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戦 争 (遠藤不比人)|研究社note
――敵は正しく見定められるのか?「24 時間戦えますか?」 たとえば「自由競争」であるとか「競争原理」... ――敵は正しく見定められるのか?「24 時間戦えますか?」 たとえば「自由競争」であるとか「競争原理」などという表現が肯定的な意味で飛び交うのが、私たちの社会の現状である。そういった社会において、「戦争」という言葉の意味内容が、いつのまにか、比喩的なレベルで「競い合う(競争)」といった新自由主義的な美徳と化しているのではないか?この疑問をまずは提出したい。 ここで、かつてある精力剤の CM が採用したキャッチ・コピー「24 時間戦えますか」(1988 年初出)を思い出してみると、この疑いがかなりの現実性を帯びるはずだ。まさにグローバルな「自由競争」において(たぶん)アジアの熱帯雨林のなかでまで、スーツ姿で日夜(24 時間)奮闘する日本人サラリーマンの姿。そこにはまさに新自由主義的かつポストフォーディズム的な社会における「競争」の初期の形が戯画的に見えてこないだろうか?(ついでにいえば、あそ
2021/09/22 リンク