズム: リベラルな平等主義を擁護して 作者:ポール・ケリー 新評論 Amazon ジョン・ロールズなどの特定の思想家の解説本や思想史の本ではなくリベラリズムの「理論」への入門書が数少ないことには先日にも言及したが、今月の上旬にめでたく邦訳が出版されたポール・ケリーの『リベラリズム:リベラルな平等主義を擁護して』は現代の英米政治哲学におけるリベラリズム理論へとしっかり入門させてくれる、稀有な本だ*1。 本書でとくに中心的になるのが、ジョン・ロールズに由来する「政治的リベラリズム」と、ロナルド・ドゥオーキンなどに代表される「リベラルな平等主義」である。 …私は、本書の主題はリベラリズムと呼びうる多様なアプローチのうちの一つであるとだけ主張する。私は、規範的政治理論としてのリベラリズム、もっと正確には、政治的リベラリズムと呼ばれうるものを扱う。政治的リベラリズムとは、もっと広いリベラルな

          リベラリズムにとって「手続き」と「平等」が大切な理由(読書メモ:『リベラリズム:リベラルな平等主義を擁護して』) - 道徳的動物日記
        • 書評:綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社、二〇一九年) - 過ぎ去ろうとしない過去

          「差別はいけない」とみんないうけれど。 作者: 綿野恵太 出版社/メーカー: 平凡社 発売日: 2019/07/18 メディア: 単行本(ソフトカバー) この商品を含むブログを見る この本の結論、すなわち、我々は「経済と差別というふたつの領域で平等を求める」「ポリティカル・コレクトネスを大義とした、古臭い左翼であり、新しい左翼でもある」と宣言すべきだという結論*1には異論はない。 だが、私が思うのは、この本の内容に代表されるように、なぜ人は、差別の問題とその解消をひたすら訴えかけるような現在の反差別運動にひとつの行き詰まりを感じてしまうのか、ということである。小説でもテレビドラマでもよい。10年前、20年前、30年前のコンテンツを見てみるがいい。いかに現在の視点からは耐え難い差別表現が随所にみられることか。そしてそれらは現在、いかに解消されてきたことか。現在のバックラッシュが激しいとはいえ

            書評:綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社、二〇一九年) - 過ぎ去ろうとしない過去
          • Wikipedia:削除依頼/アベノマスク - Wikipedia

            このページは以下にある削除依頼の議論を保存したものです。さらなる議論が必要な場合は当該ページのノートで行ってください。このページは編集しないでください。 議論の結果、存続 に決定しました。 ケースE、政府の実施した施策に対する皮肉として用いられている語句であり、現時点では特筆性に疑問があります。 削除 依頼者票。--Kanata1963(会話) 2020年4月19日 (日) 00:56 (UTC)[返信] 存続 「特筆性に疑問がある」というのなら、その根拠を挙げてくださいな。朝日新聞や毎日新聞を始めとしてほとんどのメディアで取り挙げられており、特筆性は十分だと私は思います。--Bonfire12(会話/履歴) 2020年4月19日 (日) 04:33 (UTC)[返信] 新聞報道においても批判や皮肉として用いられていると言及されているように、一時的な語句であることが否定できません。現在進行

            • ちくま学芸文庫刊行書目一覧 最新版|かるめら

              2024年2月29日時点での既刊のちくま学芸文庫全2,036点(セット版を除く)をあげた。 文庫の整理番号順に従って表記(一部変更あり)した。 「♾️」マークはMath&Scienceシリーズ(青背)を示す。 人名表記の揺れ(例「シモーヌ・ヴェイユ」と「シモーヌ・ヴェーユ」)は訳者に従い、統一はせずそのままにした。 編者、訳者は一部を除き割愛し、編著者が3人以上に及ぶ場合は代表者1人の名前のみ記した。 Math&Scienceシリーズのみの刊行書目一覧はこちら。 浅田彰『ヘルメスの音楽』 赤坂憲雄『異人論序説』 赤坂憲雄『王と天皇』 赤坂憲雄『排除の現象学』 赤坂憲雄『遠野/物語考』 赤坂憲雄『象徴天皇という物語』 赤坂憲雄『柳田国男を読む』 天沢退二郎『宮沢賢治の彼方へ』 飛鳥井雅道『明治大帝』 E・アウエルバッハ『ミメーシス[上] ヨーロッパ文学における現実描写』 E・アウエルバッハ『

                ちくま学芸文庫刊行書目一覧 最新版|かるめら
              • 書評:綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社、二〇一九年)|藤崎剛人

                この本の結論、すなわち、我々は「経済と差別というふたつの領域で平等を求める」「ポリティカル・コレクトネスを大義とした、古臭い左翼であり、新しい左翼でもある」と宣言すべきだという結論*1には異論はない。 だが、私が思うのは、この本の内容に代表されるように、なぜ人は、差別の問題とその解消をひたすら訴えかけるような現在の反差別運動にひとつの行き詰まりを感じてしまうのか、ということである。小説でもテレビドラマでもよい。10年前、20年前、30年前のコンテンツを見てみるがいい。いかに現在の視点からは耐え難い差別表現が随所にみられることか。そしてそれらは現在、いかに解消されてきたことか。現在のバックラッシュが激しいとはいえ、昔からバックラッシュはあったのであって、今日がこれまで続いてきた反差別運動の最終地点だと主張する根拠はないだろう。 とはいえ、現在の反差別運動がとりあえずぶち当たっている問題につい

                  書評:綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社、二〇一九年)|藤崎剛人
                • 人間狩り・奴隷制・国家なき社会[第1回]/酒井隆史×中村隆之×平田周

                  酒井隆史 × 中村隆之 × 平田周 第1回 「グレゴワール・シャマユー/アンチ・フーコーのフーコー主義者」 編集部より 本記事は2021年11月5日、下北沢の書店「本屋B&B」で行われたオンライン・イベント「わたしたちは「人間」であって、人間ではない?」を再構成したものである。 半年以上前に開催された本イベントをここに再録するのは、この5月6日に、この記事内でも大きく取り上げられる思想史家・グレゴワール・シャマユーの『統治不能社会――権威主義的ネオリベラル主義の系譜学 』(信友健志訳、明石書店)という現代政治理論におけるひとつの達成とも言える書物が翻訳・出版されたことを記念する意味も込めている。 再録は全3回に分け、今回は第1回「グレゴワール・シャマユー/アンチ・フーコーのフーコー主義者」を掲載、以降、第2回「オレリア・ミシェル/奴隷制とレイシズム」、第3回「ピエール・クラストル/国家をも

                    人間狩り・奴隷制・国家なき社会[第1回]/酒井隆史×中村隆之×平田周
                  • セキュリティの危機の中で問い直される「自由」 前編 - 集英社新書プラス

                    新型コロナウイルスのパンデミック、そしてロシアによるウクライナ侵攻と、近年、セキュリティの強化を強く意識せざるを得ない出来事が続いている。しかし、コロナ禍では感染症対策の名の下で行動制限や営業自粛を余儀なくされるなど、セキュリティの重視は容易に個人の自由を制限する方向に進みがちだ。 5月17日に刊行された集英社新書『自由とセキュリティ』は、6名の政治思想家の名著をアクチュアルな視点で読み解きながら、セキュリティに傾きがちな風潮の中、自由の価値について再考を促す一冊である。 集英社新書にて好評発売中 著者の政治学者・杉田敦氏(法政大学教授)と政治思想史を専門とする宇野重規氏(東京大学教授)が、今こそ考えたい「自由とセキュリティ」の関係を語り合った。 セキュリティーをより重視するリベラル 政治学者・宇野重規氏 宇野 『自由とセキュリティ』の「プロローグ」には、コロナ禍が執筆のきっかけになったと

                      セキュリティの危機の中で問い直される「自由」 前編 - 集英社新書プラス
                    • 【特別掲載】百年の危機|ユク・ホイ  訳=伊勢康平

                      コロナウイルスの流行をめぐって、各国の哲学者たちが声明や文章を発表しています。『ゲンロン』で「芸術と宇宙技芸」を連載し、昨夏にゲンロンカフェにも登壇したユク・ホイは、ヨーロッパでの感染と感染対策が広まる4月に"One Hundred Years of Crisis"と題する論考を発表しました。1919年にポール・ヴァレリーが発表した「精神の危機」から100年後に起きた今回のコロナ危機は、世界史にとってどのような意味を持つのでしょうか。そして西洋的な科学一元論に陥らず、単なるオルタナティブとして東洋を見出すのでもない方法で、このグローバルな危機を乗り越えるためには、どのような思想が必要なのでしょうか。つねに東洋と西洋のあいだで思考してきたユク・ホイによるこの論考を、ゲンロンαで急遽、全文訳出することにしました。東浩紀による「コロナ・イデオロギーのなかのゲンロン」ともあわせてお読みください。ま

                      • 蔭山宏『カール・シュミット』(中公新書) 7点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

                        7月28 蔭山宏『カール・シュミット』(中公新書) 7点 カテゴリ:思想・心理 帯に「稀代の思想家か/ナチのイデオローグか」とあるように未だに毀誉褒貶の激しいカール・シュミットの思想に迫った本です。中公新書では1月前に同じドイツの思想家であるマックス・ヴェーバーについての本(野口雅弘『マックス・ヴェーバー』)が出ていますが、そのスタイルは対称的で、『マックス・ヴェーバー』が彼の生きた時代や後世への影響といった「文脈」を重点的に描き、同時にヴェーバーの評伝としても読めるものだったのに対して、本書は評伝的な要素は薄く、また、いきなりテクストに入っていくようなスタイルになってます。 そのため、予備知識のない人には少しわかりにくい面もあるかもしれませんが、シュミットの思想が批判的に検討されており、過去にシュミットの本を読んだことのある人にとっては、その疑問に答えるようになっていると思います。 目次

                        • 一九八四年 ニュースピークの諸原理

                          ニュースピークはオセアニアの公用語でイングソック、つまりイギリス社会主義の思想上の必要性から考案された。一九八四年当時においてはコミュニケーション、演説、執筆活動の手段としてニュースピークのみを使用する者は存在しなかった。「ザ・タイムズ」の主要記事はニュースピークによって書かれていたが、これは専門家にしか成し得ない精巧品だったと言える。最終的には二〇五〇年ごろにニュースピークがオールドスピーク(つまりは標準英語)に取って代わることが予測されていた。それまでの間にニュースピークは段階的に地歩を固め、全ての党員が次第にニュースピークの単語と文法構造を日常会話で使用するようになっていた。ニュースピーク辞書の第九版と第十版にまとめられた一九八四年当時のそれは暫定的なものであり、後に姿を消すことになる多くの不必要な単語と古い構造を含んでいた。本稿で私たちが検討するのは辞書の第十一版にまとめられた最終

                            一九八四年 ニュースピークの諸原理
                          • <遮音社会>「政治的にアウト」気付かせるポリコレ 正義の名の下に暴走なぜ(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

                            差別や不謹慎さを含む表現を許さない「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)」という概念が社会を覆い、表現者の間には萎縮ムードが広がる。ポリコレと表現の自由はどうバランスを取るべきか。ポリコレに詳しい武蔵野美術大の志田陽子教授(62)=憲法学=に聞いた。 【写真】「私人逮捕」動画に疑問を呈するフィフィさんの投稿 ――ポリコレという言葉を最近よく耳にします。 ◆本来は「気付きを促す対抗言論」という考えです。米国では1960年代に公民権運動が活発化し、長年差別を受けてきた黒人や女性が「NO」と声を上げました。ポリコレという言葉はその過程で生まれ、「法的にはアウトではないが、政治的にはアウト」ということを明確に突きつけるものです。マイノリティーがマジョリティーと対等な立場で「私たちを傷付けている」と相手に気付かせる。ポリコレはそうした足場を支える重要な役割を担っています。 ――あらゆる表現に対

                              <遮音社会>「政治的にアウト」気付かせるポリコレ 正義の名の下に暴走なぜ(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
                            • 「機動警察パトレイバー2 the Movie」の政治哲学的考察 連載② ~「戦後」を終わらせる為の、たったひとつの冴えたやりかた~

                              ★連載①(前回)はこちらです。 →「機動警察パトレイバー2 the Movie」の政治哲学的考察 連載① ~押井守と「戦後」、前史としての『犬狼伝説』~ 一国民が、政治的なものの領域に踏みとどまる力ないしは意志を失うことによって、政治的なものが、この世から消え失せるわけではない。ただ、いくじのない一国民が消え失せるだけにすぎないのである。 カール・シュミット『政治的なものの概念』未来社、2006年、61頁。 2つの虚構の戦後史では、『犬狼伝説』では、「政治」の何が清算されていないのか? それは、『犬狼伝説』の世界は、「戦後」であって「戦後」ではない、正しく言えば我々現実の日本人が生きている「戦後」ではないからだ。 現実の戦後史は高度経済成長による失業者の群れを生まなかったし(一億総中流化)、自治体警察を凌駕するような反政府闘争も起こらなかった(安保闘争も警察が鎮圧した)。 必然的に、警察軍

                                「機動警察パトレイバー2 the Movie」の政治哲学的考察 連載② ~「戦後」を終わらせる為の、たったひとつの冴えたやりかた~
                              • 中国軍事誌に掲載された「列島線突破」に関する中国空軍パイロットの手記(上)|Hiroki.Sonoda

                                中国の軍事雑誌「航空知識」誌2022年6月号において、中国空軍Tu-154MD偵察機のパイロットによる第一列島線〜西太平洋へ進出した際の回顧記事が掲載されました。その仮訳について掲載します。みなさんのご参考になれば幸いです。(以下、本文) TIPS:列島線とは? 列島線とは、太平洋に連なる一連の島嶼という一種の地理的概念であるが、我々が語る列島線は、20世紀中盤に米国人が提起した政治的、軍事的な概念である。列島戦戦略とは、①韓国・日本・台湾・フィリピンを核心とした第一列島線、②グアムを中心とした第二列島線、③ハワイを中心とした第三列島線から構成され、中ロを取り囲み、米国を防護するための3枚の障壁とされている。 2015年〜列島線に突撃 2015年、中国空軍は太平洋の第一列島線から抜け出し、体系的かつ構造的な遠洋訓練を組織し始めたと言える。私は光栄にもTu-154を操縦して人民解放軍空軍初の

                                  中国軍事誌に掲載された「列島線突破」に関する中国空軍パイロットの手記(上)|Hiroki.Sonoda
                                • 年金問題は若者の自民党支持を減らさない : 「平和構築」を専門にする国際政治学者

                                  「平和構築」を専門にする国際政治学者 篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。 参議院選挙の公示にあたり、新聞社が政党支持率の調査の結果を公表した。政権支持率は60歳以上では半分以下だが、20代では7割になる、などと報道した。 この現象について様々な角度からの検証をするのは大切だろう。しかし新聞等の

                                    年金問題は若者の自民党支持を減らさない : 「平和構築」を専門にする国際政治学者
                                  • カール・シュミット「政治的なるものの概念」 近代の逆説直視「敵か友か」|好書好日

                                    Carl Schmitt(1888~1985)。ドイツの法学者・政治学者 写真:Ullstein bild/アフロ 大澤真幸が読む 「政治に固有な区別は、敵、友(清水幾太郎訳では『味方』)という区別にある」。本書の中心命題である。本書は、まず一九二七年にベルサイユ体制(第一次大戦後の国際秩序)への批判の意味もこめて発表され、一九三二年に大幅に改訂された上であらためて出版された。 シュミットによれば、政治の最も重要な任務は誰が友で誰が敵かを決断することにある。敵は、物理的手段を用いて殺害する可能性もある他者のことなので、この政治概念には不穏な含みがある。この概念から普通に連想されるのは、君主や主人が臣下に「敵を倒せ!」等と命令している姿だろう。するとシュミットの政治観は前近代的で保守的なものだと思いたくなる。しかしそうではない。 まったく逆に、この政治概念は、近代性ということをまじめに純粋に

                                      カール・シュミット「政治的なるものの概念」 近代の逆説直視「敵か友か」|好書好日
                                    • 戦 争 (遠藤不比人)|研究社note

                                      ――敵は正しく見定められるのか?「24 時間戦えますか?」 たとえば「自由競争」であるとか「競争原理」などという表現が肯定的な意味で飛び交うのが、私たちの社会の現状である。そういった社会において、「戦争」という言葉の意味内容が、いつのまにか、比喩的なレベルで「競い合う(競争)」といった新自由主義的な美徳と化しているのではないか?この疑問をまずは提出したい。 ここで、かつてある精力剤の CM が採用したキャッチ・コピー「24 時間戦えますか」(1988 年初出)を思い出してみると、この疑いがかなりの現実性を帯びるはずだ。まさにグローバルな「自由競争」において(たぶん)アジアの熱帯雨林のなかでまで、スーツ姿で日夜(24 時間)奮闘する日本人サラリーマンの姿。そこにはまさに新自由主義的かつポストフォーディズム的な社会における「競争」の初期の形が戯画的に見えてこないだろうか?(ついでにいえば、あそ

                                        戦 争 (遠藤不比人)|研究社note
                                      • 許煜「危機の百年」(One Hundred Years of Crisis by Yuk Hui)へのレビューと抄訳

                                        [2020年5月12日改訂] その日[第三次世界大戦]が来る前に、そしてさらに深刻な大災害によって私たちが(すでに薄々感じられる)絶滅に近づく前に、コロナウイルスとの共存を単に主張するだけでなく、「有機的」グローバル免疫システムがどのようなものになるかを問わねばならない。 E-flux Journal #108 — April 2020に掲載された許煜 (Yuk Hoi)の論文「危機の百年」(One Hundred Years of Crisis)の内容を紹介する。非ヨーロッパ人である日本人の情報アーキテクトとして感じ入るところの多い論文だった。レビューと抄訳をお届けしたい。 [6月13日、ゲンロンαに全訳が出ました🎉 【特別掲載】百年の危機|ユク・ホイ 訳=伊勢康平] レビューコロナウイルス、グローバリズム、国民国家や国連の問題、それらが「技術」への文明論的な問いへと還元される。非ヨー

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